二人の妻
午少し前に劉伯姫が陰麗華の元を訪れた。
「身体の具合を悪くしたなんて聞いていなくて、びっくりしたわ!……例の女にも遇ったのですってね。何か言われたの?」
「それは……」
幼馴染みの気安さで、劉伯姫は陰麗華の横たわる臥牀に腰を下ろし、陰麗華もまた、一度起き上ったものの、まだクラクラするので、枕に頭をつけたまま応対する。
「文叔さまには奥さんが百二十人必要だと何とか……」
「百二十人ですってぇ?!」
劉伯姫が素っ頓狂な声を上げる。
「この宮殿は広いけれど、そんなにたくさんの女が入るかしら。だいたい、一晩に一人としても一巡するのに四か月もかかるじゃない。顔も憶えられないわよね?」
「……いくらなんでも、奥さんが百二十人は多すぎよねぇ……?」
皇子がたくさん必要とは言っても、後を継げるのは一人だけなのだ。母の違う子供が多ければ、後継争いの種にもなり、財産分与も揉めるに違いない。陰麗華は分割相続が当たり前の豪族階層の感覚で考えてしまうから、余計に郭聖通の言うことが不気味であった。自分の息子の予備を産めってこと? それ気持ち悪い。
「そんな人たちの中で生きていくなんて無理だから、やっぱり南陽に帰りたいわ……」
「兄さんには離縁のこと、もう伝えたの?」
陰麗華は力なく首を振る。
「今朝、目が覚めたら隣に文叔さまが寝ていて……動顛して必要なことも何も、伝えられなかったわ……」
「兄さんからも特に説明は? お詫びとかさ……」
陰麗華が首を振る。その様子に、劉伯姫が憤慨した。
「何やってるのかしら。体調のよくない麗華の褥に潜りこんで、お詫びの一つもしないなんて。……麗華は大人しくて押しに弱いから、言いくるめて誤魔化して、丸め込むつもりなのよ!」
プリプリ怒る伯姫に、すでに餌付けされつつあるとは言えない陰麗華であった。
劉伯姫は陸宣が用意した、洛水の魚のツミレと蓮根の羹、黍飯と漬物の昼餉を食べて、「また来るわ」と言って帰っていった。兄の陰次伯もふらりと寄って、昼餉にありついて──有能な陸宣は、陰次伯の分をちゃんと確保していた──、新野から弟の陰君陵を呼び寄せると言い、邸の確保などなど、まだすることがあるからと、慌ただしく出て行ってしまう。
「……君陵を呼び出すって、どういうこと?」
陸宣の煎じた薬湯を飲みながら陰麗華が尋ねれば、小夏も首を傾げる。
「どうでしょうね。君陵様は武芸自慢だから、お嬢様を助け出すのに力を借りるつもりだとか……」
「……まさか……」
この上さらに、洛陽宮からもう一度脱出とか、勘弁してもらいたかった。
「文叔さまだってわかってくださるわよ……わたしは後宮でなんて、暮らせないってことくらい」
できれば平和裏に南陽に戻してもらいたい。この時の陰麗華は、まだそんなことを考えていた。
まだ夕暮れには間のある時刻、劉文叔は朝の約束通り、陰麗華の部屋を訪れた。黒に近い茶の直裾袍に、光沢のある梔子色の褶衣を羽織り、翡翠の飾りのついた革の帯を締めている。南陽にいるときは見たことのない、後ろが鳥の尾のように長くなった劉氏冠。華美さはないが、南陽で馬に乗ってふらりと陰麗華の元を訪れていた頃とは、全く異なるいでたちに、陰麗華はやはり、この人とは身分の開きができたのだなと思う。
「具合はどう?……食事の前に、きちんと話をする時間を作りたいと思って、少し早めにきたのだが」
「ありがとうございます。おかげ様で、貧血もだいぶよくなりました」
文叔は褶衣だけを脱いで、臥牀の脇の衣桁にかけ、履を脱いで陰麗華が座っている臥牀の上に上がり込む。――ちなみに、陰麗華は房から出ることを陸宣に禁じられて、一日中、臥牀の上で過ごしたのである。
小夏が白湯を持ってきたのを盆ごと受け取ると、文叔は下がるように言う。
「でも……二人っきりにするには信用がおけません」
はっきり拒否する小夏に、文叔は苦笑いする。
