包囲
劉秀発兵、捕不道、四夷雲集、龍闘野。四七之際、火為主。
――『河図赤伏符』
劉秀 兵を発して、不道を捕らえ、四夷雲のごとく集い、龍は野に闘う。四七の際、火 主と為る。
更始元年(西暦二十三年)四月の初め。王莽の紀年では地皇四年の五月。劉文叔を中心とする南陽の《漢》軍の諸将が、潁川郡と南陽郡の境にある小城、昆陽に入城した。城壁のすぐ北側から東側を囲むように滍水――現在の沙河――が流れ、またこの河は蛇行しているために流れが急峻で、ちょうど昆陽城のあたりは深い淵になっていた。城の北門と東門は流れを横切る形の跳ね橋を備え、有事の際は跳ね上げてしまえば出入りは不可能となる。南門と西門は鉄の鋲を打ち付けた頑丈な扉があり、城の規模は小さいが城壁は堅固あった。文叔らは昆陽城を潁川・汝南攻略の拠点にするとの名目で南陽から多くの糧食・武器を持ち込んだ。更始帝政権下で成国上公に封建された王鳳、廷尉大将軍を名乗る王常(王顔卿)が守備責任者として鎮撫し、太常偏将軍たる劉文叔、五威中郎将の李季文らは、機動部隊として周辺地域の攻略に当たる――そういう、触れ込みであった。
王鳳は新市兵の幹部で劉聖公擁立の最右翼で、実のところ、劉文叔らの動きを警戒した劉聖公がつけた目付であった。つまり王鳳は、劉文叔らが昆陽城を囮として百万の新軍の前に差し出し、宛陥落までの時間を稼ぐという計画を知らない。
――もし、王鳳が邪魔をするようなら、始末するだけだ――
昆陽城に入城して以来、文叔の脳はずっと絶え間なく動いていた。
あの日、陰麗華と最後の逢瀬を遂げてから、今までにないほど頭脳が冴えている。
文叔は、今、勝つ気でいる。
百万の軍の囮となって惹きつけ、主力のために時間稼ぎするだけの、そんな消極的戦法ではダメだ。戦下手の兄貴はアテにならないし、兄貴以下の脳みそしか持たない緑林軍の奴らなど、さらに期待するだけ無駄だ。兄貴や周囲の無策に呆れながらも、揉めるのを恐れて口を出さなかったために、小長安で壊滅的な敗戦を喫したではないか。
あの時、もっと強硬に言い張って、軍を棘陽に下げていれば、姉やその娘たちも死なずにすんだのだ。文叔は、兄・伯升の無策は有罪だと思っているが、それを許した文叔自身もまた、その責めを負うべきだと考えている。叛乱を起こし、家族や故郷の人々を戦乱に巻き込んだ。その上は、できうる限りの策を弄して、自分たちは勝たねばならないのだ。
百万の軍を――百倍の軍を倒すにはどうしたらいいか。
昆陽の城壁から北、洛陽からの大軍が来るはずの街道を見下ろして、文叔は一人、策を練った。
百万の新軍が洛陽を発したとの情報がもたらされる。夥しい数の新の黄色い旌旗が初夏の青空に靡き、輜重は絶えず、千里も続くかと思われた。斥候の情報に、昆陽城内で軍議が開かれた。
「奴らの狙いは宛だ。こんな小城など通過するに違いない」
成国上公の王鳳が言えば、王顔卿が片方しかない目を胡乱気に向ける。
「そのまま、怯えたネズミみたいに、巣穴に籠ってやり過ごすか?」
「昆陽には最大でも八千人程度の兵力しかないんだ。百万にどうやって当たる。……龍車に向かう蟷螂の斧ってものじゃないぞ?」
王鳳が顎髭を引っ張りながら言う。
「北の奴らは軒並み、穴熊みたいに引きこもってやがる。……俺はそんなみっともねぇ真似はしたくないなあ」
ペッと唾を吐き捨てて李季文が言えば、文叔も組んでいた腕を解いて言う。
