各おの天の一涯に在り
行行重行行、與君生別離
相去萬餘里、各在天一涯
――古詩十九首之一
行き行きて重ねて行き行く
君と生きながら別離す
相去ること万余里
各おの天の一涯に在り
長い長い行軍を重ね、
あなたとは生きながらに離れ離れに
二人の距離は万里を隔て
天の涯と涯とに引き裂かれてしまった
――『古詩十九首』之一
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劉文叔や劉聖公の一族である舂陵の劉氏は、その源を辿れば景帝の皇子・長沙王劉発に行き着く。景帝は跡継ぎの武帝の外に、十三人もの皇子を持つ子福者で、息子たちの領地を確保するために、当時の諸侯王からあの手この手で領地を削り取ったため、諸侯王から反発を買って、それが呉楚七国の乱の原因の一つになったとも言われる。呉楚七国に参加した王は敗北して改易され、代わりに景帝の皇子たちが封建された。それ以外でも、河北で前漢末まで続く真定王家も、また中山王家も、同じく景帝から始まる王家である。
景帝の十三人の皇子たちの中で、もっとも小さく、南方の僻地の領地しか与えられなかった長沙王の末裔の、さらに分家の列侯家、それが舂陵侯家である。南方でどうしようもなく気候が悪く悪疫が発生し、皇帝に泣いて頼んで領地替えしてもらったような、そんな家の、しかも末端に近い分家。河北の諸侯王家からすれば、辛うじて劉氏と名乗っているに過ぎない田舎者。河北の諸侯王家に連なる者たちの多くは、劉聖公や劉文叔をあからさまに馬鹿にし、彼らの風下に立つことを潔しとしない。偽のご落胤を名乗った王郎政権が一気に河北で勢力を伸ばしたのも、南陽舂陵の劉氏ごときに膝を折るのが嫌だという、河北の者たちの無駄なプライドのせいでもある。
そんな不利をひっくり返す、一番簡単で一番確実な手段。真定王の姪との結婚は、耿伯昭からすれば、これに飛びつかないやつはアホだと思える。
が、他ならぬ劉文叔は拒否しているというではないか。
縁談を取りまとめている耿伯山は真定王の妹の子で、縁談の相手、郭聖通の従兄。劉文叔が渋っているうちに邯鄲でも王郎が趙王を通じて手を回し、郭聖通との婚姻を狙っているというではないか。
耿伯山に婚姻の決断を迫られて、しかし文叔は確約はせずに席を立ち、自室に引っ込んでしまった。その後を、あの忌々しい若造の鄧仲華――同い年だけど――が追いかけていく背中を見送って、耿伯山は肩を竦めて見せた。
「頑固な人だ」
「……あんたの従妹と結婚すれば、河北の豪族連中も、軒並みこちらに味方するだろうに」
「河北生まれなら子供でもわかることだが、南陽はまた考え方が違うのかもな」
これから同じく河北出身の者たちとの打ち合わせをする、と言う耿伯山と別れ、手持ち無沙汰になった耿伯昭は、やはり劉文叔の考えていることが気になって、何となくだが彼の居室の方に足を向けた。
劉文叔の居室は、広阿の県令の官舎を接収している。堂の奥に房があって、堂までは許しを得た者は入れるが、奥の房に入れるのは朱仲先と鄧仲華だけだった。耿伯昭は新参者だが、堂の周囲を警護する祭弟孫に堂内に案内され、身振りで座って待つように言われる。……この祭弟孫という男も比較的年が若く、耿伯昭と同年代らしいのだが、異様なまでに無口で何を考えているかさっぱりわからない。
(……でもすごい美形だよな……劉文叔将軍の周囲は顔で選んだのかよってくらい、顔のイイ男が揃っているよなあ……)
南陽の幼馴染だという朱仲先将軍がギョロ目で普通程度の容姿であるのを除いて、河南からやってきた配下はどれも容貌が整っている。劉文叔自身がこってり甘い容姿の美男子だ。
(そう、それにあのお坊ちゃん……色が白くて女みたいな美少年。俺と同い年っていうけど、線も細いしまるで――)
何か用事があるのか、祭弟孫が無言で出て行ってしまうと、耿伯昭は落ち着かない気分になる。祭弟孫は無口で不愛想な美形だが、鄧仲華という劉文叔の太学時代の同期生は年齢のせいもあって、中性的な美少年だ。劉文叔は馬車に同乗することもあれば、宿舎が限られている時などは、夜も同室すると言う。
(……別に、アヤシイ仲じゃあないんだよな?)
