第九十四話 真珠湾攻撃
1945年(昭和20年)11月30日
Side:近衛高麿
堀大佐の予想した、アメリカ合衆国の侵攻目標は、ハワイ諸島だった。
彼らの第一目標は、真珠湾に駐留している日本艦隊と、地上配備機のせん滅、そして上陸部隊によるオワフ島の制圧だろう。
真珠湾には、独ソ戦の影響で有力な日本海軍艦艇は駐留していないから、当然、その隙を突いて狙うだろうし、ハワイ諸島は、アメリカから見たら自分の領土であり、日本に対する最前線基地としてもそうだが、太平洋地域全体に睨みを利かす場所としても、必要不可欠な場所だ。
よって、以前から日本海軍内部においても、対策立案は継続して行われてきた。
この計画に基づき、大規模な艦隊を動かすことが決定した。
中核となるのは12隻の航空母艦だ。
・伊勢型空母「伊勢」「日向」「山城」「和泉」 艦載機合計360機
・出雲型空母「出雲」「加賀」「土佐」「長門」 艦載機合計400機
・大和型空母「大和」「武蔵」「信濃」「甲斐」 艦載機合計600機
全艦に搭載されている機体は、三式戦闘機と、双発の三式攻撃機で、いずれもプロペラ機としての集大成を飾るに相応しい、高速・高性能機であり、ヨーロッパ方面において、3年以上の実戦を経験した熟練搭乗員によって操縦されていた。
また、三式攻撃機は、前年に開発された「四式滑空魚雷」を、2発装備出来る大型機で、これを用いてアメリカの空母機動部隊を攻撃する事になるが、各空母の格納庫が大きく、余裕があるので、設計上の搭載機数に変更はない。
そして今回の作戦において運用する、合計航空戦力は1300機を超えるという、対艦攻撃に特化したという意味では、かつてない規模の空母艦隊で、総司令官として、ヨーロッパ各地を転戦した歴戦の猛将、山口多聞大将が率いている。
この空母群を護衛するのが下記の艦艇だ。
高速戦艦 金剛型8隻。
防空重巡 葛城型、吉野型合計8隻。
防空軽巡 利根型、大井型合計8隻。
防空駆逐艦 秋月型、松型合計45隻。
対潜駆逐艦 敷波型20隻。
以上、アメリカ艦隊の迎撃作戦に投入する水上艦艇は、合計101隻の大艦隊で、全艦が30ノット以上の最大速力を発揮可能だ。
潜水艦も投入している。
主に最近竣工した伊300型と、伊400型で、ヨーロッパ海域にて行動中の艦を除いて、投入可能な各30隻、合計60隻を投入した。
こちらは大型艦なので、パッシブ音響追尾式の一式酸素魚雷の搭載本数が多く、伊300型はこれまでの2倍、各艦40本を搭載しているし、伊400型は50本だ。
これら潜水艦の任務は、空母機動部隊による敵艦隊への空襲に紛れて攻撃する事で、最終目標はアメリカ艦隊の殲滅となる。
一方のアメリカ側だが、今回動かしたであろう詳細な戦力が、どれ程なのか全く不明な点が気掛かりなのだが、全力で侵攻して来ていると見るべきで、その場合の戦力としては、5隻の正規空母と、内容は不明なものの、複数の小型空母を保有しているものと考えられるから、航空戦力は600機近いとみていいだろう。
更には、ハワイ諸島占領を企てているだろうから、多くの陸軍・海兵隊を乗せた輸送船団や、タンカーなどが同航しているはずで、当然ながら、戦艦以下の水上打撃戦任務部隊に護られているだろう。
日本時間12月7日 夕刻
先行した潜水艦より、敵艦隊発見の報告が来た。
発見場所は、ハワイ島の東南約500㎞という公海上だったから、「訓練でございます」と言われる可能性はゼロではないものの、そんな言い訳は通用しない。
この敵発見の通信は、同時にアメリカ側にも傍受されただろうから、この先のアメリカ艦隊の動きは分からないが、遥々とここまで来て引き返さないだろうことを前提として、作戦を実行することになった。
発見した敵の艦隊規模は、深夜のため、はっきりしないものの、100隻を超えるとの報告があったが、この艦隊には、輸送船と戦艦が多く、空母は含まれていないそうだから、おそらく空母は後方に存在していて、もっとも航続距離が短い、TBDデバステイターに合わせて、オワフ島から200km~250km前後まで近付いたら、艦載機による空襲を開始し、制空権を確保した上で、戦艦による艦砲射撃を行うのではないかとの予測らしい。
ハワイ基地と、迎撃艦隊司令部を信頼して結果を待とう。
日本時間12月7日 午後11時
文麿より、アメリカ艦隊の進路は変わらずとの報告とともに、日米戦の開戦にあたり、全部隊への作戦発動を命令する符丁の発信許可が欲しいとのことだった。
「符丁の中身はなんだ?」
と聞いたら。
「フジヤマノボレ一二〇八です」
だという。
俺は思わず吹き出しそうになった。
新高山は使えないから、その次に高い山の富士山を採用したのは分かるが…何という歴史の皮肉!
