譲れないもの
ほぼ壊滅に近い損害を受けた〈漢軍〉だが、伯升の必死の働きで何とか敗残の兵を纏め、棘陽で軍を立て直した。伯姫と二人乗りで棘陽に辿り着いた文叔は、城門のところで誘導をしていた朱仲先に伯姫を任せ、姉たちを探しに行こうとしたが、仲先に止められれた。
「そんなフラフラで! 無理だ!」
「でもっ……早く行かないと!」
「今、馬車の準備をさせている。せめて水を飲め!」
城門脇で兵の差し出す水を受け取り、一気に呷る。途端に、意識が暗転してその場に頽れた。――ただの水ではなく、半分くらいは醪だった。普段なら、味も匂いも違うし、文叔はこの程度の酒精でひっくり返ったりしない。だが、ほぼ飲まず食わずで戦場を駆け回り、伯姫を探し出して連れてきた文叔の、疲労と空腹に酒精が直撃した。
「兄さん!」
伯姫が慌てて駆け寄ろうとするが、伯姫も足がもつれ、その場に膝をついてしまう。
「大丈夫ですか」
それを助け上げたのは、文叔が戻ってきたとの報せを受け、城門まで確かめにきた李次元だった。
「元姉さんが!子供たちも!」
伯姫が訴えかけるが、李次元が首を振った。
「今から棘陽を出て小長安に戻れば日暮れを過ぎてしまう。文叔殿にそんなことを強いれば、死んでしまうでしょう」
「じゃあ、姉さんは見殺しにするって言うの?! もとはと言えばあんたたちがっ……!」
伯姫が泣きながらドン、ドンと拳で李次元の胸を叩く。
「それは……その通りです。だが、私たちの始めたことをやり遂げるためには、今、文叔殿に死なれては困る」
劉伯升は強力なリーダーシップを執る男ではあるが、独断専行の嫌いがある。叛乱軍を纏めていくには、伯升を補佐できる人材が必要だ。――それが、勤勉で穏和な弟、という劉文叔の存在だった。
「……奥に、劉君黄殿がいます。そちらにご案内しましょう。劉君元殿は今、鄧偉卿殿が探しに行っています。彼が、見つけてくれると期待しましょう」
李次元が穏やかに言い、伯姫の背中を押す。朱仲先が兵二人に命じて眠り込んだ文叔を担ぎあげる。仲先が伯姫に言った。
「……あんたを助けることができただけで、僥倖だった」
――鄧偉卿が劉君元と娘三人の遺体を発見したのは、数日後。小長安の戦いで、劉氏は妻子を含め、数十人が命を落とした。
棘陽は保ったものの、情勢は最悪だった。前隊大夫らは勝ちに乗じ、一気に〈漢軍〉を潰そうと藍郷まで輜重を進め、精兵十万を率いて淝水の畔に陣を布いた。敗戦に怯えた〈新市〉〈平林〉の兵は半ば逃げ去り、散り散りになってしまった。
「所詮は食い詰め農民の烏合の衆だ。役立たずめ」
妻子を失った劉巨伯が溜息をつく。舂陵侯家を継ぐべき正統な嫡子だった彼は、二人目の妻を失った。――一度目は東郡太守翟義の姪で、婚礼のわずか二十日後に、郡吏によって惨殺された。
「わしはもともと、叛乱には反対じゃった!しかもこの体たらく! いったいどうするつもりだ」
文叔兄弟の叔父、劉次伯もまた、妻と二人の息子を失った。劉次伯は文叔にも食ってかかる。
「だいたい、文叔! お前はもっと慎重な男だと思っていたのに! なぜ、兄を諫めんのだ!」
「内輪揉めは見苦しいですよ」
李次元が冷静に口を挟み、劉次伯が押し黙る。一同に沈黙が降りるのを待っていたかのように、劉伯升が口を開いた。
「……宜秋の城に、〈下江兵〉が五千ばかり来ている。そいつらを味方に呼び込む」
「また、小汚い流民どもを引き入れて、同じことの繰り返しではないか!」
劉次伯が唾を飛ばして叫ぶが、それを横で酒を飲みながら聞いていた劉聖公が、ギャハハハハと甲高い声で笑う。
「その、小汚い流民どもにたよらねぇと、このまま叛乱も潰えて俺たち劉氏も御終いってやつよ!」
