風に吹き込む真実
【秋山海斗】
七生の希望通り陽炎には外れてもらって二人きりになったのだが、何故か病院の屋上に連れて来られた。
「はぁ〜、風が気持ちいいなぁ」
七生は屋上の床に仰向けになって、南から吹く風を一身に浴びている。
「俺の病室で良かったんじゃ……」
「あんな辛気臭い場所じゃ、言いたいことも言えねぇだろ?」
「それは俺を車椅子で押してまで大事なの?」
「おっかしーなー。私の覚えだとお前、お姫様抱っこできるくらいには軽くなかったか? 太ったのか?」
「普通に体が成長しただけだと思う」
「そっかー、あれから結構経ったもんな」
「……そうだね」
水色とオレンジのグラデーションを描く夕空を眺めて、七生との日々を思い出していた。
「お前今何してるんだ?」
「普通に高校生だよ。制服からして七生と同じだと思う」
「嘘だろ!? じゃあ、私たち一年間全く気づかなかったってことか!?」
七生が驚いて飛び起きる。
「学校あんまり行ってないから」
「そっか……」
平静になった七生は再び寝転がる。
「まぁ、私も実のところあんまり学校行けてないんだよな」
空に向かって呟く七生の言葉を、俺は何となく分かった気がした。
七生はこの病院から抜け出そうとしていた。
そう、単純に病院から出るのではなく、抜け出すのだ。
裏を返せば病院から出ることを許されていないことになる。
つまり、ここから出ることが許されない程に、七生は重い病気を患っていることでもあった。
「病気、まだ治ってないんだね」
すると、七生は自分の心臓に手を置いた。
淡い夕空を見つめたまま何も言わず、風の音だけが静かに耳を撫でる。
――やっぱり、覚えていたか。
そんな言葉が七生の中でだけ、そっと呟かれたような気がした。
「あぁ、治ってないどころか、治す術も無いからな。私の病気は……」
七生は小さく鼻を鳴らして笑う。
単にカッコつけているだけなのか、それとも心の中で強がっているのか。
今は確かめることはできない。
「あの時の約束、覚えてるか?」
七生との約束__。
それは、俺と交わしたたった一つの約束__。
「病気のことは誰にも言ってはいけない、だよね?」
それを聞いた七生は安心したように、笑みを浮かべる。
「そう、それ。覚えててくれてよかった」
このさっぱりとした性格からは信じ難いが、七生は会った当時から体が弱かった。
だから、学校へ行くことは医師から反対されていた。
だが、この現実に納得できなかった七生は、病院を抜け出してこっそりと学校に行くようになったのだ。
この約束は学校の友達に気を遣われないためのもので、高校生になった今でも続いている。
「同じ学校なんだとしたら、関わる機会も多くなるだろうから、これからも頼む」
綺麗に並んだ歯をむき出して笑う。
「うん……」
しかし、俺はどうも腑に落ちないことがあった。
「どうしたんだ?」
俺の表情で何かを察した七生が詰めかける。
「いや、陽炎には病気のこと言わなくていいのかなって……」
今の陽炎は所謂七生の側近のような立ち位置だ。
でも、そんな垣根なんて最初から無いみたいに、口喧嘩をしていた。
仲良しとまでは言えないにしても、気持ちの裏側ではお互いに繋がっている部分があるのではないかと……。
七生は微動だにせず、俺の言葉を受け止めていた。
そして、深い青色に染まっていく空を見て言う。
「あたしたちが初めて会った時にさ。一人の大人が私のことを捕まえようとしてたこと、覚えてるか?」
「うん……」
それは俺が七生を思い出したきっかけである記憶に違いない。
「あの男、私の病気を知っててさ。だから、私がいくら話しかけても、冷たくあしらわれるだけだった」
その頃の記憶が鮮明に蘇る。
それは、ランドセル姿の七生が、眼鏡をかけた中年くらいの男性に首根っこを掴まれていた。
男は余計な仕事を増やすなと言わんばかりに七生に怒鳴りつけ、七生の言葉には一切触れなかったのだ。
「でも、あいつの態度が己を守ることに繋がるっていうのも納得できた。あたしの病気は誰かを不幸にする呪いみたいなものだからな」
愁を帯びた目をしていた七生を見て、彼女が何故隠そうとするのか、ようやく分かった気がした。
「ミナネーは医者だから仕方ないとして、お前はそこんとこどうなんだ? お前はもう全部分かってるんだろ?」
「俺は……」
七生の言う通り、俺はきっと分かっているのだ。
七生の病気のことも――。
そして、彼女がこれから辿る末路も――。
でも、そんな七生に対して、俺自身の答えは分からなかった。
これまで、自分の気持ちなど、これっぽっちも考えてこなかったからだ。
涼しい風が吹いている屋上で、七生は辛抱強く俺の言葉を待っている。
「これから七生がどうなっても、俺は多分ずっとこのままだよ。だから、昔もこうやって一緒にいれたんだと思う」
横から吹く風が俺の前髪を揺らす。
俺には誰もが思い描くような友情なんて持っていなくて。
でも、七生にとってはそんな中核を覗き込んでも、動じない存在の方が関わりやすかったのだろう。
七生の言葉を借りるのなら俺は“誰かを不幸にする呪い”とやらには耐性があるからだ。
だからこそ、俺は七生に訊かなければならない。
「……でも、陽炎は違う」
陽炎は俺みたいに情の薄い人間ではない。
楽しい時は豪笑し、怒る時は怒号を浴びせる。
俺が目覚めた時も、骨が軋む程に心配していた。
そんな陽炎が七生の奥深くまで知るということは、耐えられない痛みに苛まれるのではないだろうか。
もう二度と、立ち直ることができなくなるのではないだろうか。
七生は分かっていると言わんばかりに平然としている。
「そうだな。陽炎はお前と何もかもが違ってる」
すると、七生はおもむろに白い歯を零しこう言った。
「でも、だからこそ私の夢を叶えてくれそうな気がするんだ」
「……夢?」
「そう、こんなあたしが抱いたたくさんのちっぽけな夢。でも、呪いのせいで叶えることが難しい夢」
空はすっかり闇に覆われ、無数の星たちが俺たちを見守っていた。
七生の瞳には瞬く星たちが映り、希望の光のように輝いている。
「そっ、あたしはこの世界で自分の夢を叶えたい。そのためには、あいつとは会って間もないけど、なんかあいつの存在が必要な……そんな予感があるんだ」
七生の輝かしい目つきで、心にすとんと落ちた。
これからの七生には陽炎の存在が必要になる。
だから、余計に自分のことを知られることを拒むのだ。
知ってしまえば、紡いできたものが壊されていき、七生にとってそれは何よりも怖いことなのだと。
それは、俺が心の内に隠してきたものと、どこか似ていて。
だからこそ、俺は七生を強く否定することができなかった。
「だから、あいつには病気のこと言わないでくれ」
まるで、自分が背負っている運命など、微塵も重荷に感じていないような屈託のない笑顔だった。
それは、俺では到底辿り着くことができないけれど、焦がれるような心の強さに見えた。
もし、二本の足で立っていたならば、気圧され膝が折れていたに違いない。
「分かった。俺からは何も言わないようにするよ」
「そっか。んじゃ、この秘密は継続ってことで、よろしくな!」
無邪気な子供のように白い歯を零して笑いかける七生。
俺たちはもう数分夜空を照らす星々を見て、軽い雑談を交わした。




