スローライフ
畑へと向かい……休憩所へと向かうと、テチさんのお兄さんのレイさんが笑顔で俺達のことを待ってくれていた。
「おー、おかえりー。
……んん? 二人でお出かけして何か良いことでもあったか?
なんかとかてちの表情が柔らかくなってるな?」
ついでにそんなことも言ってくれて……テチさんが余計なことを言うなと、レイさんが座っていたベンチの足をつま先で蹴飛ばす。
「仕事を休んでまで手伝いにきてくれた兄に向かって何だよその態度はー。
傷ついちゃうぜー、繊細なお兄ちゃんとしてはよー」
なんてことを言いながら立ち上がったレイさんは、テーブルの上の荷物を片付け、持ってきた袋をしまい……昼食代わりなのか、二つの弁当箱を置いてから俺の肩をぽんと叩いてくる。
「なんだかよく知らないが、とかてちと仲良くやってくれそうで安心したよ。
改めてこれからよろしくな」
肩を叩きながらそう言ってレイさんは、そのまま森の中へと帰っていく。
「ありがとうございます! こちらこそよろしくお願いします!」
その背中にそう声をかけてから俺はベンチへと腰を下ろし……テチさんもまた向かいの席へと腰を下ろす。
それからテチさんはいつものように頬杖をついて子供達へと視線を向けて……俺もまた子供達へと視線をやる。
子供達はレイさんが帰ったことにも、俺達が帰ってきたことにも気付いて居ない様子で、元気に楽しそうに一生懸命に畑で働いていて……その光景を何分か眺めてから、俺はゆっくりと口を開く。
「あのー……テチさん。
畑のことで、何かこう、教わることとかは……?」
「ん? ああ。
うん……買い物に行く前に教えただろ? とりあえず今の所はあんなものだな。
間伐や接ぎ木に関してはやりながら教えるしかないだろうし、追肥に関しても土と樹がそういう状況になってから教えた方が良い。
虫や病気に関しても、その時になってからの方が良いだろうしなぁ。
予防などについては見ての通り子供達がやってくれていて……それに関しては昨日教えた通りだな。
収穫に関してだって、その時が来てからになるだろうし……とりあえず春先の今、出来ること、教えられることは無いだろうな」
俺が声をかけるとテチさんは、こちらへと顔を向けて……今までよりもいくらか柔らかい表情と声でそう言ってくれる。
一緒に買い物をしたのが良かったのか、曾祖父ちゃんの話をしたのが良かったのか、とにかくこれから一緒に頑張っていく人の態度が柔らかくなったことは嬉しいことで……俺はほっとしながらも、新たな不安を抱いてそれを言葉にする。
「えーと、つまり……これからしばらくの間は、このままずっと子供達の様子を見ているだけ、と?
ただ、こうして何もせずにぼーっと、だらだらと……?」
「とも言えないがな。
子供達が何かをやらかせばそのフォローは必要だし、今日やった名札みたいに何か出来ることがあればやるかもしれないし……。
というかこの件に関しては昨日話しただろ? 暇になるから趣味でもやってろと」
「いや、まぁ、そうなんだけどね……。
もちろん趣味はしっかりと始めるつもりだったんだけど、まさかこんな唐突に暇になっちゃうとはなぁ……。
保存食作りはそれ用の材料と道具を揃えないことには出来ないし……通販で注文したり、さっきのスーパーで買い集めたりするにしても、そんなすぐに揃うものでもないし、うーん、それまではどうしたものかなぁ」
「……やることがないならぼーっとだらだらとしているしか無いだろうな。
それはそれで、外の人間からすると贅沢なものなんだろう?
テレビとかでたまにスローライフがどうとか特集を組んでまでやってるじゃないか」
「あー……スローライフ。
そうかー、スローライフかぁ……いや、うーん? スローライフってこういうものだっけ?
あくまで仕事はしっかりとしていて、それでいて時間に追われない生活スタイルのことを言うんじゃぁ?
まさか何もすることがなくて、ぼーっとしていることが許されて、時間がゆっくりと流れるって意味のスローライフを味わうことになるとはなぁ」
「仕事はしっかりしているだろ? 畑の管理、それがお前の仕事だ。
そして私達は管理をお前から委任されている訳で……良かったな、ある種の不労所得だぞ」
「あー、そうかぁ、なるほど。
誰もが憧れる不労所得スローライフって訳か……」
そこで会話が途切れて……テチさんはまた子供達の方へと顔を向けて、俺もまた子供達の方へと顔を向けて……そこからしばらく静かな時間を過ごす。
静かと言っても元気な子供達の声が響いてきているし、木々は春風に揺れてざわざわと音を立てているし、多種多様な鳥の声や虫の声がこれでもかと聞こえてきているしで、全然静かではないのだけども、それでも静かだと感じることが出来て……なんとも平和で、心が落ち着いて心地が良い。
春の陽気が周囲を包んでいて、春風はとても爽やかで……木々の香りと土の香りと、何だかよく分からない香りとがふんわり漂ってきて……うん、こういう時間を過ごせているのは確かにスローライフらしいのかもしれないな。
と、そんなことを考えながらぼーっとし続けて……ぼーっとしすぎたせいか、つい口が滑ってしまう。
「テチさんって彼氏とかいるの?」
それは本当に口が滑ったとしかいえない発言だった。
特に何かを狙ったとか、そういうことではなく……ついうっかり、油断して、あるいは考えなしに口が滑ってしまったのだ。
セクハラと言われても仕方ないその発言をした自分の迂闊さに背筋を冷やしていると……テチさんがなんだかふてくされた表情になりながら、言葉を返してくる。
「いる訳ないだろ、こんなのに」
こんなのと、そう言っているテチさんの横顔は普通に可愛いと言うか、向こうにいたら間違いなく人気が出る部類のもので……もしかしてそういった価値観も違うのだろうかと、首を傾げながら俺は……口を滑らせたものの責任としてその会話を継続させる。
「こんなのとは思えないというか、普通に彼氏が居そうというか、可愛くて人気がありそうと思っての発言だったんだけど……」
そんな歯切れの悪い俺の言葉に対しテチさんは、びくりと肩をふるわせてから体勢を崩し、両手を振り上げて……背筋をぐいと伸ばしながらあくび交じりの声を上げる。
「こっちではおしとやかな女がモテるんだよ。
知ってるか? おしとやかってのはそれ相応に練習が必要な『スキル』なんだよ。
会話での言葉遣いや単語選びはもちろん、何気ない所作とかも洗練されていないといけない……一朝一夕で出来ることではないんだ。
そういう努力をすること、出来ることを偉いとは思うし、スキルとして身につけた友達のことを尊敬もしているんだが……私はどうしても性に合わなくてな、何度かやろうとはしてみたんだが、結局最後までやりきれなかったんだよ」
「へぇー……まぁ、礼儀正しさとか、そういうスキルが交際に必要ってのは分かるけど、それがそこまで重視されているっていうのはなんだか、こう……凄いなぁ。
俺なら最低限の常識があれば、それで良いと思っちゃうけどなぁ」
と、俺がそう返すとテチさんはもう一度頬杖をついて……尻尾をゆらりと揺らして、そのまま黙り込む。
揺れる尻尾はゆらゆらと、まるでテチさんの横顔を隠しているかのように、何度も何度も俺とテチさんの間に割り込んできて……それをこれ以上会話をしたくないとの合図として受け取った俺は、子供達へと視線をやって……ここで出来そうな、この時間でできそうな保存食作りのことを、レイさんが用意してくれた弁当を食べたりしながら夕方になるまで考え続けるのだった。
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