「聖公!おぬしは〈平林兵〉を引きいてきたというが、なぜちゃんと統率せぬ」
本家の巨伯が聖公を窘めるが、聖公は緑林に交じった生活が長すぎて、髪は結いもせずにボサボサのまま、どこかで略奪してきたらしい、女物の真っ赤な褶を羽織っていて、傾奇者を気取っているらしいが、何とも異様な風貌だった。
「しょーがねーじゃーん。死にたくねーから叛乱起こしてんだからよ。負けそうになったら逃げる。これぞ流民の神髄よ。……命あってのモノダネってやつ?」
「おぬしは緑林の残党に顔が効くのだろう? 俺と一緒に説得に来てくれ」
「説得なんてめんどくせーことは無理。俺は酒飲んで待ってる。ま、俺の名前出せば、やって来る奴もいるかもしんねえけどな」
文叔は今まで、兄の伯升も聖公も、似た者同士の不良だと思っていたが、こうして並べてみると、兄の方がはるかに士大夫らしい。伯升は劉聖公の態度に不愉快そうに眉を顰め、だが溜息を吐いて言った。
「わかった、もう頼まん」
伯升は文叔を見て、それから李次元を見た。
「文叔、それから李次元、一緒に来てくれ」
「いいけど……一番、ダメそうな人選じゃない?」
緑林軍とは鉄官の徴用工やお尋ね者、荒くれの無宿人、そして流民の集団から発展した叛乱軍である。伯升はともかく、劉文叔も李次元も、いわば書生で豪族の若様である。太刀打ちできる相手とは思えなかった。
要するに、兄・伯升が信頼できる人間となると、自分と李次元なのだろう。かつて県令をしていたという李次元の人脈に期待するしかない。
三人は密かに棘陽を抜け出し、馬で宜秋へと向かう。護衛が十人ばかり就いているが、宜秋の〈下江兵〉が彼らの敵に回れば、命はあるまい。
「〈下江兵〉は王常という男が率いているはずです。なかなか、男気のある仁だと言いますがね」
以前、県令をしていただけあって、李次元は情報通であった。
「彼を出してもらえれば、話は出来ると思いますが……」
「王常さんいますか、っていきなり言うの?……てか、字もわかんない時点で、呼び出せないよ」
諱を呼ぶのは喧嘩を売るのと同じくらい、失礼なことである。
「まあ、それは俺が、何とかする」
伯升がまっすぐ前を見つめたまま言った。――小長安の敗戦は、あの兄にも相当に堪えたらしい。もちろん。文叔もだ。姉君元の、最後の姿が忘れられない。
どうしたらよかったのだろう。あんな犠牲を払ってまで、叛乱を起こすべきだったのか。
文叔が馬に揺られながら眉間に皺を寄せていると、李次元がのんびりした調子で言った。
「こんな時になんなんですがね。……妹の、伯姫嬢。婚約者はまだいないと聞いていますが」
いきなり何の話だと、文叔が李次元を見る。
「伯姫がどうかしたの」
「私に、くれませんか」
「はああ?……あんた、いくつだよ」
文叔が素っ頓狂な声を上げる。そう言えば、この李次元って男の年齢を聞いていなかった。以前、県令までやっていたというし、妙な落ち着きが備わっていて、文叔は自分よりもかなり年上ではないかと思う。だが、その割には肌の色艶は若々しく、全く年齢不詳だった。
文叔が馬に揺られながら言う。
「伯姫は僕より八つ下、まだ二十歳だよ?……ちょっと行き遅れ気味だけど」
「私は三十二です」
「ウソ!……絶対四十越えてると思ってた!兄さんと同い年?マジで?」
伯升もまた、同じ歳と知ってジロジロと眺めまわしている。
「その年で結婚はまだなのか」
「実は私、女に興味がなくて、この年まで独身で……」
「まさかの男色家?」
長安で荘伯石に迫られた嫌な思い出が甦り、文叔が眉を顰める。……そう言えば、荘伯石も南陽近辺にいるはずだ。もう二度と会いたくない男の筆頭だ。
