決して気軽に入ってはいけない虎穴
ホテルから学院に戻り、寝不足を感じつつ準備を整える。
昨夜の内に怪しい貴族の屋敷で見聞きしたすべてをベルリーザ情報部に伝え、その後の調査は放り投げた。奴らの庭で起こった事件なんだから、奴らが謎を解明し必要に応じた措置を取ればいい。それが職分ってもんだ。
まだ看板出してないウチとしては、現状でも忙しいのに余計な事に首を突っ込みたくない。
もうだいぶ遅い気はしてるけど、ここらで一旦、手を握った情報部には利益を分かり易い与え、これ以上の雑事に巻き込まないよう手を打っておく。
ちょうどいいことに、たくさんの財宝を手に入れたからね。あれがさっそく役に立つ。こうした土産の効果は非常に大きく作用し、現在よりさらに私たちへの便宜は図られることにもなるだろう。
裏のカネは正規の予算よりも使い道に幅があっていい。普通に組織としての活動費に回してもいいし、どどんと賄賂に使ったって誰にも文句を言われない。なんなら自分の懐に入れたっていいし。
だから表の予算のはずの税金だって、権力者どもと役人は裏側に回そう回そうとヘンテコで分かり難いシステムを次々と作り上げるわけだ。
そして私たちのような悪党に付け込まれる。一蓮托生になって、もっと深い闇にカネがどんどん流れ込む。
権力者どもは悪党を裏切れない状況に陥り、ロクでもない構図が完成するってわけだ。こうなってしまえばもう安泰、ズブズブの関係の出来上がり。私たちも楽して甘い汁を吸う立場に至れるはず、なんてね。
「よし、今日も働くか」
身だしなみを整えたら食堂に移動だ。
朝食をささっと済ませれば、もう学院の始まる時間。とはいえ、授業中は見回りしかやることのない私は割と暇だ。風紀委員が活躍し始めた学院は平和とあって、サボってても問題ない。普通に仮眠が取れてしまう。
時間を有効活用したら、今度は倶楽部活動の指導に精を出す。
ミッションその二、魔道人形倶楽部の捲土重来は、今や私にとっての楽しみにもなってる。なるべく指導には顔を出すし、手を抜くことだってない。
妹ちゃんとハリエットには余計な事は忘れさせ、倶楽部活動に集中させる。特に妹ちゃんにとっては、せっかくの留学でありせっかくの倶楽部活動だ。アナスタシア・ユニオンのお家騒動はともかく、その他の妙な争いなんかに巻き込みたくはない。
そうして学院での時間が終われば、今夜は正念場となる襲撃だ。
ヴァレリアたちは妹ちゃんの護衛として学院に残るから、今夜のバドゥー・ロット襲撃には参加しない。これもグラデーナたちが応援にきてくれたお陰で戦力を分けられる。
夕食後にまた仮眠を取ったら、いよいよバイオレンスの始まりだ。
敵の監視についてるハイディたち情報局メンバーとは別に、私とグラデーナたちは敵アジトに向かいがてらに合流した。
グラデーナは二人をホテルに残し、自身を含めて六人で合流、私も含めてこれで総勢七人。
この七人は客観的に考えて各々が一騎当千と言っていい。小さな組織を攻め落とすのに私たちは一人だって十分な戦力で、それが七人ともなれば過剰な戦力だと評価できる。
負けるはずがないと思うけど気を引き締めて行こう。相手はベルリーザ情報部を相手にしてさえ、長らく実態を掴ませなかった闇組織だ。雑魚とは違う。
ただ、こっちだって伊達に悪の巣窟と呼ばれる犯罪都市エクセンブラで、三大ファミリーの一つを張ってない。
どっちが格上か、はっきりさせてやろうじゃないか。
二台の車両で移動しながら、暇を持て余したグラデーナと雑談を交わす。
「つまりバドゥー・ロットってのは、呪いなんて回りくどい魔法を使うことしかできねえヘボなんだろ?」
「そうとも言えないわ。奴らについて分かってることは少ないからね。それに未知の魔法は脅威よ」
「だから正面切ってやらねえのは納得するしかねえってか……つまんねえな」