同性愛は禁忌ではないが、耿伯昭自身は、まだまだ女性に夢を見たい年頃で、男に興味はない。でも、自分と同じ年の鄧仲華が、信奉する劉文叔将軍に特別扱いされているのは面白くなかった。その理由が同性愛的な愛情だとしたら……。
そんな風に考えたら、耿伯昭は不意に不安になってきた。耿伯昭自身は、今までそこそこの容姿だと言われてきた。高官の子弟の割には野性味があって、やんちゃなところがあるが、それもまた素敵だと、言い寄ってくる女は結構、いた。……言い換えれば、男から特に好かれるタイプではない。
何とはなしにもやもやした気持ちになって、耿伯昭は劉文叔と鄧仲華がいるという、奥の房の物音に耳を澄ます。そっと近づいてみると、内側から何やら言い争うような声が聞こえてきた。少しだけ甲高い声は、鄧仲華のものだ。
「見損なったよ、アンタ。愛しているのは一人だけ、って言いながら! あの真定の女ギツネと結婚するのかよ、この裏切り者!」
漏れ聞こえる鄧仲華の詰る声に、耿伯昭が思わず息を呑んで、手で口元を押える。
「仲華、誤解だよ。僕は郭聖通と結婚するつもりはない。愛しているのは一人だけだから……」
やや低い、艶のある声は劉文叔のもの。やっぱり二人は――。
「嘘つき! 結局あの、耿伯山とかいう男の言いなりじゃないか! あの女と王郎の婚姻を止めるために真定に戻るだなんて……」
「しょうがないだろう、王郎と結婚されてしまったら、挽回は不可能だ。また河北を逃げ回って、お前が氷のような河に落ちたり、熱を出したりしたら――」
「本当にアンタ、昔っから口ばっかりだよね! どうして僕が、わざわざ新野から河北に出てきたと思ってるのさ、全部アンタが――」
「だから! 僕は郭聖通と結婚しないと言ってる! 愛してるのは一人だけだと――」
男同士の愛の劇場に居たたまれなくなった耿伯昭は、そっと体重を移動させてその場を離れようとしたが、肘をガツンと透かし彫りの衝立に当ててしまう。
「誰だ?!」
鋭い誰何の声がして、せかせかした足音とともに、武装したままの劉文叔が出てきて、戸を開いた。その背後には、袍をかっちり着込んだ鄧仲華が立っていた。
ギクリと振り向いた耿伯昭の不自然な引き攣り笑顔に、劉文叔は首を傾げる。
「伯昭? 何か用か?」
「えっと、いやー、そのー、お、お邪魔しました……」
「伯昭? 用があったんじゃないのか?」
そっと逃げ出そうとする耿伯昭の様子を見ていた鄧仲華が、アッと声を上げた。
「アンタ、今の話聞いて、誤解したんじゃないか?」
「誤解?」
文叔が意味が分からずに相変わらず首を傾げていると、鄧仲華がつかつかと房から出てきて、耿伯昭を捕まえる。
「まさかアンタ、僕と文叔がデキてるとか、考えてないよな?」
「はあ?」
今の会話でどうしてそんな……と文叔が思い返して、次の瞬間、噴き出した。
「そんなバカな! 仲華とデキるなんてあるわけないだろう! 僕が愛しているのは妻の、陰麗華一人だけだから!」
「そうだよ、あり得ないよ。僕もホモじゃないし、たとえホモに転んだとしても、文叔だけはないよ。文叔の細君は僕の親族の、幼馴染だから」
その言葉に、耿伯昭が黒い目を見開く。
「……細君……妻……」
そう言えば、耿伯山が妻への未練がなんだと言っていたと、ようやく思い出した耿伯昭は、気まずそうに劉文叔と鄧仲華を見比べる。
「だって、びっくりするじゃないですか。男二人で狭い房に籠って、愛してるのは一人だけだの、裏切り者だの……」