しばらく無言で馬に乗っていた伯升が、ポツリと言う。
「……悪くない話だな。いいぞ、やる」
あっさり決める兄に、文叔がぎょっとする。
「そんな簡単に! 伯姫がめちゃくちゃ怒るよ! あたしは政略の道具じゃないって!」
「道具じゃありませんよ。惚れたんです」
「はいいい?」
それには伯升も驚いたのか、李次元をまじまじと見た。
「いつそんな機会があった」
「小長安の戦いの後、姉を見捨てるのか、と拳で胸を叩かれました。後で見てみるとそこが痣になっていて……何と言うか、運命を感じました」
「なにそれ……」
胸を押さえ、どことなくうっとりしている李次元を、文叔は気味悪そうに見る。
「女に叩かれることが、あんなに気持ちいいとは……」
「変態だよ、兄さん。やばいよ、こんなのに妹を嫁にやっていいの!」
「それは……だが、蓼食う虫も好き好きと言うし」
「いや、伯姫の男の趣味は普通だって! 別に蓼は食わないから! この変態に義兄さんとか呼ばれちゃう方がヤバイ!」
「たしかに、それはキモイ……」
大負けに負けて、悲壮な覚悟で援軍を頼みに行くはずだったのだが、気づけばくだらない話をしていたのであった。
宜秋の〈下江兵〉の陣に着いたのは、もう夜になっていた。彼らが近づいていくと、松明をかかげた見張りの兵が、誰何した。
「誰ずら! ここは〈下江兵〉の陣地だべ!」
「俺たちは南陽の劉氏の者だ。願わくば、下江で一番の賢将に見え、大事を議論したい」
劉伯升が落ち着き払って言えば、見張りの兵はキョロキョロして、背後の男と相談する。
「……んだば、俺らにはわがんねぇっから、この入口のところでちょっくら待っててけれ」
「あい分かった」
三人は下馬し、護衛たちも馬を降りてうちの何人かが手綱を取る。かなり待たされて、さっきの兵に先導される形で、ドスの利いた面構えの男が大股でやってきた。頬に大きな刀瑕があって、見るからに無頼ものだ。
「あんたが、舂陵の劉氏……新市をうろついとった劉聖公っつーやつか?」
「俺はその親戚だ。劉伯升。こっちが弟の文叔。こいつは宛の李次元。……以前、南郡の巫県の令をしていた」
男は胡散臭そうに三人を見て、だが頷いて言った。
「顔卿サマが会うと言っとる。ついてこい」
三人は護衛をその場に待たせ、男についていくと、大きな天幕に連れていかれた。どこかの官軍から分捕った戦利品らしい。
内部は火が灯され、意外と明るかった。立っていたのは筋骨隆々たる逞しい男。髪は結わず真っ直ぐ後に流し、肩のあたりで切りそろえている。いかつい顔つきだが、整っている方だ。だが、片目に刀瑕があって潰れていた。
「王顔卿だ。舂陵の――劉、伯升?」
「ああ、そうだ。……こちらが弟の文叔で、こっちが――」
「李次元。知っている。」
その言葉遣いやら態度から、これはどこかまともな士大夫の家の出ではないかと、文叔は思う。
「俺は潁川の舞陽の出だ。……弟の仇討ちをして、官のお尋ね者になって、緑林に身を投じたってわけだ」
「なるほど……ならば俺たちの、敵討にも協力してくれないか」
伯升の言葉に、王顔卿が残っている片目でじっと三人を見る。
「あんたら、叛乱起こして州兵にあっさり負けたんだろ。まだ懲りないのか」
「俺たちはこれで終るつもりはない。前隊大夫を殺し、宛を落とす。それから、長安に攻め入って王莽を倒し、劉氏の天下を取り戻す。……その、手伝いをしてほしい」
伯升の発言に、文叔が一瞬、目を見開く。――あれだけボロクソに負けといて、まだ天下取るつもりでいるよ、この人。
王顔卿も、伯升の大言壮語にくっくっと巨体を震わせて笑う。
