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第七話

週の終わりの金曜日。放課後、長閑のどかは先生から呼ばれた。しかし今日長閑を呼び出したのは担任の北条ほうじょうではなく、四組の担任の大森おおもり先生だった。苗字が大森ということ以外彼の人物像について、長閑は知らない。そのため何が緊張と好奇心で心臓が高鳴るばかりだ。


長閑が呼び出されたのは被服室だった。木でできた机やミシンが置いてある家庭科の授業なので使う部屋だ。


「の、長閑ちゃん……?どうして」


その光景を見て、長閑は目を疑った。


何故かそこには、長閑の家政夫さんたちが全員揃っていた。そして彼ら五人以外にも、何人か見知らぬ生徒が集められている。しかし生徒たちは長閑以外全員男子生徒だったので、そこに入ってきた唯一の女子である長閑を奇怪の目で見ていた。空いている椅子が一脚だけあったので長閑はそこに腰掛ける。


「お、中島なかじま。来たか」


ホワイトボードにもたれかかった北条がこちらの姿を捉えると、すぐにホワイトボードから背を離し、教卓の元へ近づいた。


「わぁ!全員揃っちゃった」


一人、長閑の知らない教師が立っていた。白衣を着ていて、その下にはトレーナーを着ている不思議な見た目の男性教師だ。しかしどこか清潔感に欠けた見た目をしている。


「一年四組の担任やってまーす、大森です」


大森は長閑に手を振った。長いボサボサの前髪から中型犬を想起させる垂れ目が覗く。どことなく優しそうな教師である。


「ん、此奴は大森氏頼うじよりだ。こう見えて剣道有段者だからな。怒らせんなよ」


「それ本人の前で言っちゃいますか〜」


あはは〜と大森は笑い続けている。教師とはいえ、長閑は彼を見てほっこりした。思いのほか目まぐるしかった長閑の生活において、彼は癒しの存在になってくれそうだ。


(大森……)


大森氏頼、彼は戦国時代の歴史においてそこまで目立った活躍はないものの、鎌倉公方であった足利持氏に仕えていた大森氏の当主だ。永享えいきょうの乱の末、持氏が自害に追い込まれた際も、その勢力は衰えず、大森氏の後続にはもちろん、扇谷上杉家の継続にも携わっている隠れた名将ともいえる人である。


(大森氏頼と北条氏康うじやすが並んどる、すげえ)


冷静に考えてかなりの光景である。長閑は時代を超えて仲良さげに話をしている彼らを見てほっこりした。


「あのねですね!皆さんにお願いがあるんです!!!」


勢いをつけて大森は教卓を叩いた。あまりにも勢いが激しかったので、明智あけちはその身を縮めて震えた。一方長閑は少し動揺はしたものの、そこまで態度には出さなかった。


「この東郷ここを護って欲しいのです!!」


まるで向日葵のように華やかな笑顔で、大森は言う。それの後に続けて北条も話し始めた。


「だって、喧嘩祭りの学校よりほのぼのした学校の方が暮らしやすいだろ」


思ったより理由が単純だ。


しかし彼のいうことは決して間違いではない。だが一つ問題がある。


「ここって東郷ですよね?」


そのことだ。『不良の監獄』と呼ばれるこの東郷とうごう高校が今更治安のいい高校になったとて……と思ってしまう。


「今じゃ高校が街全体を支配しているようなモンだろ?教師おれたちは昔っから、うちに来る番犬どもはみんな誰かを護れる人格の持ち主だと思ってんだ。」


つまり、学校を護れとは遠回しに街全体を護れと言いたいのか。


長閑たちが通う東郷高校があるのは、東郷街道という街である。東郷という呼び名もこの私立高校が先駆けで、東郷高校創設前は全く別の名前だったそうだ。昔こそ治安最悪だったが、今になってその治安は回復しつつあるらしい。長閑がこの街にやってきたのは高校入学と同時なので、あまりこの街について詳しくないのが現状だ。


そして、東郷高校には、二つのライバル校がある。


一つ目は、織田軍が大勢で仕切っていると噂の『不良の戦場』私立西郷さいごう高校。とにかく実力主義な世界で、喧嘩が得意な劣等生ばかりが集まっている。おそらく現状では日本最強の不良高校だろう。そして織田軍の圧倒的な人気により、市民からの支持も厚い。


もう一つ目は、特に誰がトップとかないけれど個性豊かな奴らの戯れ『不良の揺り籠』こと私立南郷なんごう高校だ。偏差値は高いが結構いろんなタイプの人たちが集まっていて、東郷・西郷もろとも荒ぶっていた時期はあまり目立っていなかった学校だが、現在になって勢力が復活しつつある。


