七生の笑顔、その影に
【秋山海斗】
試合中継が終わり、年配の方たちは試合の感想を言い合いながら各々自分の部屋へと戻っていった。
「そんじゃ、おやすみー!」
七生は年配の方たちに大きく手を振って見送る。
「七生ちゃん」
すると、最後に部屋を出た孝子さんが、七生に声をかけた。
「今日は楽しかったわ。私のためにありがとね」
孝子さんは七生のにの腕をそっと掴んでお礼を言う。
「これでもう、人生に思い残すことは何もないわ。安心して主人のところにいけそうだわ」
「何言ってるんだよ。まだまだこれからだって!」
七生は孝子さんの肩をポンっと優しく叩く。
「これからなのは七生ちゃんたちの方でしょ? 私と違って長生きなんだから」
すると、七生の笑顔がスッと消失する。
「……七生ちゃん、どうしたの?」
心配した貴子さんが声をかけると、七生はハッと目を見開いた。
「ちょっと、ボーっとしてた。ごめんごめん」
七生は誤魔化すように笑ってみせる。
「準備で疲れちゃったのね。今日はゆっくり休んでね」
「ああ、ありがとう。孝子のばあちゃんもお休み」
「ええ、お休みなさい」
貴子さんが1人でゆっくりと寝床に戻っていくのを俺たちは見送った。
これで、年配の方たちは全員部屋から出たので、残った俺たちでテーブルやスクリーンを元の場所に戻さなければならない。
「さて、片付けでもするか」
七生は両腕を伸ばしてリラックスする。
「七生、大丈夫?」
「ん〜、何が?」
七生は俺に背を向けて無知を装う。
これ以上問い詰めるのは野暮だ。
「やっぱり、なんでもない。片付け手伝う」
俺は扉の前で立ち尽くす七生を横切って、ひと足先に部屋に入った。
「悪いな。心配かけさせて」
七生が憂い漂う声色を零す。
「いや……」
俺は謝る七生に返す言葉を見つけられずにいた。
「正直、一瞬怖くなったよ。孝子のばあちゃんに悪気が無いのは分かってるんだけどさ。でも、思ったよりもキツかったな……」
「七生……」
「でも、こんなのに恐れてちゃ、この先楽しく生きられないからな」
七生は自分の腰に手を当てて、天井を見上げた。
『自分を持たないことが贖いになると思ってるの?』
いつか美奈に刺された言葉をふと思い出した。
ナイフのように鋭利な言葉は痛くて、呼吸すらままならなくて、立ち直ることも難しかった。
鋭利な言葉を刺された人間なら、誰だってそうなってしまうはずだ。
なのに、悪気無く刺された七生は何事もなかったかのように、平静を装っている。
それが七生の矜持で、それが今燦々と輝いて見えた。
未だ暗闇で動けずにいる俺にはその姿が眩し過ぎて、自分が彼女のようになろうとするのはあまりにもおこがましく思えてしまう。
きっと、俺は彼女のようにはなれないだろう。
「すごいね、七生は」
だからなのか、自然とその言葉が溢れた。
七生は俺から出た意外な言葉に目を丸くする。
「なんだよ、急に」
「思ったこと、口にしただけ」
「そっか、あんがとな!」
七生は子供のように歯を剥き出して笑った。
「そんじゃ、気を取り直して片付けやるか!」
今度は七生が俺を横切って、目の前にある椅子を持った。
俺も七生に続いて椅子を持ち運ぶ。
しかし、足がまだ本調子ではない俺は、周りよりも作業のスピードがあからさまに遅かった。
年配の方たちを見送り、部屋の片付けを済ませた俺たちは3人で打ち上げをした。
「おつかれー!」
七生がジョッキを掲げて乾杯する。
因みに、飲み物はビールに似せた泡付きのりんごジュースだ。
七生と陽炎は豪快にりんごジュースを飲み、プハーと声が出る。
「いやー、まさか南米の強豪に勝てるとはなぁ」
「そんなに強ぇところだったのか?」
「相手は初代世界王者だぞ? 勝つこと自体凄い」
「そうなのか」
「陽炎が来た瞬間、決められた時はどうなることかと思ったが……」
「お前、まだ言うか……」
「結果良ければ全て良し」
2人の間に口を挟むと、両方の視線が俺に集まる。
「まぁ、その通りだな」
「兄貴はちゃんと良いこと言ってくれるのに……」
陽炎がチラッと七生を一瞥する。
それから、俺たちはずっと今日の試合のことで盛り上がっていた。
……はずなのだが。
「大体お前は口の利き方が悪いんだよ。女ならもっとお淑やかに喋れってんだ!」
「性差別たぁ、考え方が昭和一桁だな! このクソジジイ!」
「んだと、こらぁ!」
いつの間にか違う話題に変わっていて、何故か2人は喧嘩を始めていた。
しかも、2人とも顔を真っ赤にして、呂律がおかしくなっている。
これ、アルコール入ってないよな……。
温度が上がり続ける2人は、口論だけでは収まらず、お互いに頬を引っ張り合う。
俺はりんごジュースをちびちびと飲みながら、2人の子供みたいな喧嘩を見守った。
すると、遠くから甲高い靴の音が、コツコツと響き渡る。
そして、頬を引っ張り合う2人の頭を思いっきり叩きつけた。
2人とも膝をついて、頭を抑える。
「痛ぇ……」
「ぐぅ……」
「いい加減にしなさい2人とも!」
暴れる2人を叱りつけたのは、俺の姉である美奈だった。
「ミナネー、殴るなら先に言ってよー……」
殴るのは許すんだ……。
「あんたも止めなさいよ……」
美奈は呆れ顔で俺に言う。
「止めたら、またどこか折れそうな気がして……」
「否定できないわね」
俺の悲惨な状態と、危なっかしい2人を交互に見て美奈は深く納得する。
「とにかく、七生はもう寝なさい。あと、陽炎君も早く帰りなさい」
「「へーい」」
七生は美奈と一緒に自分の病室へ戻り、俺は陽炎を病院の入り口まで送った。
自動ドアが開かれると、生暖かい空気が俺たちを出迎えた。
外では、アオマツムシの鳴き声が、夜の空気を震わせる。
「うっひゃー、今夜は月がきれいっすねー」
陽炎は空から照らす大きな満月を見上げて感嘆の声を漏らす。
きっと、見た目通りのことを言っているだけで、言葉に深い意味は無いだろう。
「送ってくれてありがとうございます。それじゃあ、また明日」
「……」
「……兄貴?」
俯き黙り込む俺に陽炎は気遣わしげに覗き込む。
「……1つ、はっきりとさせたいことがある」
すると、陽炎の面持ちが堅くなる。
陽炎の中で心当たりがあるのだろう。
俺は小さくため息をついて、口を開く。
「陽炎、俺に何か隠してるでしょ?」