「こんな時間から何をするって言うんだよ。どうしても、これは二人切りで話し合わなければならないことだから。……頼むよ、小夏」
「……何かあったら、この紐をすぐに引っ張るから」
陰麗華もまた、鈴に繋がった紐を指して言えば、小夏は渋々、下がっていった。戸が閉まり、二人きりになって、文叔が突然、冠の紐を解き、簪を外して冠を脱ぐ。陰麗華が目をぱちくりして見守る中で、冠を脇に置いて、剥き出しの髷を陰麗華に曝すようにして、頭を下げた。
「……! 文叔さま?!」
「まずは、僕は君に詫びなければならない。詫びて、許されるものでないのはわかっているけれど――」
牀に頭を擦り付けるようにして謝罪の意を示す文叔を、陰麗華は茫然と見下ろす。
「その……それは、いったい……」
「まず、僕が李季文などと言う男を信じて君を託したばかりに、君をとんでもない苦境に陥れた。僕は――」
その言葉に、陰麗華は長く引っかかっていた疑問をぶつけてみた。
「でも、あの方は、劉伯升様を劉聖公に讒言したと聞いています。お兄様を死に追いやった方をどうして信じる気になったのです? それにお人柄だって……もともと、わたしを劉聖公のもとに、人質として差し出すつもりではなかったのですか?」
陰麗華が、郭貴人の言葉を思いだしながら言えば、文叔はガバリと顔を上げ、真剣な表情で首を振った。
「違う! それだけは違う! 僕は君をあんな野郎に差し出したりしない!……僕は本当に、君を南陽に帰すつもりだった。君の母君が怒っているのは知っていたけれど、それでも、厳寒の河北に身重の君を連れていくよりかは……と。愚かだと言われるかもしれないが、僕は李季文を信じていた。彼を、一緒に昆陽の包囲を脱した、無二の戦友だと思っていた。あいつが、劉聖公にすり寄るために、君を差し出すなんてこと、想像もしなかった。僕は――」
文叔は牀についた両手で、ググっと絹の褥を握り締めた。
「本当に全く疑っていなかった。……鄧仲華が次伯の手紙を持ってきたときも、季文は聖公の要求を突っぱねることができなかったのだ、くらいに考えていた。季文も李次元もいれば、誰かが聖公の醜行を止めてくれると、最後の砦に縋って――」
項垂れた劉文叔の肩は、小刻みに震えていた。陰麗華はどうしていいかわからず、ただ文叔の震える肩を見下ろす。
「……それは……もう、いいです。わざとで、ないなら……」
「わざとじゃない! そんなことするくらいなら、河北でもどこでも、君を連れて行った!僕は――」
再び顔を上げた文叔の黒い瞳はあくまで真剣で、嘘を言っているとは思えなかった。――もっとも、たとえ嘘であっても、陰麗華は文叔の言葉を信じるしかなかった。悪いのは全て李季文と劉聖公で、文叔は騙されただけだと、少なくとも陰麗華一人だけでも信じなければ、そうでなければ、心が壊れると本能的に思っていて、必死に疑問に蓋をしてきたのだ。今、文叔から否定の言葉が聞けた以上、この問題はこれで終わりにするしかない。
「それは……もう、いいんです。わたしこそ、文叔さまに謝らないと……」
「君が謝ることなんてないよ。全て、僕が悪い。……後から考えても、いろいろと、甘かったとしか言いようがない。どこかで、同族同士の甘えで、君が酷い目に遭うはずなんてないと思っていた」
文叔が少しだけ身体を起こし、気まずげに目を伏せて言う。
「河北で……何日も、厳寒の中を彷徨って……君をそんな目に遭わせなくてよかったと思っていた。鄧仲華や陰次伯の書簡から、君が南陽に戻れなかったとは聞いていたが、それでも、僕は君は無事でいると信じていた。……いや、違う。僕は当然、想像される君の苦難から目を逸らして、大丈夫だと思い込もうとしていた。――何度も、南陽に戻ろうと迷ったけれど、いつも誰かに引き留められた。そのたびに僕は、いろんなことを言い訳にして、君を切り捨ててきた。僕は――許して欲しいなんて言える立場じゃないのは、わかっている。でも――」
