第12話
「ふぅ、極楽だね」
温かな湯に浸かりながら、ミリアは闇夜に浮かぶ月を見上げた。
村にある温泉で一日の疲れを落とす。贅沢すぎる時間だとミリアは両手ですくった湯で顔を洗う。
「温泉か……話には聞くけど、入るのは初めてだな」
旅の途中で何度か火山のある地域も抜けたことはあるが、ぬるすぎたり、逆に温度が高すぎて人間が浸かれるものではなかったりと、まともなものはミリアも初めてだ。
となれば、裏の山は火山である可能性も高い。ますます調べたくなるところだが、ミリアはなんとか我慢した。
「湯加減はどうですか?」
ミリアが温泉を堪能していると、後ろから声がかけられる。振り返れば、タオル片手のサナが堂々と裸体を晒していた。
「さ、サナさん!?」
「? どうしました?」
当然のように入ってくるサナにミリアは慌てて身体を隠すが、サナは気にしてすらいない。どうやらこの村では同性同士の裸のつき合いは普通のようで、ミリアはとりあえずと隅に移動した。
「探しものは順調ですか?」
けれど、サナの方から近づいてくる。逃げ場がないことを悟ったミリアは、諦めたように身を晒した。郷には入っては郷に従え。ここでは隠す方が失礼なようだ。
「ええまぁ。ただ、妙なところが」
「妙?」
ぴたりと肩を寄せてくるサナに緊張しながら、ミリアは思案げな顔で口を開く。
「竜神に関わる資料だけがほとんど存在しないんです。他の事柄は几帳面なほどに纏められているのに」
ときおり記述が出てきたりはする。けれど呼び方は曖昧で、ついぞ「竜神」という単語を見ることは叶わなかった。明らかに不自然で、意図的なものなのは明白だ。
特に祭事に関する資料がひとつもないというのはおかしい。農耕で成り立つ村だ。豊穣祈願にしろ治水にしろ、なにか顔を出すものが必ずあるはず。
「……そうですね。竜神様は特別な存在ですから。むやみに文字に記すということが禁じられているのです。もしかしたら纏まったものはないかもしれませんね」
「そうなのですか?」
サナの言葉にミリアは「参ったな」と聞き返した。神を奉ってる地域ではときおりある風習で、そうなれば資料探しは難解極まりないものになる。
ただ、その場合は文字に変わる伝達の方法があるのが通常だ。ミリアの視線で意図を察したのか、サナはゆっくりと村に纏わる伝承を話し始めた。
「私たち竜の巫女は口伝により竜神様の習わしを引き継ぎます。それは歌にもなっていて、祭事ではその歌を竜神様に捧げるのです」
なんとも興味深い話だ。「聞いても?」というミリアの声に、サナはこくりと頷いた。
サナの唇が滑らかに動きだし、この村に纏わる竜神の伝説を歌い出す。
その昔、この村は人が生きてはいけぬ土地になった。
大地が轟き、火と灰の雨が降り注いだからだ。
生き残った人々は泣き崩れ、山の神に祈りを捧げたが火は止まることはない。
そんなとき、東の空から一匹の竜が舞い降りた。
竜の嘶きと共に空は晴れ、神の怒りはなくなった。
その後、巨大な鼠の亡骸が川から村に流れ着いたという。
山の神は入れ替わり、村に平穏が訪れた。
(ありきたりな昔話だ……)
文字に起こせばチープなそれを、ミリアは疼く身体で聞いていた。
サナの歌は、竜神の魔力でも宿っているのだろうか、それでも聞くものに竜神の偉大さを伝えてくれる。
(文字に記すのを禁ずる……ね)
なんとなくだがその気持ちも分かるというもの。事実だけでなく、この感情を伝えてこその口伝だ。
「竜神様はいつも私たちを見守ってくれています。ミリアさんも、その加護を一心に受けていることでしょう」
「私もですか?」
歌い終わったサナは微笑みながらミリアを見つめる。そして、濡れた手でミリアの赤毛をそっとすくった。
長い指で湯を通され、思わずミリアが赤面する。
「綺麗な赤毛。羨ましいです」
「そ、そういえば……なにか言ってましたね」
赤毛の旅人は優しくもてなせ、だったろうか。正直、あまり褒められたことがないのでどきどきしてしまう。
ちらりと覗いたサナの髪は綺麗な黒髪で、ミリアからすればそちらの方が羨ましい。
「ええ、赤毛はこの村では特別な意味があるのです」
「赤毛が?」
ミリアの問いかけに、再びサナは昔話を始める。それは、村を救った一人の旅人の話だった。
「竜神様が来てくださって以降、村に災いがなくなったわけではありません。竜神様の怒りを買えば、再び山の火がこの村を焼くことになるのです。……事実、数百年ほど前に一度、私たちは竜神様の怒りに触れてしまいました」