今回ばかりは普通に殴り込んだりせず、一方的に潰す方針だ。
タリスマンがあれば呪いは防げるっぽいけど、正面からやり合えばどんな切り札を使われるか分かったもんじゃない。
私やグラデーナがやられる分にはよくても、とばっちりが妹ちゃんに向かったら最悪だ。未知の魔法に対しては、常に最悪を考えるべき。
「しかしよ、奴らの構成員はたった五人らしいじゃねえか。少ねえが、まさかそいつら全部が呪いを使えるってのか?」
人数は今のところ確認できた数でしかなく、アジトの広さ的に大幅に増えることは無さそうってことらしい。
「珍しい魔法適性だから、全員がそうだとは思えないわ。それにこれまでの頻度からして、たぶん呪いを使えるのは一人よ」
「だったらそいつが頭だろうな。殺さずに捕まえるなら、一度は呪いを使われちまうかもな。奴らも死ぬ気で抵抗するだろうしよ」
今回も面倒だけど殺しはなしだ。ベルリーザ情報部はまだ見えてない関係者について、バドゥー・ロットに話を聞きたいらしい。ついでに未解決の事件についても話を聞きたいようだし、こっちとしては情報部の意向に沿った作戦は貸しを作る機会になる。
国の機関に貸しを返せと言ってもそれは状況次第になるだろうけど、情報将校のムーア個人はきっと貸しを気にする。
いざって時にほんの少しの協力が得られるだけでも、ピンチに際しては非常に助かるもんだ。本部から遠く離れた土地で、そうした貸しはいつか必ず役に立つ。情けは人の為ならずってね。
「最後の悪あがきなんてやらせる気はないけど、もしもの時にはタリスマンに期待するしかないわね」
余裕はかまさず、強襲して速攻で終わらせる。瀕死にして魔法を使う余裕を奪えば行けると思う。
捕まえて魔法を封じ、そうしてから回復してやれば尋問する時間はいくらでも取れる。
しばらく雑談を続けながら到着したのは中層向けの住宅街だった。
どうやら普通の民家がアジトになってるらしく、これを見つけるのはなかなか難しいと思わせた。
ちょっと離れた屋根の上から、敵のヤサを睨みつけた。
「こちらハイディ、標的の五人は眠ってます。ただですね、頭が誰なのかまでは判明してません。間が悪かったのか、あいつら動きもなければほとんど会話もしないんですよ」
隠れて敵アジトを監視中のハイディは完全に気配を絶ってる状態だ。私でも見つけ出すには、かなり集中しないと分からない。
「こちら紫乃上。不明ならしょうがないわね。ハイディたちは引き続き監視を続行」
監視班の短い返事を聞きながら、グラデーナと話す。
「ハイディたちの監視でも分かんねえのか。やっぱし頭だけ残してほかは始末するって方法は使えねえな」
「全部捕まえるしかないわね。まあ、やることに大した違いはないわ。私が仕掛けるから、みんなで後を頼むわよ」
数時間も監視を続けてれば、誰が偉い奴かってのは普通なら大体分かる。使ってる部屋の位置や座る位置だってそうだし、会話を盗み聞けばほぼ一発だ。それが分からないとすると、もしかしたらリーダーを決めてない組織なのかもしれない。
まあいい。全部捕まえて終わりだ。
私の先制攻撃でまとめて行動不能に追い込み、グラデーナたちが魔法封じの腕輪を使いつつ敵を拘束、そして回復。これでいい。捕まえる対象がボスの一人だろうが、敵の五人だろうが問題ない。こっちの人数は十分に足りてるし、しかも奴らは就寝中だ。これで上手く行かなかったら、相手を褒めるしかない。
「……ちっ、やっぱ嫌な感じね。前の時と似てるわ。すんなり行ってくれればいいけど」
バドゥー・ロットのアジトから感じる魔力反応は、一種独特な気配を放ってる。
具体的にどうとは言えない、なんか嫌な感じ。たぶん何かしらの魔道具が放つ魔力なんだろう。
「あたしでも妙な気配をビンビン感じるな。これがバドゥー・ロットか、ハイディたちが言ったとおりだぜ」