もう一度、文叔は牀に両手をついて、頭を擦り付けるほど深く深く頭を下げる。
「すまない。……僕は君を裏切った。君を苦境に陥れて、君の尊厳が奪われても救けにすらいかなかった。郭聖通のことも――言い訳はしない。でも、僕に出来る限りの償いに一生をかけるつもりだ。だから、もう一度やり直したい。虫のいい話と言われようが、僕は君とこれからも夫婦でいたい」
「文叔さま……」
陰麗華がその肩に手を置いて、文叔の顔を上げさせる。
「……ありがとうございます。そうやって言っていただければ、わたしは十分です」
「麗華……じゃあ……」
「恨んではいないし、仕方のないことだとわかっています。でも――」
陰麗華は、文叔をまっすぐに見て、言った。
「離縁してください」
その瞬間、文叔の黒い瞳が絶望に見開かれる。
「それは!……それはできない!」
「どうして……」
陰麗華が不思議そうに首を傾げる。
「文叔さまは、わたしと劉聖公の間にあったこともご存知なのでしょう?……赤ちゃんが、産めなかったことも。そのうえで、新しい奥様も、子供も、もういらっしゃる。そう言えば、もう、二人目の御子がお腹にいらっしゃるって――」
「麗華それは――」
文叔が思わず、という風に陰麗華の細い二の腕を両腕で掴んでしまい、痛みに顔を歪める陰麗華の表情で、慌てて手を離す。
「……すまない、その……」
「わたしも、文叔さまにはお詫びしなければならないと、ずっと思っていました。赤ちゃん産めなくてごめんなさい……わたしが弱くて、ご飯が食べられなくなってしまったの。何があっても子供だけは産もうと思って、劉聖公の言うことも全部聞いたのに、心が弱くて……結局、赤ちゃんも助けられず、ただ汚されただけで……ごめんなさい。約束、守れなかった」
「麗華が謝ることはないよ!」
「聖公とのことは書簡には書けなかったから……薄々、気づいていらっしゃるのではないかと思ったけれど……」
長い睫毛を伏せた陰麗華に、文叔は声をかけようとするが、言葉が見つからないようだった。
「わたしも、あなたとの、約束を破った。――あなたも、他の人と結婚した。お互い、どうしようもなかった。それで終わりにしましょう」
「麗華!」
文叔はしばらく逡巡するように俯き、自分の膝を見下ろしていたが、顔を上げ、まっすぐ陰麗華を見て言った。
「離縁はしたくない。僕は君を愛している。……河北にいる間も、一日たりとも忘れたことはなかった。僕は君を裏切ったし、最低だと自分でもわかってる。でも僕は、君がいないとダメなんだ。――君の絮衣がないと、僕は戦場にも立てない。君が待っていてくれると思わなければ、僕は戦えない。他の女と結婚して、子供まで作っておきながら勝手な言い草だと、自分でも思う。でも、僕が戦い続けるためには、どうしても君が必要なんだ」
「……そんな勝手な……」
陰麗華が茫然とした表情で文叔を見る。……戦争を続けるために陰麗華が必要だなんて、まったく理解できなかった。
「……戦争を続けるために、わたしが必要なの? わたしを、妾にしても縛りつけるの?」
「違う!……そうじゃない!……でも、僕はもう、戦い続けるしかないんだ! 僕は――そういう星の下に生まれた。天命なのか、ただの凶星なのか、僕にだってわからない!でも!……僕にとっては全て、君のためだった! 君を手に入れて、君の許に帰る。君を失ったら、僕の人生のすべてが消えるんだ!」
そう叫ぶと、文叔は腕を伸ばし、陰麗華を強引に抱き寄せる。骨が砕けそうな力で抱きしめられ、陰麗華の息が止まる。耳元で、文叔が震える声で囁く。大きな手が背中を撫でまわし、彼の執着を示すかのように左腕を辿って、薬指に嵌められた銀の指環に触れ、それを右手で握り締める。
「……絮衣が、来なかった時……本当に君を失ったのかと思って……」