「いやあ……大きく出るなあ、旦那。でもよ、俺は、あんたらの覚悟が知りたいね。叛乱ってのは、お坊ちゃん方の遊びじゃあねえんだ。……とくに、そこの男前のあんた。あんた本気で命をかけるつもりあんのかい?」
いきなり名指しで言われて、文叔がぎょっとするが、反射的に頷く。
「あるよ。もちろんだ」
「あんたらは土地も、家族も、金も、地位も、身分も、何もかも持ってる。それが全部、おじゃんになる覚悟はあったかもしれん。だが、俺はそんなものを守るために戦う奴等は信用できねぇ。あんた、何のために戦う?」
はっきり指を差されて、文叔が眉を寄せ、まっすぐ王顔卿を見つめて言った。
「――女だ」
「は?」
文叔の答えに、今度は王顔卿が片目を見開く。
「好きな女の為に戦う。……大夫の野郎が、僕の許嫁に目をつけて、無理やり小妻にしようとしてる。あのスケベ大夫をぶっ殺して、彼女を取り戻す。それが僕の目的だ」
はっきり言い切った文叔に、王顔卿はしばらく片目で穴が開くほど文叔を見つめ、そしてものすごい大声で笑いだした。
「アハハハハハ、傑作だ! いいぞ、孺子、応援するぞ! そりゃあ、俺も一肌脱がねーと、人としてダメだな。わかった、協力する。アハハハハハ!」
一しきり大笑いしてから、王顔卿はすっと真顔になって言った。
「俺も、前から王莽のやり口には腹が煮えてた。その、腰巾着の官吏どもにもな! 今、劉氏が復興するならそれこそ、本当の天下の主だ。俺もその、手伝いがしたい」
その言葉に、伯升がにやりと笑って応えた。
「よかったよ、弟の恋路の手伝いしかしてもらえねーのかと、少し心配した」
二人はガッチリと握手を交わし、それから顔卿は天幕を出て、朗々たる声で一同に命令を下した。
「明日早朝、南陽に出発する。南陽劉氏を助け、王莽の悪政に鉄槌を食らわす!劉氏復た興る!我ら〈下江兵〉は真主を戴く!」
「「「「「オー」」」」」
歓呼の声が、宜秋の夜空に響き渡った。
王顔卿率いる〈下江兵〉が棘陽に入り〈漢軍〉と合流すると、いったんは敗戦で散り散りになっていた、〈新市兵〉〈平林兵〉も再び棘陽に集まりはじめ、衆は一万を超えた。上層部は行儀のいい南陽豪族の旦那衆と、農民軍を率いてきたならず者上がりの緑林党。到底、相容れなさそうな集団が、曲りなりにも一緒にやってこれたのは、伯升の持つ威圧感と、劉聖公の存在が大きかった。劉聖公はチンピラ同然の姿で〈新市〉や〈兵林〉の衆と交わり、それなりの信望を得ているようだった。
「情婦がいるらしいですよ」
相変わらず、年齢不詳で情報通の李次元が言う。文叔と李次元は棘陽の城壁にもたれ、城外の城壁沿いに天幕を張って野営している〈新市兵〉の集団を見下ろしていた。
「……あっちの集団に、ってこと?」
「新市の盛り場で色を売っていたころからの馴染みで、軍隊にくっついて南陽までやってきたんですよ。〈営伎〉って言いましてね。軍隊にはつきものです」
「軍隊に女たちがくっついて歩くだなんて、僕は知らなかったよ」
集団の一部に、やたら女くさい集団がいて、時々そこから黄色い声が聞こえてくる。……新市の「きれいどころ」がまるごとくっついてきたのだ。あの中に、劉聖公の情人がいるということだ。
漢が起こって二百年。小さな諍いはあれども、概ね平和に暮らしてきた。叛乱を起こしたら家族の女子供も引き連れて移動しないといけないなんて、考えたこともなかった。
「男だけが戦争に行って、妻子は家を守るのだと思ってたよ……」
溜息を吐く文叔に、李次元が言う。
「家族の安全が保証されないのですから、しょうがないですね。その分の食糧も調達しなければなりませんが――」
「……つくづく、やってみないとわからないもんだよな……」
