第82話 アービス小隊3、ボス戦2
大男が軽い足取りでステップを踏みながらキーンに迫ってくる。キーンは男を真似て体を上下に揺らしているがそれには何も意味はなく、かえってタイミングが狂う可能性のほうが高い。
いかにもなキーンの格好を見て、大男は逆にこんな素人を殴り飛ばしていいものかと思い始めてしまった。まかり間違って殴り殺してしまえば、いかにお互い了承のもとでの私闘といっても、悪くすれば死罪の可能性もある。
大男はちょっと早まったかと思い、間合いに入ったキーンに右手で手加減したジャブを放った。
ゆっくり迫ってくる男のこぶしを軽く躱すキーン。キーンからすれば余裕で躱したパンチだったが、無意味に体を上下していたので、傍から見ると今のパンチをギリギリで躱したように見えた。
「へー、今のパンチをよく躱したな。さすがは小隊長さんだ。褒めてやるぜ」
大男は余裕を持ってそんなことを言っていたが、キーンは大男の今のパンチを見て、脇を締めてからの腕の伸び、こぶしの軌跡などをしっかり頭の中に入れ、完全に自分のものにしていた。ついでに、ステップとパンチの連携も理解できたので、腕の構えと体の上下の動きが連動するようになっている。
コツを掴んだ気になったキーンは、余裕の大男に対して、右からのジャブを放ちながら一歩踏み込んだ。
ビシッ!
いい音と共にキーンの放ったジャブが男の左肩口にヒットした。そのジャブには威力があまりなかったようで大男にダメージを与えているようには見えなかった。それでもキーンの今のパンチを受けた大男は、すこし相手を過小評価していたことに気づいたようだ。
周りで試合を見物している兵隊たちから声援だかヤジだかわからないが声も上がり始めた。
「ビッグジョン、大人げないぞー!」
「小タイチョー! 頑張れー!」
「ビッグジョン、相手が子どもだろうと、容赦するなー!」
大男の名まえはビッグジョンというらしい。ビッグジョンは先ほどよりも用心しながらキーンに近づこうとするが、フットワークとジャブを覚えたキーンは前後左右に動き回りながら、ジャブをビッグジョンの体にヒットさせていく。キーンとしては顔面にヒットさせたいのだが、ビッグジョンの上背がキーンよりはるかに高いため敢えて胸元あたりにジャブをヒットさせている。
ビッグジョンの胸元は下着で隠れて見えないがすでに赤く変色しておりそれなりにダメージを受けている。
このままでは直に肉体強化が切れる。そうすればキーンのジャブも今以上の威力となるため、ビックジョンは戦法を変えることにした。
要は、キーンの繰り出す腕をとり、組み伏せてしまおうと考えたのだ。ただ、キーンの繰り出すパンチは威力がそれほどでもない代わり、打ちだすスピードだけでなく引くスピードもかなりある。意図が見透かされてしまうと、捉えづらくなるため、ビックジョンはキーンに向かって無防備に一歩前に出ることにした。
キーンにはそんな駆け引き的なものは頭の中にないので、これ幸いとパンチを繰り出す。
ビッグジョンはキーンのパンチを貰いながらもさらにキーンに近づこうとする。
間合いが近くなりすぎると腕が伸びないので、キーンは下がりながら不用意にパンチを繰り出した。
後退のタイミングで繰り出されたパンチの速度はすこしだけだが遅くなり、そこを運よくビッグジョンは手でつかむことができた。
マズい!
