第九十三話 予兆
1945年(昭和20年)9月2日
Side:近衛高麿
第二次世界大戦は独ソの敗北で終了した。
ナチスと共産党。
この追い求めた理想は全く異なるが、「一国一党独裁のファシズム」という意味において同じ体制は、だいたい時を同じくして勃興し、似たようなタイミングで滅びた。
日本においては、ナチスに感化された人間は殆どいなかったが、共産党がもたらした悪影響は甚大なものだったと言える。
それでも最近の古書街にはマルクスの「資本論」がタダ同然の価格で、何百冊も山積みされているが買い手はほぼいないそうだから、日本における共産党の思想は終了だろう。
結局この戦争における世界の人的損害は、軍民合計で900万人と、史実の最低でも5500万人という結果よりは、かなり少なく抑えることは出来た。
だから素晴らしいとは、決して言えないし喜ぶような結果ではないが。
犠牲者が少なくて済んだ理由としては、日本軍を中心とする同盟軍の爆撃機が、独ソ両国の都市に対する無差別爆撃を行わなかったことがまず挙げられるだろう。
日本軍が戦場に投入した爆撃機である「朱雀」、「飛鳥」、「鳳凰」は、独ソのインフラ、軍需工場や発電所・変電所、ダム、線路に橋梁、港湾設備と飛行場を重点的に爆撃して、多大な社会的損害を両国に与えた。
これらの空襲は、当初は夜間に集中して行われていたが、独ソ空軍戦闘機の稼働率の低下と、搭乗員の質的な低下、対空陣地の減少に合わせて、まるであざ笑うかのように昼間爆撃へと移行していき、結果的には住宅などへの誤爆を防ぐと同時に、爆撃地点の微調整によって、同盟側にとっては効率的で確実な目標の破壊、枢軸側から見たら、更なる重要拠点の被害拡大に直結する要因となった。
そして、ドイツに対する戦争の最終局面では、ドイツ海軍の本拠地であるキール軍港も高高度からの爆撃対象として集中的に狙われて、軍港設備や燃料タンクを含め、多くの艦艇が被害を受けた。
その中には、ドイツ海軍が誇った最新鋭にして、世界最大・最強の戦艦である「エーリッヒ・ルーデンドルフ」級の2隻も含まれており、竣工以来一度も外海に出る機会の無いまま、母港において無惨にも破壊され、両艦とも浸水によって横転していてもう廃艦にする以外の方法がない状態だった。
沈没に至った大きな要因としては、戦闘態勢にない停泊中であり当直乗組員も少なく、防水扉や隔壁は開放したままの無防備な状態であったことが挙げられるが、航空攻撃によって戦艦を沈めた最初の例であると宣伝され世界中が信じた。
しかし、沈没に至る状態が停泊中であったために、航空機によって作戦行動中の戦艦が沈められるという事態にはならないだろうという、海軍関係者の意見が多数だった。
実際には、戦闘行動中の戦艦を魚雷攻撃で沈めたという、黒海艦隊の前例があったのだが日ソ双方が公開していないし、俺としてはまだ秘密にしておきたい。
ともかく、この両艦の無残な最期を撮影した写真は第二次世界大戦を象徴するものとして、長く人類の記憶するところとなるだろう。
ドイツ降伏以降の同盟軍は、正式な降伏文書の調印を待って、捕虜の返還、自分たちが破壊した社会インフラの復旧、ドイツ国民への食糧の配布、ドイツの占領地だった地域に住むドイツ国民の保護などを行って、戦争の影響を1日も早く終わらせようとしていた。
そしてポーランドをはじめとする、ユダヤ人絶滅収容所の実態解明が進んでいる。
最終的な被害者は、100万人に達する見込みで、偶発的な虐殺ではなく、最初から「効率的に処理」する目的で絶滅収容所を建設したうえに、表記したくないが、最も困難で隠ぺいの難しいとされる遺体の処理に関する「ノウハウ」が注ぎ込まれていた。
21世紀において、例えば都会の集合住宅における孤独死が、最終的に発覚する要因の多くは、その耐え難い悪臭にあり、経験者に言わせると、人間にとって、同じ人間の死臭ほど耐えられないものは無いらしい。
やはり一般的な動物より、DNAが同じ人間が発する臭いが、人間にとってよりきつく感じるのかもしれないが、たった一人の人間が放つ死臭でさえ、大騒ぎになるのに、それが100万人だ。
