目には目を
趙夫人視点
建武二年(西暦二十六年)夏、四月。
かつて更始の元号を建てて皇帝を名乗り、洛陽宮の支配者であった劉聖公の妻、趙氏は、三人の子を連れ、夫の従兄である劉子琴に伴われ、南陽から雒陽に戻ってきた。
昨年の二月に洛陽宮を出て、長安は長楽宮で過ごしたのもつかの間、夫・劉聖公が赤眉軍に敗れてからは、幼い子供たちを抱えて関中を彷徨い、なんとか武関にたどり着いた時には、衣類もボロボロ、足元は裸足同然の惨憺たる有様であった。
南陽の、チンケな豪族の女房だった趙氏は、布を裂いて草履を作る方法も知っていたし、魚や野鳥を捌くこともできたが、深窓育ちの令嬢だったら間違いなく死ぬか、夜盗の餌食になっていた。相当に世慣れた彼女ですら、途中、二歳の末っ子の命を救うことはできなかった。
十二歳の求を頭に、八歳の歆、六歳の鯉は、過酷な環境にいっさい不平を言わず、母を助けてよく歩いてくれた。夫はロクデナシで、あの男が皇帝になったりしなければ、こんな苦労はしなくても済んだはず、と恨む気持ちと、だがあの男がいなければこの子たちには会えなかったと、懐かしむ思いを胸に、趙氏は武関まで辿りつく。たまたま武関には、劉聖公の死の報せに対し、洛陽の皇帝から関中の大司徒・鄧仲華将軍へ派遣された使者が、役目を終えて滞在していた。中郎将の趙熹は南陽の宛の人で、棘陽出身の趙氏とは遠い親戚にあたる。
趙熹は親戚愛に溢れた情の厚い人物で、趙氏と子供達の無事を泣いて喜び、けして潤沢でない自身の懐も顧みず、趙氏ら一行の旅費を給し、彼らを護りつつ武関を越えた。趙熹が南陽の劉子琴にも知らせを走らせたので、やはり親戚愛に溢れる劉子琴が、自ら彼らを迎えに来てくれて、趙氏らは無事に舂陵に帰りつくことができた。建武二年の春のことである。
趙氏はこのまま、舂陵でひっそりと過ごすつもりだったが、しかし南陽も安泰とは言い難かった。更始帝の元の配下たちが、雒陽の皇帝・劉文叔に対抗するために、劉聖公の子を担ぎ出そうとするかもしれない。
その可能性に思い至った趙氏は、雒陽の皇帝の元に出頭すべきか悩む。逡巡する趙氏にある日、劉子琴が言った。
「雒陽の皇帝・劉文叔が聖公の子供を封爵するから、雒陽に来るようにと言ってきた。舂陵でくすぶっているより、ずっといい。わしにも封爵の用意があるから、わしも雒陽に行かねばならん、同道するから安心していい」
劉子琴の言葉に、趙氏は眉を顰める。
(封爵だなんて、何かの罠じゃないの――?)
