心をほどく場所
【春香由紀】
何も聞かされず冬野さんに引かれ、着いたのは海斗君に初めて出会った公園だった。
そこから人一人がくぐれそうな破れたフェンスを通り抜け、草木が蔓延った道なき道を駆け抜ける。
二人とも顔や体に葉っぱをつけながら出てきたのは、広大な草原だった。
草木以外は何もなく、ずっと昔の大地の姿を彷彿とさせるような場所だ。
人も入った形跡もないので、きっと冬野さんだけしか知らない穴場なのだろう。
草原を少し進むとなだらかな山ができていて、私たちはそのてっ辺まで登った。
冬野さんは山の傾斜に、スカートの後ろ側を抑えて座った。
「由紀さんもどうぞ」
そう言って横の地面をポンポンと叩いて座るように促す。
私もスカートの裾を整えて、冬野さんの隣に腰を据えた。
心地よい風が周囲の林を靡かせ、自然の音を奏でる。
都会とは思えない程空気が澄んでいて、茜色の夕焼けは私たちを優しく照らしていた。
「どうですか? この場所」
「都会じゃないみたい。音とか匂いとかすごく落ち着く」
「そうでしょうそうでしょう! 私もよくここに来るんですよ」
興奮した冬野さんは前のめりになって、私の方に顔を近づけた。
「それじゃあ、私はこれで。おやすみなさい」
近づけたと思えば、すぐに離れ組んだ手を枕にして寝転がる。
全く忙しない……。
「そこで寝たら、風邪ひくんじゃ……」
「なーんて、主人公の相談事を不真面目に聞いている友達の真似でしたー。……って、ちょっとマニアック過ぎましたかね?」
正直に言うとせっかくの空気が台無しだ。
でも、場を和ませてくれようとしていたと思うと言い辛かった。
その証拠に冬野さんは小っ恥ずかしそうに、顔を赤くしている。
だから、私は遠慮気味に引きつった笑顔で誤魔化すことにした。
「それじゃあ、私はこれで……」
そう言うと冬野さんは再び寝転がった。
本当に忙しない。
「冗談じゃなかったの?」
「眠りはしませんよ。ただ、待ってるだけです」
「待ってるって、何を……」
「由紀さんの本心」
針で突き刺されたように、心臓が飛び跳ねた。
そして、このためだけに冬野さんはここを教えてくれたんだと、今更ながら気づく。
「実は私って嘘ついたり、自分の気持ちを隠すことが多かったんです。大体は嫌われたくないとか、平静を保つためだとかそんな言い訳ばかりで。その度にここに来るようにしてるんです」
それは、今の冬野さんの性格とは、似ても似つかないような事実だった。
「ここは昔、ある人が教えてくれた場所なんです。今どこで何をしてるのかは分かりませんが、ここにいるとその人のことを思い出して、悪い心が浄化されていくというか……前向きになれるというか……上手く言葉にするのが難しいですね」
笑って誤魔化す冬野さんは、どこか寂しそうだった。
そして、純粋無垢だと思っていた冬野さんの裏側を知り、安堵してしまっている自分がいた。
「私、その人になりたかったんですよ。でも、やっぱり難しいものですね。皆を照らす太陽になるのは……」
鮮やかなグラデーションのかかった夕空の下で、本音を打ち明ける冬野さん。
でも、そんな純粋で真っ直ぐな思いを持っている彼女と、仲良くできる気がしなかった。
そもそも、人を好きになったことが無い私が、自分と正反対の人間のことを好きになれるのだろうか。
どうしようもない不安と劣等感が、私の言葉を塞ごうとする。
冬野さんは依然として、寝転びながら目を閉じて夕風に当たっていた。
これ以上待たせていたら本当に眠ってしまいそうだ。
「……私は」
私の声に反応したのか、冬野さんは徐に閉じていた目を開けてこちらを向く。
「……分からない。いつもクラスの中心にいて、ずっと楽しそうに笑っているのを遠くから見てた時は心がモヤっとした。でも、今こうやって冬野さんと話してると、悪い気がしないというか……。良いんだかイヤなんだかよく分からないの」
上手く言葉にできたかと冬野さんの反応を窺う。
