【外伝】宣戦布告
1940年5月4日(現地時間)
Side:東郷重徳 (駐独特命全権大使)
於:ベルリン 日本大使館
いよいよドイツ、及びソ連との戦争が開始されそうだな。
暖かくなってきた辺りから、急激に事態が動くようになってきたが、東欧を席巻したドイツは次はポーランドを伺う動きを見せていたし、ソ連軍はフィンランド侵攻の準備は既に整っていると思われていたから、同時に東西から両国に対して侵攻を開始するのではないかと思われていたのだ。
ところが4月末になって事態が急変してしまった。
事前の情報とは違って、雪解けと共にソ連軍が南側の中央アジア方面への侵攻を開始したのだ。
我々は情報収集に躍起となり、四カ国同盟の眼がソ連に注がれている隙に5月初頭になって突然、我々の予想に反してヒトラーは全軍にフランス侵攻を命じ、最前線のフランス軍は総崩れとなってしまったのだ。
言うまでも無く英仏は戦争を欲していないし、日露も同様だ。
だが、事ここに至っては戦わざるを得んし、フランスを助けないと独ソ両国の暴挙によってイギリスを除くヨーロッパは占領されたに等しい状態になってしまう。
事実として、独ソによる侵攻を免れているのは、南欧の数カ国に過ぎなくなってしまった。
そして先ほど本国の吉田外相から極秘電が届いたが、この内容は最近我が国が用いるようになってきた外交暗号で送受信されており、文書は昨年から配備され始めた九九式暗号印字機によって出力されるのだが、従来の物に比べて解読に時間がかかるのが難点だな。
もっとも、日本とユダヤの数学者が手掛けた傑作暗号らしく、強度は最難度とされているから安心して使えるのだが。
「東郷大使。大変お待たせして申し訳ありませんでしたが、ようやく書面に変換できましたのでご確認ください」
ようやく解読できたか。
どれどれ…うん。やはり内容は最後通牒の手交と、宣戦布告文書に関するものだったか。
こちらの時間で5月5日正午をもって、ドイツ及びソビエトとの戦争状態に入るものとする。か…
では指定された日時を違わずにヒトラーに突き付けるとしようか。
それにしても、ベルリンにて生活する時間もあと僅かだが、次にこの国との国交が回復するときには誰が特命全権大使として派遣されるのかは知らぬが、何とか早く平和を取り戻したいものだな。
そう思っていたら、書記官が微妙な表情で言った。
「それと…このような内容も追加されておりました」
これは…おや?近衛首相からの訓令電もあったのか。
書記官から渡されたその訓令電の内容を読み始めたのだが…
……なんなのだこれは?このような刺激的な内容を、あの短気なヒトラーに告げねばならぬのか?
そもそも、この内容は正しいのか?
思わず書記官と顔を見合わせてしまったが。
いや、全く根拠の無い話ではないのか…
これでは喧嘩を売っているのと同じだが、どっちにしろ戦争になるのだから良いのか。
私が殺されるかもしれんが…まあ大丈夫かな?命令だし、やらねばなるまい。
うん。あの下品なヒトラーをやり込める最後の機会だし、やってやろうではないか。
5月5日午前11時
Side:アドルフ・ヒトラー
日本の駐独大使が緊急で吾輩に会いたいという申し込みがあった。
用件はだいたい想像が付く。
まさかこの段階で、我が国との同盟を結びたいなどという話であるはずが無い。
最も可能性が高いのが、宣戦布告を言い渡しに来る事であろう。
そんなものは織り込み済みだから堂々と受けようではないか!
「総統閣下、お忙しいところお時間を頂戴しまして誠に恐縮です。
それにしても今日はお天気も良く、絶好の会見日和ですな。
いや…春というものは嬉しい季節ですね」
いつもこれだ。そして何を考えているのかよく分からぬ表情だ。
スシの食い過ぎか?
テンプラの揚げすぎではあるまいな?
前置きなど不要で、さっさと用件を言うがよかろう。
「いやいや…吾輩は貴国との対話の窓口は常に解放していますからな。
気になさらなくても結構ですぞ。
それで…本日の用向きはなんでしょうかな?」
するとこいつはにっこりしながら言い放った。
「我が大日本帝国は、本日正午を持ちまして貴国と交戦状態に入るものと決定しました。
こちらが近衛総理からの命令に基づき、特命全権大使たる小職が作成した最後通牒文書、並びに宣戦布告文書です」
予想通りにいよいよ日本も敵に回るか。
良いだろう。むしろ望むところで、吾輩が叩き潰してくれるわ。
それまではあの気色の悪い「卵かけ飯」でも食って震えてやがれ!
鶏卵を生で食うなど世界でお前たちだけだ!
腹を下してのたうち回りやがれ!
うん?まだ何か言いたそうだな?
「ところで最後に教えていただきたいのですが、総統閣下が重視されておられるのは『アーリア人』の優遇であったと記憶しておりますが、間違いないでしょうか?」
何だ急に?そんな当たり前な事をいまさら聞いてどうするのだ?
「…その通りですが、それが何か?
もしかすると日本人もアーリア人の子孫だとでもおっしゃりたいのですかな?」
「ははは…まさか。そのような事は申しませんよ。
ただ、総統閣下が優遇されておられる『アーリア人』の定義とは『背が高く引き締まった体型を持ち、細面で金髪、青い眼を有する白人』というものでしたな?」
何を当たり前な事を言い出すのだ?
