第九話
頭をかきながら北条はデスクの上の書類を片付ける。
「三組の延沢と今川……か」
ずらっと名前の列が並ぶ生徒名簿にため息が出る。
生徒の特徴はよく理解している。特に今川。彼は昔この東郷高校で傷害事件を起こして長きにわたる謹慎処分を受けていた。初対面の際に思ったのは、交友的で明るい奴だということ。あの事件以来、今川とは話をしていない。
そしてこの延沢という生徒に関しては、あまり交流はなかったものの、名前は知っている。
確か一昨日の夕べに一年四組の上杉謙信にボコられていると噂だ。しかし、根は真面目で努力家なので、評価は高い。
自分と大森は、教員の中でも数少ない”生徒対応用”の教員なのだ。
生徒が暴れた時や、他校で問題を犯した時、他校の生徒が東郷に侵入したとかいう時に対処する役割の教員である。現在東郷高校には、そのような教員が4人しかいない。
北条は授業用の教科書を取り出した。北条の担当科目はよりによって歴史だ。開いたページには、今までこの教科書を貸してきた生徒たちからの落書きなどもちらほら伺える。
(一部の生徒にとっては、教科書なんてただのゴミなのか)
また重いため息が出る。今時の高校生……いや少し前まで中坊だった奴らの考えは達者だなとつぐつぐ思う。
「北条先生、もう帰っていいですって。お上の人から許可でちゃいました〜」
あざとい大森の笑顔が目の前に現れる。北条はその笑顔を見て、「あ、ああ」と言うだけだった。
(やっと帰られる)
戦国時代も大変だったが、現代も大変だな。
しかし何人も生徒が集ってくるので、北条はもう諦めることにした。帰ってもすることがないし、見張りでもしておこう。
しばらく時間が経ってから、学校の外はもうすっかり真っ暗になっている。北条は今日もあくびをしながら廊下を歩いていた。土曜日だというのに学校に遊びにきている生徒たちに早く帰るように注意したり、妙に絡んでくる女性教師たちの誘いをのらりくらりと断ったりしながら歩く。どうせなら生徒たちなど置いて帰りたいが、誰がどんな問題をいつ起こすかわからない。生徒対応用の教師として学校で起きた傷害事件には全て対処しなくてはならない。
「いっそ大森一人に頼って静かに暮らしたい」
もう二十ウン歳にもなったというのに、まだこんな若手専用の仕事をやらされているのか……とため息をつく。同い年でも大森はだいぶ若見えだ。剣道の達人だし、ただただ拳で終わらせる自分よりは絶対役に立つ。
『北条先生はうちの鏡なんですから!』
なんて言われたら退職するわけにもいかなくなるだろう。このように北条にいうのはいつも女性教員や若い年齢の教員なので、どうせ顔だけだろと思いながらも、そう言い返す勇気がなく、ただ疲労を貯めるばかりだった。またひとつ老けた気がする。
「ん?」
見覚えのある後ろ姿を廊下で見つけた。通学カバンをからっているわけでもなく、ただうちの制服を着ているだけの黒髪ボブの女子生徒だ。しかし何故か見覚えのない教科書を手に持っている。
「中島、もう帰れよ」
特に今時の女子は危ないからと付け加える。
その生徒はどこからどう見ても長閑にそっくりだった。北条は首を傾げる。長閑は土日に学校に遊びにくるタイプには見えなかったからだ。人とはわからないものだなと感心する。
しかし長閑そっくりさんは振り返らない。無視するとはまた意外なことだ。
「北条センセ〜!」
生徒に呼ばれて北条は振り返る。そして遊び呆けている生徒たちを指導する。なぜこういう生徒たちは対生徒用の教員に興味を持つのか理解できない。特定の生徒にだけ贔屓目を使ったりしないからだろうか?どの生徒にも興味がないだけなのに。
「あれ?」
長閑に似た生徒は、気づいた時には消えていた。移動が速すぎて忍者なのではないかと疑う速さだ。