「少しくらいからかってやるのも面白そうじゃないか。百万もいて、チッコイ城一つ落とせないのかよ、バーカバーカ!……くらい言ってやってもいい」
「お、それいいな。俺は最近、馬上でお尻ぺんぺんする新技を編み出したぜ。こんな時にはお誂え向きと思わなーか?」
「素晴らしい。……他に使うべき時が思いつかないぞ」
李季文と劉文叔のバカ話に、周囲の男たちが呆れて溜息をつく。李季文は宛の李氏のドラ息子で、もともと不良で有名だったが、真面目な働き者との評判だった劉文叔までくだらない諧謔に興じている。新市の無頼漢あがりの王鳳は、面倒くさそうに唾を吐き捨て、匙を投げた。
「……勝手にしろ!」
責任者の了承を得たと判断した李季文と劉文叔、それから鄧少君らの若手の将軍たちが、二千騎ほどの兵を率いて昆陽の城を出て、北の陽関へと向かった。
かつて戦国七雄の韓の都だった陽翟に近い陽関は、峻嶮な山道がやや狭まった場所に築かれた小さな砦であった。普段は少数の守備隊が常駐し、小遣い稼ぎに通行料をせしめる程度の関所だが、非常時には防衛拠点の一つとなる。その簡素な木造の砦の上から北を眺め、文叔は息を呑んだ。
青い空の下にひしめく、見渡す限りの黄色い旗。初夏の陽光を反射する、黒々と煌く鎧甲。砂埃を巻き上げながら近づく、延々と続く輜重の群れ。大地を埋め尽くすような、真っ黒な人の波。それらがゆっくりと、南へと下りてくる。
「……あれ、全部人か?」
並んで立つ李季文が、文叔の頭の横あたりにある喉をゴクリと鳴らす。
百万、と口で言われただけではわからなかった、圧倒的な数の暴力。百万と号するうちの兵士は実際には半数にも満たないのだろうが、それでも圧倒的な物量の差は見ただけで心を萎えさせるのに十分だった。
――だからこその、この動員数なのだ。視覚的に、叛乱軍の戦意を削ぐための――。
「……文叔よぉ。本気で、やるつもりか?……あれの海の中で二か月耐えるつもりかよ」
「まさか。誰が、二か月も穴熊よろしく籠るかよ」
「なんだって?」
李季文が文叔を見る。まっすぐ、押し寄せる未曾有の大軍を睨みながら、文叔は言った。
「撃って出る。……三か月以上かけて、宛すら落とせないやつらに、何を期待する? まず、昆陽を囲ませ、足止めする。その上で、外の兵を集める」
「……本気か? 宛の主力を振り向けさせるのか?」
「それは期待できないな。宛の包囲を解けば、城内の奴らが背後から襲いかかるだろう。その情報が流れれば、百万の軍も昆陽など捨てて南に動く。……昆陽を落とす兵は別に連れてくる必要がある」
その計画に、李季文が呆れた表情を見せた。
「やれるか? 俺には奇術にしか思えねぇな」
「やるさ。……二千年後の人間に、南陽の奇術師って呼ばせてやるよ」
大きく出た文叔に、李季文が吹き出す。
「……まずは、二千年後まで南陽って地名が伝わってるかどうかが問題だな」
彼らの故郷が故郷として在り続けるためには、迫りくる巨大な敵を撃破しなければならないのだ。
「引き際が肝心だ。そのまま一気に昆陽まで逃げ込む。――引き離し過ぎず、奴らを引きずり回したうえで、最後の最後で振り切る。奴らがついうっかり、昆陽を包囲してしまう、絶妙の呼吸で逃げ込め!」
文叔の指示を聞きながら、少君はゆっくりと近づいてくる黄色い旌旗の群れを遠望する。いかな脳筋の少君といえども、百万の大軍に二千騎でつっこむ無謀さは理解している。だが、もはや引くことはできない。
「いくぜ!」
先陣を切る鄧少君と李季文が、同時に馬の尻に鞭を当てる。二千騎が、一斉に駆け出す。
