オトナの共同作業
見慣れない魔法陣から放たれた、謎の魔法の効果。それを見極めようとする間もなく異変は起こった。
即座に気づいたのは足元の感触だ。ざらついた砂の地面が、ほんの少し沈むような感覚があった。どうやら砂の下にある硬質な地面が、徐々に砂に変化して深くなっているらしい。
それだけじゃなく、上からも砂が落ちてきた。
「岩盤の地層が……砂に変化?」
降ってくる砂が鬱陶しい。それに、これは非常に不味いことになった。
ここはちょっと分からないくらいに地下深い場所だ。グルガンディが命を賭してまで使った最後の魔法が、ちょびっと岩盤を砂に変えて終わる程度のはずはない。天井まで砂に変わるなら、それはそれは恐ろしい量の砂が降り注ぎ、私たちを生き埋めにするだろうと想像できる。
「いや、道連れにしては魔法の威力が弱いわね」
硬質な地層が徐々に砂に変化するも、その速度は大したことなく、魔法の範囲もおそらく狭い。
どこまでも無限に砂に変化させることなどありえないし、たぶん最初の魔力の波が広がり届いた範囲に限定されるんじゃないだろうか。とすると通路に退避して五十メートルも移動すれば、生き埋めからは余裕で逃れられる。
別に急がなくても普通に退避できる規模の魔法でありスピード感だ。
だからこそ不思議に思う。命を賭した最後の仕掛けにしては随分としょぼい印象。こんなんで終わり?
グルガンディの連中に意識を向ければ、すでに一人残らず命尽きた状態だ。
手練れの連中が使った最期の一手が、こんなしょぼい魔法とは考えられない。何かある。
砂が降り注ぐなか、戸惑いながらもウチのメンバーはアンデッドを次々と滅ぼし、ドロマリウスさえ完封した。闘身転化魔法を使ったヴァレリアと、一級の風魔法使いがいれば造作もない。そうしてから私の近くに集合し、とりあえず退避しようと短く話す。
これから何が起きようが、目的だった敵の撃滅は果たされたんだ。退避しても何ら問題ない。
ところがだ。こんな場面でアナスタシア・ユニオンの連中が魔力を高め始めたじゃないか。
「何をするつもりでしょう?」
多くの奴らが壁や地面に向かって魔力を浸透させようと頑張っているらしい。たぶん魔力干渉による魔法の無効化を狙ったんだろうけど、すでに魔法は成った後だ。上書きするほど強力な魔法を使わなければ、阻止できるもんじゃない。
そして十人近くの強者が命を燃やしてまで成立させた魔法は、想像を超えて膨大な魔力によるものだ。たとえこの私が万全の状態で闘身転化魔法を使ったとしても、上書きは簡単じゃないと考えられる。ヴァレリア含めてウチのメンバー全員が手伝っても、たぶんこの地味な岩を砂に変える魔法は止められない。
「逃げるよりも魔法の無効化を狙っているみたいですが……あの様子ではおそらく無駄ですね」
「なんかあいつら、無理でも無駄でもやるしかないって雰囲気出してませんか?」
「理由がありそうね。あいつらにはグルガンディの狙いに心当たりがあんのかも」
幸いにもまだ時間がある。離脱する前にアナスタシア・ユニオンの腹積もりを知りたい。切羽詰まってるみたいだし、手伝うそぶりを見せれば答えてくれるだろうか。
「ちょっと訊いてきます」
ロベルタが気楽な調子で言い、アナスタシア・ユニオンの所に向かって行った。それを見守る間にも考え様子を探る。するとアナスタシア・ユニオンの一人が広い地下空間の上に向かって、空中を進み始めたじゃないか。
なんだろうと思いながら砂で霞む空間に目を凝らしてみれば、どうやら上からロープが垂れ下がり、それを頼みに登っているようだ。
「まさか地上に通じてる?」
どういうわけか、御曹司たちはあそこから地下空間にやってきたんだろう。
長い長い地下通路を戻るより、あそこから脱出できれば移動が楽だ。退避するならあれを使えばいいと思っていると、声が聞こえた。
「――いいから早くどうにかしろ!」
怒鳴ったのは御曹司だ。いつの間にか意識を取り戻したらしく、仲間に対して言い放ったようだ。ロベルタはそうした様子に近寄りがたさを感じているらしい。
それにしても切羽詰まった様子が気にかかる。離れた場所から観察するんじゃなく、もうみんなで近づいてみることにした。
アナスタシア・ユニオンの連中は私たちの動きが気になったみたいだけど、そんな場合じゃないとばかりに魔法行使に力を注ぐ。
なにやってんだろうね。さっさと逃げればいいものを。
