第11話
土に鍬を入れる音が響いた。瞬く間に開墾されていく土地に、サナはあんぐりと口を開ける。
「す、すごいですねクゥさん」
「はは、凄いってさ。よかったね」
村の一角にある畑。まだ硬いままだったその場所が、ものの数分で柔らかな土肌を晒け出していた。
鍬を持ち農作業に勤しんでいた竜神は、感嘆の声に複雑そうな表情で答える。
「こんなものただ撫でてやるだけだ。地面をめくって、一体なにが面白いのやら」
理解できていない風の竜神に、ミリアが笑いながら手に持っていた籠を見せた。中に入っている種籾にクゥは鼻先をくんくんと向ける。
「麦の実ではないか。そのままでは人間は食えぬのであろう? それとこの土遊びと何の関係がある」
「ふふ、そうだね。これも熱を入れれば食べられない訳じゃないけど。……これはこうするためのものさ」
ミリアの指先が耕された地面に押し当てられる。小さく空いた穴にはらりと落とされる一粒をクゥは不思議そうな顔で見つめた。
「なにをしている。捨てるのか?」
「まさか。種は知っているだろう。植えた種はどうなると思う?」
問いかけられ、クゥはますます眉を寄せた。知っているもなにも、自然の摂理だ。森の主が知らない方がおかしい。けれど、そんなはずはないだろうと竜神は口を開いた。
「よもやその種から芽が出て、再び実を付けてから食おうなどと言うのではあるまいな?」
「そのよもやさ」
土を被せながらミリアは柔和に微笑んだ。クゥの目が開き、顔をサナの方へと向けてみる。こくりと頷くサナを見て、呆れ果てたと竜神は空を見上げた。
「愚かな。種は全て芽を出すわけではない。それこそ袋の中身全てを蒔いて、息吹くのは数粒ほどだ」
「確かにね。普通ならそうだろうさ。ただそのために人は、地面を耕し、土に栄養を蒔き、毎日絶やさず水をやる」
ミリアは立ち上がると腰を叩きつつ伸びをした。いい天気だと目を細め、歪み尽くした竜神の顔を見やる。
「酷い顔だね。せっかくの美形が台無しだ」
「……割に合わぬ。そこまでせずとも、あるなら火を通して食えばいいではないか。麦などまた探せばよい」
もっともな竜神の意見に、ミリアはさてと頬を掻いた。どう説明すればよいものか。
農耕は人類の偉大な発明のひとつだ。ミリアが口を開こうとしたとき、凛とした綺麗な声が畑に響いた。
「クゥさんは、麦畑はご覧になったでしょうか?」
「ん? うむ、見たには見たが」
微笑んで、小さく「よかった」と目を細めた。
「立派だったでしょう。自然に、あれほどまでに美しい麦はありません。一粒の種はいずれ一房に。その内の一粒がまた次の年には一房に」
サナは麦畑のそよぐ音に目を細めた。愛しげな表情で、竜神とは知らぬ相手に人の営みを紹介する。
「そうやって何年も何年も、美しい麦畑を維持していくのです。同じ地で、ずっと……人はそれを、故郷と呼びます」
クゥもミリアも、サナの話に聞き入った。「参ったな」とミリアが苦笑しつつ頬を掻く。
ちらりと横の竜神を見やれば、感心した瞳で他の雌を見つめていた。
「浮気心とか湧いてないだろうね?」
「まさか。我はミリア一筋だ」
即答にミリアは一瞬面食らった。見下ろしながら、「?」と首を傾げてくる竜神にミリアは再び頬を掻く。
「だめだね、私も」
苦笑いをしながら耕された地面を覗くミリアを見て、サナもくすりと笑うのであった。
◆ ◆ ◆
「ありがとうございました。お客様に、畑仕事まで手伝ってもらってしまって」
「いえいえ、気にしないでください。部屋に加えて、あんなに豪華な夕食まで。なにかしないと居心地が悪いです」
言って、ミリアは開けられた扉の奥に目を輝かせた。
埃の匂いだ。多少喉にまとわりつく程の煙たさは、倉の年期の入り様を物語っている。
それでも最低限の手入れはされているようで、仕舞われた品々には目立った痛みはないようだった。
「竜神様のお話含め、村の記録の数々です。……私たちにはもう読み解けないものもありますが、ミリアさんには嬉しいものかもしれません」
「いいんですか? 私なんかが使っても」
ミリアの声にサナはこくりと頷いた。一冊の本を手に取り、表面に付いた埃を払う。
「赤毛の旅の方には尽くせよと父が。それに、もしかしたら村の為になる記録もあるやもしれません。そのような物があれば、是非ご報告してくださればと」
「わかりました。贅沢をさせて貰っている身です、なにか使えそうな資料があれば纏めさせていただきます」
喜ぶミリアを見やって、サナも柔和に微笑んだ。
立ち去る背中を見送りつつ、上機嫌でミリアは倉をぐるりと見回す。
「なんとも陰気な場所だな」
「ふふ、私には宝の山だけどね。……裏山の調査は取り次げなかったけど、まぁいいさ。ここなら竜神の正体くらいは分かりそうだ」
棚に積み上げられた本の山にミリアが心躍らせる。一冊手に取ってみれば、そこにはとある年の麦の収穫高が事細かに記録されていた。
竜神には関係はないだろうが、頼まれた仕事だ。パラパラとめくりつつ、ミリアは重要そうな部分を洗っていく。
「お、見てごらん。これなんかは石段の修復の記録だ。……よほど大事にしているようだね」
「ふむ。我にはさっぱりだが、確かにあの山はうっすらと霊気を帯びていたな。信仰が強い証拠だ」
なるほどねとミリアはクゥの説明に頷いた。魔力を持たぬ人間だが、その想いや信仰で囲われた場所には霊力が宿る。いわゆる聖域という奴だ。
「そこまでくれば、やはりこの村の竜神は大した存在なのかな?」
「さてな。我より強き竜がいるとも思えぬが、雌ということもある。力はなくとも妙な神通力を使う輩もいるし、こればかりは会わぬことにはなんとも言えぬな」
とはいえ、裏山に入れぬ身であるのだから仕方がない。ミリアは眉を寄せつつ、新しい本に手を伸ばした。
「せめて鱗の色だけでも分かるといいんだけど……この分だと骨の折れる作業になりそうだ」
最悪サナに聞いてしまおう。ミリアは積み上げられた本を見上げながら、気合いを入れるように袖を捲り上げるのだった。