「いいか、僕たちは南陽の豪族の、世の中を舐め切った甘っちょろい不良息子たちだ。よせばいいのに大軍にちょっかいかけて、官軍のあまりに威勢に尻尾巻いて逃げ帰る、そういう設定だから!」
やや下がった位置から、文叔が怒鳴る。
「わーってる! 任せろ!」
先頭を行く李季文が振り向いて叫び返す。
「……設定も何も、そのまんまだろう」
文叔の隣で馬を駆っていた鄧偉卿が呟く。彼自身は三十四になるから、最近は悪ふざけからは卒業したし、不良息子というにはやや薹が立っているけれど、昔はよく、文叔と二人で新野の県吏を揶揄って、やりすぎて指名手配されそうになったこともある。
この時期の南陽は、開拓地である。彼らは士大夫であると同時に、自ら土地を切り開き、畑を広げ、所有地の経営に勤しむ豪族だ。家族と財産を守るためなら武器を取り、一族郎党、下戸を率い、自ら先陣を切る。
鄧偉卿は妻と娘たちを守れなかった。せめて残った息子と、愛すべき故郷を守る。
最後の瞬間まで、絶対に諦めない覚悟をすでに定めていた。
「やあやあ! 我こそは南陽は宛の李氏、更始皇帝の五官中郎将李季文なるぞ! ……んーと……ああ、もう、面倒くせぇ! このすっとこどっこいが! かかってこいやぁー!」
生粋の不良である李季文は、途中で口上の文句が思い浮かばなくなったらしい。先頭の騎馬の将軍がすぐに剣を抜き、叫び返す。
「我々は皇帝陛下のご命令によって、南陽の叛乱討伐を命じられている! 邪魔立てする者は斬る!」
「斬れるもんなら斬ってみろやぁー、この金魚の糞がぁー!」
先頭にいる奴は金魚の糞じゃないだろう、と鄧少君は冷静に思いながら、油断なく戟を構え、相手を見繕う。乱戦に持ち込み、行軍をかき回す。大軍を興奮させ、彼らが目的地の宛を忘れて昆陽を包囲してしまうくらいに。
(ケンカなら、任せとけよ!)
鄧少君は右手の掌にプッと唾を吹きかけて湿らせると、長柄の戟をぶるんと振って、馬腹を蹴り、いきなり敵に馬を寄せて先頭の一騎を戟で馬から叩き落す。
「貴様、何をしやがる!」
周囲にいた官軍の騎士たちが怒りで顔色を変えた。ケンカで一番、相手を逆上させるのは、前触れのない卑怯な先制攻撃――!
「南陽は俺たちの庭だ。皇帝だか何だか知らねぇけどよ、目障りだ!」
「何だとぉー!」
剣を抜いて突進してきた騎士を、鄧少君がブンっと戟を振るってその横っ面を引っぱたく。バコン!
剛力にふっとばされた騎士が、隣の味方にぶつかり巻き込んで落馬する。そのまま戟を頭上でぐるんと回し、落馬した騎士の背後から打ち掛かってきた騎士の、鳩尾を戟の矛の部分でズンと突けば、「ぐえっ」とカエルのような声を上げて、その騎士も馬脚が乱れ、馬から転がり落ちた。
その様子を見ていた鄧偉卿、李季文、そして文叔が、謀らずも一斉に叫ぶ。
「「「弱ぇっ!」」」
「煩い! 卑怯な不意打ちだったからだ! 尋常に勝負しろ、南陽のドラ息子どもが!」
小隊長らしき男が、顔中口にして叫ぶ。李季文がおどけたように言う。
「んじゃま、尋常にっとな! てやあ!」
李季文の得物は槍だ。身体の横に槍を構えて、浮足だった敵の集団に突っ込み、応戦する騎士と二、三合打ち合わせてから敵の顎の辺りを一気に貫けば、槍の穂先がうなじから飛び出し、口から血泡を吐いて絶命する。両軍は瞬く間に乱戦状態に陥り、撃剣の音と怒号、馬の嘶きが響きわたる。文叔も剣を抜いて切り結びながら、周囲を怠りなく観察していた。
(問題は、引き際だ!)