舂陵に戻ってきて聞いた話では、劉文叔は育陽に逼塞していた妻・陰麗華を雒陽に迎え入れたという。劉聖公のあの暴挙は、確実に劉文叔の耳にも入っているはずだ。
(まいったわね……結局、お腹の子も無事に産まれなかったし……)
恨まれていないはずがない。趙氏は溜息をつく。
だがもしかしたら、陰麗華が少しは口利きをしてくれるのでは、という期待もあり、また文叔の姉の劉君黄とは年が近く、親しくつきあっていた。何とか子供の命だけはと、趙氏は腹を括り、そうして、一年と二か月ぶりに雒陽の城に戻ってきたのであった。
劉子琴と、そして自身の三人の子を連れて、皇帝・劉文叔との謁見が許されたのは、雒陽南宮の、却非殿前殿の一角。百官を集めた儀式も可能な、広大な殿庭のある広壮な建築物は、ほぼ建物一階分に及ぶ分厚い版築の基壇の上に立てられている。長い階段を上りきり、ようやくがらんとした堂に案内される。
「劉子琴殿、劉聖公夫人趙氏、およびご三子のご到着~」
宦官の、独特の抑揚をつけた声を聞いて、ああ、宮殿に戻ってきたと、趙氏が思う。すると玉座の背後の衝立の陰から、直裾袍に褶衣を羽織っただけの、身軽な服装の男が出てきた。頭上には少し改まった劉氏冠を被っているが、他は普段着に毛の生えた程度である。
「子琴殿! 息災で何より。よく、劉聖公殿のご家族を保護してくださった!」
向こうから気軽に声を掛けられて、劉子琴が慌てて膝をつき頭を下げる。皇帝の劉文叔は左右に命じて立ち上がらせる。
「夫人も、無事で何より。お子たちも、元気そうで……あれ?」
趙氏が子供たちにも命じて頭を下げるのを少し高くなった場所から見下ろして、皇帝が首を傾げる。
「麗華は御子は四人だと言っていたけどな。……とにかく、夫人には麗華がお世話になったそうで、その節はありがとう」
やや薄暗い堂の中で改めて皇帝の顔を見て、趙氏は思い出した。
濃い系統の顔ばかりの劉氏の中でも、この劉文叔は素材は他と共通して濃いのだが、それらの配置が奇跡のレベルで絶妙で、非常に秀麗な顔だちに収まっていたことを。
やや面長の、鼻筋の通った顔に秀でた額、凛々しい眉。大きな黒い瞳は内部に星でも捕らえたように輝いて、頬骨の高い輪郭が濃い顔をすっきりと見せている。やや大きいが形のよい唇には穏やかな笑みが浮かび、余裕のある態度には気取ったところは見られない。
劉文叔は三人の子供たちにもにこやかに声をかけ、これまでの苦労をいたわり、今後の生活を保障した。
「子琴殿と、ご長男は列侯に封ずる予定です。今月は他の、叔父上や本家の劉巨伯殿も封爵するつもりなので、それと同時に。封地の選定は関係官吏に現在命じているところで、準備が整うまで、いましばらく待ってください」
自分も封爵されると確約されて、劉子琴がニコニコと頷く。結局、親戚ということで南宮内に宿泊することも許され、その日の謁見はそれで済んだ。
翌日。
宿泊した部屋に宦官がやってきて、趙夫人お一人だけ、主上からお話がある、と言われる。訝しく思いながらも逆らえる筋ではなく、大人しく宦官について再び却非殿へと向かう。子供たちは宦官や宮女が相手をしてくれるということであった。
趙夫人が迎え入れられたのは、却非殿でも後殿の一室。意外なことに、すでに皇帝は待っていて、牀の上に安坐して机にもたれ、入ってきた趙氏をじっと見た。
「お呼びと伺いまして――」
「ああ、嫂さん、お呼び立てして申し訳ない。どうぞそちらに座って」
昨日よりもさらに砕けた親族呼称で呼ばれ、趙夫人は首を傾げる。言われるままに対面の牀に座り、頭を下げる。
「後で聞いたけれど、末のお子さんは残念でしたね。あなたもご苦労なさった」
労われて、趙夫人は眉尻を下げて微笑む。
「すべて命でございますよ。――時に、陰麗華殿はお元気? あの後、気になっておりました。お産の状態が良くなくて、あるいはと――」
「おかげで今は元気にしています。それでなんですけどね」
文叔が趙夫人をじっと見た。
「この後、あなた方母子は雒陽に住まわれるわけだが――劉聖公の子、が厄介なのは気づいておられるでしょう?」
やはりその話かと、趙夫人は無意識に身構える。ここで対応を誤ると、子供たちの未来が真っ暗闇である。
「――ええ、まあ。子供は、親を選んで生まれることはできませんものね」
「子供たちは全員、宮殿で保護したい。妙な輩が接触することがないように」
趙夫人は少しだけ目を眇め、皇帝を見る。言いたいことはわかる。生活の保証はするが、完全な自由はないということだ。
「将来は……どうなりましょう?」
長男の求は列侯爵を貰えるらしいが、他の二人はどうなるのか。
「あなたが私に協力してくれるなら、次男、三男にも列侯爵を用意してもいい。もちろん、まだ幼いから、今すぐってわけにはいかないけれど」
他の二人も封爵すると言われ、趙夫人が目を見開く。大盤振る舞いではないか。
趙夫人は妙に不安になった。話がウマ過ぎる。……劉文叔は劉聖公政権の後継を自認しているから、長男の封侯はわかる。だが、次男以下については何か目的が?