そう言われてみれば、アヤシイ会話にしか聞こえず、文叔と鄧仲華は二人で改めて顔を見合わせ、同時に「キモッ」と言って互いにそっぽを向いた。
「僕はホモじゃないから安心してくれ。妻と婚約してからは、本当に彼女一筋で、遊び女すら買ってない」
「どうだか!」
文叔の真摯な言葉に、鄧仲華がいかにも疑わしいという風に吐き捨てる。
「本当に、ちょっとばかし見かけがいいからってさ、長安でも散々、遊んでたくせに。白々しい」
「あの頃はまだ、彼女は子供で、婚約も許してもらってなかった。……若い時遊んでおいたから、今は女っ気無しでもホモに転んだりもしない」
わけのわからないことを自慢する劉文叔に、耿伯昭も一瞬、眉を顰めてから言った。
「……いえ、ずいぶんと見かけのいい男ばかり集まっているから、もしかして……と。奥に入れるのは鄧仲華将軍と朱仲先将軍だけとも聞きましたし」
「仲華はともかく、仲先とか、ホモにしても趣味が特殊過ぎるだろ……」
呟く文叔をよそに、鄧仲華が嫌そうに言った。
「僕と仲先だけが奥に入るのは、秘密保持もあるけど、僮僕を雇ってないからだよ。僕が指揮して、僕の僮僕に掃除をさせたりしているからだ」
本当は部屋数が足りない時、一人でも多くの者にまともな部屋で休ませたり、身体の弱い鄧仲華に一番いい臥牀を使わせるための方便だけれど、文叔はそれについては何も言わなかった。
「とにかく、僕と文叔はデキてないよ! 僕が文叔と郭聖通との結婚に反対しているのは、すでに妻がいる彼に、新たな結婚を勧めること自体、孔子の道に反するからだよ!」
鄧仲華が言い、耿伯昭は戸惑う。
「劉将軍に奥さんがいるなんて、河北の人間は誰も知らないだろ! 賈君文将軍みたいに連れてくれば――」
「だから事情を知らないくせに黙っておけって言ってる! 陰麗華は妊娠中で、しかも劉聖公の監視の下にいるんだよ! 人質同然に置いてきた妻を棄てて、河北のバカどもを手懐けるために結婚しろと?!」
「仲華、それ以上は――」
激昂する鄧仲華の口を文叔が封じ、耿伯昭に向き直る。
「伯山の言うことも理解はしているが、私も太学で孔子の道を学んだ男として、落ち度のない妻を棄てるようなことはしたくない。何より彼女を愛しているし。……要するに、河北の人間は私が河の南の人間なのが信用ならないのだろう。河北の妻を娶れば、私は河北に対し、抜き差しならない恩を背負うことになる。そんなことをしなくとも、私は河北を見捨てるつもりなんてないのに……」
文叔の溜息交じりの言葉に、耿伯昭も言った。
「信用ならないというよりは、自分だけでなく一族の命も財産も、あなたに賭けるわけですからね。河北の女を娶るのを拒否し、南陽の妻に執着するのは、要は河北になじむつもりがないように見えるのです。奥方は気の毒だと思いますが、まだ若いのでしょう? やり直しはいくらでも……」
ブンッ、と勢いをつけて、何かが耿伯昭の顔のすぐ脇を飛んでいき、ガシャンと壁にぶつかって砕ける。振り返れば、文叔がそこにあった陶器の碗を投げつけたのだと気づく。
「事情も知らないのに、勝手な想像はやめてくれないか。とにかく、郭聖通と結婚するつもりはない。話がそれだけなら下がってくれ。明日は真定に戻らなければならない」
