第44話 雷霆(らいてい)のアービス
ダレン王国はキーンの母国サルダナ王国の西側と南側に国境を接する大国である。40年ほど前、現在のダレン王国国王が王太子時代、サルダナへの侵攻を試みた際、テンダロス・アービスとアイヴィーにより大敗北を喫し、生き残った小数の兵士のみがダレンに逃げ帰った過去がある。テンダロスが『雷霆のアービス』や『鏖殺のアービス』、アイヴィーが『サルダナの悪魔』と呼ばれるようになったのはその時の戦いが主な要因になっている。
その40年前の戦いの場。王都セントラム南西部の田園地帯。
ダレン軍の侵入に対して、サルダナ軍は幾度かダレン軍と対戦したがその都度敗北を喫し、今や戦力としてサルダナ軍に残されているのは王都を守る近衛兵団50個中隊1万余名と、テンダロス魔術師団団長直率の5個魔術師中隊200名のみ。
そのダレン軍は8万の大軍でサルダナ王国に侵入し、そして今王都セントラムを指呼の間に捉える位置まで侵出している。これまでのサルダナ軍との数回の戦闘での消耗と、途中陥とした都市に兵を駐めた関係で、現在セントラムに迫るダレン軍の総数は6万余。
サルダナ軍の最高位である軍総長は全面降伏やむなしと判断していたが、テンダロスがわれに秘策ありと国王ロプロース1世の臨席する軍本営会議で豪語してロプロース1世より決戦の許可を得た。
そしていま、テンダロス麾下の魔術師団とグッドオールド近衛兵団長麾下の近衛兵団は共に迫り来るダレン軍に対し最後の決戦を挑まんとしている。
「アービス団長、そろそろ敵に向かって秘策とやらの大魔術を放っていただけませんか?」
「いい具合に空も曇ってきましたから、そろそろ我らの出番。まあ、見ていてくだされ」
近衛兵団長が見上げた空には今にも降り出しそうな黒雲が低く垂れこめている。
王都セントラムの南西の外れに組み上げられた高さ10メートルほどの櫓の上で、ダレン軍の接近を眺めているテンダロスは、隣に立つ近衛兵団長フォールマン・グッドオールド中将の皮肉とも取れる言葉に平然としている。そのテンダロスの後ろにはアイヴィーがいつものように控えていた。そのアイヴィーは体にぴったりフィットした材質不明の真っ黒い上下一体のスーツを着ている。
王都セントラムの旧市街は城壁に囲まれているが、人口の増加に伴い城壁の外側に民家などが立ち並び、新市街を形作っている。いまでは旧市街を囲む城壁も各所で取り壊されているためほとんど城壁の意味をなさない。従って、近衛兵団の主力8千名は市街を出てダレン軍との最後の決戦を挑むべく整列している。テンダロス直率の魔術師団の魔術兵200名は近衛兵団の後ろで整列している。
一度停止して隊列を整えたダレン軍がゆっくりとサルダナ軍に向けて前進を始めた。その距離は約300メートル。平地では150メートルあたりから弓の射程に入り、100メートルでクロスボウと魔術の射程に入る。
櫓の上に立つテンダロスは、ダレン軍の動きを見計らって後方に控える魔術師団の魔術兵に対し手を振る。それを確認した魔術兵が呪文の詠唱を始めた。
魔術兵たちの唱える呪文の声が陰々と戦場に響く中ダレン軍が迫ってくる。両軍の間隔は200メートルを切った。
立ち込めた上空の黒雲からポツリポツリと雨が戦場、それもダレン軍側だけに降り始めた。魔術兵たちの詠唱はさらに続き、雨足が徐々に強くなってきた。ダレン軍の兵士たちはサルダナ軍の戦列に向けて歩みを止めはしなかったが、幾人も空を見上げている。
「近衛兵団の兵士たちがケガをせぬよう少し下がらせていただけますかな」
テンダロスが近衛兵団長に軽い口調で兵を動かすよう頼む。
近衛兵団長にすれば、ダレン軍側のみ雨が降り注いでいる異常な状況。なにか魔術師兵団が仕掛けていることは分かるが、今のところ雨が敵軍に降り注いでいるだけだ。
確かに雨の中では戦闘行動は阻害され、突撃などの勢いも削がれるだろうがそれ以上は期待できない。いぶかしく思いながらも近衛兵団長は近衛兵たちに50メートルほど王都よりに下がるように指示をだした。
近衛兵たちが魔術兵の詠唱を邪魔しないよう後ろに移動した結果、魔術兵たちが最前列に並び矢面に立つことになったが、彼らは詠唱を続けている。
ダレン軍の兵士たちの進む地面は降り注ぐ雨ですっかり濡れて水溜まりもでき始め、ダレン兵たちも頭の上から足先まですっかりずぶ濡れだ。