訝しそうな様子の趙夫人に、皇帝が笑った。
「……麗華がね、あなたには命を助けてもらった。ご恩返しは人としての義務だ、と言い張るのでね。それで――麗華に、ついてもらえないかと思ってね」
「つく? つくとは?」
「仮にも、皇帝の正夫人であったあなたに失礼とは思うが――まあその、後見人って奴かな。列侯の母親だから、禁中に入る資格は十分だし、とりあえず劉氏の諸母枠で」
「……あたくしに何をしろと仰るの?」
理解できずに尋ねる趙夫人に、皇帝が説明する。
「私が河北で、真定王の姪と結婚したのは、もちろん知っているよねぇ?」
「……ええ、聞きました。てっきり、陰麗華ちゃんは離縁したと思っておりましたのに。っと――」
趙夫人は口を押える。郭氏との結婚の話を聞いた時、てっきり劉聖公との一件のせいで、二人の関係は壊れてしまったのかと、陰麗華に同情もしていた。だが育陽まで陰麗華を迎えに来たと聞いて、昔の女房をいったいどうするつもりかと、首を傾げていたのだ。
「そのことなんだけど――私は陰麗華を皇后にしたい。だが、郭氏に子が生まれてしまって、周りは皆、そちらを皇后にしろと言うし、陰麗華も遠慮するし、なかなか思うに任せない」
「そりゃまあ、そうでございましょうねぇ」
趙夫人は雒陽では、友人である湖陽長公主・劉君黄の邸に泊めてもらった。――つい先日、君黄は夫の胡珍を病で亡くしたので、その弔問も兼ねていた。君黄は意外に元気で、久しぶりに積もる話が弾んだけれど、年末の臘祭の件でいろいろ愚痴をこぼしていた。
『ホラ、小長安で妹やら来さん(劉嘉の妻、来君叔の妹)やら、たくさん亡くなったでしょ? ずいぶん知ってる人も減ってねぇ。寂しいもんだったわよぉ〜? なのに、河北の年増女とその母親が大きな顔してさ! あたし一言言ってやったんだから! ホント、陰麗華ちゃんなんて、妾にされちゃって可哀想に! 文叔も情けないったら。皇帝ならもっとシャッキリ、俺の妻は麗華だけだ、くらい宣言すればいいのに!』
どんな事情があったか知らないが、河北で新たに結婚したのであれば、元の妻は解放してやるのが筋だ。《二嫡無し》は天子から庶人に至るまで、覆せない人の道だからだ。だが、劉文叔は皇帝の権力にものを言わせて、元の妻の陰麗華をも洛陽に呼び寄せ、「貴人」などと呼んで身近に置いている。どんな美名で誤魔化そうと、妾は妾だ。――あの劉聖公ですら、一度正妻として娶った趙夫人を妾に落とすことはしなかったと、趙夫人は内心、呆れていた。しかし――。
「……つまり、陛下は陰麗華ちゃんを皇后にして、河北の――郭氏でしたか?は妾にするおつもりでいらっしゃるの? それはいくら何でも無茶ってものではございませんの? あちらはホラ、何とかいう偉い王様のお嬢様だか親戚だかなんでございましょ?」
趙夫人の歯に衣着せぬ言い方に、皇帝は苦笑する。
「でも、麗華は妾にされるのは嫌だって言うんだ。それくらいなら南陽に帰るって言い張るからさ」
「だからって、あちらにもう御子もいるんですよ? ますます妾にされるなんて承服なさらないでしょう。どう説得するおつもりで?」
「それなんだよねー。真定王が謀反してくれそうだったから、上手くいきそうだと思ってたんだけどなー。謀反も不発でねぇ……」
頬杖をついて溜息をつく皇帝を見て、趙夫人は眉を顰める。子供のいる女が子供のいない女に、正妻の座を譲るなんて、あり得ない。趙夫人は腹を決めた。
皇帝は趙夫人をあくまで、劉氏の「諸母」(年上の婦人)として扱うつもりらしい。ならば趙夫人もまた、諸母らしく一族の男に助言、苦言、愚痴、小言、嫌味を垂れ流すべきだろう。
