【外伝】近衛彦麿 ⑫
1924年11月
僕も20歳となり、最近行われた総選挙に下院議員として立候補し、圧倒的な得票数で選出してもらえた。
僕は世間では「アレクセイ陛下の最側近」、「善政の実行者」と言われているらしいから、その辺りの知名度が高かったおかげだろうね。
同時に新たに設置された国土開発省の初代大臣としてゴリツィン首相に任命してもらった。
ただし、やっていることは今までとあまり変わりはないね。
ここで問題となる、いやそれは僕自身の問題なのだけれど、僕の忠誠心、或いは帰属意識はどの国に向けるのが正しいのだろうという点だ。
これまで散々悩んできたのだけれど、僕の結論としてはロシアの利益を最優先するという事だった。
日本ももちろん大切だけれど、日本とロシアが万が一にでも対立してしまったら、僕はロシアを取るしかないよね。
だけど、そんな事態に陥らないようにするのが政治家としての僕の仕事でもあるだろう。
この前話し合ったみたいに難しい舵取りを迫られるけれど、アレクセイに言ったようにソビエトという共通の敵が存在し続ける限りは問題無いだろうと考えている。
というより、現時点で考えられる事はこれしか無いだろう。
アレクセイから庶民一人ひとりに至るまで、国全体として対処しなくては滅ぼされてしまう。
基本的な施策は国民の生活と満足度の更なる向上、そしてソビエトからの移民や難民の受け入れ、日本や東パレスチナとの相互発展に注力するといったところだね。
おかげで人口も順調に増えて来ていて、当初の400万人から倍増の800万人近くとする事ができている。
主なソビエトからの移民や難民は元々ロシア帝国内で搾取され続けていた農奴階級の人たちと、その逆の富農階級や知識階級の人たちが中心だ。
まずはこの農奴だけれど、これは古くはギリシャやローマ帝国でも広く存在していた。
でも有名なのが帝政ロシアの成立以前のモスクワ大公国時代に始まった農奴制だろう。
土地を治める領主の下で多数の農民が土地に縛り付けられ、移動の自由を奪われて搾取され続けた。
帝政ロシアの時代になるとその過酷さが増していき、奴隷と変わらない待遇となっていく。
何度か反乱はあったみたいだけど、皇帝や貴族による非人間的な扱いが長い間継続した。
だけど1856年にクリミア戦争においてイギリスなどに敗北すると、時の皇帝アレクサンデル2世は産業革命を通じて国力を高めていた西欧諸国に対抗する為にも、近代化の必要性を痛感して農奴の解放を決意した。
この時に帝政ロシア内で2000万人以上の農奴が存在していたと言われているけど、とんでもない人数だね。
だけど農奴を解放しても問題は解決しなかった。
何故なら農奴による土地の所有が認められても、貴族たちに搾取されたり、痩せた土地に追いやられたりしてもっと苦しくなったからだ。
そして却って農奴たちの不満が高まっていく。
この感情を利用したのが社会主義者たちで、ナロードニキ運動という反政府活動へと発展した。
既にこの時にはロシア革命の下地が出来ていたと考えて良いだろうね。
ではソビエトが実権を握った後は農奴だった人たちの待遇が良くなったかと言えばとんでもない話で、もっと厳しい生活水準になってしまったらしいから、これが移民が増えている要因だろうね。
結局のところ共産主義者たちが盛んに宣伝している理想社会なんてウソだったというわけだ。
そして現在で最も虐げられているのが、かつては富農だった人たちや知識階級の人たちで、強制収容所に送られたり、密告によって殺されたりと散々な目に遭っているから難民となってロシアに来ているんだ。
もちろんこの中に共産党のスパイがいないという保証が無いから対策が必要で、専門部署を作らなくてはいけないという話が出ている。
それから最近ではゴリツィン首相の後を継いで僕が第二代の首相となるのが既定路線らしい。
僕が望んだ事では無いけれど、アレクセイや先帝陛下が熱望されているし、ゴリツィン首相も賛同しているからね。
僕は外国人なのだけれどロシアのような伝統ある大国の首相になんてなっても問題ないのだろうか?
