言葉の代わりに涙を
【春香由紀】
お風呂を出たら陽炎君にお礼を言って、二人がお風呂から出るまでリビングで咲ちゃんと遊んでいた。
遊び疲れた咲ちゃんはウトウトしながら、私の肩に寄りかかる。
咲ちゃんの部屋を知らない私は、ひとまず毛布をかけて膝を枕代わりにして寝かしつけた。
寝ている咲ちゃんのほっぺたをつつくと、幸せそうに笑顔を零す。
そうしているうちに陽炎君たちが戻ってきて、双子たちを子供部屋まで運んだ。
リビングは私と陽炎君だけの空間になる。
陽炎君はお礼にと、ココアを淹れてくれた。
「今日はありがとな。咲の面倒見てもらって」
「気にしないで。咲ちゃんすごく可愛かった」
「わがままばっかだけどな」
妹の愚痴を零す陽炎君は、とても楽しそうに笑っていた。
最初に会った時と比べて、雰囲気はまるで別人だ。
今の陽炎君はガラの悪い不良というよりも、二人の優しいお兄さんに映っている。
「私、陽炎君のこと、誤解してたみたい。こんなにも双子想いだとは思ってなかったよ」
「そうか? まぁ、厳密に言えば、俺とあいつらは兄弟じゃねぇんだけどな」
「えっ! そうなの!?」
確かにどこか似てないとは感じていたけれど、それは年齢によるものだと自己完結させていたので、その真実を聞いた時は一驚を喫してしまった。
「玲と咲は、叔母さんが産んだ血の繋がった双子だけど、俺は違う」
陽炎君はココアの入ったカップを片手に持ちながらソファにもたれかかり、家族のことを語り始める。
「俺を産んだのは叔父さんの姉にあたる人だ。まぁ、俺は今でも母親だとも思ってねぇけどな。叔父さんはあんなに親切なのに、どうして姉弟でこんなに違うんだろうな」
陽炎君はココアを飲むと、ため息をついて天井を見上げる。
「初めてこの家に来た時、二人とも怖がってたな。傷だらけの顔で色々と察してたんだろう。あの人がいなかったら、俺たち今でも家庭内別居だった」
「あの人って……」
私は恐る恐る陽炎君の世界に、一足入れようとする。
「兄貴さ。あの人が俺を……俺たちを変えてくれたんだ。家族は血じゃねぇ、生きてきた中でずっと一緒にいたやつこそが、本当の家族だってさ。だから、あいつらのことも本当の家族だって今は胸張って言えんだ」
海斗君の話をする陽炎君はさっきよりも楽しそうに、無邪気で子供っぽく笑っていた。
楽しい思い出――。
幸せな記憶――。
それらが今の陽炎君にあるから、こんな純粋な笑顔を作れるんだと思った。
「家族は血じゃない、か」
そして、その言葉が私の胸に突き刺さる。
私にも陽炎くんの言うような家族と呼べる存在が近くにいれば、皆んなのように、表も裏もなく笑うことができるだろうか。
消したい記憶も消せるのだろうか――。
「んじゃ、俺の話は一旦終わりにして、そろそろ本題に移るか」
物思いに耽っていると、陽炎君から話題転換を言い渡される。
「兄貴は三時間したら俺の家に来る手筈になってる。電話してきたのは七時頃だったから、大体十時だな」
私はリビングの時計に目を向けた。
今時計は九時半を差している。
「もう見つけたから早いとこ知らせてやりたいんだが、兄貴ケータイ持ってねぇからな」
陽炎君はもどかしそうに、後頭部を掻く。
「それじゃあ、私たちで……」
「それを止めてほしいとも、言われてんだよ」
「そんな……」
海斗君には私の心は、既に見通されていたようだ。
「あんたがここから出て行っちゃ、元も子も無いからな。それに兄貴なら心配いらねぇよ」
「うん……」
私の心は不安の一色に染まり、俯いてしまった。
少しの間沈黙が流れ、陽炎君がフンっと鼻息を突く。
「なんて、やっぱ心配だよな」
「どうして私なんかのために……」
「そりゃ、親戚だからじゃねぇのか?」
「それは……」
そうだった……。
陽炎君はまだ私たちの本当の関係を知らないんだ。
どう説明すればいいか分からず、言葉が詰まる。
「……ていうのも嘘なんだろ?」