季節は日毎寒さを加え、糧食も乏しい。
「――あの、藍郷に唸っている郡の輜重を奪えれば、一石二鳥なんだけどな。敵の食糧を奪って、こっちの糧食も増える」
頬杖をついて漠然と言えば、李次元の目が光った。
「『孫子』にそんなのがありましたね。なんでしたっけ」
「『孫子』はどうでもいいけど、決行するとしたら、いつがいいだろうか。正面からじゃあ、勝ち目はないよね。こっそり強奪するって考えるなら――」
「夜襲、ですな」
「夜襲か――月のない晩を狙うとすると、晦か朔か……」
文叔ががばっと身を起こして李次元に向き直る。
「……次の晦は、ちょうど大晦日だ。翌日は新年……あいつらさ、格好つけて〈背水の陣〉なんて布いちゃってるんだよ。元旦の朝から攻め込んでやったら、面白そうじゃない?」
「元旦だからって、戦争中に気を抜くでしょうか?」
「でも、奴等は小長安で勝ちすぎて、かなりいい気になってる。こちらが油断を誘えばきっと――」
文叔はその案を伯升に提案した。
「……つまり、晦に藍郷の輜重隊に夜襲をかけ、翌、新年早々に別働隊が本陣を攻撃するということか」
「夜襲はそんなに人数はいらない。輜重を奪われれば奴等は本陣に報告を走らすだろう。深夜から早朝にかけて報告を受けて、慌てて準備してるところを別方向から攻撃する。これは深夜に準備だけして、明るくなってから攻撃すればいいから、夜襲に慣れてない僕たちでもなんとかなる」
本格的に夜戦を仕掛けるには、〈漢軍〉は戦争に慣れていない。だが、闇に紛れて輜重を奪うのは、要は泥棒や追剥と同じだから、緑林の残党にとってはむしろ本職である。
伯升の、髭にかくされた唇がにやりと弧を描く。
「おもしれぇ……さすが、俺の弟。しかも、前から薄々思ってたが、お前は笑顔で誤魔化してるが、とんだ腹黒野郎だな」
「兄さんほどじゃあないよ。……あ、決行前の三日間、盛大に休みを取るのはどうだろう。僕たちは年末年始、しっかり満喫しますってフリで。あっちの兵士も、〈正月ぐらいは休ませろ〉って、上層部に文句言い出すくらいド派手に」
その提案に、横で聞いていた王顔卿がぶっと噴き出した。
「ほんと、おめぇさん、真面目なんだかふざけてんだか、わかんねぇ男だな」
とにかく文叔の案は了承され、十二月も押し迫った数日間、棘陽の叛乱軍は盛大な休暇に入った。川向こうに陣を張る州兵も対岸の様子を見て、自分たちも休暇が欲しいと言い出したらしい。戦場で迎える年越しに、両軍正月気分で気が緩んでいた――かのように見えた。
地皇三年の最後の日の夜。
〈新市兵〉と〈平林兵〉は本職が夜盗だった一団を中心に、音も立てずに藍郷の輜重部隊に忍び寄り、守備兵を殺して輜重を手に入れる。明け方近く、命からがら脱出した州兵が、沘水の畔の本陣に救けを求める。だが、大晦日で特別に酒が支給された本陣の動きは鈍い。前隊属正の梁丘賜が眠い目を擦って武装を整えた時には、すでに〈漢軍〉と〈下江兵〉に囲まれた後だった。
地皇四年最初の朝陽とともに雪崩れ込んでくる〈漢軍〉に、州兵は為すすべなく総崩れになる。それでも、梁丘賜は槍を構える。――馬に乗るのはもう、間に合わない。目の前に、それほど武装に慣れていなさそうな男が馬を立て、ゆっくりと剣を抜いた。
「わしは前隊属正だ!官吏を斬れば妻子もろとも助からんぞ?」
「俺は新野の鄧偉卿。心配は無用だ。――もう、妻子はおらん。……覚悟!」
辛うじて、振り下ろされる剣を槍で受けるが、槍は半ばで折れて刃先が飛ぶ。次の瞬間、偉卿の剣が梁丘賜の首を血しぶきとともに飛ばした。
首を失った属正の身体が、膝を折って、地面に崩れ落ちた。