ここは高麿兄様を見習って歴史に学ぶべきだね。
そういえば以前に少しだけ紹介したけれど、イタリア人なのにフランス宰相になったジュール・マザランに学ぼうと思う。
念のため言っておくけどマゼラン海峡を発見し、人類で初めて世界一周に成功したマゼランとは全く関係のない別人だ。
ジュール・マザランはイタリア名はジュリオ・マザリーニといってローマ教皇庁の外交官だったのだけれど、黒衣の宰相ことリシュリュー枢機卿にその能力を認められて、フランスに帰化したうえでリシュリューの後継者としてフランス宰相に就任した。
この人の忠誠心は生涯変わらず、フランスのために献身したと言えるだろう。
当然ながら評価は分かれている。
肯定的な評価としては、「フロンドの乱」と呼ばれる国内の反乱を鎮圧したこと、人類初の国際条約であるヴェストファーレン条約(ウェストファリア条約)締結を主導したこと、隣国のスペインとの戦争を終わらせたこと、そしてフランス絶対王政の基礎を築いたことが挙げられるだろう。
否定的な評価としては財政危機を深刻化させた点、専制的で陰謀好きだったこと、そして当然ながらフランス人からの反感を買ったことだろう。
なぜ外国人のお前の命令に従わなくてはいけないのだという自然な気持ちだろうね。
だから僕はこの人を参考にして政治に関与したいと考えている。
特に気を付けなくてはいけないのが、僕は日本人であることで、ロシア人からの反感を買わないためにはロシア人以上にこの国を愛して、献身的な政治を心掛けねばならないだろうね。
ちょっとどころか、かなり疲れるかもしれないけれど、アレクセイやアナスタシアの期待にこたえなくてはいけないし、もうすぐ僕は父親になるらしいから、生まれてくる子供の為にも頑張らないとね!
国土開発省の初代大臣としての最初の仕事は第二シベリア鉄道の計画に関するものだった。
僕としては以前から構想があったし、将来の事を考えると現状のシベリア鉄道だけに頼るのは不安があったからね。
ルートとしてはバイカル湖の南端をかすめて敷設されている現状のルートとは別に、バイカル湖北端とバイカル山脈の間に沿った第二シベリア鉄道の敷設を検討している。
バイカル湖って僕のような日本人では想像がつかないくらい大きくて、南北の長さは600km以上あるし、以前も紹介したと思うけど水運の要でもある。
だけどこの長さが災いして、東西の交通を分断する邪魔者でもある。
逆に言えばソ連に対しての強力な堀でもあるんだけどね。
それともう一つ、バイカル山脈を含む山地の遥か北方を迂回して、ひたすら平原を突っ切るルートも構想中だ。
これは第三シベリア鉄道と仮称されていて、北極圏をかすめるルートだ。
予定されている沿線には大きな町は無いけれど、主には地下資源開発用として計画されている。
もっとも、第二も第三も計画だけで実際に着工するわけでは無いけれどね。
だけど必要に迫られた時に慌てて計画するのではなく、今から準備だけはしておきたかったんだ。
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1925年6月
僕とアナスタシアの間に待望の子供が生まれた。
男の子だ。
この子は日本とロシアを繋ぐ新たな希望となるのかな?
とにかく元気に育って欲しいね。
「アナスタシア。元気な子供を産んでくれてありがとう!」
「こちらこそありがとう。
名前は考えてくれた?」
「どうしようか悩んだけれど、僕はもう日本に帰る事は無いだろう。
最後はこの国に骨を埋めるのであれば、当然この子もこの国で生きていく事になるだろうし、それであれば日本風の名前にこだわる必要は無いよね。
それでもグレゴリーとかドミトリー、ミハイルやウラジミール…などというロシアらしい名前はちょっとだけ違和感があったからね。
だから考えたんだけど…ユウリはどうかな?」
日本語でも「有利」って単語があるし、何となく違和感が無いからね。
女の子だったらマルガリータとかソフィアとかエカチェリーナなどよりもマリア、アンナ、ユリア、カリナ辺りなら何となく日露両国で使えるかな?
「良いと思うわ!
今からこの子はユウリね!」
因みにミドルネームは付けないようにした。
ロシア人のミドルネームには特徴があって、〇〇の息子、或いは娘を意味する言葉が一般的だ。
アナスタシアを例にとると、ニコラエヴァナ、つまり先帝陛下であるニコライさんの娘を意味する。
アレクセイはニコラエヴィチだ。
要するに男女で違うってことだね。
これはラストネームでも同じような習慣があって、アナスタシアはロマノーヴァ、アレクセイはロマノフだ。
ロマノフ王朝のロマノフはギリシア語の「ロマノス」が由来で、これは「ローマ人」って意味になる。
ちなみにだけど、ロシアの王様が「皇帝」を名乗って、周辺諸国がこれを認めたのは、東ローマ帝国皇帝の血縁者がロシアの王様(大公)に嫁いだからだ。
よって、ロシア帝国はローマ帝国、東ローマ帝国に連なる「第三のローマ帝国」と呼ばれる所以でもある。
とにかく、姓まで男女で違う場合があるのは最初慣れなかったけれどね。
有名なところでは作曲家のチャイコフスキーの女性形はチャイコフスカヤだし、作家のトルストイの女性形はトルスタヤだ。
国が違えば文化や習慣が違うのは当然だけど、無理して僕が合わせる必要もない。
だからミドルネームは無しにしたんだ。
「ヒコマロヴィッチ」って僕からしたら恥ずかしく感じてしまうからね。
まあ名前はともかく、元気で育ってくれれば僕としては満足だ。
これで僕が守らねばならない人間が一人増えたし、父親としても頑張らなくてはね!




