約束
~old memories~
【淡々とした少年】
灰色の空から降ってきた真っ白な雪が、時間とともに雪解となりつつある頃。
僕は変わらず“その人”のいる病室に入り浸っていた。
「ねぇねぇ」
珍しく僕の方から話しかけると、“その人”は少し遅れて反応した。
「どうしたの? ミーちゃん」
いつもより細い声に、どことない違和感を感じる。
まるで、何かが“その人”から、元気を奪い取ったかのような感覚だった。
その違和感が不安へと染まりそうになったが、無理矢理邪念を振り払って話を続ける。
「僕、実は行ってみたい所があるんだ」
「ミーちゃんの方から言ってくれるなんて。どんな所かな?」
僕はランドセルからパンフレットを取り出して、“その人”の目の前で大きく広げた。
「この前、江坂に頼んでもらったんだ。綺麗な桜が見れるんだって」
「そう……」
“その人”は目を細めて、静かに微笑む。
「それじゃあ、春になったら一緒に行こうね」
微笑みながら小指を差し出し、僕の小指と絡ませた。
その指はとてもやせ細っていて、小指の力も弱弱しかった。
◇
【春香由紀】
予定の時間になっても、海斗君が来る気配は全くない。
時間が経つにつれ雨量も増し、激しい雨音が心をざわつかせる。
流石の陽炎君も冷静ではいられなかったようで、腕を組んでリビングのあちらこちらを小刻みに歩き回っていた。
「来ねぇな、兄貴」
「もしかして、事故に巻き込まれたんじゃ……」
それを聞いた陽炎君は足を止め、顔色が真っ青になる。
「でも、まさか兄貴に限って、そんなヘマは……」
「そうじゃなかったとしたら……美奈さん」
「誰だ、そいつは?」
ぼそっと呟いたその名前に、陽炎君が反応する。
「海斗君のお姉さんって言ってた」
「兄貴の姉さんか。話なら聞いたことがあるな」
「私は美奈さんに追い出されたの。よそ者だから当然と言えば当然だけど」
「それなら兄貴の捜索だって、止めるはずだが……」
「でも、海斗君は陽炎君に電話した時一緒に捜すようなことを言ったんだよね?」
「そうだな」
考えれば不自然だ。
あの場に美奈さんがいたのなら、海斗君が捜しに外に出ることは反対するはず。
海斗君は美奈さんに逆らえない様子だったし、まず有り得ない。
でも、もし美奈さんが席を外して、その隙に家を出たのだとすれば――。
戻ったところを美奈さんが気付き、海斗君を捜し出した先に待つものは――。
「もしかして、途中で美奈さんに捕まったとか……」
「まぁ、もしそうだったら事故に遭ってるよりはマシかもな。殺されるわけじゃねぇし」
「……そうだね」
私はカーテンを握りしめ、月も見えない漆黒の夜空を見上げる。
「今日はもう寝た方が良い。後は俺に任せろ」
陽炎君はそう言うと、私の寝床に両親の部屋を案内してもらった。
仲睦まじい陽炎君の両親は、寝る時も一緒らしい。
「ここ使ってくれ。朝ご飯は俺が用意しとくから、ゆっくりと寝てていいぞ」
「何から何までありがとう」
「いいってことよ。そんじゃ」
陽炎君が扉を閉め、部屋の中は私独りになった。
誰も見ない空間で、私はズボンを脱いで晒した太腿で布団の感触を堪能する。
そして、枕に顔をうずめ、甘い匂いに酔い浸れた。
お風呂場で使ったシャンプーと同じ匂いだ。
寝返りを打つと、もう一つのベッドが見える。
誰もいないそのベッドに、あの日一緒に寝てくれた海斗君の残像が映る。
海斗君はまだ来ない。
もし私のせいで、海斗君に何かあったのだとしたら、私はどうすればいいのだろう。
雨の音が不安を募らせるように、強さを増していく。
私はその音を遮るように、布団を被って深い眠りについた。
海斗君が無事でありますようにと祈りを込めて――。
窓から零れる光に充てられて、おもむろに目が開く。
昨夜の雨音は綺麗に消え去り、晴れを祝うように小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
窓に映る木の葉たちは朝露でキラキラと光り、一滴ずつ地面に落としていた。
とうとう海斗君と再会できないまま、朝を迎えてしまった。
外はこんなにも晴れているのに、私の心は未だ雨雲に覆われている。
