第三話
「すっすごい!!」
長閑は思わず両目を輝かせた。自分が本を読んでいる間に彼らは部屋を生まれ変わらせたのだ。
まずは長閑の寝室だ。服が脱ぎ捨てられ、プリントや本が散らばった床が見違えるほど綺麗になっている。しっかり片付けてくれていて、学校関連のプリントやノートはそれ専用の段ボールに、服は服用の段ボールに収納してくれている。
「明智君も秀吉君もありがとう!」
長閑は心の底から感謝した。冗談抜きでもう二度と綺麗にはならないのではないかと心配していた自分の部屋が、こんなにも片付いているなんて。叶うことならこれを両親に見せてやりたいが、こんなものを見せたら母親から雷が落ちるに違いない。
「いえ……これでも仕事だから、ボクらなりに頑張れたとは思うけど」
「よっしゃー!!!喜びゲット!!」
二人とも喜んでくれたみたいだ。自分は何もしていないのに、喜んでくれる彼らを見て長閑は思わず眉を細めた。
(全然普通じゃないけど、これも普通なのかな……)
相手も自分も元ヤン。しかも依頼人と家政夫という関係といえど、今日から同居生活が始まるのだ。正直まだ心の準備はできていない。
同じ元ヤンでも、彼らは自分とは程遠い存在なんだ。「番犬将軍」の筆頭同士とはいえ、心の強さには天地ほど差がある。自分は自ら不良をやめたら「こうなりたい」なんて理想はなかった。しかし彼らは不良をやめて、新しい自分に更生するためこの家政夫というアルバイトを選んだ。そして思いつくだけでなく、それを行動に移すということは、きっと長閑にはできそうにない。
長閑はきれいになった部屋を見てうっとりしていた。これだけで1日分寝たくらいの栄養になる。
「おっと、先を越されたか」
またしてもクスッとした笑みを貼り付けたホイップ男子が長閑の後ろからやってくる。「おー綺麗になったな」と彼も驚いているようだ。
「俺たちの方もできたぞ」
「フッ」
イーストボーイズこと上杉、武田、伊達の三人も掃除が終わったらしく、長閑の元に歩み寄ってきた。
「案外トイレの掃除早く終わったから、俺も部屋手伝ってた」
無表情で武田が言う。手伝ってくれていたなんて、とてもありがたい。
武田の赤いエプロンには、刺繍で「風林火山」と書いてある。これは武田信玄が掲げた旗印の象徴。「疾きこと風の如く」「徐かなること林の如く」「侵掠すること火の如く」「動かざること山の如し」と言う意味である。自らの軍隊の理想を言語化したもので、響きもかっこいい。
使われていなかった五つの部屋も、トイレも前とは比べ物にならないほど整頓されていた。
(一人じゃできないこともあるんだ)
なぜこのことにもっと早くから気づけなかったのだろう。昔から群れを作っていたのに。なぜ自分はこんなに大事なことを見逃してしまっていたんだろう。考えると虚しくなる。
「みんな、ありがとう……」
心からの感謝を、ただ正直に伝えた。みんなどんな顔をして聞いているのだろう。知りたいけれど、彼らの顔を正面から見るのは怖かった。
一時間後、掃除も終わって休憩時間になっていた家政夫さんたちに、長閑はある質問をした。
「そういえば、みんなは今日からうちに泊まるんだよね……?」
震える声で彼らに問いかけた。このことについては結構気になっていた。異性を家にあげることですら初めての長閑だが、その域を有に超えた「同居」についてはかなり心配事がある。
長閑は面倒くさい女で、感情こそ顔に出さないようにしているが、結構すぐキレる。怒ると『トム』の頃みたいな馬鹿力が発動して家中の壁を壊しかねない。現に実家の壁にはその傷がある。こんな女と同居なんて、本人ながらかわいそうだと思ってしまう。
「!!!!!」
突然5人が今まで見たこともないほど目を見開き、顔を真っ赤にさせてしまった。何か変なことを言っただろうかと長閑も焦る。
「いけね、忘れてた」
5人の中では冷静な上杉ですら唸っている。武田は髪の毛をぐちゃぐちゃにしているし、明智は顔面をソファーのクッションに埋め込んでいる。そんな彼らを見て、秀吉だけはニヤニヤとしていた。伊達は顔には感情を出していないが、冷や汗をたっぷりかいている。
「おっけ〜!じゃ、俺たちはその長閑ちゃんが使ってない部屋使ってもいいかな」
どこに彼らを住ませようか悩んでいたところだったが、その手があったかと納得する。逆に今思えばその手しかない。
使われていないその部屋は、長閑の部屋より少しだけ狭いものの、数も五つでちょうどいい。
「二階だけど、大丈夫?」
心配だったので長閑は聞いた。みんな笑ってOKしてくれた。というか完全に偏見だが、彼らは二階の方がいい気がする。
「でもトイレ一階にしかないんだよね、うちには」
これは長閑の家の最大の謎だ。長閑の育ちが甘かったのか、何故かうちにはトイレがひとつしかない。長閑が二階を使わないのでなんとかなっているけれど、二階の住人からすればかなり生活しづらそうだ。