その臭いの問題をクリアさせたのだから、ナチスがいかに「ラインハルト作戦」を通じて、ユダヤ人絶滅を目指して残虐行為に励んだか、この一点だけでも証明できるだろう。
決して偶発的に発生した事件ではないのだ。
昔は定説のごとく扱われていた日本軍による「南京大虐殺」事件は、この死体処理をどうやったのかが謎で、人数は中国側が言うように30万人なのかは疑問だ。
ちなみに…アメリカ独立戦争のきっかけの一つとなった「ボストン虐殺事件」という歴史的事象があり、イギリスによるアメリカ人弾圧事件として有名だが、この事件のアメリカ側被害者は8名だ。
誤記ではない。8名だ。
要するにアメリカ側がプロパガンダの一環として事件を利用したのだ。
それはともかくとして、この世界線におけるナチスによる一連の残虐行為に関する、戦争犯罪人の筆頭は当然ヒトラーだったが、既にこの世から逃げ出していたから、身代わりとして実行犯の親衛隊とゲシュタポがその責任を取ることになりそうで、窓から捨てられたゲシュタポ長官のラインハルト・ハイドリッヒや、親衛隊長ハインリッヒ・ヒムラーなどは、その筆頭となるだろうし、ラインハルト作戦の責任者だった、オディロ・グロボクニクも対象だ。
なお、「ラインハルト作戦」の呼称は、このラインハルト・ハイドリヒに由来すると言われている。
政権中枢では、ヒトラーを支えたヘルマン・ゲーリングや、カール・デーニッツといった軍人に、ルドルフ・ヘス副総統、マルティン・ボルマン官房長、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相と、この世界では自殺しなかったヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相といった、ナチス幹部たちもその責を免れないだろう。
因みにリッベントロップは、「フォン」の称号を持っていたが、彼の出自はユンカーではない。
また、先に降伏したソ連も、ロシア首相の彦麿を中心とした政府によって再建が行われつつあり、共産党本部の爆破解体という象徴的な出来事から始まり、共産党幹部の逮捕・投獄、スターリンの犯罪行為の立証、レーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、および重要人物が埋葬されているクレムリンの壁墓所の移転と焼却処分、共産党の非合法化と、ソ連憲法を廃止した上で、ロシア立憲君主国憲法の適用化を行った。
スターリンの犯罪行為に対する捜査は、まだ途中の段階だが、既に言い逃れのできない証拠や、証言が積み上がりつつあり、いったいどれ程の罪状になるか、想像もつかないレベルになっている。
特に「大粛清」と、「ホロドモール」に対しての責任追及は苛烈なものだったし、各地の強制収容所にて虐殺された、無辜の民衆に対する責任も重大だ。
この男に関しては戦争犯罪以前の問題と断じることが出来る。
ソ連の支配下にあった、各共和国の解放も同様に行われており、共産党の解体と非合法化、犯罪行為の捜査と共産党幹部の逮捕、コルホーズ(集団農場)とソフホーズ(国営農場)の解体を行い、今後は土地制度を改め、農民の私有を認めたうえで、帝政ロシア時代から続く土地に絡む弊風を、一気に吹き払うだろう。
これらの改革と、復旧処置を済ませた後に、これから順次、各共和国に対して独立を承認し、分かりやすく表現すると、21世紀のロシア領とほぼ同じ領域、ただしアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアを除く国々が独立するだろう。
この3カ国は、トルコと国境を接していたり、歴史的なアレもあって、時間をかけて独立させる計画らしい。
独立する国々は、ウクライナやベラルーシをはじめとして、俺が「カトウタキ」で覚えている、カザフスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギスタン(キルギス)各国だ。