さりげなく放たれた言葉に、私は動揺を隠せなかった。
「い、いつから知ってたの?」
「そんなん、兄貴にあんたとの関係を言った時さ」
「要するに最初から気づいてたってこと?」
「ああ、兄貴が嘘をつくときは、目線が左斜め上に上がる時だからな」
陽炎君の意外な観察眼の良さと海斗君との意思疎通に、呆気に取られる。
そして、海斗君が意外と分かりやすい性格をしていたことにも驚きだった。
「でも、気づいてたならどうして……」
「あの仕草は確かに嘘をついてる時だが、そのことを気づいてほしい時にするんだよ」
余計に分からない。
「つまり、海斗君は意図的に、嘘だって言うことを陽炎君に伝えてたってこと? そうしてわざわざそんなことを……」
「兄貴なりの配慮だろ? 知られたくないけど話さなきゃいけない時、あんたはどうするんだ?」
「……多分適当なこと言って取り繕う」
「だろうな」
「でも、わざわざ嘘ですなんて言わないよ」
「そりゃ自分にとって、どうでもいい相手ならそうだろよ」
そう言われてようやく気づく。
海斗君と陽炎君は、無断で家に入る程仲が……良い?
分からないけど大切な相手に嘘をつくことが、海斗君にとって辛いものなのだとしたら――。
嘘をつかせる程、私は海斗君を追いつめていたのだとしたら――。
身体が脱力し、私は膝をついた。
全身震え上がり冷たくなった腕を、守るように抱えた。
「はっきり言って俺はあんたを許せねぇよ。兄貴と一緒に住んでる羨ましさもあるが、何より兄貴を苦しませたあんたを俺は許したくねぇ」
追い打ちのように飛んでくる陽炎君の言葉で、呼吸が荒くなり頭も痛くなってくる。
落ちた前髪が視界を塞ぎ、白く光っている床だけが残る。
「あんたは一体何者なんだ?」
その瞬間、心臓が撃ち抜かれたような衝撃が走る。
震え切った唇は言葉を忘れ、荒い吐息だけが残る。
「どうして言えないんだ?」
「それは……」
「俺にはともかく、兄貴にも言ってないのか?」
陽炎君は容赦なくたたみかける。
追いつめられて言葉を失って、どうすればいいか分からなくなった。
今の陽炎君は初めて会った時よりも、目つきは何十倍も怖く感じた。
陽炎君は何も言わず、目でずっと訴え続けた。
溜めていた感情が雫となって、目から溢れ出る。
「悪い。詰め過ぎた」
陽炎君は困り果てたように頭を掻いて、目を反らす。
解放されても、流れた涙は止まることはなかった。
「よく考えてみりゃ、ろくな生き方してるわけねぇよな」
慰める陽炎君の言葉も、すすり泣く私には届かない。
「あー、とりあえず、俺みたいな半端者ってことでいいな?」
「何それ……」
フォローしているのか貶しているのか、曖昧な慰め方に笑みが零れる。
「泣き止んだか……」
そう言って一息入れると、近くにあったティッシュを一枚取り、私にそっと手渡してくれた。
まずは目の周りから涙を拭って、詰まった鼻をかむ。
落ち着きを取り戻した私は、カーペットに座って話を再開させた。
「今俺には話さなくていい。でもな、もしこの先も兄貴と一緒にいるようならいつかは話してやれよ」
「うん……」
泣き疲れて、か細い声しか出せなかった。
「そうとなりゃ、どうして兄貴があんたにこだわるのか分からねぇな。俺の時はこんなに追いかけてきてくれたこと無かったのに……」
陽炎君は嫉妬気味に、頬を膨らます。
流石に咲ちゃんのように、可愛くはない。
「私にも分からない」
一緒に居たいと思わせるほど、特別なことをしたわけでもない。
前の人たちとは求められればなんでもしてきたけれど、海斗君の方から求められたことは一度だってなくて、嫌われてるんじゃないかと思ったこともあった。
ギブアンドテイクなんて微塵も感じなくて、海斗君が一方的に奉仕しているだけの関係にしかなっていないような気がする。
振り返ってみると私はどうしようもないお荷物にしかみえず、余計惨めになってしまった。
「陽炎君は海斗君と付き合いは長いんでしょ? 何か分からないかな?」