「大丈夫だよ」
みんな一瞬だけ青ざめたが、なんとか許可を出してくれた。少し申し訳ない気持ちになる。
それからも、今後について話していた。長閑が入った後の風呂に入ることだけは5人とも必死に拒絶したので、とりあえず近くの銭湯に通ってもらうことにした。本当に申し訳ないとしか言いようがないが、しょうがないっちゃしょうがない。
食事に関しては、曜日ごとに分けていて、土日は長閑が付き添いで作ることになった。流石に料理くらいは出来とけと言う伊達の所為でこうなった。
こうして、長閑と5人の家政夫さんたちとの同居生活は始まったのだ−
◇◆◇
そして翌日、長閑の生活に彼らが入ってきてから一日目。
今日は新学期の始まりの日。入学式だ。
「おはよう、長閑さん」
昨日と変わらない不器用な微笑みをこちらに向ける明智。彼は長閑が起きた時にはもう制服に着替えていた。黒いスラックスに黒いネクタイ。その上から少しだけ大きめのベージュのトレーナーを着ている。ジャージ姿しか見ていなかったので、結構新鮮だ。
昨日、長閑は色々ありすぎて疲れ切っていた。そのため、今後についての話し合いが終わったらすぐに風呂に入って寝てしまっていた。だから彼らのジャージ姿以外の服装を見るのは初めてになる。
「遅かったな」
あくびをしながら武田もやってくる。まだ髪の毛が少し崩れているが、服はちゃんと着替えている。かなり雑な服装だが、なんとなくオタク女子から支持されそうなタイプのキャラが着ていそうな服装だ。同じ制服なのに、なんだか着こなせていて羨ましい。
(ん?待てよ)
同じ制服……?
「まさか、武田君たちの高校って……」
嫌な予感がしてきた。彼らの来歴。確か「元ヤン」の『不良』だったような……。
「私立東郷高校だよ」
明智の言葉に長閑は固まる。まさか、そのまさかだとは思わなかった。
「昨日長閑の服見て俺たちは気付いてたけど、お前にはわからんか」
変に納得した様子で武田は頷いている。その横で明智は苦笑いをしているだけ。
長閑は何もいえずに、ただその場に立っているだけだった。感情より衝撃が勝った。
「ボクたちは先に出とくね」
長閑は急いで朝食の食パンに手を伸ばす。ジャムすらつけずに流し込む。本来なら味わって食べたいところだが、寝坊してしまったのでその時間がない。
昨日と同じ流れで、学校へ行く支度をした。かなり超特急で終わらせたので、時間も大体10分ほどしか掛からなかった。
急いで玄関のドアを開ける。
「おっそいぞ」
扉を開けたらそこには5人の家政夫さんが立っていた。全員制服姿で、家にいる時とのギャップが結構激しい。
「おはよう、中島」
またホイップクリームのように微笑む上杉は、制服のブレザーの下に黒いパーカーを着ている。そのフードを被った彼は、何故かいつもより可愛らしく見える。
「おはよー!長閑ちゃん!!」
その横で笑顔で挨拶してくる秀吉はかなり制服を着崩している。なんかそれっぽいのでそこまで違和感はない。だが、何故かシャツで萌え袖をしているのは解せん。
「あ、おはよ……うございます」
なぜか一人だけ、制服ではなくジャージ姿の人がいる。下はスラックスで間違いないのだが、なぜゆえ上がジャージなのだ。伊達はもう少しおしゃれなイメージがあったので、解釈と一致しなくて違和感がある。
「伊達くんはおしゃれにこだわりすぎた結果、ああなっちゃったんだよ」
そっと明智が耳打ちしてくれる。唐突のフォローに長閑は救われた。
「……いってきます」
誰かに対して言っているわけでもない。それでもやはり一人暮らしを始める以前の習慣が身体から離れず、「いってきます」「ただいま」の言葉は勝手に口から漏れ出てきてしまう。
それですら少し憎かった。昔の自分を思い出すからだ。できることなら『トム』のことは忘れたい。
(もうしばらく『おかえり』って言ってないな)
学校に着くまでの道中にはいろんなものがあった。
家を出てすぐの道を進むと、大きな商店街がお出迎えする。その商店街を抜けると、広い大通りが現れる。
「わぁおっきい」
思わず感想が漏れる。大通りの先には広い公園があり、その公園には巨大な時計台と噴水が設置されていた。春なのに噴水の水は止まっている。
そして駅へ向かう。電車に乗ると5分ほどで学校へ着く。家を出てからだいたい10分で学校に到着するみたいだ。寝坊癖のある長閑にとってそれはかなり嬉しいことだった。
真っ白で巨大な校舎がお出ましだ。その巨体に長閑は圧倒される。これがもし無機質ではなく、何かの怪物であったら?と想像が働いてしまう。どちらかといえばよく働く想像力がこの時ばかりは恨めしい。
長閑はその校庭を見て
「う、うわぁ……」
とつぶやいた。
(治安わるっ!!)