「キキョウ会! 余力があるなら手伝え!」
まだ立ち上がる程度の力もないのか、御曹司は膝をついて座り込んだまま言った。奴を介抱する人員はその申し出に驚いたみたいだけど、警戒を解いてこっちを迎え入れる姿勢を取ったのが分かる。
まさか私たちに借りを作ろうとはね。それほどの理由があるってことだ。
売れる恩は売れる時に高値で売り付ける。これから先の付き合いを考えれば、悪いようにはしない。
正直かなり疲れているけど、あと少しだけ我慢しよう。
御曹司が異様に焦る様子から余裕をぶっこかずに走り寄り、あえて近い距離で見下ろすように立った。そして端的に理由を問う。
「いいわよ。で、なにを手伝う?」
威圧的な私に対し普段なら文句の一つも垂れそうな御曹司は、しかし深刻な顔のまま口を開く。
「地下の崩壊を何としても防がなきゃならねえ。この上に何があんのか分かってねえなら教えてやる。いいか、この上にあるのはな――――王宮だ」
へえ、なんとまあ……そいつは面白い。あの長い地下通路がそんなところに通じていたとはね。
敵の狙いは王宮だったのか。王宮を文字通りに落とすことに成功すれば、テロとしてはこれ以上ない成果だろう。
グルガンディの狙いがやっと分かった。あいつらがやけに疲れた様子だったのは、無理してこの地下空間や通路を掘ったからだろう。
そして地上で分散行動した連中は、地下での最後の詰めを悟らせないための陽動役だったんだ。そいつを私たちが早々に潰したお陰か、地下で進行する不穏な魔法の気配を誰かが察知し、こうして御曹司たちが地下にいたんだと思われる。
そもそもなんで御曹司たちがってのは、いまはどうでもいい。
背後を振り返り、みんなに指示を下す。
「砂を集めて山を作りなさい。天井まで届くやつね。砂が足りなければ通路から調達、ヴァレリアなら時間かけずにやれるわね?」
「お姉さまが必要なら、ここを埋め尽くす砂を用意します」
「ふふ、そこまでやる時間はないわ。でも急ぎでなるべく多くね。ほかのみんなは砂を集めて固めることに全力、私は準備が整い次第に仕上げの魔法を使う」
細かく言わずとも、私が何を求め何をするつもりかみんななら理解できる。そうしてすぐさま行動に走った。
ヴァレリアの崩壊魔法なら、硬い岩盤層だろうが余裕で大量の塵に変えられる。集めた砂と塵で柱として機能する山を作り、最後に硬化すれば地下の崩壊はたぶん防げる。無からの魔法行使は負担が重すぎて今日はもう無理だけど、みんながお膳立てしてくれれば問題ない。
「待て。砂の山なんぞで王宮を支えられるわけがねえ。それより、進行中の魔法をなんとか阻止するほうが」
「うるさい。黙って見とけ」
眼帯に覆われた左目を向けて威圧した。
魔法の阻止はもう無理なんだ。やれるならやってる。方針に文句を垂れる御曹司には、有無を言わさぬ態度で応じてやった。
アナスタシア・ユニオンが砂化の魔法を阻止せんとあがくなか、とんでもないスピードでみんなの成果が表れ始める。
ヴァレリアが数十メートル向こうの通路でおびただしい量の塵を作り出し、別の誰かが汎用の風魔法で雑にこの空間に送り込む。さらに別の誰かが地面に溜まった砂を魔法で中央付近に向けて次々と雑にぶっ飛ばし、一見するとただ荒らしまわるだけのように見えてしまう。
実際には風魔法使いのヴィオランテがそれらを巻き取りつつ、上から降り注ぐ砂までまとめて地下空間の中央に集めてる。実に見事な魔法行使だ。
大量の塵と砂が見る見るうちに山となり、それに対してはまた別のメンバーたちが取り付き魔法で固めてある程度まで形を整える。
広い地下空間の面積の半分は使うような、アホみたいにぶっとい歪な円柱だ。それが強引かつ巧みな魔法行使ででっち上げられていく。
最初の形決めができてしまえば、さらにでっち上げの速度が加速した。見る見るうちに二メートル、三メートルとかさを増し、圧迫感の強い存在へと変わっていく。
これを見てアナスタシア・ユニオンの連中も成果の出ない魔法の阻止に力を使うより、こっちに協力したほうが良いと判断したらしい。刻々と岩盤から変化する砂集めとそれを固める作業に加わった。
「おい、キキョウ会の。たしかにこいつはすげえが、本当に王宮を支えられんのか?」
少しは復活したらしい御曹司が、足を引きずるようにしながら近づいてきた。
