第二二五話 シャルロッタ 一六歳 煉獄 一五
「敵発見! 魔獣が再びこちらへ迫ってきます!」
「敵襲ッ! 敵襲ッ!」
物見をしていた兵士の叫び声で、リオンは声とほぼ同時に質素な布を引いただけの簡素な寝床から慌てて起き上がる。
あたりはすっかり暗くなっていたため、一回めの襲撃から数時間が経過しているのがわかったが、仮眠をとったことによってリオンは少しだけ疲労が回復していることに満足する。
冒険者時代と違ってここ数年はきちんとした寝台で寝るようになっており、地面に布を引いただけの寝床は体が痛むな……と身体を軽く伸ばしながら周りの様子を確認する。
「リオン殿! 魔獣が街へ……!」
「わかっている、戦闘準備を整えるんだ、慌てすぎるなよ」
若い兵士が慌てた表情でリオンに話しかけてくるが、彼はにっこりと微笑むと余裕たっぷりの表情で兵士へと答えると、兵士の緊張が少しほぐれたのかそれまでの硬い表情から、ほんの少しだけ笑みを見せた後兵士は頷いて走っていく。
彼は第一段階の大暴走を生き残っている……見込みはあるな、とリオンは兵士の背中を見ながら考えると、剣を引き抜いて刀身を確認する。
刃こぼれなどはしていないし、緩みもない……冒険者時代からずっと愛用している魔法の武器だけあって無銘ながら彼の命を救い続けた逸品だ。
「頼むぞ、俺はまだ子供の顔すら見てないんだ……」
「リオン!」
愛する妻の声が聞こえた気がして振り向くと、そこには息を切らせながら走ってくる妻ミルアの姿があった。
負傷者の治療にあたっていると思ったのにどうしたんだ……? と彼が剣を仕舞ってから妻へと向き直ると、彼女は顔を青くしたままリオンのそばへとやってくる。
その様子に唯ならぬものを感じてリオンの表情が引き締まるが、そんな彼にミルアは荒い息を落ち着けようと、何度か大きく息を吸って吐いたあと、恐ろしさに身を震わせながら彼の腕を掴んで話し始める。
「リオン、何かおかしい……負傷者の一部がまるで溶かされるように死んでいきました」
「負傷者が……?」
「あれには混沌の魔力を感じました……この襲撃の裏には何かあります、この街を貴方だけでも……」
ミルアは教会司祭として任地を転々としている生活を余儀なくされているが、元々は王都の神殿で司祭として赴任するだけの実力を持っている隠れた実力者の一人だった。
リオンとの駆け落ち同然の結婚さえなければ、将来は神殿の高位司祭の座すら望めるだけの力を持っている……その彼女が恐怖を覚えるほどの魔力……リオンは眉を顰める。
単なる大暴走ではないことは理解している、違和感のある魔獣の動きや構成……そもそも大暴走とはいえ、まるでタイプの違う魔獣が大挙して押し寄せるなど普通ではないのだ。
本来メネタトンの防衛は任務ではなく、あくまでも協力……やはり教会の命令としてでもミルアを連れてこの街を離れた方が良いとリオンは考えていた。
「ッ!? 誰だ!」
「……やはり気が付いたか、さすが「青の隻狼」……」
いきなり声をかけられ、リオンは剣を引き抜いて構えるとミルアを庇うように立つと声の方向へと向き直る。
建物の影、影の中からずるり……と黒い巨体が姿を表すと、その美しい黒い毛皮と炎のような赤い瞳は美しく燃え盛っている。
名前はユルと言ったか? 辺境の翡翠姫シャルロッタ・インテリペリが契約している幻獣ガルムであり、今は意識を失ったまま匿われている彼女を守るために、守備隊に協力してくれている強力な戦力である。
彼の発した「青の隻狼」とは、リオンとミルアが以前結成していた冒険者パーティであり銀級冒険者上位に位置していた実力者たちである。
「……驚かせたようだ、すまない」
「あ、い……いや少し驚いただけだから……」
「貴方が幻獣ガルム? では本当にシャルロッタ様がメネタトンにいるのですね」
リオンはソイルワーク男爵よりすでに聞いていたが、ミルアは治療に専念していたためその事実を知らされていなかった……ただ、彼女は手伝いに来ている住人から「どうやら今メネタトンに令嬢が匿われており、治療を受けているようだ」という話を聞いており、ガルムが魔獣の襲撃に対して守備隊と共に戦ったという事実からその令嬢がシャルロッタ・インテリペリであるということを朧げながら理解していたのだ。
ユルはふむ……と少し感心したような声を上げた後、一度ミルアへと頭を下げるような仕草を見せてから二人へと話しかけてきた。
「司祭殿が感じた混沌の魔力……おそらくこの大暴走は仕組まれたものでしょう」
「どうしてそれがわかるんだ?」
「我とシャル……我が主は王都近くのダンジョンにおいて同じ現象を目撃したことがあります」
「なんだと……?」