特にウクライナ国民は、この処置に対して喜びを爆発させているみたいで、必死にソ連と戦った報酬が受けられることに満足しているらしい。
これから、ウラジオストク方面に在住している1000万人のウクライナ人が、全員ではないかもしれないが、故郷を目指して今回は船ではなく、シベリア鉄道を利用して戻ることになるだろう。
ここから気をつけねばならないのが、放置すれば憎しみの連鎖が発生してしまうということだろう。
これは歴史の必然とも言える現象で、ある覇権国家が勢力を伸ばすと、その国家に属する民族が征服地へ移り住む。
この時に移り住んだ本人は、意識していないかもしれないが、実は加害者の立場だ。
なぜなら誰も住んでいない山奥や、無人島ならいざ知らず、その土地には、それまで住んでいた住人がいるわけで、征服者側はそれらの人々を排除する形になる。
しかしそういった人々も、母国が敗北してしまうと、それまで住んでいた場所を奪われ、一転して被害者の立場に追いやられる。
今回の例で言えば、ドイツ人は戦時中にユダヤ人を迫害し、チェコやポーランドといった東欧諸国へも積極的に移り住んだ。
しかしドイツ敗戦後は、ユダヤ人とドイツ人の立場は逆転した。
今度はユダヤ人がドイツ人を、アウシュビッツをはじめとした、収容所へ追い込んで虐待したというのは、史実であり、あまり触れる人はいないが事実だ。
そして戦後はポーランド領が拡大したことも併せて、東欧から追われたドイツ人の総数は、1500万人に達するという説すらあり、これもあまり語られることは無いが、戦後はドイツにおいても東西の分裂をはじめとして、苦難の連続を強いられる生活だった。
その結果、今度はそれら暴力的に追放された人々の怨念が、長い年月を通じて凝縮し、ドイツにおいて極右勢力として台頭していく………
それらは21世紀以降、次の争いを生む土壌となってしまうだろう。
極右と極左はどちらも危険だ。
あえて簡単に、それらの主張を要約するなら、極右は自国優先、他民族排斥。
ヨーロッパでいえば、EUを通じた協調より自国優先、移民には絶対反対で、母国へ追い返せと主張する。
一方の極左の主張は、革命を通じた自国政府への攻撃と、体制転覆だ。
ナチスの主張をもう一度思い出して欲しいが、ドイツ民族優先、ユダヤ人と共産主義者排斥だった。
そしてスターリンのやったことは、「革命」を通じた権力の掌握と、勢力圏内での暴力、強制収容所の設置、密告の奨励だった。
ドイツ国民は、このどちらかを選ばねばならないという、究極の選択を迫られて、結局ナチスを選んだが、背景にあったのは、理不尽な要求をしてくる外国への対抗心だった。
2026年以降に、ヨーロッパ、特にドイツやフランスのように極右の思想が一定程度拡散し、力を持った状態で、リーマンショックなど児戯に思えるような経済的・社会的衝撃が世界を襲い、人々に他人を思いやる余裕が無くなってしまったら?
再び世界は闇に包まれるだろう。
この極右と極左について、日本人は誤解している点がある。
世界的に見た基準と、日本人が考える基準に乖離があるのだ。
公平に見て、日本の極左勢力は、世界基準で見ても極左だ。
代表的なのが、日本赤◯や連合◯軍、東アジ◯反日武装戦◯といったテロ集団で、令和の日本において勢力を失ってはいるが、老人を中心に残党は多い。
日本の法律に守られていながら、「日本なんぞ滅びよ」と活動していた能天気な人々だ。
令和においても左翼系の政治家が問題なのが、彼らに共通する思考としての「嫌日・排日傾向」だ。
海外でも左翼政治家は当然存在するが、自国民や自国政府を貶める活動をしているなど聞いたことがない。
どんな政治家がどんな主張を行おうとも、基本は「愛国」であり、そうでない政治家などあり得ない。
翻って日本の左翼系政治家は「愛国」であるのか?かなり疑問だ。
一方で、日本で言われている極右は、世界基準なら、真ん中からやや右といった印象だ。
日本で極右だとレッテル貼りされていた衆参議員の発言で、以下のものがあるか?
