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第八話

長閑のどかは目を覚ますと、見知らぬ天井と目があった。


白い壁に黒い何かの模様が広がっている天井だ。バッと飛び起きて気付いた。ここは保健室なのだと。


「あ、起きた?いいよほらもう遅いから帰りな」


女性の教師がこちらへ顔を出す。教師がつけている名札には、「御影みかげ」と書いてある。


もうそんな時間なのか?と長閑は窓の外を見た。もう真っ暗だ。


「親遠くで暮らしてるんでしょ?大変だね。一人暮らしって」


よく見ると御影の薬指にはキラリと輝く指輪がはめられていた。つまりもう既婚者だ。


「は、はい……そうですね、さようなら」


これ以上会話を広げたくないので長閑はそっけない返事を返すと、真っ直ぐに家に帰ることにした。会話を広げたくない理由は単純で、一人暮らしではないことがバレたくないからである。同級生の男子5人と生活しているなんてとてもじゃないが言えるもんじゃない。


「はあ……疲れた」


なぜだろう身体がびっくりするほど重い。久しぶりの感覚だ。


夜道を歩く長閑は、非常にふらふらとしていた。通行人が揃って長閑を気の毒そうな視線で見ている。しかしそんな通行人をも長閑は華麗に避けながら歩いていた。


「……あの女か」


スマホを長閑の方に向け、撮影する者がそこに二人いた。どちらもよく似た顔つきで、違いは目元ぐらいというくらいそっくりな二人だった。どちらも薄い灰茶色の無造作マッシュヘアが特徴の男だ。そして、二人とも長閑と同じ東郷とうごう高校の制服を着ている。


◇◆◇


長閑は昨日のこともあって全く眠れなかった。まだ瞼が重いのに、その瞼を瞑っても眠れないのが難点だ。


「お、中島なかじま、おはよう」


リビングに向かう途中の廊下に、甘味の笑みが現れる。しかし長閑は彼のように笑顔になれない。できるだけ今は会話をしたくない。今日が土曜日だということがとても残念だ。


スイーツのような笑顔を絶やさない上杉うえすぎの手には雑巾が握られている。少し濡れているあたりから、先程まで掃除をしてくれていたのだろう。珍しくジャージの袖も捲っている。


「珍しくみんなぐっすりでね、顔に落書きでもしてやろうか悩んだよ」


なんて笑顔で言うもんじゃない。彼は少しだけ小悪魔的なところがあるんだなと決着がつく。


「ところで今日は早いんだな」


ほーほーと感慨深そうにこちらを見つめる上杉。


「そうですね……眠れなくって」


長閑は苦笑いを浮かべて答える。さすがに一睡もしていないとは答え難い。


「そうか、奇遇だな」


クスッと笑うと彼はすぐさま台所へ逃げるように向かっていった。身体はまだだるいが、長閑も後を追いかける。


「料理の準備できてるかい?」


手を洗いながら上杉は長閑に問う。料理なんて死ぬほどやりたくないのだが、5月に両親がうちにくる時に振る舞う羽目になるかもしれないし、いつまでも彼らに頼るわけにも行かないので、はいと答えるしかなかった。


「最近ずっと味噌汁ばかり食べてるもんな、なんか違うの食べたいよね」


そう言われるとそうれもそうなので長閑は仕方なく冷蔵庫に手を伸ばした。


「中島、お前エプロン持ってる?つけた方がいいかと思ってね」


確かに長閑はエプロンをつけていない。エプロンなら小学生の頃に家庭科の授業で嫌々ながらに作ったものがあるが、どこにしまったかわからない。


「探してきます」


長閑は自分の部屋へ戻った。そういえば服関連は全部、秀吉ひでよしが専用の段ボールにしまってくれていたはずだ。もしかしたらその中にあるかもしれない。


必死に探して10分ほど。ようやくそのエプロンを見つけた。やはり服専用の段ボールの中に埋もれていた。


ツギハギだらけのエプロンには、漢字で「夜露四苦」と書いてある。わざわざよく使われる字づらにしないところが、あの頃の天邪鬼な長閑のキャラを想起させる。


しかし恥ずかしいデザインのエプロンだ。


「ほー、良かった見つかったなら」


上杉はそのエプロンを見て、顔に出さないように努力しながら心の底から引いていた。彼自身もう少しくらいうさぎさんやパンダさんの絵が描かれているような可愛らしいものを想像していたので、そのギャップに驚いていた。