「ご指摘のとおりです。
アーリア人は世界で最も優れた民族であり、他の追随を許さない栄光ある歴史と優秀な血統を持つのですよ。
どうされたのですかな?今頃になって悔い改めても遅いと思いますがな」
「…そうですか?
私どもの調べによると、あなた方の民族が歴史的に栄光に満ちた過去を持つとは寡聞にして存じ上げませんし、それに…そうであれば少々腑に落ちないことが有りますね」
笑止な事を言うな!
「ふふふ。一体何を言い出すのかと思えば。
羨ましいのですかな?」
「とんでもない。
ただ疑問があるのですよ…
例えば外務大臣のゲッベルスさんは背が低いですし、空軍元帥のゲーリングさんは、とても太っていらっしゃる。
総統閣下も決して背が高いとは言えませんし、加えて閣下は金髪などではなく、黒髪であられますね」
こいつ…矛盾点を突いてきやがったな。
確かにそうだが、吾輩の外見には触れるな!
「何を言い出すのかと思えば。
一体何がおっしゃりたいのですかな?
我らの理想を中傷されるのか?」
「と言うより、現在のように混血が進んだ状態では、そのような『純血』など追い求める意味がどれ程あるのかとても不思議なのです」
言いたい放題だな。
吾輩の部下ならとっくの昔に追放しているぞ。
なんだ?まだ何か言いたいのか?
「不思議ついでに申し上げますと…ユダヤ問題の担当をされておられるアルフレッド・ローゼンバーグさんは、お名前から察するにユダヤ系の方ですかな?
聞くところによれば、この方に限らず総統閣下がお認めになられたら、例えユダヤ人であっても『名誉アーリア人』になることも可能だそうですな?」
余計な情報に通じている男だな!
ここは釘を刺さねばな。
「…日本の方には決してご理解いただけないでしょうが、我らは情け深い民族ですから、悔い改めた者は許す度量を持っているのです」
どうだ!反論できまい、恐れいったか!?
「そうですか。
それは知りませんでしたが、ユダヤ人と言えば………総統閣下のお祖父様、父方の祖父に当たる方は果たしてどなたなのか、今でもはっきりしないそうですが、風聞によればユダヤ人であられたとか?
それが事実であれば閣下がユダヤ人を迫害しておられるのは本当に不思議ですな?
過去を消したいとでもお考えですかな?」
!!!この野郎!何を言い出すのかと思えば、とんでも無いことを言い出しやがったな!
吾輩の祖父の件はいったいどこから情報を得たのだ!?
生かして帰さん!
…いやそうもいかんのか…
「…いったい何がおっしゃりたいのですかな?」
いかん。顔が引きつるのが自分で分かる。
「あなた方はゲルマン民族を『アーリア人』と定義したいみたいだが、そのようなものは幻想だと申し上げたい。
同時にユダヤ人を『ユダヤ民族』として扱う事にも首肯しかねるのです。
『ユダヤ人』とはユダヤ教を信じる者たちの総称であって、人種や民族を指すものではありますまい?
総統閣下の御祖父様もユダヤ教徒ではあっても、正真正銘のゲルマン民族だったのではないですかな?」
偉そうなことを…そのような御託は日本人のお前から聞きたくない!
「・・・何をおっしゃっておられるのかわかりませんな。
何れにしても、貴国とは戦争状態に入るのですから、正々堂々と雌雄を決しようではありませんか?」
「そうですな。
では最後に近衛首相からの伝言をお伝えします。
『これ以上ユダヤ人をはじめとする人々を虐待することは決して認めない。
貴方の犯罪行為は必ず白日の下に晒し、全世界に共有する事になるであろう』
以上です。ではごきげんよう」
「・・・・・・」
あの野郎!言いたいことを一方的に喋って帰りやがった!
許さん!日本など燃やしてやる!
それまでは、あの異臭を放つ腐った豆の「ナットウ」でも食って震えてやがれ!
5月5日午後1時 (※ベルリンと同時刻)
Side:ヨシフ・スターリン
日本の代表事務所から人が来た。
要件は言わずとも想像がつくが、儂に戦いを挑もうというのだろう。
よかろう。堂々と受けてやろうではないか!
「駐リトアニア特命全権大使で、駐モスクワ日本代表部長兼任の杉原千畝と申します。
書記長閣下とお会いするのは初めてでしたな?
初対面でお渡しするのは何とも微妙ですが、我が大日本帝国はあなた方の行動を断固として認めません。
よって本日14時をもって戦争状態に入るものとご承知おき下さい」
ふん!いまさら善人ぶってどうするのだ!?
お前たち日本人も世界に対する覇権を隠そうともしておらぬではないか。
その証拠にハワイは既にお前たちのものだと思っておるのだろう?
「では堂々と戦おうではありませんか」
「そうですな。これまでのように我が国に対して妙な人間を送り込んで来るような卑怯・卑劣な手を使うことなく、正面から堂々と戦っていただければ幸いですな?」
ああ!うるさいうるさい!
勝てば良いのだ。勝てばな!
歴史とは勝者が刻むものであって、どれほど綺麗事を並べようが負けたらお終いなのだ。
今度こそ日露をまとめて叩き潰してやる!