・「移民絶対反対、外国人は母国へ強制送還せよ」
・「日本国憲法なんて便所の落書きは廃止して、大日本帝国憲法に戻せ」
・「日米安全保障条約は即刻破棄して、逆に米軍からは基地の借地費用を徴収せよ」
・「不当な力で奪われた北方領土は、武力行使してでも奪い返せ」
・「拉致被害者を奪還するために、北朝鮮を武力攻撃せよ」
・「尖閣諸島の日本領海を犯す船は、すべて撃沈せよ」
・「竹島に自衛隊基地を建設せよ」
などと主張している者がいるか?
極右とは、ここまで主張してこその極右であって、令和で極右と言われている人たちが主張している内容は、せいぜい自衛隊を公認する内容への憲法改正、自衛隊による反撃能力の向上、靖国参拝程度だろう。
これのどこが『極右』なのか?とても不思議で、レッテル貼り、決めつけに過ぎないだろう。
ついでに言えば、俺は右翼ではない。
左翼では絶対にないが、右翼とも思っていない。
反共産党=右翼と、自動的に判別してほしくない。
俺の指向や思考は、現状の俺の地位とも背反しないし、家系的・血統的背景とも、矛盾していないと考えている。
言わば伝統的保守の立場だ。
極右の件と、俺の思考について、疑問に思うなら、マッカーサーの戦後処置の呪縛を未だに受け続けている良い例証と言えるだろう。
脇道にそれてしまったが、戦争を通じた憎しみの悲劇は、歴史によくある一場面と言ってしまえばその通りなのだが、ドイツのケースでは、憎しみが連鎖した結果であり、もとを糺せば、第一次世界大戦終了時のパリ講和会議において、ドイツを追い込み過ぎたせいだ。
まずは戦勝国側が意識してドイツ人、そしてバルト三国や、周辺国のロシア人を保護しないと、現地民衆による報復という醜い事件があちこちで発生してしまう。
既にパリにおいては起こってしまった。
こういった事態を未然に防ぎ、穏便に占領地の回復を図るため、旧ソ連の支配下に置かれたバルト三国や、フィンランドのロシア系の人々に対しては、ロシアとその周辺国へ、そしてドイツ系の人々には自発的にドイツへ戻ることを推奨しており、その際は日本軍を護衛につけて送り届けているし、現地に残留することを選択したドイツ人に対しては、復讐しないようユダヤ人、ロマ族、東欧諸国の民衆に求めている。
繰り返すが、憎しみの連鎖は断ち切らねばならないのだ。
これは、天皇陛下にも要望されたことだし、オリガからも懇願されたことだ。
オリガにしてみれば、ロシア人や周辺の民族が憎み、争うのはもうたくさん。という気持ちだろう。
それはそうとして、新たなロシアの首都は移転させるのか気になって彦麿に確認したのだが、アレクセイ陛下の意向としては、陛下にとって苦い思い出の残るペトログラード(レニングラード→サンクト・ペテルブルク)に戻るより、住み慣れたウラジオストクの方が良いみたいなので、移転せずにそのままとなるらしい。
これはきっとオリガやマリアも同じ気持ちだろう。
父祖の地は奪還したのだからそれで満足。ということだろうと察する。
それに、ペトログラードもウラジオストクも、国土の端に位置しているという点では同じだからというのも理由かもしれないし、日本と近い位置にあったほうが安心するのかもしれない。
何れにしても今後は極東地区の産業と、シベリア地区の油田・地下資源開発を中心に、バランス良く開発を進めていく方針らしい。
そうなると、シベリア鉄道が一本というのは大変不便で、戦時中から別ルートの鉄道、第二・第三シベリア鉄道の計画が持ち上がっているから、具体的な工事に入るだろう。
日本国内においても、ようやく戦争が終わったという安堵感と、戦勝の高揚感に満ちており、戦争特需は終了するだろうが、実体経済も加熱気味だったから、ちょうどいいかもしれない。
特筆すべきは、第一次世界大戦以降の日本の行動は、多くの国と民衆から圧倒的な支持を得ている事実だろう。
