第86話 キーン、土手のかさ上げをする。
77話より、『第7章 アービス小隊』としました。
土手の上からイスラ河の水位を確認した二人は急いで詰所に戻り、河の状態を上司である分隊長に報告した。
「分かった。俺はこれから兵団本営に報告に行く。あとは頼んだ」
報告を受けた隊長は雨の中フード付きのマントを羽織って、その足で近衛兵団本営に出かけていった。
近衛兵団本営でも、イスラ河の水位には警戒しており、休日ではあったが兵団長以下の本部職員は全員本部に詰めていた。
近衛兵団本営に現れたトーマ軍総長がセカール近衛兵団長に向かい、
「イスラ河の王都側の土手を水位が上回る前に、土手のかさ上げをした方がよいのではないか?」
「現状動かせる部隊に出動待機させていましたが、先ほど土手の高さの1メートル下までイスラ河の水位が上昇したとの報告がありましたので、先ほど各部隊に出動を命じました」
「そうか、さすがだな」
「アービス少尉を出動させようと思っています。軍学校の寮に戻り次第ここに出頭するよう連絡しています」
「どういうことかね?」
「彼は、目視できる限りの土を移動させることが可能だそうです。事実なら土手のかさ上げが一気に進みます」
「アービス少尉を使うのはいいが、危険な場所には近づかせないように配慮をしてくれよ」
「もちろんです」
キーンが雨脚の弱まった王都を通り抜け、軍学校の正門を通ろうとしたら、脇の詰所から警備員が現れキーンを呼び止めた。
「アービス少尉殿、こちらに近衛兵団から書類が届いています」
警備員はそう言って、1枚の紙きれをキーンに渡した。
詰所の庇の下で渡された紙きれには、キーンに『近衛兵団の本営への出頭を要請する』と兵団長名で書いてあった。
理由などが書いてなかったので、よくは分からないが、急いだ方が良いだろうと思ったキーンは、一度マントを脱いで、背負ったリュックを降ろし、詰所でリュックを預かってもらい、マントをもう一度羽織って雨の中を近衛兵団本営のある王宮へ向かった。
キーンは強化中のため、かなり暗くなってきた夕方の道を苦労することなく王宮のある王都の中央へ駆け足で向かった。王宮にたどり着いた後は、一度挨拶に行ったことがあるため、迷うことなく王宮内の宮殿内にある近衛兵団の本部へ通じる軍用の出入り口まで行くことができた。
出入り口には、前回訪れたときの兵団長の副官らしき女性士官が立っていてキーンを迎えてくれた。キーンは強化中だったので派手に光っていたが、副官の女性士官はそのことについては何も言わず、
「アービス少尉、兵団長閣下がお待ちです」
キーンは副官の女性の後について宮殿に入り、マントを脱いで丸めて手に持ち、強化を解除して近衛兵団長の執務室に向かった。
案内してくれた副官に続いて兵団長の執務室に入ると、数人の男女とセカール兵団長がいた。
「アービス少尉、休みの日、しかもこんな雨の中呼び出してすまんな。それで、少尉に頼みがあってここに来てもらったわけなのだが」
「なんでしょうか?」
「実は、このところの大雨のせいで、王都の南を流れるイスラ河の水位が上がり、放っておくと土手を越えてしまいそうなのだよ。そこで、思い出したのが少尉のことだ。『アービス少尉は見える範囲の土ならいくらでも動かせる。大規模な築城には必ず役立つ』とゲレード少佐から報告を受けていたのを思い出したものでな」
「分かりました。場所と、どのような形で土を盛るのか教えていただければ、すぐに取りかかります」
「そう言ってくれて助かるよ。
ヒルマン大佐、彼がアービス少尉だ。現場に連れていってやってくれ」
「はい。
アービス少尉、私は第1連隊長のヒルマンだ、よろしく頼む」
「アービスです。よろしくお願いします」
「車寄せの方に馬車が待っているので急ごう」
「はい」
宮殿の車寄せなるものがどういったものか知らなかったキーンだが、ヒルマン大佐についていくと、庇がかなり伸びた玄関口があり、そこにカンテラを下げた2頭立ての馬車が1台止まっていた。
「兵団長の馬車だ。兵団長も専ら歩きで移動しているのであまり使われないのだがな。今日は特別だ。乗りたまえ」
「はい」
馬車に乗り込んで、ヒルマン大佐と向かい合ったキーン。少し居心地は悪いのだが、だからといってどうしようもないので、じっと黙って座っていた。
「現在、私のところの第1連隊と第2、第3連隊が土手の上に土嚢を積む作業を行っている。第5連隊は王都内の警備をしているので駆り出していないが、直に第4連隊も合流する予定だ」
「連隊長殿」
「どうした?」
「うちの小隊ですが、手伝わせていいでしょうか?」
「人手は多い方が良いからもちろん手伝わせてくれ。現場に着いたら、アービス少尉の小隊に人をやろう」
「お願いします」
小隊の兵隊たちは雨の中の作業を嫌がるかもしれないが、自分の小隊だけ作業が免除されるとなるとなにか嫌な思いがしたので大佐に頼んだらあっさり認めてもらえた。
連絡が小隊に届けば、ボルタ曹長に任せておけば大丈夫だろう。それに黒玉がやってくれば作業がはかどるのは確かだ。高々50名しかいない小隊員なので、そこまで役立つとは思えないが、それでも何かの役に立つだろう。
「アービス少尉には、まだ手を付けていない箇所のかさ上げをお願いしたい。かさ上げの要領だが、各連隊が土嚢を積んでいる形を参考にしてくれればいいと思う」
「かさ上げをする土は付近の土を適当に掘り下げて大丈夫でしょうか?」
「あまり深く掘り下げると問題だが、1、2メートルなら問題ない」
「了解しました」
現場を見れば大体の見当がつくとキーンは思ったが、ただ土を盛るのでは、土嚢と違い、雨や河の水に洗われてしまうと簡単に流されてしまう。何か手を打たなくてならない。
『そうだ! 盛り土といっても物には違いない。表面だけ強化してはどうだろうか? あの衣服程度の強化なら完全に変質しないから後で撤去することも簡単だろう。あの時の強化回数は600回だったからそれでいってみよう。何とかなりそうだ』
キーンが馬車の中で明後日の方を見て独り言をブツブツ言い始めたのでヒルマン大佐は黙ってキーンの顔を見ていた。大佐は心の中で、
――アービス少尉はこの歳で魔術の天才という話だったが、やはり天才ともなれば一味も二味も違うのだな。
とか思っていた。