「まぁ可愛いから良しとするか」


彼の言葉に長閑は耳を疑った。どこをどう見たら「可愛い」なんて思うのだ。お世辞にも「可愛い」とは言い難い。


やはり彼が元ヤンだというのも本当なのだろうか。背筋がゾクッと震える。


「あの……何作るんですか?」


このまま不穏な空気を漂わせるのもあれなので、長閑は話を本題にうつすことにした。


「あ、いけね。決めてなかった」


なんだこの人。自分で言っておいて……。


結局、「やはり最初は味噌汁にしよう」ということになった。今日の朝も味噌汁かと心の中で落ち込む。


「切るのは大根からですよね?」


心配だったので彼の顔を見る。彼はそれに頷いた。


「大根、ジャガイモ、ねぎの順で切ってね」


「はい」


あれ?思ったよりも簡単だなと思いながら長閑は野菜を切り続けた。ふと上杉の顔を覗いたが、その顔は真っ青になっている。


「どうしましたか?上杉君?」


彼は咳払いをふたつすると、すぐに長閑の肩を掴んだ。


「……味噌汁で大根を乱切りにする奴がこの世に存在するとは……腹筋はらすじ切れるわ……」


不規則にバラバラと転がる大根を見て、彼は絶句していた。長閑は料理自体は下手ではないのだが、調味料を無駄に入れすぎたり、切り方がむちゃくちゃだったり、なぜかカレーの上から牛乳をかけたりするのだ。いや、多分これを「料理が下手」というのだろう。


「腹筋切れる……腹筋はらすじそうろうですね!!」


ぶちっと何かが切れる音がした。


見てみると上杉の鼻から一筋の赤い線が垂れていた。あれは……血?


「え、嘘……鼻筋切れた?」


そう冗談まじりに言いながら上杉は自分の鼻をテッシュで拭いた。その姿を見た長閑は顔を絵の具よりも青くしていた。


(まさか……死の予兆……!?)


「腹筋に候」とは、後北条氏の第4代目当主・北条氏政から果たし状が届いた上杉謙信が、氏政に対して送った手紙に記載されている煽り言葉である。簡単に意味を現代語化すると「腹筋崩壊」であろうか。とにかく腹が捩れるほど笑った、ということ。ちなみに読み方は「はらすじにそうろう」である。「ふっきん……」ではないので要注意。


(え……つまり私今、この人に煽られた−?)


長閑は伏し目がちに横でサイレント爆笑している上杉の姿を眺める。笑うたびに血が出ているので心配になる。


はずだが、長閑にはそんなこと考えている暇はないのだ。


(わわわ、私ごときが『腹筋に候』頂いてもよろしいんでしょうか!!!??)


煽り言葉も、言う相手によっては、彼女にとってご褒美である。


あまりの嬉しさに長閑は謎の舞を踊り、その場にひらひらと倒れていった。


「おは……って大丈夫!?」


ちょうど起きてリビングへやってきた明智あけちが、笑い転げる上杉に説明を聞くのは、大変苦労した。


「え?腹筋切れるって言ったら鼻筋切れた?え、え?じゃあなんで長閑ちゃん倒れて……」


残りの朝食の準備を明智が全部やらされたというのは、また別の話である。




1時間後、長閑は家政夫たちと食卓で朝食を食べていた。


長閑はその時、秀吉ひでよしから聞かされた話で長閑は全ての気力を失っている。


「わ、わわわ、私が……武田たけだ君を、殴っ……」


頭が真っ白になる。そう言われてみてみれば、確かに武田の頬が少しだけ腫れている気がする。慌てて自分の頬にも手を当てるが、自分の頬は対して腫れていないようだ。


「ん」


「すみません!!!!」


長閑は顔を真っ赤にさせて武田に謝罪した。その姿に武田は武田で顔を赤くする。


「もしかして謹慎……」


入学式の日に、担任の北条ほうじょうは「傷害事件を起こしたら謹慎」と言っていた気がする。長閑は今後が怖くなり、何も考えられなくなっていた。


「あーそれ、先生のただの脅しらしいよ。他の人が喧嘩しないように」


珍しく秀吉が真面目に答えた。どうやら謹慎にはならないようなので長閑は安堵した。


「脅しで謹慎って……ホーTも大概だね」


伊達だては味噌汁のお椀を片手に苦笑していた。消極的で面倒くさがりな彼だが、たまに会話に混じってくる。そして彼は、すぐ人をあだ名で呼ぶのだ。目上だろうが、なんだろうが、誰でも。ホーTというのは北条のことだろう。