何が恐ろしいって、この三校が全て東京に収まっているという事実だ。


全国から自慢の不良たちを集めた、明らかに教育方針イカれてるこの高校の、どこがいったい魅力なのだろう。


「これはただの喧嘩じゃない。何かを護るためのいくさ……防衛戦だ」


北条の鋭い視線が、長閑たちの心を射抜いた。あれは明らかに本気の眼差しである。


「いいですねぇ〜防衛戦。やっぱ北条先生はワードセンスがレベチだぁ」


感心しながら大森は言う。大森はああ見えて結構がっつくタイプなのかもしれない。興味深そうに北条の方を見つめていた。


「この学校には二つのライバル校がある。南郷なんごう高校と西郷さいごう高校だ。名前もまんまだしわかりやすいだろ。この二つの学校は、どうにも東郷ウチが脱不良するのが気に食わんらしく、とにかく喧嘩に飢えてんだ。そして狙われてるのは紛れもない『トム』」


ささっと風が軽く吹いた。


「しかし、市民にバレたらいかんだろ?俺たちを怖がるかもしれない」


「だから、市民に内緒でやって欲しいんだ!!!」


長閑は息を呑んだ。


そっと周囲を見渡す。みんな全く別の想いがあるらしく、表情はそれぞれ違っていた。


何か護りたいものがあるわけではない。それでも、証明したいことはある。


『トム』は喧嘩だけが取り柄ではない、と。


長閑はもう一度、息を呑む。


自分は『トム』を利用して、この戦を乗り切る。それに『番犬将軍』が全員、武将なら、それが役に立つかもしれない。


とある不良学校の番犬たちは、今までにない戦いの火蓋を切ろうとしていた。


世にも無秩序な戦乱の世の始まり。


この戦で、何かを護り抜き、地平線の先に光を見出すのは、いったい何処の誰なのだろう。


「で、こいつがその『トム』なんだよ」


長閑の脳みそは完全に固まった。


「せ、せん……」


確かに長閑は彼に自分がトムであることを隠せとは言っていない。しかし、こんなに簡単に言ってしまう人間がいてたまるか。


そこにいた全員が長閑ことトムの方に振り返る。長閑はどうすることもできずに引き攣った笑顔を作り上げた。


「え、あ?長閑?」


誰も信じられないようだ。まあその反応が普通だと思う。自分はどちらかといえば普通の女子高生という見た目をしているので、自分をトムだと疑う人間は今まで北条以外にいなかった。


「え……長閑ちゃん?いや、そんなわけ……」


あるんですよ、それが。長閑は溜まりに溜まったため息を吐き出したいのに吐き出せず、飲み込むしかできなかった。


「ああ本人も認めてる」


(それを言われちゃおしまいだ)


正直認めた記憶はないのだが、ここで否定する方が変なので、北条には逆らわずにいることにした。


ただしかし、その場に一人だけ、長閑を好奇の目で見つめる者がいた。


「嘘でしょ……長閑ちゃん……」


それは秀吉ひでよしだった。まんまるで可愛らしい両眼をキラキラと輝かせ、両頬は興奮でほんのり桃色になっている。


(俺がずっと探してた憧れの存在……)


希望に満ちたその目は、水晶のように微かな光を宿していた。長閑の身体をじっくりと観察しながら、秀吉はめるような視線を長閑の顔に移す。そしてゆっくり舌なめずりをする。その姿は美しくも謎めいた笑顔を浮かべる深海魚のようだった。同じ深海の中でふわふわと明るく浮遊する妖艶な明かりに、秀吉はやっと手が届いたかのような快感を得た。


−中島長閑、そしてトム


その二つの存在に、脳が刺激される。美しい姿の裏に毒がある。まるで彼女は静かなクラゲみたいだ。


秀吉はそう思った。


「そんなわけないだろ」


力強い声がその空間を遮断する。秀吉は妄想を邪魔されて不服だったが、別に何も顔には出さずに微笑んでいた。珍しく怒りに声を荒げた武田たけだは、北条を睨んでいる。


「あ、武田君っ、その……」


(そうなんだけど、私はもう喧嘩とかしたくないから……)


何と言うべきかわからない。焦りと興奮で妙に身体が熱っている。


「戦も所詮喧嘩と同然でしょ?」


武田に次いで秀吉も言う。彼は何故か乗り気なようだ。


「信じられねぇなら、中島、此奴とタイマンしてやれ」


発す言葉に悩んでいた長閑に対して、北条はあっさりとこんなことを言い出した。タイマン……つまり、一対一で正面衝突するということだ。


長閑は全身の血が逆立つようなゾクゾクする感覚に襲われた。


いいのだろうか?彼がもし本当に武田信玄の生まれ変わりだとしたら……。


(武田信玄とタイマンできる機会なんて、きっと今日だけだ!!!)