でも、冬野さんは話を聞いていたのかと思うくらいリラックスしていた。
「よかったぁ。とりあえず、私は嫌われてなんかいなかったんですね」
冬野さんはゆっくりと体を起こし、思いっきり腕を伸ばす。
「いや、皆に囲まれてる冬野さんが、私は嫌いなんだと思う」
直接嫌いだと本音で言ってしまった。
これでもう、本当に意味で後戻りはできない。
私は何をされても受け入れようと、遠くの木々を眺めて心を落ち着かせる。
「なるほど、そう来ましたか。それなら……」
すると、冬野さんは徐に起き上がり、怪しい手つきで私に飛びつく。
「私もこんな体をしている由紀さんが大大大だいっきらいでーす!」
誰もいない空間で叫んだ声は、遠くまで木霊した。
そして、冬野さんの手は私の胸を鷲掴み、服が乱れるまで揉みしだく。
「ちょっ! やめっ!」
私は即座に払い除け、両手で胸を隠した。
「同じ年月を生きているはずなのにこの差は何なんでしょうね。とても腹が立ちます」
笑顔で語るその様は、普通の人が怒っている時よりも恐怖に感じる。
「と、まぁ要するにただの嫉妬なのですよ」
「嫉妬……」
「そうです。嫌いって一言で言っても、そうなる過程は様々。憎しみとか嫉みとか、偶に勘違いでそうなってしまうのもありますね」
先生のように解説する冬野さん。
私は胸から手を放し、先生の話をまじまじと聞いていた。
「でも、由紀さんに向けられる嫌いは、羨ましいから来ているものでは? 少なくとも私はそうなんですけど。えへへっ」
「冬野さん、私のこと嫌いだったんだ」
冬野さんから「嫌い」と言われると、何故だかとても落ち込んでしまう。
「でも、そんなの好きなところを知れば、どうでもよくなるというものですよ」
「好きな……ところ……」
「はい! 私は由紀さんの優しさが大好きです!」
そう言ってくれた時の冬野さんの顔は、嘘偽りのない冬野さんらしい目一杯な笑顔だった。
「私……そんなところ見せたかな?」
「良い人ほど気づかなかったり、忘れたふりをしたりするものですよ」
「忘れたつもりはないけど。でも、きっと冬野さんほどじゃないよ」
「優しさに程度なんてありませんよ。自分の力を相手のために使うことが優しさというものなのです!」
私の否定的な言葉を、いとも簡単にかき消す冬野さん。
冬野さんの言葉を借りるのなら、冬野さんはきっと私のために自分の力を使っているのだろうと思った。
そして、そんな冬野さんを憧憬して、同時に嫉んでいる。
こんなこと冬野さんの前で、口にしてもいいのだろうか。
いや、もう言われているからいいか。
「私も冬野さんのそういうところ、大嫌いで大好きだよ」
「思わぬ珍回答ですね。因みにどういうところですか?」
良い人ほど気づかない。
まさにそのままを体現している冬野さんを見て私はつい、ふふっと吹いてしまった。
「由紀さん?」
「ごめん。可笑しくって」
「そういう顔も私は大好きですよ」
にんまりとした顔で言う冬野さん。
そう言われてしまうと、笑っているのが恥ずかしくなり赤く染めていた頬は顔全体に広がっていった。
夕空のグラデーションが紺色に変わり始める頃、私は冬野さんの家まで手を繋いで歩いた。
冬野さん母の手によって完璧に仕立て上げられた制服を身にまとい、お礼を言いながら玄関のドアを開いた。
「もう真っ暗ですし、家まで送りましょうか?」
「そうしたら、涼花の方が一人で帰らなきゃいけなくなるね」
「そうでした。えへへっ」
「それじゃあ、またね……涼花」
「お気をつけて、由紀さん」
帰路についている時の私は、高揚感に浸っていた。
こんな私でも、初めて「友達」といえる存在が出来たこと。
その嬉しさが胸の中をかき乱していた。
夜空を見上げると、そこには無数の星たちが瞬いていた。
これからもこんな存在を、作っていけるだろうか。
あの星たちの数と同じくらいとは言わないけれど、たくさんできるといいな。