大森はどこからか集めてきた情報を時間の許す限りマシンガントークで話してくるし、生徒たちには何故か北条先生北条先生と愛されているし、教員たちの心を何故か掴んでしまっているし、休む暇がない。コーヒーを飲むのが好きだ。もっとコーヒーを飲みたい。しかし休暇という休暇がゴールデンウィークまでないのではないかと不安がよぎる。仕事を早く済ませても、いつも北条は見張りがあるので中々帰宅できない。家に帰るのも早くて夜10時だ。もし自分が独身でなければ奥さんに浮気を疑われてもおかしくない時間帯。こういう時だけは、独身でよかったと思ってしまう。
そもそもまず自分が結婚していいのかを疑う。自分は異世界から転生してやってきた戦国武将、北条氏康の生まれ変わりだ。この世界で結婚して子供でも作れば異世界と差ができて二度と教科書に戻れないのではないか。
(普通に暮らしたかった……)
前世を知ると死ぬし、記憶の限りでも自分が前世で人を殺しまくってるのはわかるし、ムズムズする。
織田信長と大した交流のなかった前世の失態だろうか、これは。
(それにしても……)
中島長閑。あの女は特別だ。喧嘩に愛され、トムという裏の顔を持っている。それでいて美人。まるで作られたキャラクターみたいだ。だからこそ変な虫がつかないように、担任である自分が見守らなくてはいけない。それが職業沙汰だとしても、感情沙汰だとしても。
◇◆◇
土曜日の20時。
今日は早く寝よう。長閑は布団に潜り込んだ。
朝から長閑は部屋の掃除に取り掛かっていた。できるだけ使ったものは元の場所に戻すことを心がけて頑張った。
ここ4日で、長閑こと中島長閑の生活は一変した。
ずっと喧嘩ばかりに明け暮れて、自分の生き方を忘れかけていた、自分の人生。
高校に入るため、従姉妹の実家で一人暮らしをすることになった長閑は、片付けができずに部屋を散らかしまくっていた。汚い部屋で歴史シミュレーションゲームをしながらダラダラと過ごす、そんな何一つ変哲もない春休みを過ごして、そのまま高校生になるのだと思っていた。
そこで長閑を変えた1通のメール。5月になったら長閑の家に遊びに行く、という父からのメールだ。
そのメールをきっかけに、長閑は昔友人から聞いた家事代行サービス『かじばの犬ちから』を利用しようと決めたのだ。
そしてその結果、うちにやってきたのは自称「元ヤン」の5人の家政夫。
『俺は豊臣秀吉。有名すぎてビビったっしょ?』
『ぼ、ボクは明智光秀。よろしく!!』
『僕は上杉謙信。よろしく』
『武田信玄だ。覚えてろ』
『ども、俺は伊達政宗……』
まさか全員、名前が戦国武将と一致するなんて思ってもみなかった。
彼らのおかげで自分の家はすっかり綺麗になった。彼らには心の底から感謝している。
そんな彼らと同居が始まってすぐ、高校生活が始まった。
彼らとは同じ学校で、みんな長閑に優しく接してくれていた。
そして判明した、彼ら家政夫たちの正体。
彼らはなんと、異世界から転生してやってきた戦国武将の生まれ変わりだったのだ。
しかし前世の記憶はない。取り戻すと死ぬ。それが彼らの宿命だった。
それを教えてくれた、長閑の担任、北条氏康。
彼は微弱な記憶を頼りに、ここまで推理を広げたのだ。
それなのに、自分は自分が何者なのかすらわからず悩んでいる。
長閑はため息をつくと布団から出た。
ドンッドンドンッドドンッ
「え?」
何かが自分の部屋の窓を叩いている。長閑は恐る恐る窓へ近づいた。うっすらと何者かの影が見える。
体躯からして女性か小柄な男性だろう。体つきからして女性だと思う。怖いのは一瞬がいいので、急いでカーテンを開けた。
「だっだれですか!?」
そこにいたのは長閑と同じ、東郷高校の制服を着用した女性だった。制服の着こなしも長閑と一致している。そして何故か彼女は狐の面をかぶっていた。
「貴様、中島長閑じゃろ?」
独特な話し方をする女性。その質問は間違いではないので、長閑は正直に頷いた。
「ワシの名はトム。中島トムじゃ」
狐の面を外しながら、その女性はこんなことを言い出した。その女性の顔は長閑にそっくりで、少しだけトムの方が意地悪そうな顔をしているくらいしか違いがない。
「と、トム!?」
驚きの声がよく聞こえるように、長閑は窓を開けた。その開いた窓からトムが長閑の部屋に入ってくる。
「突然じゃが、貴様、恋はしないのか?」