長閑は何やかんや言って、自分の喧嘩の腕前に自信があった。


(でも馬のいない信玄がどうやって私に歯向かってくるのだろ……?もしかしたら私の動きを利用して……とか!?やばい気になりすぎる!!!)


北条は長閑の目を見て、ため息をついた。


(やっぱ東郷生はタイマンが好きだな)


「大森、いいよな?」


大森は微笑みながら、窓の外の校庭に視線を移した。誰もいない校庭には、寂しく土の色が広がっているだけ。


「うん、やっぱ楽しいもんね。戦って」


意地悪そうに笑って大森は北条を見た。


「ほ、ホントにやるんですか!?喧嘩……」


明智が大森に尋ねた。かなり困惑しているようである。伊達だては唐突な展開についていけず、頭からシューっと煙を発していた。その目は死んでいる。


珍しく何も言い返さない大森。それを見て意味を察した明智は、そっと校庭へ目を向けた。


◇◆◇


「彼奴は女子にも容赦ないからなぁ」


困り顔の上杉は、軽く伸びをしながら、校庭を見ていた。校庭には、四人の人影が見える。長閑と武田。そして教師二人だ。


「……それって上杉くんのことなんじゃ……?」


しかし変な話である。可愛らしく日本人らしい落ち着いた女性とだけの印象だったあの中島長閑が、まさか最強の女総長『トム』であるなんて、さすがに想定外だった。彼女、中学生時代は化粧でもしていたのだろうか、ものすごく華やかな女性だと噂されていた。確かに長閑の顔は、元がいいのもあって化粧映えしそうな顔であるものの、いったいどうしてここまで情報に格差が生まれるのだろうか。


「でも、本当だったらすごいや。トムなんてボクより全然強い人なんだもん」


鳥籠の中から見てきた景色は、もっと華やかで野蛮な喧嘩の風景だった。しかし、今窓の向こう側で行われようとしている戦いは、それとは違う。


(そうだ、これだ)


あれは誰かを護る人の背中だ。




「ほら、早くやろ?」


長閑ことトムは立ちすくんだままの武田に、戦いを催促する。久しぶりにこんなに高揚した気分を味わうので、トムはいつもにも増してテンションが高い。


目の前にいるのは、確かトムがトムだった頃に、関東のどこかにある中学で、『風林火山』と呼ばれる暴走族のトップ張ってた武田信玄だ。


しかし身体が重い。さては長閑、最近運動してなかったな。全くあのゲームもこの流れで壊してやろうか……とトムは笑う。東郷高校に入学したというのに、普通の日々を送ろうとしていたとでも言うのなら、あのゲームは絶対ぶっ壊す。トムはそう決めた。


長閑の身体の中から、いつも見ていたあの光景。


少し古いゲームの画面に写る、髭面の男たち。「治水」?なんだそれ?


ずっと心配していた。まさか長閑は、喧嘩を愛し喧嘩に愛されることを許された唯一の女だというのに、その喧嘩をやめて、こんな髭の男たちの出ているゲームばかりに手を染めるのか……と。


このまま、トムは忘れられて、長閑の時代になる……。


そんなの絶対嫌だ。だから長閑に命令した。


『私立東郷高校へ入学しろ』


と。もちろん彼女にその声が聞こえているわけはない。


「もしかして、ワシのことが怖いのか?自分から疑っといてその態度って」


トムは吹き出した。そんなトムの姿を、何も言わずに武田はじーっと見つめているだけ。


「妙ですねぇ、さっきまであんなに静かだった女の子が」


大森は興味深そうにトムを観察していた。どこからか取り出したスケッチブックに、トムのことを必死に描いてメモしている。


まるで大輪の花のように舞うその姿は、大きな赤いクラゲのようだ。


−個性は毒にも武器にもなる。


朧げな記憶が微かに大森の脳内に溢れ出した。


「やるか」


やっと武田が口を開いたので、トムは顔中を真っ赤に紅潮させた。待ちに待ったこの時がきた。


表情を変えたトムに、武田は少々面食らったようで、目を丸くしていた。


「上等じゃ」


トムは勢いよく地面を蹴った。凄まじいスピードで、武田の顔の前にトムが現れる。


「何かを護るための戦いか……」


そう呟く武田にも容赦無く、トムは武田の顔面を殴りつけた。


「いいな」


今の一撃で鼻の血管がやられたのだろう、鼻血が出た武田は、その血を拳で拭う。しかしトムはその姿にひどく惹かれていた。彼は殴られ血を出そうと、トムを一筋に見つめていたのだ。その視線の先がブレることはない。


(何じゃ此奴……)


トムはあまりの興奮に押し負け真っ当な考えができそうになかった。


(殺意も敵意も、あの瞳には灯っておらん……)