櫓の上に立つテンダロスが、両手を雨雲が低く垂れこめた上空に掲げ、おもむろに『サンダーレイン』そう一言だけ発すると同時に、テンダロスの掲げられた両手のひらから黒雲に向かって太い紫電が走った。
放たれた紫電は突き刺さるように黒雲に吸い込まれ、しばらく黒雲の内側のいたるところで光が煌めき、ゴロゴロと腹に響くような重低音が続き、ついにダレン兵の立つ濡れた大地の真ん中に目の眩む閃光と耳をつんざく破裂音を伴い雷が落下した。その雷で大きく隊列を乱したダレン兵だがそれでも行進はやめなかった。
落雷はそれで終わりではなく、先ほどの落雷で一瞬の静寂が戦場に訪れた後、2発目、3発目と落雷は続き、その後も雷の落下は激しさを増していった。そしてついには無数の落雷による閃光でサルダナ軍側からダレン軍が見えなくなってしまった。
魔術兵たちの詠唱はすでに終わって雨は止んでいたが落雷とともにまた雨が降り始めた。
5分ほど雨と落雷が続き、ダレン兵の立っていた位置には倒れ伏したダレン兵の無数の骸が横たわっていた。骸の中には水たまりの中で煙を上げているものも多数あり、嫌な臭いが戦場だった場所に吹く風に流されサルダナ軍の方にも漂い始めた。
空を見上げると厚く立ち込めていた黒雲が薄らぎ、雲の合間から青空も覗き始めている。
「アイヴィー、電撃だけでは死にきれず、まだ生きている者がいるはずじゃ。楽にしてやれ。大切な土地じゃからあまり血が流れんようにな。そうじゃな、自力で国に帰れそうな者は10人ほどは生かしておいてよかろう、逃げ帰らせてやれ。大敗北を国元に伝えてもらわんとな」
「はい。マスター」
アイヴィーはそう一言言って櫓を跳び下り、倒れ伏したダレン兵たちの方に歩いていった。
次にテンダロスは、あまりの一方的な殺戮に目を見張り半分口を開けたままになっていた近衛兵団長グッドオールド中将に向かい、
「魔術師兵団の魔術兵たちは魔力を出し切ってすぐには役に立ちませぬので、近衛兵団の方々には、敵兵の骸の後片付けをお願いできますかな」
「は、はい」
櫓の上から跳び下りたアイヴィーはテンダロスの指示に従って、両手の人差し指を1メートルほど伸張させ、横たわるダレン兵たちのヘルメットの隙間から頭蓋に丁寧に孔を空けていった。頭蓋に孔を空けられたとたん体をビクッと震わせる者もかなりの数に上ったが、それはアイヴィーにしか分からないことだった。
サルダナの王都セントラムまで迫ったダレン軍がテンダロスによって大敗北を喫して40年あまり経った現在。
ダレン王国がサルダナ攻略を掲げて再び遠征軍を催した。遠征軍の総数は10万。それだけでも公称10万のサルダナ軍の総数に匹敵する。遠征軍は、前軍、右軍、左軍、各2万、総本陣のある中軍4万の4軍編制としており、各軍はダレン王国の名だたる将軍たちが率いている。
北部クジー要塞で守備隊が北方から迫るセロト軍の軍旗を認めたころ。
そのダレンの遠征軍が国境を越え、サルダナの西の国境の街、バツーを囲んだ。これに対してバツーの守備隊は、王都方面に移動中の第1兵団と王宮に向け救援要請の急使を派遣している。
そのバツーだが国境の街にふさわしく分厚い壁で囲まれた城塞都市であり、南面がイスラ河に面し西面がイスラ河の支流に面した要害である。編制上は第1兵団に属する守備隊の兵数は20個中隊相当4000名。
ダレン軍はイスラ河支流を川幅の狭まる北方より簡単に渡河して回り込み、バツー北東1キロに本陣を置いた。陸地のあるバツーの北面から東面はダレン軍の前軍、右軍、左軍、合計6万で完全に包囲されている。ダレン軍中軍4万は各軍の背後を守るよう布陣している。全力の10万で1都市を囲む必要は無かったが、最初の勝利を確実とするためダレン軍はあえて全力でバツーを囲んだようだ。
布陣が終わったダレン軍は攻城用大型投石器をバツーの東城門前200メートルあたりまで押し出して組み立てを開始した。
バツー守備隊側は、城壁の上に据え付けたバリスタでダレン側の投石器の組み立てを阻止しようとしたが、大型の盾に守られた投石器は着々と組み立てられていった。
投石器が完成し、石塊などを投擲し始めれば、いずれ城門は破壊される。それまでにサルダナ軍は援軍などによりバツーを解囲しないとバツーは陥落する。ただ、北へ移動中の第1兵団の主力部隊100個中隊相当約2万が反転してダレン軍10万に挑んだとしても勝敗は明らかだ。バツーから打って出て組み立て中の攻城用投石器を破壊したいところだが、こちらもダレン軍に阻まれ、磨り潰されることは目に見えている。




