お茶会をもう一度
「お嬢様? 本当にエドワード様のお部屋へ向かわれるのですか?」
「ええ、そのつもりです……って心配して下さる、ということはさっきの声はーー」
「失礼ながら廊下でも聞こえておりました。心配なさらずともあの場にいたのは使用人、それも信頼のおける者だけですので……ですが主家のご子息とはいえ、あの言動はいかがかと思いましたわ」
そう言ってアンナは眦を釣り上げた。
「まあ、それは良いのです。私も思いっきり言い返してしまいましたし……それよりアンナさんにお願いがあるのです。エドワード様をお茶に誘うに当たって、本当のお茶会みたいにドレスアップしていただけませんか?」
「それは結構ですが……まだ色々と不慣れなお嬢様には負担になるのでは?」
毎日ドレスを着てーーそれも孤児院にいた頃では考えられないほど高価なドレスを着て過ごしているイザベラだが、ドレスを着るための授業を除いては、比較的締め付けが少なくて、軽いドレスを着ている。それはドレスを日常的に着る、と言う経験が圧倒的に足りないイザベラへの侯爵家の人々の配慮だった。
「正直そうなのですが……私結構負けず嫌いでして! エドワード様にとびきり素敵な姿をお見せして、あっと言わせたいのです。それにいつまでも皆様に甘えていては令嬢として成長出来ませんし、エドワード様を見返せませんわ」
そう言って拳を軽く握るイザベラにアンナはクスリと笑みをこぼした。
「そういうことでしたか。かしこまりました、お嬢様。でしたらこのアンナ、腕によりをかけてお嬢様を磨いて見せますーーが、その前に」
「その前に? ですか」
「ええ、せっかくですからまず私達の呼び方と私達への言葉遣いを改めていただけませんか?」
「呼び方ですか?」
「はい、差し出がましいようですが、お嬢様は主人である以上私達への敬称は不要。言葉遣いも丁寧過ぎますわ」
「そ、そうなの……それもそうですよね。けどずっと庶民でしたから人に命令するのって慣れなくて……なんだか申し訳なく思ってしまうのです」
「お気持ちはわかりますわ。でも旦那様や奥様を思い浮かべてくださいませ。あの方は人の上に立つことに慣れていらっしゃいますが、私達のことを邪険にしているように思われますか?」
「……いいえ、そうは思いませんわ」
二人のことを思い出すと、確かにメアリーもロベルトも当然のように使用人達に命令しているが、その言葉には思いやりが溢れており、使用人達も二人の指示にプライドを持って応えようとしているように思えた。
「分かったわ、アンナ。それじゃあこれからエドワード様の部屋に向かうから、身支度をお願い出来るかしら? それと……セレーネは部屋の準備を初めてくれる? そしてヴィオラは頃合いを見て先触れをお願い」
「かしこまりました、お嬢様」
普段のメアリーを思い出し、イザベラは微笑んで侍女たちに視線を向けながら指示を出す。そんな彼女に各々は膝を折って答えたのだった。
「アンナにございます。少しよろしいでしょうか?」
エドワードがいる彼の書斎にドアを叩く規則正しい音が響く。イザベラの侍女となったらしい女性使用人の声にさっき先触れが来たな、と思いつつ「入って良いよ」と声をかける。ゆっくりと開いたドアの方に視線をやったエドワードは思わず固まった。
「んっ!? ……イザベラ嬢、その格好はどうしたんだ?」
エドワードが驚くのも無理はない。そこにいたのは先程盛大に口喧嘩をした、イザベラ。その上さっきまでは室内着よりは少しよそ行き、と言う程度のゆったりしたドレスに髪も軽くまとめただけだった彼女は、これからお茶会にでも呼ばれるかのようなアフタヌーンドレスを着ていた。
アフタヌーンドレスなので露出はほとんどないが、薄い菫色の生地は彼女の白い肌を引き立てる。キュッと絞られたウエストに、幾重にも生地を重ねて広げた腰から下のラインは、女性らしい曲線を描いていて美しい。その上、化粧をし直し、髪も結い直したようで、どちらも先程よりずっと凝ったものになっている。
「突然の訪問申し訳ございません、エドワード様」
そう言って、ふんわりとした裾を大きく広げながらゆっくりと膝を落とすイザベラ。その姿はなかなかに堂々としており、エドワードの視線を釘付けにした。
「いかがですか? エドワード様。私共が腕によりをかけて飾らせて頂きましたの。褒めて差し上げては?」