疑問に思うのは当然だろう。常識的に考えて、砂の柱如きで王宮なんて重量物を支えられるはずはない。柱はあっけなく崩れ、その崩壊と同時に王宮も地下へと沈む姿が簡単に想像できる。
そもそも必要な耐荷重の情報がなければ、重心の位置さえ定かじゃない。仮に支えられたとして、王宮がちょっとでも傾いてしまえばテロの阻止は失敗に終わったと言える。完璧な成果とは、地上から見た時に何も起こらなかったように終えることだ。
「ダメで元々、これを試す以外に方法がないわ」
「……ちっ、俺らは戦う以外のことには能がねえ。頼むぞ」
「でっかい貸しだからね、覚えときなさい。シグルドノートの件も含めて、あんたには貸しが溜まる一方ね。ちゃんと返しなさいよ」
「ぐ……借りは必ず返す。偉そうにすんじゃねえ」
こいつはもう私に頭が上がらないだろうね。意外と素直なところがお坊っちゃんらしい。まあ裏社会での貸し借りは、軽く考えてはいけない事柄だ。それを分かってるならいい。
さて、そろそろいいかな。
「おしゃべりはここまでよ。特別に見せてやる」
元より高かった天井は、砂に変化して削れたせいでさらに高くなった。目測ではちょっと分からないくらいに高く、たぶん三十メートル以上はあるんじゃないだろうか。
おそらくこの岩盤を砂に変える魔法は、王宮の地下構造にまでは届かず、岩盤を薄くする感じで崩壊を狙うものだ。タイミングを間違わなければ、天井を柱で支え崩壊そのものを防ぐことが可能なはず。
まだ地下空間の岩盤は砂に変わりつつあるから油断ならないけど、それもそろそろ止まる見込みだ。
みんなが頑張って魔法を使い、少しでも砂の密度を高め柱の強度を上げてくれる。
無から有を生み出すより、元からある物を使ったほうが圧倒的に負担が軽くなる。密度を高め形まで整っていれば、さらに負担は軽減される。
近くで見ると壁のように太い柱に取り付き、手を触れて仕上がり具合を確認した。
「……うん、ここまでやってくれれば文句ないわ」
構造強化の魔法には慣れたもの。私にとっては片手間にやれる簡単な作業にすぎない。
私が柱に取り付いたのを見たみんなが魔法を中断し、それに倣ってアナスタシア・ユニオンの連中も下がった。それでいい。
柱に魔力を浸透させ、あっという間に完全掌握。本気でやるなら金属にさえ変換可能だけど、そこまでサービスしてやる義理はなく必要もない。
元々あった岩盤を参考に、それと同質の物への変化なら負担はもっと軽い。硬質な岩の柱へと作り変え、根本と天井に対しては岩のトゲで補強までやればさらに強固にできる。
様子を探りながら、砂へと変わり続ける天井近辺の隙間を埋めるべく岩の柱を伸ばす。ここが一番力を使って苦しいけど、ゴールは遠くない。
――そして。
「よし、終わった」
静まり返った地下空間に、私の声が思った以上のボリュームで響いた。
魔法行使の集中から解放され、若干の吐き気をこらえながらそれでも表面上は余裕ぶって立ち続ける。本当は座って休みたいけど、それはしない。
いつの間にか近くにいたヴァレリアが、私を支えるようにくっつくのがありがたい。秘かに息を整えて回復を図る。
「や、やったのか?」
「あの砂に変える魔法はもう止まってる……崩壊も起こってねえ……」
「すげえ、やりやがった!」
「おおーっ、やったじゃねえか!」
調子のいい奴らだ。アナスタシア・ユニオンの連中が若手らしく浮かれて騒ぐ。
あいつらの助力は別にいらなかったけど、最後の崩壊は共同戦線で乗り切ったことにしたほうが奴らのメンツも立つだろう。実際に手伝ってくれたわけだし、その点について文句を言うつもりはない。そもそもこいつらがグルガンディを妨害していなければ、私たちが追いつく前に王宮は落ちていただろうし。
ついでに、ここが王宮の地下って情報がなければ、私たちは逃げて終わりだった。それを思えば御曹司たちの手柄はそれなりに大きい。
うん、共同戦線での撃退は悪くない落としどころだ。情報部にはいい感じに伝えてやる。
さてと。いつまでもこんなアンデッドの残骸や死体の転がる辛気臭い場所にいたくない。
「後始末まではいいとして、グルガンディの道具は回収するわ。面倒だけど死体漁りの時間よ」
「はい。早く片づけましょう」
グルガンディを調べたい。特にアンデッドを操る魔道具が本当にあるとすれば、それは何としても確保しなければ。
浮かれて騒ぐアナスタシア・ユニオンの連中をよそに、私たちは死体を集めて身ぐるみを剥ぎ始めた。