すると、陽炎君は目線を落とし、「いや……」とか細い声を零す。
「確かに一年の時から関わるようになった。でも、俺も兄貴のことは分からないことの方が多いんだ。情けないことにな」
陽炎君はフッと笑ってみせて、自虐する。
そんなことないって言いたかったけど、何も知らない私が言ったところで無責任に聞こえるだけだ。
陽炎君は黙り込む私に遠慮なく、話を続ける。
「あの人いつも同じ顔だからさ。嬉しいんだか悲しいんだか、俺もよく分かんねぇんだ。もっとあの人の役に立ちてぇし知りてぇのに、なんでも一人でできちまうような人だから、どうしていいか分かんねぇ」
寂しさと無力さが入り混じったように、陽炎君は目を細める。
そんな陽炎君を見て、私は初めて共感できるような気がした。
なんでもそつなく熟せて、嫌な顔を一つも見せない。
完璧過ぎて私が入る隙なんて、どこにも無い。
でも、それと同時に人として、どこか欠けてるようにも見えた。
陽炎君が言ったような無表情なところが、まさにそれだ。
「だから、あの人が電話で頼ってくれた時は嬉しかったなぁ。やっと役に立てるんだと思ったら、いてもたってもいられなかった」
さっきまで憂鬱だったとは思えないほど、陽炎君は満足げに両腕を伸ばしにっこりと笑っていた。
「陽炎君はすごいね」
そんな陽炎君の姿に、自然とその言葉が零れてしまった。
「何だよ、突然」
「誰かの役に立つことに、そんなに喜べるところが」
私も少なからず、誰かの役に立った自信はある。
でも、それ以上でも以下でもなくて、残る感情は「無」だけだった。
何も満たされず主導権が無い私は、いつかは捨てられる。
そんな繰り返しに、喜びも悲しみも無い。
何も感じない空虚な私。
でも、陽炎君は違う。
だって陽炎君は……。
「好きな人に頼られてんだから、嬉しくなるのは当たり前だろ?」
少年のような無邪気な笑顔で、そう返す陽炎君。
私には欠けているものを陽炎君は持っているのだから、そんなに笑顔でいられるんだね。
そう思っていると、また涙がこみ上げてきそうになった。
私だけ除け者扱いにされているように思えてきて、怒りとも寂しさともとれるような複雑な感情が入り乱れている。
勝手に海斗君の家に上がり込んでおいて、いつかは離れる時が来ることなんて、分かっていたことなのに……。
今までそうされてきても、当たり前のように何とも思わなかったのに……。
どうしてこんなに苦しいんだろう……。
胸に手を当てて必死に抑えようとしたが、奮闘も虚しくしゃくり上げてしまう。
それを見た陽炎君はまた困ったように、頭を掻きむしった。
「今度はどうしたんだよ?」
「ごめん、すぐに止めるから」
そう言って陽炎君に見せないように、後ろを向いて泣いた。
できるだけ声を抑えて、涙も止めるように努めた。
すると、後ろから陽炎君が大きなため息をつく。
早く止めないと陽炎君に、愛想をつかされる。
そう思って必死に涙を止めようとした、その時だった。
「泣けよ」
予想もしてなかった言葉が、私の耳を震わせた。
私は振り返り、信じられないような目で陽炎君を見つめる。
「我慢するくらいだったら、泣いた方がいい」
気を遣ってくれているのか、陽炎君は目を合わせずにそう言う。
私は悔しかったのかもしれない。
陽炎君や涼花よりも近い場所にいたはずなのに、心の距離はあまりにも遠かったこと――。
誰もが持っていて、私にだけ与えられなかったもの――。
分かっていても、抑えることができない嫉妬心――。
溜めていたものを全て吐き出したかった。
咲ちゃんたちを起こさないようにソファにあったクッションに顔をうずめ、力の限り泣き叫んだ。
恥ずかしさなんてとうに忘れて、咲ちゃんよりもはるかに大きく叫んだ。
陽炎君は何も言わずに近づき、泣いている私の頭に手を乗せた。
彼の瞳に私がどう映っているのかは分からない。
でも、隙間から見えたその目は、優しい兄のような目をしていた。