もとより、背後に控える百万と戦うつもりはない。適度に引っ掻き回し、頃合いをみて撤退し、ケツを捲って逃げなければならない。突っこみが浅ければ敵は彼らを追ってきてくれないし、深入りし過ぎて時宜を逸すれば、大軍の中に絡め取られてしまう。剣を振るいながら文叔が状況を計っていると、不意に威厳のある声で名を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。
「舂陵の劉文叔!……久しぶりではないか」
血まみれの剣を構えて声のする方を見れば、煌びやかな武装に身を包み、顎髭も見事な見るからに高官らしき将軍――。
「……荘、……伯石……閣下」
文叔の口から出た言葉に、満足そうに口角をあげる男の姿に、文叔の背筋に冷や汗が伝う。
(なんでここに……というか、そうだった、南陽に派遣されてたんだった!)
長安で、逋租の再調査と撤回の口利きの代わりに、特別な友情を結んだ男。――もう二度と、逢いたくなかったのに!
「奇遇だな。南陽で叛乱を起こした劉伯升はそなたの兄であるとか。――人生とはわからぬものだ。そなたのような美しい男が、このような戦場で非業に斃れるのを、余は忍びなく思う。余との友情を思い、叛乱から抜けぬか?」
貫禄のある微笑を浮かべた納言将軍・荘伯石は、剣すら抜いていない。――荘伯石は匈奴との戦いも経験した熟練の将軍で、左右は護衛の騎士が固めているから、彼が自ら武器を振るう必要はないのだろう。
「……閣下の以前のご厚情には感謝いたしますが、何分、叛乱の首謀者が兄でございますし、家族や故郷の者を裏切ることはできません」
文叔は剣を構えてはいるが、丁寧な口調で言った。
「そなたが皇帝陛下への忠誠を誓うと言うなら、この荘伯石の力を以て、陛下に申し上げてもよい」
「それには及びません。どうせ、劉氏はこの政権では浮かばれません。――私は兄や故郷の者たちと運命を共にする覚悟でおりますれば。――いざ、ご免!」
文叔はいきなり馬腹を蹴って荘伯石の至近距離に飛び込むと、剣でその兜を引っ掻けるようにして掬い上げる。
「何をするか、無礼者!」
間に入ってきた屈強な護衛とニ三合、打ち合わせると、文叔は手綱を引いて素早く馬首を巡らし、甲高い指笛を鳴らす。
ピーッ
その音に、南陽の不良息子たちは剣を引き、馬首を巡らすと一斉に逃げ出し始めた。
「逃げるぞー! 遅れるな!」
「いやはや、つえぇつえぇ!」
「待て、貴様ら!」
荘伯石の配下の騎士が呼び止めるのを、文叔がちらりと振り返り、ベッと唾を吐きかけて言った。
「きめぇんだよ、来るなら来いよ、男色野郎が!」
その言葉に激怒した荘伯石の護衛の一人が、文叔の頭めがけて剣を振り下ろす。それを剣で弾いて、文叔は殿を守るように仲間たちを追いかけていく。
「卑怯者、逃げるな!」
「やなこった!」
蜘蛛の子を散らすように逃げていく叛乱軍の男たちに、官軍の騎士たちが追い縋る。完全に頭に血が上り、隊列を整えようという意識など吹き飛んでいた。何しろ味方は百万、敵はせいぜい二千騎といったところ。一気に捻り潰して、無謀な攻撃の報いをくれてやる! 揶揄うように蛇行しながら逃げていく不良息子たちを追いかけるが、中にはこれ見よがしに尻を向けてペンペンしてくる馬鹿者もいて、官軍の者たちは怒りで冷静さを失っていた。隊列が乱れたまま南へと流れだすと、背後の歩兵や輜重隊との間に距離が開いてしまう。遥か後方で、荘伯石将軍が隊列を整えろと、しきりに叫んでいた。
文叔は官軍の騎馬部隊がちゃんと追撃してくるのを確認しながら、まっすぐ昆陽城へと駆け続ける。砂埃が舞い上がり、森の鳥たちが物音に驚いて一斉に飛び去った羽音が響く。途中、鄧偉卿が文叔に馬を寄せてきた。
「……荘伯石と、何かあったのか?」