そのときに、一人の旅人が村を訪れた。
「赤い髪の女性だったといいます。たちまちに竜神様の怒りを静め、村を守ってくださったのです。……その方が、初代『竜の巫女』であると伝えられています」
なるほどとミリアは自分の髪先を触った。サナからしても偉大な先輩に当たるわけで、どうりで自分に対する待遇がよかったはずである。
「本当は私の髪が赤毛ならよいのでしょうが……ふふ、ないものねだりはするものではないですね」
微笑むサナにミリアも照れくさそうに笑った。
髪は黒くともサナが巫女として一人前であることは、先ほどの歌を聞けば一目瞭然だ。自分も歌を嗜む者としてそう伝えると、サナは嬉しそうに笑顔を深めた。
「なんだか、楽しいです。あまり同年代の友達もいなかったものですから。こうしてお話するのなんて、何年ぶりでしょうか」
胸を温かくするサナの言葉に、ミリアはにこりと笑う。
「だったら、私でよければ友達になりましょう」
「ほんとですか!?」
驚くサナに、ミリアは頷いた。またそうやってとクゥに怒られそうだが、こんないい子をミリアは知らない。
つかの間の旅路だが、友情を育むのに理由は要らないとミリアは微笑んだ。
◆ ◆ ◆
数日後、ミリアは倉の中で汗を流していた。
探しても探しても見つからぬあてのなさに、流石のミリアも疲れてくる。
本や紙束を移動させるだけでも重労働で、ミリアは今朝方の自分の発言を後悔していた。
「はは、やっぱりクゥに手伝ってもらうべきだったかな」
連日の資料探しにクゥは飽きてしまったようで、今日は屋敷でお留守番だ。クゥが話しかけてくるのを無視して作業に没頭していた自分が悪いとはいえ、こう力仕事が多いと途端に恋しくなってしまう。
「酷い女だな、私も」
全く以てその通りだ。今日は早めに戻ってクゥと遊んであげようと、ミリアは見終わった資料を山の上に重ねた。
そのときだ、重心を崩した本の山がミリアの上に雪崩かかる。しまったと思ったときには、ミリアは本の波に飲まれていた。
「いててて……くそ、罰が当たったかな」
尻餅を付いた身体を起こして、ミリアはのし掛かってきた本達を脇に寄せた。
そして、開けた視界の先に奇妙なものを発見する。
「……あれは?」
本の山で隠されていた先、そこにはひとつの扉が備えられていた。
「なるほど、感じていた違和感はこれか」
外から見たときよりも、中が狭い気がしたのだ。資料や棚ばかりで分かりづらかったが、単純にもう一部屋あったということだろう。
ミリアは扉に近づくと、ふむと腕を組んで錆びた鍵を見つめた。
「ま、入るよね」
倉の捜索許可は出ているのだ。構いやしないだろうとミリアは扉の奥に侵入する。少し力を入れると、腐った鍵は簡単に砕け散った。
埃っぽい空気が舞い上がり、せき込みながらミリアは奥の部屋を見回していく。
随分と狭い。ただ、部屋には一面に棚が設けられていて、そこに刺された一冊の本をミリアは手に取った。
「……これは」
ミリアの胸が躍る。そこには、堂々と竜神の文字が記されていた。
これもよくある話だ。要は文字に記すのを禁じる決まりは初めからあったわけではない。ならば、それ以前に記された書物がどこかにあるはずだ。
「それらを保管していたのがこの倉か」
分からなくはない。文字を禁じた際、ではそれまでの書物はどうするのかということになる。焼いて焚き上げる場合もあるが、あまりにも神聖の高いものは燃やすに偲びなかったのだろう。
「私にとっては好都合だ」
にやりと意地悪くミリアが笑う。こんなもの、残しておく方が悪い。
中をぺらりとめくり、興味深げに読み進めた。
そこにはミリアが欲していたもの。竜神の伝承や特徴が、事細かに記されていた。
「お、おい……ちょっと待て」
しかし、とあるページでミリアの手が止まる。
文字を追い、そこに記された言葉に汗が流れた。
自分の髪先を一度触り、ミリアは次のページをめくり上げる。
その三行目を読んだ途端、ミリアは本を放り投げた。
「しまった! ……クゥ!」
身体を反転させ、急いで屋敷へ向かおうと身体を起こす。
その瞬間、ミリアの目が驚愕に見開いた。
彼女の悪い癖だ。作業に没頭すると周りの音が聞こえなくなる。
頭に鈍い痛みが走り、ミリア・アバンテールの意識は消失した。