しかも攻守が入れ替わっている。
とにかく、笑うような場面ではないから、「フジヤマノボレ一二〇八」を打電させた。
ハワイ現地時間12月7日 午前8時(日本時間12月8日 午前3時))
オアフ島のレーダーサイトでは、南方から迫る多数の機影と思しき反応が確認された為、真珠湾周辺のヒッカム、ホイラー飛行場から、三式艦上戦闘機600機が飛び立ち迎撃した。
しかし、アメリカ側からは、未だ日本に対しての宣戦布告は行われていない。
そろそろ、駐日アメリカ大使が、俺に会いに来るのではないかと待ち構えていたのだが。
もはや奇襲攻撃ではなく、単なる卑怯な騙し討ちの強襲だが、成功の確率はどれ程と見込んでいるのだろう?
一般的には、太平洋における戦いでは攻撃側が有利とされている。
カール・フォン・クラウゼヴィッツという、プロイセン軍人がまとめ上げ、彼の死後1832年に発表された「戦争論」によって、戦略・戦闘・戦術の研究領域において、21世紀でも色あせない成果が示された。
特記すべき内容としては、政治的交渉の延長としての戦争概念、戦場心理、攻勢極限点、勝敗分岐点などがある。
これを参考として述べると、陸上戦闘においては守勢側が有利だが、太平洋においては攻撃側が自由に戦場とする攻撃点を設定出来ることから、攻勢有利と考えられていた。
史実における日米戦において、大本営は、『絶対防衛圏』という線を、千島列島~マリアナ諸島~ニューギニア西部に引いてここを守るとしたが、これは線なのか点なのか?
どこかに攻撃を受けた場合、どこが増援を出すのか?
結果として、マキン、タラワ、アッツ、ブーゲンビル、サイパンとすべて孤島になってしまい、一兵の増援すらできなかった。
以前にも述べたように、硫黄島以降は、堀参謀が予測した侵攻ポイントと侵攻日時がズバリ的中し、「敵軍戦法早わかり」の効果もあって、善戦できたが手遅れだった。
この結果になった最大の要因は、制空権を失ったことで、これが無いから制海権も自動的に失い、そこから先は一方的にやられてしまった。
しかし、ハワイ諸島だけは、攻撃の優位が通用しない。
何故なら、アメリカ本土から見て、ハワイ攻撃の拠点になるにふさわしい場所が途中に無いからで、よってこの場所だけは、防衛側の有利に働く。
今回戦闘に参加したアメリカ空母は、「ヨークタウン」、「ホーネット」、「エンタープライズ」、「ワスプ」、「レンジャー」と小型護衛空母が4隻の編成で、これら空母を発艦した攻撃隊は空母部隊の上空直掩機を除くほぼ全力の500機を投入した。
普通に考えたら大編隊だし、奇襲に失敗して強襲になったとしても、ハワイ基地へ大きな打撃を与えられると見込んだだろう。
しかし、双方の実力が隔絶していたのは、アメリカ側の不幸だった。
アメリカ側の主力戦闘機は、グラマンF4Fワイルドキャットだが、史実の零式艦上戦闘機と、日米戦初期に死闘を演じた機体であり、最新鋭機を擁する現在の日本海軍から見たら、「何世代前の機体だ?」と思うような鈍重さで、三式艦上戦闘機の相手にならず、一方的に撃墜されていった。
もちろん、日本側にも被害は発生しているが、キルレシオは8:2どころか9:1を軽く超える程度にまで拡がっていた。
やはり、合衆国と軍部双方の混乱の影響は大きく、爆撃機を含む、新型機の開発が完全に止まっていたらしい。
片や日本海軍は、ずっと強敵を相手に戦い続けてきて、常に新型機を開発してきたし、休養十分で実戦経験が豊富なパイロットによって操縦されているから、負ける要素が見当たらない。
ここまでの差が出ると気の毒に感じてしまう。
ハワイ基地への攻撃隊も同様だった。