言葉には出さずに心の中で叫ぶ。呆れ顔で校庭を眺めながら長閑はその場に立ち止まった。
校庭ではすでに大勢の人が口論している。見ていて痛々しい。さすが『不良の監獄』だと心なしか感心してしまう。もちろん感心している場合でないということはわかっている。
校庭に突っ立っている一部の生徒たちは長閑たちを見て、ゴニョゴニョと何か話していた。
「何あの女の子めっちゃ可愛いんだけど」
「それな!ちょー美人」
「てか一緒にいる男子もクソ可愛くね?」
会話の内容はだいたいこんな感じだった。男子も女子も長閑に注目している。もともと父親似で顔は整っていた長閑だ。よく「可愛い」と言われてきたが、正直実感がない。自分には憧れの顔もないので、結局どう言う顔が美しいのかわからないからだ。
そんな長閑の手を、引っ張ってきたのは秀吉だった。
「いいからさ、クラス表みようよ!」
◇◆◇
「嘘でしょ」
長閑はため息をついた。
入学式も終わり、完全に今日からクラスでの活動が始まるという時、クラスの中で唯一長閑はその場を楽しめずにいた。
何より、前の席の周りが非常にうるさいからだ。
「えええ!?なんでそんなに可愛いんですか!!!」
「豊臣くん可愛すぎ!!!天使!!」
なぜ、よりによってクラスが同じになったのがこいつなんだろう。4クラスもあったのに……。
(何が天使だ)
大衆に囲まれ、笑顔を振りまく秀吉が憎かった。だから長閑はそんな彼をジトーッとした目で見つめる。彼のコミュ力が羨ましいという嫉妬もあるだろう。
「写真いいですか?」
可愛らしくポーズを決めて、頼まれた写真をとる秀吉。その姿はまるでアイドルのようだ。
しかし、長閑には引っかかることがあった。
今のところ、『不良の監獄』と言える状況は校庭でのあれくらいしか目撃していない。長閑の知らない間にいったい何がったのだろう。
コンコンッと何者かが教室のドアをノックした。その音でクラスメイトたちは続々と席につき始めた。
「やっと監獄らしくなったじゃねぇか」
パーマがかかった黒髪の、背が高くガタイのいい男の人が教室に入ってきた。脇には何冊もの冊子を抱えている。見たところ荒そうな見た目だが、結構理知的で博識そうな顔をしている男の人だ。
「ここ、3組の担任になる北条氏康だ」
(北条氏康!?)
北条氏康は、相模国の大名で、政治にも戦いにも優れた無敗の猛将である。有名な小田原城はあの上杉謙信ですら落とせなかったと言われている。まさに関東地方で最強クラスの武将だ。
鋭い視線で北条はクラス中を見渡す。不良が集まる高校にしては生徒たちみんな静かでやりやすそうだ。
「唐突に聞くが、お前らは『トム』のことを知ってるか?」
長閑の背筋が凍った。『トム』……とても言い難いが、これは自分のことである。もうほぼ黒歴史なのであまり思い出したくない。
「この学校がこうなったのも『トム』こいつの仕業だ。まあ、先生たちは大層喜んでありますとも。生徒たちがこんなに真面目になったんだから」
北条の話は続く。
「でもなぁ、西郷高校も南郷高校も、今じゃ日本トップレベルの不良校だろ?そんなら、俺たち東郷が真面目になってあいつら叩きのめそうぜってこと」
どういうことだろう?長閑は首を傾げた。
「てなわけで喧嘩だけはするなよ。もしするっつうなら、いくらでも謹慎にしてやるからな」
その話が長閑には理解できたようで理解できていなかった。なんだか難しい話だな。
まとめると、とにかく喧嘩をするなと言いたいのだろう。
「後世が傷つくだけだからな」
それを最後に、北条は黙ってしまった。生徒たちもさすがにこの内容にはざわついていた。
「どういうこと?」
生徒たちのざわめきを、長閑は軽く耳に入れていただけだった。
『不良の監獄』と呼べるほどの不良校が、ごく普通のほのぼの校になろうとしているのだ。流石にびっくりするだろう。
どうも牛田もー太朗です。作者の好きな数字は8なのですが、みなさんは好きな数字ってありますか?
デジタルの8って、なろうと思えばどんな数字にでもなれますよね。デジタルの8から1本棒を無くすだけで、6にも9にもなれます。おっとどうでも良い話を長々とすみません。
また次回お会いしましょう!




