第30話 キーン、生れてはじめて馬に触れる。
食事を終え食堂からいったん教室に帰ったキーンたちは、午後からの馬術実技のための乗馬服に着替えるため、各人着替えを持って更衣室に向かった。
生徒たちの着る乗馬服は、特別ものではなく、適当な長袖のシャツと長ズボン、それに乗馬用として革の長靴と薄手の革の手袋だけのものだ。
トーマスたちと一緒に入った男子用更衣室には仕切り板で区切られた棚が並んでいて、その区切られたところに着替えた衣類を置いておくようだ。午後からは1号生徒も2号生徒も同じく実技の時間なので、更衣室の中には上の学年の生徒たちもいる。更衣室の入り口に一番近い辺りが1号生徒、次が2号生徒、一番奥が3号生徒にというふうにだいたい学年別に着替える場所や使う棚が固定されているようだ。
馬術実技は学舎の裏手の馬場に集合するので、3号生徒たちはその格好で移動していく。
少し早めにキーンたちが馬場の草原で立っていたらソニアたち女子生徒たちもやってきた。
学舎の方から鐘の音が聞こえてきたので、午後の時間が始まったようだ。すぐに教官らしき人が助手らしき人を連れて現れた。
トーマスによると、教官の名前はエルンスト・ランデル少佐。現役の近衛騎兵中隊長で、週に3度ここ軍学校に馬術を教えにきているという話だ。助手の人の名前はヘンリー・サール中尉。サール中尉も近衛騎兵中隊の人でランデル少佐の部下ということだった。
「今日は軽く準備体操をした後、速歩と軽速歩の練習だ。
アービス生徒は乗る馬が決まっていないので、まずは馬選びからだな。体操が終わったらみんなで厩舎に行くから、そこでサール中尉と馬を選んでくれ。
それでは、みんな広がって、体操始め!」
ランデル少佐の号令で体操が始まった。
体を動かす前に、体を軽く動かしておくと故障しにくいそうだ。キーンは軍学校での体操の型を知らないので、見よう見まねで体を動かしておいた。どれも4回繰り返すようだったので、それなりに格好をつけることができたようだ。体操の種類を数えながら体を動かしていたら、体操の型は全部で13種(注1)あった。
体操が終わった後はみんなで厩舎に移動だ。
「厩舎まで、駆け足!」
今度もランデル少佐の号令でみんな一斉に走り出した。キーンは厩舎の場所もよくわからないので一番最後を走っていった。
100メートルほど先の平屋で横長の建物から馬のいななき声がする。それが厩舎だったようだ。
他の生徒たちは自分の馬を割り当てられているので、各自馬に馬具を取り付け、そのまま引いて馬場の方に戻っていった。キーンは一人残っている。厩舎にはあと5頭ほど馬が残っていた。
キーンが馬たちの前で固まっていると、先ほどの助手の人がやって来て、
「アービスくんだね。私はランデル少佐の助手をしている近衛騎兵隊中尉ヘンリー・サールだ。この5頭の中からきみの好きな馬を選んでくれ」
「馬のことは全く分からないので、どういった馬を選べばいいのか分かりません」
「ここにいる馬はみんなおとなしい馬だからどの馬を選んでも差はないので、相性だけで選べば大丈夫。こうやって首筋をなでてやると喜ぶからそれで選べばいい」
そう言いながらサール中尉が一番手前の薄茶色の馬の首筋を撫でてやったらその馬は気持ちよさそうに目を細めていた。
キーンもおっかなびっくりその馬の首筋を触ったのだが、キーンが触った瞬間その馬は大きな目を開けてキーンを睨みつけてきたのでびっくりしたキーンはすぐに手を引っ込めてしまった。実際は睨みつけたわけではなく首筋の感触が変わったので目を開けただけだったのだがキーンは睨まれたように感じてしまった。
「あはは、怖くなんかないんだから。まあ、この子とは相性が良くはないのかもしれないので、次の馬に行ってみよう」
次の馬は、白っぽい灰色の馬だ。キーンが恐る恐る手を伸ばしたら、その馬はプイッと顔を背けてしまった。
「この子も相性が悪いようだな。それじゃあ次だな」
その次の馬は毛並みにツヤがある真っ黒な馬だった。
「青毛のこの子はどうかな? 気性が荒いので初心者には少し難しいかもしれないがアービス生徒なら何とか乗りこなせるかもしれないし、どうだ?」
「真っ黒なのに、青毛ですか?」
「私も理由は知らないが、黒くてツヤのある毛並みの馬のことを青毛というんだ。ここまでは黒くてツヤのある毛並みは青毛の中でも珍しい」
その馬は、キーンから見ても美しいと感じることのできる馬だった。今度も恐る恐るキーが手を伸ばすと、その馬は一度いなないたが、すぐにおとなしくなった。首筋をなでてやると目を細め気持ちよさそうにしている。
「この子と相性がこれほどいい生徒は初めてだ。この子で良いんじゃないか?」
あと2頭確認していなかったが、キーンもこの真っ黒な馬が気に入ったので、
「はい。この子でお願いします」
そう答えた。
「それじゃあ、この子に馬具を付けるから良く見ててくれ」
そう言ってサール中尉は轡一式と鞍を持ってきて、最初に轡を取り付け、その後鞍を乗せてベルトで固定してくれた。慣れれば簡単なのかもしれないが、一度見ただけでは覚えきれなかった。魔法なら一度見ただけで覚えることのできるキーンだったが、そういったところも新鮮だった。
「それじゃあ、轡の近いところの手綱を持って馬場に行こう」
黒馬を連れて歩きながら、
「そうそうこの子の名前はブラックビューティー、名まえからも分かるが牝馬だ」
「牝馬?」
「雌馬のことだ。雄馬のことは牡馬と言うんだ。言葉さえ知っておけば、別にどう呼んでもいいけどな」
注1:型は全部で13種
ラジオ体操と同じにしてみました。私は録画ですがTV体操をここ数年1日も欠かさずやっています。皆さんもどうですか?