監視についてたハイディたちでも、事前にあちこちに置かれた罠っぽい魔道具をどうにかできなった。それは自分で感知してみても同様だ。
スラムのビルの時には、強烈な毒ガスが噴出してビルが崩れ去る罠があった。ここは敵のアジトなんだ。あれと同等の罠が仕込まれ、いざとなれば諸共に死を選ぶようなプロ集団の可能性は捨てきれない。
それに微小な魔力反応の数が異常だ。これは魔道具の配置や魔力経路を探らせない対策だと思われる。一つずつ潰すのは骨が折れるし、こういった場合には潰した魔力反応をキーに発動する罠だってありそうだ。
相手にバレないようにやる条件も加われば、難易度は格段に跳ね上がる。
改めて思う。準備の仕方が普通じゃない。奴らはこれまでに敵対した中でも破格のプロだ。
「やれる時にやらないと、なにを仕出かすか分かったもんじゃないからね。罠の発動を承知の上でやるしかないわ、ここは押し通るわよ」
「あたしらなら毒ガスは問題ねえ。向こうだってアジトの中だしよ、さすがに問答無用でまとめて死ぬような罠は発動しねえだろ。大丈夫だ、何もやらせやしねえ」
どんなに強力な毒ガスだって、冥界の森で邪竜がまとった瘴気に比べれば劣る。それだけは確実だ。
「よし、さっそく始めるわ。そっちは感づかれないよう注意しなさい」
「任せろ。お前ら、行くぞ」
グラデーナはメンバーを引き連れて、対象の民家近くに移動した。
深夜の住宅街は静まり返り、気配を消した私たちも完全に闇に溶け込んでる。このまま静かに事を運び、何事もなかったように立ち去れれば完璧だ。
対象の民家から一ブロックほど離れた場所から、魔法の行使に集中する。
すでに民家の敷地は私の支配領域。魔法の気配を感じさせないよう、仕掛けは極めて静かに進行させる。
まずはこっちから毒ガスを使ってやる。色はなく臭いもしないガスを吸い込んだら、それだけで終わりの身も蓋もない退屈な攻撃。
まったくもって私の趣味じゃないけど、今回ばかりは結果だけを重視する。呪いを発動されたくないし、万が一にも取り逃がしたくない。確実に今夜で終わらせるんだ。
もし毒ガスを検知する魔道具があったとして、検知するタイミングで奴らはもう吸い込んでるから手遅れだ。あとは無効化する魔道具を身に着けてる場合。それはあると仮定して進めないといけない。
密かに毒ガスを民家に流し込みながら、密に内部の魔力を感知する。
私の毒ガスは即効性だ。吸い込んだなら、身動きは一切取れずに昏倒する。だから少しでも動く奴がいれば、毒を無効化されたってことだ。
無効化された場合には、トゲの魔法で肺をひと突きしてやる。そのための魔法もキープし続ける。もしもの場合には即時発動、無駄な抵抗は許さない。
時間にして数十秒程度。民家中に広がる毒ガスに対し、誰にも動きがないと思っていい頃だろう。
「……こちら紫乃上。敵は沈黙、敵は沈黙してるわ。死んだふりには気を付けなさい」
心配は杞憂に終わり、上手く行ったっぽい。民家を囲んだグラデーナたちは、一人を外に残して突入した。
ハイディたち監視班は対象の民家以外にも気を配ってるから、あとは任せて私も民家に突入だ。バドゥー・ロットの奴らの顔を拝んでやろう。
私が民家に入った時点で、すでに敵五人の拘束は終わってる。今のところは敵の罠も発動してない。順調と言っていいだろう。
用の済んだ毒ガスを消し去り、手近な部屋に入るとグラデーナがいた。
「バドゥー・ロットは一人残らず眠ってやがる。楽勝だな」
「そうね…………拍子抜けよ」
バドゥー・ロットはベルリーザ情報部にすら尻尾を掴ませなかった組織だ。
貴族を締め上げて隠れ家を掴んだまではいい。今も継続して感じる嫌な魔力は、如何にもバドゥー・ロットのそれだ。ここがハズレとは思えない。
しかし、それにしても簡単すぎる。何か見落としはないだろうか。
「さっさと尋問、始めちまおうぜ」
「ん、じゃあ解毒して起こすわ」