文叔は冷ややかな目で耿伯昭を見ると、ふいっと踵を返してそのまま房へと戻っていく。その背中を見送ってから、鄧仲華が耿伯昭を見て肩を竦め、祭弟孫を呼んで耿伯昭が帰る、と言い、ついでに割れた椀を片付けるために自身の僮僕を呼び出させる。戸口を出ようとする耿伯昭が振り向くと、椀の欠片を摘まんだ鄧仲華が、不愉快そうに端麗な顔を歪めて見せた。
「まあ、でも文叔は明日、真定に戻るから。僕は広阿で留守番していろって言われた。君と耿伯山が文叔を説得するにはいい機会じゃないの」
広阿から真定まで、途中、一泊の野営を挟んだ。さほどの人数ではないが、宿を借りるのにちょうどいい農家もなく、城壁のある街は王郎陣営に属しているかもしれない。いちいち確かめるのが面倒くさいし、文叔の護衛の将軍たちは皆、屈強だから、見晴らしのいい場所で野営した方が安全だと判断した。――繊細な鄧仲華は広阿に置いてきたし、文叔自身は、野営はそれほど苦にならない。
日が沈む前に天幕を設置して夕焼けを見ながら夕食を掻きこみ、宵のうちにそれぞれ斗篷にくるまって横になる。兵士たちも天幕か、荷馬車の幌の中に潜り込んでいる。文叔の天幕には朱仲先と王元伯、馮公孫、傅子衛といった気心の知れた仲間たちだけで、まずは祭弟孫と銚次況が見張りに立つ。隣の天幕には、耿伯山と耿伯昭、寇子翼らの河北出身者が。信都太守らには広阿の護りを委ねている。
恐ろしく静かな夜。――ああ、せめてこんな夜は陰麗華の夢でも見られれば。
文叔はそんなことを思いながら目を閉じ、瞬く間に眠りの中に堕ちる。そして――。
満天の星空の下に立つ文叔の目の前には、大河が滔々と大地を切り裂くように流れていた。対岸は遥か遠く、霞んで見えない。――見えないはずのその対岸で、女が蹲って泣いていた。
長い黒髪が背中を覆い、地に届く。何か小さな箱のようなものを抱き締め、滂沱と涙を流し、悲しみに身を捩って。
《――陰麗華……!》
文叔が名を叫ぶ。だが、声にならない。河の向こうはおそらく、気の遠くなるほど遠いのに、文叔には女の姿がはっきりと見えた。
《麗華! 麗華ー!》
もう一度叫ぶけれど、やはり声にならず、女はただ泣き続ける。
《何があった、麗華! 僕だ、僕だよ! 麗華、気づいて……!》
やがて女はひとしきり泣きじゃくると、その大河の水際まで近づいてくる。文叔はハッとする。
《ダメだ! 麗華! 危ない! 河に近づくな! 麗華!》
だが文叔の声にならない声が女に聞こえるはずもなく、女は河に抱きしめていた箱を浮かべる。ゆっくりと、箱が河の流れに乗って下り始める。半ば水に沈み波に揺られながら、ゆっくり、ゆっくりと、満天の星空の下を流れ下っていくその様子を、陰麗華が放心したように見送っている。黒髪を結いあげももせず、星明りに涙の跡が光る。見えなくなるまで見送って、陰麗華が再び、地に突っ伏して泣き崩れている。やがて陰麗華は身を起こし、再び河に向かって這うように進み――。
文叔は必死だった。
止めなければ。陰麗華は死ぬつもりでいる。絶対にそれだけは――。
自分の手足は氷ついたように動かない。文叔もまた「うう、うう」と唸るように渾身の力で河に向かい、無理矢理に河に飛び込んでいた。急流に揉まれ、動かない手足を懸命の動かすが、身体は沈んでいく一方だ。自由が効かず、息ができない。もう、ダメだと思った瞬間、何か強い力に肩を捕らえられ……。
「おい、文叔、しっかりしろ!」
不意に揺すぶられて、文叔がハッと目を覚ます。そこは真っ暗な闇――。