同盟国である英露仏はもとより、ルーマニア、トルコ、ギリシャ、ポーランド、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、カザフスタン、ベラルーシ…
そして、東パレスチナ、ウクライナ、台湾と親日国家が目白押しで、今後100年にわたって日本の力強い味方となってくれるだろう。
更にはこれからアジア・アフリカの植民地を解放していったら、その人気は不動のものとなることを期待している。
11月15日
何となく、気が抜けたような気分に浸る日々だったが、情報室長の堀大佐が、深刻な表情で俺の前に姿を現した。
この表情は、かつて明石大将が関東大震災直前に、クーデターとテロの報告時に見せたものと似ていたから、なんか嫌な予感がするのだが……
「閣下。アメリカ合衆国軍の動きに、異変があります」
アメリカ合衆国か。
大統領がトルーマンに代わったし、忘れていたわけじゃないが、ドイツとソ連に気を取られていたのは事実だし、意識の中から消えることも多かったのは、正直なところだ。
「どんな異変でしょうか?」
「NECによれば、大西洋艦隊の主な艦艇、特に新鋭戦艦群はひと月ほど前から所在不明となっており、所在が確認できるのは旧式戦艦群のみとなっています。
また、アメリカ海軍艦艇からの発信情報を追っていたのですが、その大西洋艦隊の所属艦艇の発信は、ここ最近、どうも陸上から行われているみたいで、更に、太平洋艦隊所属艦艇の発信も、3日前から陸上にて行われているようです」
海軍艦艇の発信が、陸上から行われている?どういうことだ?
俺が考え込む表情を見せたからか、堀大佐が言葉を繋ぐ。
「閣下もご存じかもしれませんが、艦艇からの無線発信に関しては、通信機の個体差もありますし、発信者個人の癖というか特徴が表れやすく、この点に留意して受信していたのですが、ハワイと樺太の受信所からの位置情報を突き合わせると、ここ最近の発信は、位置から判定して陸上と思われます。
これは、故意に通信機を陸上に降ろし、特定の電信員を陸上で活動させている結果だと判定します。
従いまして、大西洋艦隊所属艦艇、太平洋艦隊所属艦艇共に、現在位置は不明というしかありません。
更に気になるのは、昨日から米軍艦艇のコールサインが、全面変更された事実です」
……この話には聞き覚えがある。
史実の真珠湾攻撃に際してなのだが、日本海軍も同様な処置を施したはずで、他の艦艇に空母「赤城」と同じ通信機を載せ、あたかも日本近海で訓練中、もしくは南下中であるように見せかけている。
戦後に公表された、米側の通信解析記録を見ると、南雲機動部隊が択捉島の単冠湾を出撃した後も、ハワイに向かっていた空母「赤城」や、戦艦「比叡」が、日本近海で通信を発している様子が記録されている。
さらに、日本海軍は昭和16年12月1日をもって、すべての艦艇の呼び出し符号を変更したため、アメリカ側は一時的に、日本海軍の艦艇、特に空母機動部隊を見失うことになったはずだ。
「それは何かを隠す目的で行っている行動だと?」
「おっしゃる通りです。
そして更には、パナマからの情報では、西海岸へ向けてパナマ運河を通過する輸送船の通航量が、激増しているとのことです。
それらの船舶の喫水線は、深く沈んでいるとの情報で、様々な物品や人員を満載していると判定できます。
また、最近のアメリカ企業の株価を追っていたのですが、缶詰会社と製薬会社の株価が上昇してしており、これらの情報を総合しますと、何らかの軍事行動をとるものと判断されます」
パナマ政府も、料金を徴収できるから、輸送船や民間船舶の通航は規制していない。
それにしても、東から西への通航量が激増するということは、戦争の準備、それも日本に対する戦争だな。