王都近くで起きた大暴走……それは昨年発生したビヘイビアにおける事件の一つであり、この事件をきっかけとして様々な武勲をたてたことで「赤竜の息吹」が金級冒険者へと昇格したのだが、その話は王国でもかなり有名な事件となっていて二人は立ち寄った先で聞く酒の肴程度ではそのことを耳に挟んでいた。
そこに辺境の翡翠姫が関わっていた、というのは初耳だったが、ハーティの街を守るために立ち上がりその圧倒的な能力を見せ始めたシャルロッタがどうしてそれほどまでに強かったのか、という謎が少しだけ解けたような気がする。
「……急に「赤竜の息吹」の活躍が目立つようになったからな……それに辺境伯家とも接近しただろ、あれは動きとしては違和感があったぞ」
「シャルも我もそこまで細かいことは得意ではないから……それはそうとおそらくこの裏には悪魔がいるはず」
「悪魔……」
リオンやミルアは直接悪魔と戦ったことはない……いわゆる混沌の眷属と対峙したことは数回しかなく、悪魔そのものがどれだけの能力を秘めているのかは伝承でしか聞いたことがなかった。
ただ悪魔が出現した歴史上の事件ではかなりの被害を出していることは理解しており、今の自分たちの手に負えるのだろうか? という疑問を感じる。
その時ユルの尻尾に灯る炎が何度か瞬くように光ると、まるでいきなり勢いを強めるように膨れ上がる……たてがみにも軽く炎が舞うのを見て、ミルアは素直に美しいと感じた。
「……どうやらシャルが目覚める時が近いようだ、お願いだ……主人が目覚めるまで我と共に戦って欲しい」
「ど、どうして俺たちが……」
「我は冒険者のことを「赤竜の息吹」でしか知らないが……勇気と正しい心を持った人物が多いと感じている、守備隊だけでは危険すぎる、司祭殿と戦士殿の力が必要と判断した」
ユルの赤い瞳はじっと二人を見つめる……その目に宿る光は真摯で真剣なものであるとリオンとミルアは感じ取った。
すでに冒険者を引退して久しい二人ではあるが、現役の時には金や名声のためではなく、正しいと思ったことを行う正義感なども持ち合わせていたのだ。
最近はミルアの異動に合わせて同行しているだけで、半ば義務のように行動をしていたのだが……リオンは困惑したようにいつの間にか隣にいたミルアへと目を向けると、彼女は夫へと優しく微笑んで頷いた。
「……わかった、でも俺たちを動かすんだ、それなりに高いぜ?」
「リオン?! 見返りを要求するなど……!」
「わかっている、正式な依頼をするのだから報酬をシャルに願うとしよう」
ユルが商談成立だとばかりにニカっと笑うと、リオンは同じくイタズラっぽい笑顔を浮かべて笑う……そんな一人と一頭の顔を交互に見ながらミルアは大きくため息をつく。
彼女はこの街を守るために戦うつもりだったが、リオンは逃すつもりだった……愛する者を好んで危険へと放り込む人間などいない、彼女はリオンさえ無事であれば良いとさえ考えていたのだ。
だが……リオンはそれすらも理解した上で、ユルの誘いに乗った……ミルアが何を言い出すのかわかっていたし、言い出したら彼は全てを裏切ってでも彼女を連れてメネタトンから逃げ出したろう。
「貴族令嬢を守るなんて大仕事、なかなか出来ないからな、おいガルム……お前からも報酬を増やすようにご主人様に言ってくれよ!」
「ケヒヒッ! 見えてきた、見えてきた! 人間がたくさん……!」
魔獣の先頭を歩く疫病の悪魔ブラドクススは、ニタニタといやらしい笑みを浮かべながらその歪んだ身体と細すぎる手足を使って踊るように回転しながら、集団を率いている。
悪魔に従う魔獣たちはまるで、何かに寄生されたかのように体のあちこちから腫瘍のような器官をぶら下げながら、ノロノロと歩いている。
その顔はまるで何かに操られているかのように視線が定まらず、苦しげな息を吐いているものも多く存在しているが、そんな魔獣たちの姿を見ても悪魔はニタニタと笑うだけだ。
「ケヒッ! 無事到着〜……これからみんなには死んでもらうよぉ?」
悪魔の言葉に力無い瞳を向ける魔獣たち……中には肉体が腐り始めているものもおり、強い刺激臭と黒い煙が体から立ち上っている。
ブラドクススが何度か指をくるくると回転させた後に、眼前に見えるメネタトンの街を指差すと、造られた大暴走の集団は、一斉に彼が指差した街の方向へと歩いていく。
それはまるで勢いがないが、立ち上る黒い煙やおどろおどろしい雰囲気などからある意味不気味な存在感を発して前へ前へと進んでいく。
その場で何度かスキップしたり、跳ね回りながら疫病の悪魔は楽しそうに手を叩いて咲う。
「楽しいねぇ、人が腐って死ぬよ! でもすぐには死なないから、みんなで苦しもうね♩」
_(:3 」∠)_ 過去敵対した冒険者との共闘……?
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