固まったままだったエドワードはアンナにそう声をかけられて、我に返ったように口を開いた。
「そ、そうだな。とても良く似合っていると思う。野に咲く菫のような可憐さだ」
「あ、ありがとうございます」
先程まで固まっていたとはいえ、そこは貴族の御曹司。さらりと褒める言葉にイザベラは顔を赤くして、少しうつむいた。
「それで? どうして急にそんな姿に? これからお呼ばれか?」
だとしたらわざわざ自分にその姿を見せに来る必要などない。怪訝そうなエドワードにイザベラは勇気を振り絞って上を向く。
「それはですね……エドワード様をお茶にお誘いしようと思いまして。ご両親もいらっしゃるのでいかがでしょう……か?」
「お茶会? 今からか」
「はい、先程みんなで集まりましたが、エドワード様はお茶の一杯も飲まれずにお部屋に戻られましたでしょう。ですからもう一度お茶をしてはどうか、と思いまして。ご両親もお待ちですし、料理長はエドワード様のお気に入りの焼き菓子を焼いてくださりましたわ」
なのでどうでしょう? と少しだけ震えつつもしっかりとエドワードと瞳を合わせるイザベラに彼は嘆息した。
「分かったよ……これから向かうとしよう。間違うな、別にイザベラ嬢に誘われたからじゃない、父上や母上をこれ以上お待たせする訳には行かないからだ」
「わかりましたわ、ありがとうございます! エドワード様」
エドワードの言い訳は軽く流して、嬉しそうに返事をするイザベラにか彼は少し居心地悪い気持ちで席を立つのだった。
つい1時間程前までいた部屋のテーブルを侯爵と侯爵夫人、それにエドワードとイザベラが囲んでいる。テーブルの花は侍女たちによって新しいものに変えられ、その隣に置かれた籠には果物を練り込んだ料理長特性のクッキーが積み上げられている。もちろんポットのお茶も新しく淹れ直されて、もう一度お茶会が始まった。
先程よりも凝った作りのドレスの扱いに少し苦労しながらもイザベラはエドワードと公爵夫妻の話に耳を傾け、時より相槌を打つ。とそろそろ各々が一杯目のお茶を飲み終えるか、と言う頃に唐突にエドワードがイザベラに視線を向けた。
「ところでイザベラ嬢、先程から私達の話を聞いてばかりだが、仮にもイザベラ嬢がお茶に誘ったのなら、何か話しかけてはどうだ?」
「エドワード! またそんなことを」
嘲笑うような表情にメアリーが声を上げるが、イザベラ負けないわ! とばかりに、それに答えた。
「失礼しました、エドワード様。でしたら……そうですわね、エドワード様の好物はなんでしょうか?」
「これはまた脈略も何もない質問だな」
「おい!エドワ……」
今度はロベルトがエドワードが叱責しようとするが、彼が続けてイザベラの質問に答えだしたことで口をつぐんだ。
「そうだな……料理長から聞いたかもしれないが今テーブルにあるオレンジのクッキー、これはまさに大好物だ。オレンジは子供の頃から領地に行く度によく食べていたからね」
そう言いながら、幾度も何かを訴えるようにイザベラに視線を向けるエドワード。彼の言葉にイザベラはパッと頭に浮かぶものがあった。
「オレンジはマイルウェル侯爵領の特産ですものね。ええっと、ロベルト様の代からはマーマレードなどの生産も盛んだ、とか」
「そうだ、正確にはもとからやっていたのだが、父上が機械での大量生産に踏み切ってマイルウェル領の名物としたんだ」
「マイルウェル領ですと他にも果樹栽培が盛んですわよね。桃ですとか」
「この時期だと苺もだな。街道沿いを走ればあちこちで見ることが出来る」
「苺ですか! 私大好きなのです。そう言えばマイルウェル領の街道ロベルト様の代になられてから再整備されたのですよね」
「ああ、そうだよ。よく勉強しているね。作物の生産してもそれを都市へ早く運べなければ高くは売れないから」
「これは私の発案なのよ」
「そうなのですねメアリー様。私は王都から出たことがないのですが、マイルウェル領への街道はとても広くて快適と聞いたことがあります」
「ふふ、そんな噂になっているなら嬉しいわ」
「子供の頃には冬の度に農夫達が街道工事に集められて……よく私も差し入れなどを手伝ったよ」
エドワードの好物の話からマイルウェル領の話へと話題が広がり、彼の助けを借りつつ、イザベラがマイルウェルのことをあれこれと侯爵家の皆に尋ねる。
いつの間にか話題の中心にいるイザベラの姿に侯爵夫妻は顔を見合わせて微笑んだのだった。