「……言いたくはございませんが、陛下はずいぶんとお考えが甘うございます。後宮で一番強いのは、先に皇子を産んだ女でございますよ? 生半可な理由でそれを捨てて、まだ子のない女を皇后にするなんて、はっきり申し上げて、無茶ですよ」
「……ずいぶんはっきり言うよね、嫂さん……」
ずけずけと言われ、皇帝が鼻白むが、この際だからと趙夫人は全部ぶっちゃけることにした。
「ついでですから言ってしまいますけど、陰麗華ちゃんは皇后に向いていませんよ。いやね、あたくしもあのロクデナシのおかげで、この洛陽宮で後宮の主なんて、似合わない役もやらされましたけどね、皇帝の正妻なんてのは、面倒ごとばかり押しつけられて、ロクなもんじゃあございませんよ。後宮ってのは女の園で、これがまた陰険でねぇ……。考えてもご覧遊ばせ? 相手の足を踏みつけておきながら、『あらいやだ、何であなたの汚らしい足が、あたくしの足の下にあるのかしら?』、なーんて笑顔で言うような女が、世の中にはいるんでございますのよ? 南陽で乳母日傘で大事に大事に育てられた、可愛い陰麗華ちゃんに太刀打ちできるとお思いで? ええ、人間、向き不向きってのがございますからねぇ。……小耳にはさんだところでは、臘祭ではあっさり下座に下げられて、一言の文句も言えずに帰ってしまったそうじゃございませんか。ホント、可哀想な陰麗華ちゃん! 皇帝陛下ともあろう方が、最愛の女一人守れないなんてねぇ……」
立て板に水で責められ、さらに嫌味タップリに睨まれて、皇帝が思わず手を挙げて趙夫人の長広舌を制する。
「ああ、もう、わかってるよ、あれは僕――じゃなくて私の失敗で……和歓殿付の掖庭令の孫礼という宦官が、すっかりあちらの、郭聖通の母親に丸め込まれてしまって――」
ブツブツ言い訳する皇帝に対し、趙夫人はああ、と頷く。
「孫礼でございましょ? あれは中年女に強く言われると逆らえないんでございますよ。あたくしもあれは便利に使――っと」
言い過ぎたと口に手を当てる趙夫人を、皇帝は眩しそうに見て、少し身を乗り出すようにして言った。
「いやあ、やっぱすごいよね。黄姉さんもすごいと思ったけど、趙の嫂さんはそれ以上だよ。――私もあの臘祭の失敗は堪えていてね。でもどうしても、聖通の母親が苦手なんだよ。キンキン声で耳元で叫ばれると、もう許してって感じで。……で、黄姉さんを見て閃いたんだ」
「閃いた?……何を?」
趙夫人が訝しそうにじっと皇帝の顔を見れば、皇帝が美麗な顔に蕩けるような笑顔を作った。
「目には目を――オバチャンにはオバチャンを。あの厚かましい中年女に対抗するには、同じく中年女性をぶっつけるのが一番だと」
息を呑んで目を瞠った趙夫人に、皇帝がさらに言う。
「本来なら、陰麗華の母親に南陽から出てきて欲しいところなんだけど、陰家はもともと、私との結婚に反対だった。そこへもってきて、郭氏との結婚だろ? 到底、許してもらえると思えなくてさ。せめて親族をと思ったけど、姉はホラ、あんな人だから」
劉君黄は陰麗華には好意的のようだが、次の行動が読めないタイプの女だ。
「確かに、君黄はちょっと――予測がつかないところがございますからねぇ」
「そうなんだよ。黄姉さんはさ、むしろ敵に回すと頼もしいけど、味方にすると油断ならないって人だからさ――」
皇帝の言葉に、趙夫人が思わず吹き出す。
「つまり陛下はあたくしに、陰麗華ちゃんが郭氏の母親に苛められないようにしろって仰るの?」