「文……」
「もう、君を離したりしない。側にいてくれるだけでいいんだ。妾にするつもりもない。愛しているのは君だけだから」
熱を孕んだ愛の言葉は、だがむしろ陰麗華をひどく冷静にした。文叔の気持ちに嘘はないのかもしれないが、今、彼の言う言葉には、実現する当てがほぼないと思った。何とか力を振り絞って文叔の拘束を振りほどくと、まっすぐにその黒い瞳を見上げて、言った。
「でも、もう、他に奥さんがいらっしゃる。子供も。〈二嫡無し〉は、古来からのさだめ。わたしはもう、あなたの奥さんではいられない。恨んでいるわけじゃないの。でも――」
陰麗華は長い睫毛を伏せて、首を振った。右手が無意識に、左手の指環を隠すようにした。
「以前、あなたはわたしが甄大夫の小妻になると決めた時に、〈そんな屈辱的な身の上に堕ちるなんて〉って仰ったのよ。……まして、一度は妻になったあなたの、妾になるなんて、あまりにひどい」
「それは――僕は君を――」
「もう、子供のいるあちらを、妾にするのはさらにひどいわ。どちらも、受け入れられない。だったら――」
陰麗華はもう一度、目を上げて文叔をまっすぐに見た。
「わたしのことを愛しているって言うなら、解放して。……最後まで、あなたの〈妻〉でいさせて」
正面にある文叔の黒い瞳が絶望に染まる。
「……嫌だ」
「文叔さま……」
「……君は、絮衣を縫ってきてくれたってことは、まだ、僕への気持ちも残っているんだろう? 嫌だよ、別れたくない。絶対に手放したりしない。……もう少しだけ待ってくれたら、君をちゃんと正妻にできるはずなんだ」
「それは、どういう……」
何やら不穏な様子に陰麗華が眉を顰めた時。
入口が開いて、陸宣が頭を下げた。
「申し上げます」
「何事だ」
憮然とした表情で文叔が振り返ると、跪く陸宣の背後で、耿伯昭が気まずそうに視線を泳がせながら立っていた。
「……和歓殿の方より、至急、主上のご来臨を賜りたいと――」
「今、大事な話の最中だ。追い返せ!」
「しかし――」
耿伯昭が口を挟んだ。
「畏れながら――あちらの方もご体調がよろしくないとかで。どうしても陛下に、至急、申し上げなければらない儀があると……」
「今宵は無理だ!」
「文叔さま……」
追い払おうとする文叔を、陰麗華が止めた。
「郭貴人様はご懐妊だと仰っていました。もしかしたら、そのせいで体調が悪いのでは……」
「僕はそんなことはまだ、聞いていない」
「だったらなおさら、早くにお伝えしたいと思っていらっしゃるでしょう。わたしはよろしいから、そちらに行って差し上げて」
「麗華……僕はまだ……」
「妊娠中はいろいろ不安なんです。わたしも覚えがあるから……行って差し上げて」
きっぱりと言われ、文叔は鼻白む。
「麗華、僕は……僕もまだ君に言わなければならないことが」
「もう一度、落ち着いてから話し合いましょう。今日のところはあちらに、行って差し上げてください。妊娠中に不安な思いをさせるのはよくありませんわ。そんなのは、わたし一人で十分」
これが決定打になり、文叔は溜息をつくと、鄭麓を呼び出して劉氏冠をつけ、身なりを整える。陰麗華に見送られて房を出て、だが、突然、踵を返して戻ってきて、驚いている陰麗華の耳元で言った。
「夜には戻る。先に休んでいてくれてもいいが、必ず戻るから……明日は洗沐の日だから、ゆっくり二人で過ごそう」
目を見開く陰麗華の頬の軽く口づけると、再び房を出て行く。戸口に控えていた耿伯昭が、複雑な表情で陰麗華を見、それから文叔を追っていった。
当然、その夜は郭貴人のもとで過ごすのだろうと、陰麗華は密かに痛む胸を押えながら、一人夕食を終え、早めに床についた。体調を戻し、文叔と話し合って離縁してもらい、南陽に帰る。
(――話し合いにはお兄様にも同席していただくべきよね? できれば伯姫にも?)