「何もない!」
一言で切り捨てて文叔が振り返る。先頭の血の気を多い騎馬の一団の背後から、歩兵や輜重を含めた長大な黒い集団が、ゆっくりと進んでいるのを見て、文叔が形のよい唇の口角をあげた。
血気に逸って陽関まで官軍を迎え討ったドラ息子どもが、あまりの大軍に尻尾を巻いて逃げ出し、昆陽の城に舞い戻ってきた。――百万の大軍を引き連れて。
「敵襲だ! 門を閉めろ! 味方を収容次第、跳ね橋を上げるぞ!」
昆陽城の北壁と東壁の一部は曲がりくねって流れる滍水に囲まれていて、北門と東門は河を跨ぐ跳ね橋となっている。二千騎の軍の半ばは北側の門から城内に雪崩れ込み、残り半数は打ち合わせ通り、東門へと別れてやはり素早く城内へと駆け込み、跳ね橋を上げるように指示を出す。跳ね橋を上げる者たちがすでに待機していたのは、城内に残った王顔卿が密かに指示していたせいで、頑丈な鎖がガラガラと凄まじい音を立てながら巻き取られ、跳ね橋がゆっくりと上がっていく。
その様子を見た官軍の一部はスピードを上げ、上りかけの跳ね橋に上って城内への突入を試みるが、斜めに傾いだ跳ね橋の上から馬ごと滍水へと滑り落ち、流されてしまう。
「おのれ、小癪な!」
官軍は東門も同様に巻き上げられたのを知り、そのまま数を恃んで城の周囲をぐるりと取り囲む。水に面していない南門と東門でも、鉄の鋲を打った巨大な扉がびっしりと閉じられて、蟻の這い出る隙間もない有様。
「馬鹿者め、こんな小さな城、百万の大軍で捻り潰してくれる!……南陽のドラ息子どもめが!」
馬鹿にされたと思った総大将の王尋がギリギリと歯噛みしながら城門を見上げる。遅れて馬を寄せてきた荘伯石は、ぴっちり閉じられた城門を見て、一瞬、目を眇めた。脳裏には、さきほど目にした、劉文叔の端麗な顔がよぎる。
以前は士大夫らしく、髪をキッチリ結い上げて、大官に謁見するために格式ばった劉氏冠を被っていた。凛々しい眉に、涼やかな目元。意志の強そうな、黒い瞳。やや面長で頬骨が高く、高く通った鼻筋、形のよい唇。整った美しい顔立ちは、荘伯石にとっては理想に近いものだった。
地方の、列侯家の分家筋。田舎の士大夫としては十分過ぎる礼儀を弁え、見かけも極上で弁舌も爽やか。劉氏でさえなければ、いっぱしの官吏として出世コースに乗っていても不思議はない男。だが、彼の兄は官憲の圧迫に耐えかねて叛乱を起こし、彼もまた叛乱に巻き込まれて人生は潰えたも同然だ。
(百万の軍に、二千騎で突っこむ。……田舎の不良息子ならばやりかねないが、あの男がするだろうか?)
悪態をついて挑発するように逃げ去った劉文叔の表情を思い起こし、荘伯石は完璧なまでに防御を固めた昆陽城を見上げて、ハッとした。
(わざと、囲ませた――? つまり、囮か。……あの男の兄、劉伯升率いる叛乱軍の主力は、いまだに宛城を落とせていない――)
自ら捨て駒になって昆陽城に官軍を惹きつけ、宛を落とすまでの時間を稼ぐつもりか。
そう気づいた荘伯石は、隣に馬を立てる王尋に進言した。
「昆陽は捨ててまいろう。叛乱の主力は宛城を囲んでいる。宛の主力が落ちさえすれば、叛乱など中心を失い、瓦解する」
大局を見れば至極真っ当な意見であったが、王尋はその策に同意しなかった。
「百万を率いて、こんな小城一つ落とせなんだら、陛下のご不興を蒙ろう。なに、数日もかかるまい。何しろ百万だからな。こんな城など捻り潰してやるわ!」
王尋の命令により、昆陽城の周囲を百万の軍が包囲することに決まる。青空の下にたなびく数えきれないほどの黄色い旌旗、黒々とした甲冑の群れ、夥しい輜重……堅固な以外、とりたてて取り柄もない昆陽城の周囲は、新軍によって隙間なくびっちりと囲まれた。
昆陽城はまるで、黒々とした人の海に取り囲まれた、絶海の孤島のようであった。




