ザリガニ
海鮮まんを腹いっぱいに食べての満足タイム。
お腹を膨らませた由貴を寝かしつけた後にだらっとした時間の中で、コン君が口を開く。
「ふつーのエビでこれだけ美味しいんだから、伊勢海老だともっと美味しいのかなー」
「うーん、どうだろうね……?
伊勢海老には独特の風味があるから、伊勢海老のための味の組み立てが出来るならあるいは?
ただまぁ、伊勢海老でやるのはちょっともったいなく感じちゃうかな」
俺がそう返すとコン君は、首を傾げながら言葉を続ける。
「じゃー、ロブスターなら美味しい?」
「……不味くはないんだろうけど、どうだろうねぇ。
言ってしまうと俺はちゃんとしたロブスターを食べたことがないからなぁ……適当なレストランで適当な冷凍品を食べたことはあるんだけど、あれが本当のロブスターの美味しさではないだろうしねぇ。
……ロブスターはエビじゃなくてザリガニ系だからなぁ、美味しくなるかはなんとも言えないね」
「んーでも、ザリガニなら結構美味しいんじゃない?
御衣縫のじっちゃんは大好物だって言ってたよ? なんか最近は食べちゃいけないって怒られるらしいけど」
「んん? ザリガニが? いやまぁ、食べる国では食べるものらしいけど……。
そして最近は食べちゃいけない? なんかおかしな寄生虫でも出たのか……って、あ、そうか。
もしかして獣ヶ森ってアメリカザリガニがいないのか!」
と、俺がそんな声を上げると、コン君は更に首を傾げて……そしてテチさんはその通りだと頷いてくる。
外来種の代表格のアメリカザリガニ……今の日本でザリガニと言えばこいつになる訳だけども、獣ヶ森には入り込んできていないらしい。
では御衣縫さんの言う『美味しいザリガニ』とは何者なのかって話になるのだけど……その答えは恐らく、在来種のニホンザリガニになるのだろう。
今では天然記念物となって食用なんて以ての外のニホンザリガニだけども、昔は普通に食べていたらしい。
あらかじめ結構な手間をかけて用意しておいたザリガニが、まさかの当日に脱走……料理人達が真っ青になる中、物陰に隠れていただけですぐに発見され、事なきを得たという『大正天皇の御大礼とザリガニ騒動』なんてちょっとした事件もあったとされていて……その味は……今では謎とされている。
まぁ、そりゃそうだ、天然記念物を食べる訳にはいかないし、元々食用でもなかった訳だし、味を知る人が少なすぎる。
騒動に関しても食用のヨーロッパザリガニが手に入らないから代用したって話だし……今となっては味を知っている人がいるほうがおかしいんだ。
……御衣縫さんは……まぁー、うん、うん……。
野生のタヌキとかはザリガニが好物らしいし、そこは仕方ない……のかな、うん。
獣ヶ森の住民は治外法権を有しているようなものだし……問題はない、のだろう。
それに最近は食べないようにしているみたいだしね、うん。
「アメリカザリガニって知ってるー、赤いやつでしょ!」
俺があれこれと考えているとコン君がそう言ってきて……やっぱりコン君にとっての普通のザリガニは赤くない、ニホンザリガニのようだ。
「そ、そうだね……そうかぁ、ここら辺のザリガニはニホンザリガニなのかぁ。
……川とかで結構見かけたりするの?」
と、俺が返すとコン君は、うんうんと頷き、声を弾ませる。
「そこら中にうじゃうじゃいるよ! 川で石とか持ち上げたらわさーっている。
オレもたまーにザリガニ捕まえるよ! 釣りとかもする!」
「あ、しちゃうんだ……。
その、コン君も食べたり?」
「しないよー。
かーちゃんがあんまり好きじゃないから、それに食べる人達って生で食べたりするんだよね。
あれってあんまり良くないよね?」
「な、生で……。
俺は良くないと思うけども、獣人によっては平気なのかもしれないねぇ。
……まぁ、うちでもやらないかな……。
少なくともアメリカザリガニはそこまで美味しくないからね。
手間をかければ美味しいんだけど……それならエビで良いからなぁ」
「そっかー……。
でも確かに、今日のエビは美味しかったー。
あんなに美味しいのは中々ないだろなー……そう言えばにーちゃん、エビの保存食ってあるの?」
「あー……あるにはあるけど、積極的に作るものじゃないかな。
オイル漬けなんだけども、オイルに漬けて美味しくなるものじゃぁないからねぇ……他の食材のための出汁としてならありなのかな。
あとは保存食というよりも発酵食品なんだけど、マムトムっていうエビを使った魚醤のようなものもあるね。
ただこれは匂いがキツイみたいだから慣れないと美味しくないかもね」
「おー……そうなんだ?
魚醤はー……あんま食べたことないなぁ、臭い感じ?」
「うん、臭い。
というか発酵食品は全般臭いものなんだよ……俺達にとっては良い匂いの醤油や味噌も慣れない人には臭くてたまらない匂いだったりするからね」
「え? そうなんだ!?
醤油とか良い匂いだけど、嫌いな人もいるのかー……。
じゃー、エビのも慣れたら美味しい?」
「らしいよ。
チャーハンみたいな、炒める系のご飯に合うとかなんとか。
ただまー……これも俺が扱うことはないかな、これに慣れるくらいならすでに馴染んだ醤油や味噌で良いからね。
皆が不慣れな調味料にわざわざ挑戦することはないかな、エビはエビで普通に料理したら良いしね」
と、俺がそう言うとコン君は納得したのか頷いて……それから自分のリュックを引っ張ってきて、中から筆箱とノートを出して今の話を書き込んでいく。
最近のコン君はそうやってレシピや食品に関するあれこれをノートにまとめている。
レシピもただ書くだけでなく、味の感想や自分が作ったかどうか、どのくらいの手伝いをしたかなど、細かい情報が書かれていて……家に帰ったらそれを両親に見せて、今日はこんな勉強をしたと報告しているらしい。
まだまだ人間の手からは遠いリスの手ながら、何度も何度も書いてきたからか、綺麗な文字が書けるようにもなっていて……コン君の両親はそのノートを見せてもらうことを、何よりの喜びとしているようだ。
更にはそれを真似して由貴も文字……ではなく、落書きをするようになっていて、由貴にとっても良い刺激になっているようだ。
そんなノートもそろそろ終わりに近付いているようで……コン君は残りのページ数を気にしながらも楽しげに、鉛筆を走らせていくのだった。
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