「はい!?」
どういうことだろう、本人と本人が本人に向かって話をしている。まともに考えると脳みそが狂ってしまいそうだ。
真顔でトムが長閑の顔に詰め寄る。そして「これをみろ」と何のか冊子を長閑に手渡ししてきた。長閑は渡された本のページを開く。何年か前の歴史の教科書のようだ。
「76ページを開け」
言われるがままに76ページを開く。そこには可愛らしいイラストで二人の生徒が描かれていた。同じ人が書いたのだろうそっくりな顔立ちで、どちらも黒髪だ。
「トムさんとのどかさん……?」
その教科書の登場人物の名前。トムと長閑。確かに同じだ。
「ワシら二人はこの教科書の中の『解説役』じゃったんじゃ。しかしこの教科書は歴史の勉強改革のせいで、使われなくなって35年経った。見たらわかるじゃろうが、この教科書には今時の教科書には載っていないことが載っておるじゃろう?」
長閑は必死にページを捲る。
『戦国時代の始まり』
その教科書に、戦国時代はしっかりと記載されていた。三英傑はもちろん、武田信玄や真田幸村などの人物も記載されている。長閑は目を輝かせた。この時代の高校生に生まれたかった。
「えっと、つまり?」
長閑は教科書を見せられてもトムの言葉の意図が理解できなかった。
「解説役の宿命、知らんのか?」
「知るわけ」
「解説役は、転生したら、その記憶があろうが無かろうが、『教科書ではできないこと』をしなければいけない。じゃないと貴様死ぬぞ」
色々引っかかるが、長閑は一旦冷静になり、彼女に質問をする。
「『教科書ではできないこと』?」
「ああ、手っ取り早いのは『恋愛』じゃな。てなわけで恋しないと貴様死ぬぞ」
「え、えっと……その、ほかないんですか?」
トムは呆れ顔で長閑を見ていた。何故わからないかな?と言いたげな顔である。
「『暴力』じゃよ」
教科書の世界に暴力と恋愛は存在しない。国語の教科書だと話は変わってくるらしいが、歴史の教科書だと特に『恋愛』は必要のない項目だ。
その項目のどちらかを達成しないと、長閑もトムも死ぬらしい。
「え?」
長閑が達成できないだけで、トムも死ぬのか?長閑は首を傾げた。
「当たり前じゃろ、ワシは貴様の別人格じゃぞ」
「え??いや、でも、今ここに……?」
「すまん、言い方が悪かった。ワシはトムじゃが同時に長閑でもある。簡単にいうと、転生の時に失敗して合体したんじゃ」
キリッとした顔でトムが言う。それを長閑はふんふんと相槌を打ちながら聞いていた。
「じゃから、ワシが『暴力』を達成させて、貴様が『恋愛』を達成させれば終わりじゃろ?誰も死なん」
「えっとね、その……はい?」
「貴様が恋をしないならワシは貴様を殺す」
「貴様には幸せになって欲しいんじゃ」
トムはまゆを細めていう。トムにしては珍しく優しげな表情だった。彼女は優しく微笑むと、長閑の胸に手を触れ、すぐに姿を消した。長閑は意味がわからず硬直する。
人が不意に感じる運命。前世で繋がっていた人と出会い恋する。長閑はそう思っていた。だから漫画やアニメの世界みたいな、映画のような恋愛が自分にはできないと思っていた。いや、今も思っている。恋愛とは、相手の全てを理解してからが本番だと。
高校生になれば、青春だの恋だの言い出す者がいるが、長閑にはどこからが恋愛感情なのかわからない。異性に対する想い?意味がわからない。
少なくとも、自分が戦国武将を好きなのと、恋の意味合いの「好き」は違うと思う。
それに長閑は異性であろうと家政夫たちに恋愛感情を抱いたことはない。それに彼らも彼らで恋愛感情があって自分に接しているようには思えない。
恋とはなんだろう。長閑はその夜、ずっと考え続けた。
そんなことよりもまず、トムって何者だよ。
どうも牛田もー太朗です。どんどん登場キャラが増えますね。目まぐるしいです。
きっと皆さんの人生も目まぐるしいと思います。休めるときに休んで、頑張るときは全力で、メリハリつけて乗り切りましょう!作者も小説を書くにあたってメリハリは大事にしています。
では次回お会いしましょう!!