「私もそうだけど、麗華もその周囲の者も、後宮ってのに不慣れなんだよ。……一人の男にたくさんの女。周囲には宦官。私には理解のできない世界で……郭聖通の母親は真定王の妹だから、後宮育ちだけあって、どうしても先手を打たれてしまうんだ。……あなたが側についてくれれば、安心できるのだけど」
上目遣いにじっと見つめられて、趙夫人が困惑げに首を傾げる。
「あたくしだって後宮なんて慣れてやしませんよ。……しかたなく仕切ったことがあるだけで。だいたい劉聖公の後宮ときたら、田舎の市の遊び女やら、しけた豪族の小娘やらが数ばっかりいて、品も何もあったもんじゃあなくて……真定王とやらの、由緒正しい後宮育ちに敵うとは思えません」
「それでも、嫂さんならあの宦官の操縦方法も心得てるんでしょう?――あなたが彼女の後ろ盾になってくれるというなら、あなたの子供たちに列侯爵を与えるくらいは何でもない。何、そんな毎日、べったり貼りつく必要はないし、何か相談事があったり、行事があった時に助言を与えてくれれば、麗華も不安を感じなくて済むんじゃないかな。どうだろう?」
子供の封爵が引き換えというならば、迷う余地などない。それでも趙夫人はもったいぶった態度を崩さない。
「そりゃあねぇ――あたくしだって陰麗華ちゃんは嫌いじゃないですしねぇ……」
「本当? なら――」
嬉しそうに身を乗り出す皇帝に、しかし趙夫人が言った。
「ですが、皇后の件はもう少し、お考えなさいませ。無茶をして苦労するのは、結局は陰麗華ちゃん自身なんですから」
その言葉に、皇帝がはっとして凛々しい眉を寄せる。
「それは――でも、私は彼女を愛している。せっかく皇帝ってのになったのに、どうして好きな女を皇后にできないのか」
憮然とした表情で言う皇帝に、趙夫人ははあーっとわざとらしく溜息をついて見せた。
「全然、お分かりでいらっしゃらない。……皇后ってのはね、〈天下の母〉でございます。皇帝とともに社稷と、天下国家の安寧を守る存在。好きな女だからってホイホイ皇后に出来るとでも? 踊り子を皇后にしたら、皇帝の血筋が絶えて王莽に天下を奪われたんじゃありませんか!……あたくしと宿六夫婦は最初っからガラじゃなかった。でも、陛下が本気で、漢の天下を取り戻したいとお考えなら、情に囚われるべきじゃありません。天下の非難の矛先は全て、陰麗華ちゃんに向かうんですよ!」
「私は全力で彼女を守るつもりでいる」
「臘祭の宴会でさえ守れなかったクセに」
ずけりと言われて、皇帝がぐっと詰まる。
「後宮の争いからなら、あたくしも非力ながら陰麗華ちゃんをお守り申し上げましょう。でも、天や天下の人々からの批判から、彼女を守れる者なんていやしません。それに、子のない彼女を皇后にすれば、次に彼女が子を産む時の安全は保証しませんよ。母親は子の未来のためなら、なんだってしますからねぇ。――陰麗華ちゃんと、将来生まれるはずの彼女の子の命と、皇后なんて形式と、どっちが大切なんですか!」
「子供――」
凛々しい眉音を寄せてしまった皇帝に向かい、趙夫人は言う。
「あたくしだって、子供たちが何より大事ですもの。もうこれ以上、一人だって失いたくない。陰麗華ちゃんだって同じ気持ちでございましょう。――安全が第一でございますよ。そうでしょう?」
だが趙夫人は殊更に余裕ありげに見える、貫禄のある笑顔を作る。――かつて、この洛陽宮で後宮の主として立っていた時に、貼りつけていた笑顔だ。
「まあ、でもよござんす。あたくしが、同じ劉氏の諸母として、陛下のために陰麗華ちゃん……もとい、陰貴人様をご後見いたしましょう。――あたくしの、子供たちの人生のためにも」
この月、かつて更始帝と呼ばれた劉聖公の遺児、劉求が襄邑侯に封建された。