「大丈夫か、ずいぶん、うなされていた」
起こしてくれたのは朱仲先で、文叔は起き上り、荒い息をついて礼を言う。
「……すまない、皆を起こしたか?」
「いや、俺だけだ」
朱仲先が言い、再び斗篷にくるまるのを見て、文叔は溜息をついて立ち上がる。斗篷を身体に巻きつけながら、眠っている男たちを踏まないように注意して、天幕の入口に向かい、そっと外に出る。
キンと冷え切った空気。頭上には満天の星空が広がる。夢で見たのと同じ星空。焚火の横で見張りをしていた王元伯が文叔に気づき、慌てて立ち上がろうとするのを手で制し、彼の近くまで歩み寄ってから、小声で言った。
「気分転換だから。外の空気を吸ったらすぐに戻る」
「誰か護衛を」
「必要ない、お前から見える場所にいるから」
文叔はそう告げると、数歩歩いた先の、楡の木立に繋がれた馬から、少し離れた場所で立ち止まり、天を仰いだ。果てしなく広がる河北の平原と、頭上の星の海。吐く息が白い。
陰暦二月。北国である河北の春は遅いけれど、一月前の、身を切るほどの寒さは和らいでいる。――河南の人間には十分に厳しい気候だけれど、それでもこの数か月で、文叔や仲間たちも寒さにある程度慣れてきた。
それでも。
この厳しい日々に、一応男である鄧仲華ですら体調を崩した。身重の陰麗華ではきっと、冬は越せなかっただろう。
自分の決断は正しかった。正しかったはずだと、文叔は繰り返し念じてきた。そうしなければ、きっと後悔で押し潰されてしまう。
頭上の星空を振り仰げば、天漢が白く輝いて横たわっていた。そのすぐ近くに、三つ並んだ星を目印に参宿(オリオン座)を見つける。天の二十八宿の中でも、西方を守る白虎の七宿の一つ。参宿は戦の星だ。三ツ星のすぐ下、縦に並んだ小三ツ星は、『伐』と言う名を持っている。
北極に輝く天帝の住う紫微垣を遠く離れ、戦場に生きる自分のよう。
麗華――。
陰麗華を奪われたくなくて叛乱を起こしたのに、かくも長く陰麗華と引き離されている。いったい、自分は何のために――。
恐ろしい夢の印象は、だんだんと薄れ始めている。ただ麗華が泣いていて、大河に隔てられて声も届かない。涙にくれる陰麗華の夢に、文叔は胸騒ぎを覚える。
――ああもし、今、陰麗華に何か苦難が襲い掛かっていて、彼女が助けを求めているのだとしたら。何もかも投げ捨てて帰りたい。
でも、帰れないのだ。
妻が心配だからと、そんな理由で戦や部下たちを放りだすわけにいかない。
この戦乱の直接のきっかけの一つ、南陽の叛乱の火種を投げ込んだのは、他ならぬ文叔だ。何があっても、彼自身が戦争を投げ出すことは許されない。天下に再び平和が訪れるまで、文叔は戦い続け運命を背負ったのだ。あるいは、文叔自身の命運が尽きる、その日まで。
それが小長安で死んだ姉や幼い姪、そして昆陽で理不尽に斃れた百万の兵に対する、文叔の責任だから。
寒さにかじかんだ指先に白い息を吹きかけ、なおも頭上の天漢を見上げる。
夢の中で、河の畔で泣いていた陰麗華。悲痛な陰麗華の姿に、夢とわかった今でも、胸がキリキリと痛む。たとえ夢でも逢いたいと願っていた。でも、あんな悲しい姿を見たかったわけじゃない。
文叔はため息をついて、頭上に広がる星の河を眺める。
星よりも何よりも、大河の向こうの陰麗華はあまりに遠い。
夫婦でありながら、天の涯と涯とに引き裂かれてしまった二人。
再び逢えるのは、いつの日か――。