株価情報の件も気になる。
しかし東海岸に配置していた艦艇は、密かにマゼラン海峡か、ホーン岬経由で西海岸まで移動させたのか。
イギリスや、アメリカ連合国に対して無防備になるが、そのリスクを冒してでも、日本と戦争をしたいのか。
何とも迷惑なことだ。
「アメリカが、近く日本に対して作戦行動を開始するというのですね?そうなると、アメリカが最初に狙うのはどこだと思いますか?」
「それは、ここだと思います。また作戦発動時期は12月上旬と予想します」
堀大佐は、壁に掛けられていた世界地図の一点を指さした。
その場所には、俺も深く頷くしかなかったが、それにしても12月上旬か…
俺は堀大佐に対して、情報部に来てもらう際に、一応は試験をする目的で面談したのだが、情報分析に対する教育は受けていないものの、基本的な彼の考え方は次の2点だった。
まず一点目は「本質」であり、表面的な情報や出来こと、形に囚われることなく、奥に潜む本質を見極めること。
二点目は「兆候の意味」を、見極めるということだ。
ある出来事の「兆し」や、「兆候」、相手の「サインや仕草」を見逃さず、総合的に勘案して、それが何を意味するのかを判断すること。
実に基本的なことだが、意外に難しいのはすぐに分かったし、情報戦に対する基本的な教育も受けていないのに、ここまで出来るとは凄いなと感じた。
だから、史実の日米戦においても、堀参謀は、広島と長崎に対する原爆投下を事前に察知できたのだ。
いや、さすがに原爆を積んでいるかどうかまでは、堀参謀には分からなかった。
しかしB29爆撃機が発信するコールサインに着目し、原爆を積んだ機体が、他の機体とは異なるコールサインである点と、単機で飛行しているらしいことに注目して、これが「特殊任務機」であると結論付けて上層部に伝えたのだ。
日本政府は、アメリカが原爆開発を行っていることを知っていたから、堀参謀の報告が正しく上にまで伝わっていたら、何としてもB29を撃墜するよう手配したかもしれないし、日本中が焼け野原になっているのに広島や長崎、新潟、小倉といった街は、比較的被害が少ないことなどのピースを合わせれば、原爆投下目標も、事前に判明したかもしれない。
しかし全ては、「かも」や、「しれない」で終わってしまった。
非常に残念な結果で、いかに日本が情報を軽視していたか分かるというものだが、堀参謀の情報分析能力は超一流であり、日本では無名でも、海外においては極めて評価が高いという事実には、さもありなんと思う。
今回もそうだが、これからの彼の分析結果は、信頼に値する内容だろう。
史実において、彼は敗戦後に故郷である奈良の片田舎で暮らし、その小さな村の村長をつとめた。
そして、特産物である柿の生産に力を入れた結果、その村は21世紀には日本一の柿生産地になったという話を聞いたことがある。
俺も柿は好きだから、それも大切だが、この人は国家の命運を左右する情報戦の方が向いているだろう。
あの村には、申し訳ないから補助金を増やして応援しよう。
だが、せっかくヨーロッパの戦いは終わったと思ったら、また新たな敵か。
文麿や、マウントバッテンとも相談の上で、対応を検討しなくてはいけないし、せっかくアメリカの動きは掴めたのだから、この情報を活かして勝たないとな。
幸いなことに、ヨーロッパに派遣されていた艦艇の整備は、空母群を中心に終了しているから、すぐに出港させることは可能だ。
これでまた忙しくなりそうだ。
11月17日
日本海軍は、急遽迎撃艦隊を編成して、横須賀や呉といった拠点から慌ただしく出港していったが、もちろん、これらの情報も軍事機密であって、出港の目的を含めて公開されることは無かった。
そして、これから日米の機動部隊は、史上初の空母艦載機同士による戦闘を経験することになる。