艦上攻撃機は、ダグラスTBDデバステイター、急降下爆撃機は、同じくダグラスSBDドーントレスと古色蒼然の趣きがあり、デバステイターの最高速度は300km/h、ドーントレスでも400km/hであり、最高速度700km/h近い三式艦上戦闘機の餌食となって、こちらも次々と墜ちていった。
僅かに残った敵機が、ようやく真珠湾に接近してきたが、秋月型防空駆逐艦5隻と、松型防空駆逐艦10隻の対空砲火は無慈悲だった。
これらの艦に備え付けられたレーダー付きの射撃指揮装置によって得られたデータは長射程の65口径10cm砲に伝達され、全艦に搭載されていた近接信管付きの砲弾は、敵機の近くまで到達すると検知して自動的に爆発した。
これによって、三式戦闘機の魔の手を逃れて生き残った敵は、殆ど撃墜されて、僅かに1機のみがヒッカム飛行場の滑走路脇に爆弾を投下しただけで終わり、それも不発弾だったので被害は出なかった。
しかも飛行場周辺の対空陣地は、結局ほとんど実弾射撃をしないまま終わった。
これは史実の「マリアナの七面鳥撃ち」の逆パターンで、後世「ハワイの七面鳥狩り」とでも言われるかもしれない。
また三式攻撃機による対潜哨戒の結果、複数の敵潜が発見され零式短魚雷で始末された。
ハワイ現地時間12月7日 午前11時。
ここからは、日本側の反撃が開始された。
哨戒機の索敵により、ハワイ基地攻撃を主任務とするであろう艦隊の、後方60kmの位置に合計9隻の空母からなる機動部隊を発見し、十分な機体数を保有していた山口大将は、攻撃隊を6波に分け、上空直掩機を残さず、全力で二つのアメリカ艦隊へ振り向けた。
この果断ともいえるスタイルが、猛将たる所以だろう。
そして第一次攻撃隊は以下の通りの数だった。
第一波攻撃隊は200機を用いて後方の空母機動部隊への攻撃
第二波攻撃隊に250機を用いて前方のハワイ上陸部隊への攻撃
第三波攻撃隊は200機を用いて後方の空母機動部隊への攻撃
第四波攻撃隊は200機を用いて前方のハワイ上陸部隊への攻撃
第五波攻撃隊に250機を用いて後方の空母機動部隊への攻撃
第六波攻撃隊は200機を用いて前方のハワイ上陸部隊への攻撃
これら攻撃隊には、既に九八式急降下爆撃機は含まれておらず、三式艦上攻撃機は合計800機に及ぶ。
無慈悲とも言えるような攻撃が開始された。
第一次攻撃の各波攻撃隊は、アメリカ艦隊の20km手前で、各機あたり2発の新兵器「四式滑空魚雷」を発射した。
その本数は六波合計で1600発の多数に上る。
しかし新兵器にありがちな初期不良で、合計200発が動作不良を起こし落下していった。
敵艦隊近くまで到達した1400本の魚雷のうち、無事に着水できたものが1100発。
そこから更に着水の衝撃で400発が壊れ、沈んでいった。
残る700発のうち、300発は味方の魚雷を追い掛けてしまい、音響追尾に成功したものが400発。
そして実際に敵艦に損害を与えたものは、320発あまりだった。
命中率は約20%となるが、この数値は、高速航行中の敵艦に対する魚雷攻撃として見た場合は、異常に高い命中率であり、もっと特筆すべきは、攻撃側に被害が発生していないという事実だろう。
滑空魚雷を発射した攻撃隊は、直ちに母艦へと引き返し、魚雷を抱いて第二次攻撃として再度出撃していった。
結局、この日は夕刻までに第三次攻撃まで実施された。
そして飛行中の滑空魚雷や、着水後の誘導魚雷を避けようと必死の対空砲火と、回避行動を取り続ける敵艦隊の近くまで忍んで行った潜水艦は、航空隊の攻撃に紛れて、航空魚雷より大口径で炸薬量も大きい必殺の一式酸素魚雷を放つ。
対艦攻撃としてはミサイルのほうが有効だろって?