「こら、伊達くん、せめて先生のことはあだ名で呼ばない方がいいって」


いつもより鋭い目つきで明智が伊達に注意する。


「明智君、それは因果的に無理だと思います」


長閑は真顔で彼にいう。明智は「?」というような顔をしている。


「なぜなら伊達政宗は、人のことをあだ名で呼ぶ癖があったんです。ましてや自分のことも『政』呼び。そんな伊達政宗が、人のことをまともに呼べるとでも!?」


5人とも何を言っているのかわかっていないようで、長閑のことを見つめていた。


「ごめん、トイレ」


食事中に席を外した伊達はこの後、胃がひっくり返るほどに嘔吐したとのこと。


長閑の武将に対する愛と知識は、ここまでくるとほぼ凶器である。


◇◆◇


へくち、と北条はくしゃみをする。もう春だというのに冷房のかかった職員室はよく冷える。


「北条先生」


長い前髪の隙間からおっとりとした愛らしい瞳を覗かせる同僚の大森おおもりが、北条にホットの缶コーヒーを渡した。その缶コーヒーは持っているだけで暖かくなる。


「悪いな」


「いえいえ」


缶のプルタブに指をかけながら、北条は彼に感謝する。寒くて凍えてしまいそうだった。冷房の温度をもう少しでいいから上げて欲しい。


「僕も前世の悪行のせいか、それともすごく寒いところの人間だったのか、寒さには弱いんですよ」


確かに大森はいつも、大きめの白衣の下にニットセーターを着ている。暑くないのかと思っていたが、流石にこの温度となれば理解できる。


教室の隅で固まる二人の男たちを、数人の女性教員が眺めていた。


「やっぱあの二人尊いわぁ」


「ね〜」


何かしら女性たちの心を掴んでいる二人もまた、前世は戦国武将だったのだ。陰でこそこそと、彼ら二人に想いを寄せる彼女たちは、まだ若い女性教員だ。彼女たちが生まれた頃にはもう、戦国時代の歴史は教科書から姿を消している。きっと彼女たちの頭の中には戦国武将という概念すら存在しないのだ。


自分たちは、ごく普通の教員としての関係。そう思われているのだろう。


まあそう思われた方が何かと好都合なので、そういうことにしている。


それに、もし彼女たちがそれをきっかけに武将に興味を持って仕舞えば大惨事だ。いっそ殺人に繋がりかねない。


「そういえば大森先生、もしかしたら東郷うちの生徒に喧嘩をさせようとしている連中がいるかもしれないんですよ」


突然思い出したかのように大森は北条に言う。北条はコーヒーの缶をゆらゆらと揺らしながら、その話をラジオのように小耳に流しているだけだった。


「どうせ西郷さいごう南郷なんごうだろ。時期的にも西郷ならあり得る」


「いや〜それが、この東郷高校の生徒かもしれないんです」


北条は目を丸くした。


「なんだと」


東郷うちってやっぱ不良多いでしょ?だからと思うんですけど……二人かな?少人数らしいです」


「マジかよ……」


北条はため息をつき、大森は苦笑いをした。


「これは護衛どころじゃないですねぇ〜」


「だが、もしも在校生となれば二年か三年の可能性が高いな」


北条は頭を抱えた。まさかこの高校に、東郷高校のアンチがいたとは。


「さあ。でも、二年なら去年の伝手つてがあるんで、僕」


去年、北条は三年、つまりもうこの高校にいない生徒たちを担任しており、大森は去年の一年である現二年生を担任していた。北条こそ役に立たないが、彼なら役に立つ生徒を見つけられるかもしれない。


「二年三組の延沢のべさわ満延みつのぶ今川いまがわ義元よしもとです」


大森は一息にそう告げた。

どうも牛田もー太朗です。そろそろ今年も終わっちゃいますね。

早いことです。なんだか、一日は長いのに一年って短いですね。

作者の好きな色は白色なのですが、よく青色が好きそうだと言われます。その理由は「青好きそうな顔してる」からだそうです。青好きそうな顔ってどんな顔でしょうか。太宰治ってことですか?青鯖?

ちなみに白が好きな理由は絵の具で最初に無くなるのが白だからです。

みなさんも好きな色は大事にしてください。世界から色が無くなったら大変なことになると思いますから。


ではまた次回お会いしましょう!!

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