「ふふっ、面白い」


トムは至って「無」を貫く武田の瞳に惹かれていた。まるで凪いだ水面を思わせる冷静さだ。


「さすが『フウリンザン』の総長ボスじゃ、噂に聞いておった甲斐はある」


颯爽と風を切るトム。近くで座ってその光景を眺める北条と大森の元へまで、その風は届いていた。あまりの暴風に二人は顔をしかめている。大きく砂埃が待っていたので、それは被服室にいた残りの生徒たちにもよく伝わっていた。


「す、すご……あんなボクじゃ息すらできないよ」


もちろんその姿に感心しながらも、明智は少し怯えていた。自分の近くにいた人がまさかこんなに強いとは。


「すっげー!!!すげーよ長閑ちゃん!!!」


秀吉は満面の笑みで彼女に届かぬ声援を送る。一番星のように輝く彼女が今は何よりも美しい。


「ほう……まだ怯まんか……」


感慨深そうにトムは目の前にいる男を見つめる。


「長閑……いや、トム……」


男はトムから視線をずらして言った。その声はよく通る声だった。


「やるか、戦」


「ええ最高の戦に」


二人は同時に笑みを浮かべた。するとまた恐るべき暴風が、爆発するように襲いかかる。二人の教師は思わず目を瞑る。目に砂が入ったら大変だからだ。


北条は思い切って細目で彼らを見た。勢いよく進む二つの影、彼らが血を流しながら戦っているのがよくわかる。


そして、突如暴風がぴたりと止んだ。


ぶつかり合っていた二人が、互いに吹き飛ばされていた。二人とも鋭い視線で相手を睨みつけている。


(え、あれどっち!?)


明智はその光景を遠くから傍観しながら慌てた。


「そうか、い、い……な……」


バタンとそこに倒れ込んだのはトムだった。慌てて大森が駆け寄ると、彼女は長閑の頃の素朴でおっとりとした表情に戻り、地面に倒れて寝ている。


「マジか、寝た!?」


一番驚いていたのは、無論、武田だった。


(俺そんなに力入れた記憶ないんだけど……)


仕方ないか、と武田は倒れたトム−長閑をそっとおんぶする。そこまで身体が重くないということは気を失っているわけではないだろうと安心した。


「先生、此奴を保健室に連れてってくるんで」


相変わらずいつも通りの面倒臭そうな顔に戻った武田を見て、北条は安堵のため息をついた。


「彼奴ら、ちょっと前まで中坊だったんだよね?」


少し驚いたような顔で大森が北条に問いかける。北条は苦笑いを浮かべて頷いた。


◇◆◇


(さすがに重くなってきた……)


廊下を歩きながら、武田は思った。とまあ、よく寝る女だな……と今は思っている。


揺らしていないか心配になる。しかし起きないのでこれくらいがちょうどいいのだろうと思うことにした。


トムとやり合える機会なんて今後ないだろうと思っていたので、武田は少しだけの多幸感を感じている。


「あーあ、俺だけのライバルじゃなくなっちゃった」


保健室は職員室の向こう側にある。ちょうど職員室前を通っていた時、誰かに話しかけられた。


「上杉……」


全く鬱陶しい奴だ。まあそれが可愛くもあるんだが。それに加えてこのホイップクリームのような甘い笑み。昔までの女性不信がもったいなく感じるほど女ウケのいい顔をしている。


にしても、「俺」なんて此奴が使うなんて珍しくないな。と武田は首を傾げた。


それにいつもは室内だろうが家にいる時以外は被っているパーカーのフードを今はおろしている。


「なんでお前がここに……?」


「なーんて、ちょっとトイレ行こうと思って。ついでだよ」


武田は少しだけ肩を落とした。まさか自分を心配してきてくれたんじゃ……謙信ちゃん神!マジ天使!とか思っていた自分が恥ずかしい。


「先生、此奴診てやってください」


保健室に着くと、武田は長閑の身体をベッドに放り込んだ。手がヒリヒリする。よほど重かったのだろう。


「うーっす」


保険医の教師は結構荒技で長閑の身体を診察し始めた。思わず武田は視線を逸らす。


「大丈夫でしょ、寝てるだけ」


保険医の教師はそう告げると、別のベッドの元へ向かった。うめき声が聞こえる。


この高校はどこまで行っても『不良の監獄』である。それで武田はだいたいを察してしまった。

どうも牛田もー太朗です。クソほどどうでもいいことを言います(いつも言ってます)が、作者は恋愛小説(や漫画、映画)をあまり読んだ(り観たりした)ことがありません。喧嘩漫画とかも読んだことがないです。ホラーやサスペンス、純文学ばかり読んでいました。

では今なぜ恋愛小説を書いているのか。それは作者にもわからないです。


ではまた次回お会いしましょう!!

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