まだ乾ききっていない制服に着替えると、湿った部分が肌に触れて気持ち悪かった。
階段を降りてリビングに入ると、既に陽炎君が朝ご飯を用意してくれていた。
「おっ、起きたか」
「おはよう」
寝起きからなのか不安からなのか、自分でも分かるくらい声が小さくなっていた。
「おねぇちゃんおはよう!」
すると、悩みなんてこれっぽっちもなさそうな元気いっぱいの咲ちゃんが、思いっきり私に抱きついてきた。
「咲ちゃんおはよう」
こんなにも可愛い生き物には、抱き返して頭を撫でるのが一番いい。
「おはようございます」
対して玲君は丁寧にお辞儀をする。
「メシ出来たから、二人とも早く食えよ」
陽炎君にそう言われて、私たちは食卓を囲って一緒に朝ご飯を食べた。
そして、陽炎君はリモコンを手に取り、朝のニュースをテレビ画面に映す。
今日は夕方頃に再び雨が降ると、画面の向こうのお天気キャスターが告げていた。
「ゲッ、また雨か……。どうなってんだよ、日本の気象は」
陽炎君は食パンを咀嚼しながら、文句を垂れる。
「今年は三月になっても寒かったもんね」
私も陽炎君に合わせるように、不満を零す。
「咲、もっと綺麗に食べなさい」
口の周りを汚しながらご飯を食べる咲ちゃんに、陽炎君がティッシュペーパ―で拭った。
玲君は器用にお箸を使って、目玉焼きを口に運んでいる。
同じ双子でもこんなに違うものなのかと、私は二人を見ながらパンをかじっていた。
朝ご飯を食べたら陽炎君は咲ちゃんたちの保育園の支度を手伝ったり、自分の学校の準備を済ませたりと忙しそうに家中を駆け回る。
私も何かできないかと思い、食器洗いと洋服の洗濯を手伝った。
そして、咲ちゃんたちを保育園に送るために早めに家を出て、すぐに寄り道してしまう咲ちゃんを何度も引き戻しながら保育園まで歩いた。
「よろしくお願いします」
初めて陽炎君の大人の対応を見たところで、双子とはここでお別れになる。
「お別れするの嫌だー!」
しかし、私たちがその場から離れようとすると、咲ちゃんが私にしがみついて駄々をこねてきた。
「わがまま言うなよ、咲」
「やだやだやだやだーー!」
咲ちゃんの力が、急に強くなる。
「咲、早く行かないと、先生に怒られる」
呆れ口ながらも、玲君が宥めようする。
「うるさい玲! 私より後に産まれたくせに命令しないで!」
「なら、年上のお姉さんらしく、しがみつくのをやめたらどうなの?」
冷静に返す玲君は、陽炎君よりも大人っぽく見えた。
しかし、玲君の煽りに反応して、咲ちゃんは私から離れ怒りを玲君にぶつける。
「玲のバカ!」
「バカみたいに自分勝手な咲に言われても、説得力がない」
返す言葉を失った咲ちゃんは、涙ぐんでもう一度「玲の大バカ!」と吐き捨てて、門をくぐろうとした。
今にも泣きそうな咲ちゃんの後姿はとても寂しそうで、それと似た光景が頭に浮かんでくる。
本当にこのままでお別れをしてもいいのだろうか。
身の毛がよだち、私はいてもたってもいられなくなった。
「咲ちゃん!」
私は何も考えられなくなり、咲ちゃんを呼び止めた。
咲ちゃんは後ろを振り返り、涙ぐんだ顔を私に見せる。
そんな咲ちゃんの基に歩み寄り、目線を合わせようと膝を折った。
「咲ちゃん……」
「迷惑かけて、ごめんなさい……。でも、お別れは寂しいよ……」
小さな手が、私の制服の裾を掴む。
「私も咲ちゃんとお別れするのは寂しいよ。でも、私を見て」
俯いた咲ちゃんの柔らかいほっぺたに両手を添えて、私の顔が見える所まで持ち上げる。
「おねえちゃん……笑ってるの? 寂しいって言ってたじゃん!」
「寂しいのは本当。でもね、それ以上にまた咲ちゃんに会えるのが楽しみだから、こうして笑っていられるんだよ」
「おねえちゃん……」
「寂しいのはほんの少しだけ。咲ちゃんがほんの少し我慢してくれたら、お姉ちゃんはいつでも会いに行くから」
今の状況でまた会えるなんて保証はどこにもない。
でも、たとえ結果的に嘘になったとしても、泣いている咲ちゃんをどうにかしたかった。
寂しいお別れで終わらせたくなかった。
咲ちゃんは分かってくれたのか、泣くのをやめて私の胸に顔をうずめた。
「約束だよ……」
「うん、約束」
そう言って咲ちゃんを包み込み、耳元で囁いた。