キーンはとっさに手を引こうとしたが、引いた手にビッグジョンがくっ付いてきて、そのまま回り込まれてしまった。キーンの後ろに回り込んだビッグジョンはキーンを羽交い絞めすることができた。
キーンはビッグジョンを振り解こうと何度か試したが、今の強化の力では振りほどくことができなかった。結局「強化10」を唱えたところ、一瞬のうちに6色の光がキラキラとキーンを覆い、ビッグジョンの力を感じなくなった。
ビッグジョン自身は羽交い絞めにしたところで勝ったと思ったのだが、身動き取れないはずのキーンが自分の手首を持って簡単に引きはがしてしまった。しかもキーンの全身は波打つ6色の光の帯で輝いている。
――相手はあの大賢者の義理の息子。昨年のダレンの侵攻に対して魔術により多大な貢献をしたことで男爵位を受爵している。確かアレも6色に輝く強化魔術と聞いた覚えがある。マズいかもしれない。
ビッグジョンはキーンが自分の羽交い絞めを簡単に解き、振り向いたところまで覚えているがそこで意識が飛んでしまった。
キーンがビッグジョンの腕を引きはがしざま振り向き、アゴに軽くジャブを放ったところ、ビックジョンが白目を剥いて後ろに倒れていった。
周りで見ていた兵隊たちは、ビックジョンが勝ったと思った矢先、キーンが光り輝いたので大いに驚いた。その後キーンはビッグジョンの羽交い絞めからすぐに逃れ、何かしたかと思ったら、ビッグジョンが後ろにのけぞって動かなくなってしまった。
キーンが最後に放ったパンチが見えた者はいなかったが、ビックジョンに駆け寄った数名の兵隊たちはビッグジョンの顎の下に、赤い腫れができているのを見て、キーンのパンチが決まっていたことを理解した。キーンはその間にボルタ曹長の隣の位置まで戻っている。
ボルタ曹長がビッグジョンに駆け寄った兵隊たちに向かって、
「そこの3人、そいつを救護室に連れていってやれ」
指示された3人は兵舎の方にビッグジョンを引きずっていった。
「いいか、お前たち。小隊長殿が若いとかいってナメているとああいうことになる。しかも小隊長殿は宣言通り得意の攻撃魔法は使っていない。それに小隊長殿は今は大剣を持参しておられないが大剣の達人だ。そのことを良ーく覚えておけ
それでは、小隊整列!」
今度の号令では兵隊たちが慌てて整列した。ぐずぐずしている者はいない。
「さっきの人は今後約束を守ってもらうけれど、みなさんの中で納得がいかない人がいれば、いつでも相手になります。ここには午後からしか顔を出せないので、僕のいないときは、僕の代わりにこの黒玉と勝負してもらおうかな。黒玉は僕の使える魔術はなんでも使えると思うけど、素手でいいよ。
黒玉、腕を4本くらい出してくれるかい」
キーンの言葉で黒玉からニョロニョロと4本のうごめく触手が生えてきた。
「おそらくだけど、黒玉は素手でもそうとう強いと思うよ。そういうことだから。
ボルタ曹長、さっきの兵隊さんたちが帰ってきたら、午後の訓練を始めましょう。これからの訓練は走り込みを中心に。他の訓練は行進だけで十分かな。そういうことでお願いします」
「了解しました」
「それと、さっき言ったように僕はここへは午後からしかくることができないので、黒玉をボルダ曹長に置いておきます」
「黒玉殿を自分がお預かりするのですか?」
黒玉もとうとう『殿』つきで呼ばれるようになったようだ。
「僕のいないとき兵隊さんたちが僕に勝負を挑みたくなった時には、僕の代わりに黒玉を戦わせてください。あと兵隊さんたちが曹長の指示に従わないようなときは黒玉に電撃を撃ちこまさせてもいいから。黒玉は賢いので当たっても痛い程度に強さは抑えると思う」
キーンとボルタ曹長が兵隊たちにとって不穏な会話をしていると、ビッグジョンを運んだ3人が戻ってきた。
「みんな揃ったな。そのまま5列縦隊で駐屯地の内回りを駆足だ! 全隊駆足、進め!」
アービス小隊以外の部隊も訓練場を走っていたが、その中に混じってアービス小隊の兵隊たちが駆けていく。
キーンは兵隊たちの駆足を眺めながら、ボルタ曹長に、
「1日20キロ、午前と午後10キロずつ走らせましょう」
「はい」
「それに慣れてきたら次は武器を持たせて同じく1日20キロ、さらにそれに慣れてきたら鎧などの防具を追加して1日20キロ」
「了解しました。この訓練場と兵舎を合わせた駐屯地の敷地の内回りはおそらく1周2キロですから、ちょうどいい距離ですな」
「最後は、背嚢に20キロの適当な重りを入れて1日20キロの駆足。これが全員出来るようになったら駆足卒業かな」
当然ながら、キーンは確たる理由があって徐々に負荷を高めながらの1日20キロの駆足を指示していたのではない。これも図書館で読んだ冒険小説に書いてあったのを思い出したからにすぎない。兵士たちはその小説の作者のたまたまの思い付きの犠牲者ともいえる。