考えててもしょうがない。尋問しながら疑問を晴らして行こう。
目を覚ましたヒゲ面の男は、スカルマスクを被った私たちを見て緊張に身をすくめた。魔法封じの腕輪を付け、両手両足も拘束してる。瞬時に状況を理解し、足掻いても無駄なことは理解しただろう。
ヒゲ面は神頼みでもしてるのか、両手を握り合わせてブツブツと呟いてる。気味の悪い野郎だ。
「おう、祈りは済ませたか?」
グラデーナの低い声は、この状況だと普通の問い掛けでも脅しに聞こえる。
目を見開き、滝のように汗をかいたヒゲ面の男は、握った両手の中に魔力を流し始めた。おかしい。小さな何かを持ってるようだ。
魔法封じの影響で魔法は使えなくても、魔力自体は流せるから実は魔道具を使うことは可能だ。どこに隠し持ってたのか、どうやら指輪サイズの魔道具っぽい。
「やめとけ、やめとけ。護身用の魔道具程度じゃ、あたしらを倒すどころか怪我もさせられねえ」
感知したところ、せいぜい下級の魔法攻撃を使える程度の物でしかなく、私たちからすれば全然脅威にならない。
まさか自害した貴族のおっさんと同じことをしようってわけじゃないだろう。
「おい、よせって言ってんだろ!」
男は激しく呼吸を乱しながら、血走った目で両手を握り締め魔力を込める。
そして魔法が発動し、グラデーナが一歩下がる。
励起状態にあるアクティブ装甲は、至近距離でも余裕で攻撃を無効化する――はずだった。
攻撃の対象は私たちじゃない。自爆だ。まさかが起こってしまった。
奴は握り締めた魔道具を起動させ、魔法封じの腕輪を付けられた自らの腕を吹っ飛ばした。
【栄いいい光ををををををっ! わ、我らの手にいいいいいいいいいいいいっ!】
魔法!? 魔法を使うために腕を吹っ飛ばしたっての?
なんて奴。私たち並の気合じゃないか。
「この野郎っ」
即座にグラデーナが男を殴り殺した。とっさの判断だ、まだ何も聞けてないけど、この場合はしょうがない。でも発動した魔法が途切れない。
それどころか建物中に配置された魔力反応が連鎖するように大きなって行き、しかもそれを発動した魔道具が次々と壊れてしまう。使い捨ての道具を発動後に潰したところで、起ころうとしてる魔法は阻止できない。
「逃げるわよ!」
私が言うまでもなく、グラデーナも他の部屋にいるメンバーたちも行動に移ってる。
窓でも壁でもぶち抜いて、とにかく逃げるが吉。何が起こるかまったく不明だ。
そうして数歩動いたところで、捕まった。早い!
「ぐううっ!? があああああああああああああああああああああっ!」
グラデーナが吼え、この場の全員が激痛から似たような叫び声をあげてる。
私だって例外じゃない。身体中の穴から血を噴き出しながら、絶叫と気合で謎の魔法と激痛に抵抗する。
痛みにあえぎ叫ぶ自分の身体から、他人事のように意識を切り離し状況を確認。痛みくらいでこの私から思考を奪うことはできやしない。
自爆した男の捨て身の魔法。それに連動して魔道具が起動した。大がかりな罠だ。これこそが敵の狙いだったに違いない。すなわち、ここにいた敵は捨て駒だ。
それに私にも悟らせない大がかりな魔道具の罠、これはたぶん隠蔽する能力に秀でた奴が絡んでる。それも格別に高度な技術に違いない。
刹那の時間の中で、魔法を感知し分析する。これをやらないと不味い状況だ。焦らず、やり遂げるしかない。
正体不明の魔法はどうやら範囲内にいる者から魔力を吸い出し、それによって威力を増すようだ。
早くもここにいた敵五人の魔力は搾り取られて命まで尽き、人一倍抵抗力が高く大量の魔力を蓄える私たちだからこそ、まだ生き残り罠の威力も強めてる。全員が死に絶えるまで、この罠が止まることはたぶんない。
ああ、でもやっぱり私は異常者だ。
こんな時だってのに、激痛で身体がバラバラになりそうだってのに、顔はきっとにやけてる。