小型艦ならばミサイルでもいいかもしれないが、この時代は装甲の厚い大型の戦艦が主役の時代だから、ミサイルより魚雷が有効だ。
魚雷は水線下への攻撃だから、命中すれば確実に浸水をもたらす。
そして海水が入ってはいけない場所への浸水は、重量増となって速度の低下と、バランスを崩すことによる傾斜を招く。
また一定以上の傾斜になれば、揚弾が出来なくなるなど、戦闘能力の低下につながる。
これを修正する為には、反対舷への注水が必要となるが、それによりフネはもっと重くなり、速度も更に低下して、次の攻撃に対する回避能力が落ちる。
このように魚雷攻撃は、相手を一発で仕留められないような大型艦に対しても、これだけの被害をもたらすことが出来るため21世紀でも有効だ。
結果、アメリカ艦隊に壊滅的な被害を与えることに成功した。
機動部隊を構成していた60隻のうち、空母は9隻全てが沈没、前方に位置していたハワイへの上陸部隊5万人を乗せた輸送船や、護衛の巡洋艦と駆逐艦、上陸支援を行うつもりであったであろう戦艦といった、100隻以上の艦隊も、その多くが沈んでいき、何とか逃げ延びたのは、二つの艦隊を合わせても全体の2割程度に過ぎず、ここにアメリカ海軍の持つ機動戦力と、水上部隊は全滅に等しい打撃となった。
いまだ公表されていない、黒海艦隊の例を除くと、世界で初めて作戦行動中の戦艦、それもアメリカ海軍が自信をもって建造した最新鋭艦が、航空機の攻撃によって撃沈されるという事象が発生したのだ。
それも一隻や二隻ではない。
最新鋭の「アイオワ」級も、4隻中3隻が四式滑空魚雷と、それを隠れ蓑に発射された一式酸素魚雷によって沈められたし、「壱岐」型を正面から打ち破ることを目的に、アメリカ海軍の切り札として投入された「モンタナ」級4隻も、全艦が一発の主砲弾を放つ機会を得られぬまま、波間に消えていった。
これにより、遅まきながらも戦艦の時代は終わりを告げ、航空機の時代が到来したとの認識が、世界各国で確定する海戦となった。
しかし、この戦いの問題は、宣戦布告も、最後通牒も、遂に現在に至るも何も無い、という点だろう。
これまで日本は、アメリカが分裂して以降は、戦争の原因となるような嫌がらせを行った事実はないし、アメリカ連合やテキサス共和国に対する露骨な支援もしたことはない。
つまり一切の挑発行為は行っていないわけで、これは世界中が見ていて、共通の認識としている事実だ。
よって完全な騙し討ちをしようとして、無様に失敗したのだ。
これまで何回も触れてきたように、史実のアメリカは、日本に対して常識を超えた挑発行為を繰り返した。
航空機燃料、屑鉄、工作機械等の輸出制限を次々と適用、最終的には石油の禁輸、日系人や日本人移民への差別と財産没収、援蒋ルートによる中国国民党支援、ABCD包囲網、最後は「ハル・ノート」と、日本を追い詰めて「先に手を出すよう」故意に仕向けた。
よって「宣戦布告が遅れた事による騙し討ち」と非難される謂れは本当は無いし、後ろめたく思う必要もない。
「騙し討ち」とは、双方に問題が発生していないとされる状態、でいきなり襲う事だ。
この件で、万が一にでもアメリカ人に何か言われたら、「礼には及ばん」と回答してOKだし、ここまで挑発しておいて、真珠湾に対しての奇襲攻撃を許すなど、あってはならない大失策でマヌケだ。
しかも、真珠湾の仕返しに原爆を落としたなどという暴言は、絶対に許してはならない。
以上のことは国同士でなく、個人の関係で想像すればすぐにわかる事だろう。
しかしこの世界のアメリカは、「騙し討ち」を行ったうえに宣戦布告もない。