先ほどの、まったく妥協点の見いだせない話し合いを思いだし、陰麗華は衾を被って独り、溜息をつく。
跡継ぎを産んだ郭貴人を差し置いて、子供のいない陰麗華を正妻に――つまり皇后だ――にするなんて、無茶だ。そんな立場に置かれたら、それこそ針の筵ではないか。
なんとなく右手で左手の指環を弄んでいて、陰麗華はもう一度溜息をついた。
(――やっぱり、わたしもいけなかったのよね。指環も、とっとと捨てておくべきだったし、絮衣も持ってくるべきじゃなかった――)
思い切ったつもりでも、どうしても捨てきれない文叔への想いが、彼に知られてしまった。
(でも愛しているからこそ、後宮のその他大勢の一人にはされたくないの。……わかってほしいのに)
愛していると言うなら、これ以上苦しめないでほしい。文叔に望むことは、ただそれだけ――。
灯りを落とした暗い房内で、だが眠れなくて転々と寝がえりをうっていた陰麗華の耳が、微かな物音を捉える。誰かが堂内に入ってきて、控えている陸宣と揉めて――?
房の入口が開き、外気が流れ込んで、陰麗華が慌てて身を起こした。灯台を持って入ってきたのは、文叔その人で、起き上っている陰麗華を見て、言った。
「……ああ、起こしてしまった? ごめん、遅くなって」
「え……ええ?……どうして?」
当然、今夜は郭貴人の元で休むと思っていたのに、なぜ戻ってきたのだ。
「どうしてって……戻ってくるって言っただろう?」
宦官の鄭麓が灯台を牀の脇の榻の上に置き、文叔の褶衣を脱ぐのを手伝い、長冠を外す。それを臥牀の脇の棚に置いて、今度は長櫃の中から白絹の寝衣を持ってきて、自分で直裾袍と長襦を脱いだ文叔の肌に着せ掛ける。素早く帯を結ぶと当然の権利のように臥牀の上に上り、茫然としている陰麗華の隣に腰を下ろす。
「では、失礼いたします……」
脱いだものを衣桁にかけ、鄭麓は深く頭を下げたまま、するすると後ろ向きに下がって房を退出していってしまう。
「……なんで……」
どうして戻ってくるのだ。陰麗華はわけがわからず、ただただポカンとして文叔を見上げる。灯の微かな光に照らされた文叔は、困ったように首を傾げて、それから微笑んだ。
「なんでって……ここが僕の寝床だよ。奥さんの部屋だろう? ここ以外では寝ないよ」
「そんな馬鹿な……」
対外的に、文叔の正妻は和歓殿の郭貴人のはずだ。文叔の理屈で言えば、そちらこそ文叔の――。
そう、考える側から、陰麗華は文叔に抱きしめられ、額に柔らかい感触が落ちる。
「愛してる……麗華」
囁きと同時に文叔の唇に唇を塞がれ、熱い舌が入ってきた。心の準備をしていなかった陰麗華はなすすべなく貪られて――。
だが、陰麗華の鼻は、文叔から沈香の匂いを嗅ぎ取る。――あの日嗅いだ、郭貴人の匂い――。
次の瞬間、陰麗華は全力で文叔を突き飛ばしていた。
冠を脱いで謝罪→焼き土下座レベルの謝罪です