宣戦布告とは、相手国や中立国に対して、戦争状態に入ることを告知することだ。
無条件のものを宣戦布告と言い、条件付きのもの(指定した期限までに要求を受け入れなければ、開戦するぞというもの)を最後通牒と言って、厳密にルール決めされている。
戦時国際法の「開戦に関する条約」により、宣戦布告(または最後通牒)は、戦争行為の開始前に行わなければならないとも定められている。
だが、これも以前に触れたように、史実におけるアメリカという国は、朝鮮戦争は受け身だったから仕方ないにしても、ベトナム戦争も、湾岸戦争も相手側に宣戦布告をした実績がない。
言わば他人に厳しく、自分に甘い、騙し討ちの常連国だ。
俺は急ぎ宮中に参内して、陛下にアメリカとの戦闘に至った経緯の説明と、反撃の詳細を報告した。
更に臨時国会を緊急に招集して、以下のように宣言した。
「帝国はいま、古くは元寇、記憶に新しいところでは、日露戦役に匹敵する困難にさらされています。
ようやく独ソという強敵を倒し、これから平和が訪れようかという、まさにこの時、戦争という最も暴力的な政治行動をとった国家が選んだ対象は、ヨーロッパの同盟国ではなく、わが日本でした。
しかも、いまだに宣戦布告が為されていません。
誰をもってしても、合衆国の正当性を主張できぬこの戦争は、我が国にとって完全な防衛戦争であります。
そうです。
皆さん既にお気付きのように、これは正義の戦争です。
道義を重んじる国際社会、信頼に足る同盟諸国もまた、それを認めてくれるものと信じます。
我々は平和を取り戻すために、やむなく合衆国との戦争に身を投じてまいりますが、それによって生じる被害は恐るべきものになるやもしれません。
本職は、この戦争で失われるであろう多くの命、特に輝ける未来を奪われる若者たちの運命と、その家族の皆さんの悲痛を思うとき、胸が締め付けられます。
しかし、その若者たちとは、同胞のみならず、憎むべき敵である合衆国の若者たちも含まれています。
何という悲劇でしょうか。彼らには正義すら与えられないのであります」
こんな演説は、外務大臣の吉田茂のほうが得意かもしれないが、議会は満場一致で、アメリカとの開戦を決定し、この時点から正式に日米戦は始まった。
どうでもいい話で恐縮だが、第一話から一貫して可能な限り「太平洋戦争」との表記は使ってないのだが気付いて貰えただろうか?
史実におけるアレは、アメリカ側の呼称で、日本に使用を押し付けたものだから使いたくないのだ。
よって「第二次世界大戦」とか「日米戦」と書いてきた。
たまに忘れて使っていたかもしれないが……
「大東亜戦争」の呼称は、戦後アメリカによって使用が禁じられた。
だから、使っていないというわけでは無い。
「大東亜戦争」の表記が、日本国内で初出するのは、1940年(昭和15年)7月26日らしいが、それ以前から日本はノモンハン事件、満州事変、支那事変、日中戦争に、直後には仏印進駐と、実質的に戦争をしていたのであって、何をいまさらという気持ちがあるし、その後も大東亜戦争が国民に定着したわけでもなさそうだ。
結局のところ、後付け感がハンパないし、泥縄のズルズルで日本が破滅していった象徴的呼称だから、使いたくないのだ。
何かいい名前があったら付けたいが、戦争範囲が西はインド洋、東はハワイ諸島、北はアリューシャン列島で、南がオーストラリア大陸北部のダーウィン。
更には中国大陸まで含まれるのだから、適切な地域名が思い浮かばない。
あえて言えば「アジア・太平洋戦争」か?
ともかく日米戦は開始された。
ここから日本は、同盟国と共同でアメリカ合衆国を締め上げていくことになる。




