自業自得の小悪党
聖エメラルダ女学院の生徒会は、上級貴族のお嬢様だけで構成される特別な集団だ。『上級』とは単純に爵位のみを意味せず、主として歴史と血縁を重視し、例えば男爵家であったとしても新興の伯爵家より格が高いと考える者たちがいるってわけだ。
伝統と格式、そして血筋。古くは王家の祖や建国時の貴族家にまで遡る歴史、そいつはどんなに金を積んでも手に入らない特別なもので、歴史の長い国ほど重視される要素なんだろう。
そんないいトコのお嬢がさらわれたとなれば、これはもう結構な大事件と言っていい。
「騒ぎになってる?」
「いえ、今のところは。時間の問題かもしれませんが、まだ生徒会以外には漏れていないと思います」
レイラは生徒会棟に人が集まってるのを感知して、少し前から見張ってたらしい。休日なのにあいつらが集まってる理由としては、学院の行事に関する打ち合わせのようだ。それがまさか誘拐騒動になるとはね。
今のレイラは知覚を共有できる影の分身体を作り出す魔法で、生徒会棟内部に進入して会話の内容まで把握可能な状況だ。
「それで?」
「しばらく盗み聞きしていたのですが、書記の生徒が遅刻していると話題になりまして」
「遅刻くらい普通にありそうだけどね」
「それなら良かったのですが、生徒会に手紙が届けられてから騒然となりました。愚連隊のジエンコ・ニギからだったようです」
愚連隊が生徒をさらったのか。なんとまあ、遅刻かと思ったら誘拐されてたとはね。
それにしても無謀な奴らだ。貴族の娘に手を出して、タダで済むはずがないってのに。
「話を聞いていると、どうやらジエンコ・ニギのドラッグを横取りした事が原因みたいです。発案者らしき生徒が責められていました」
「あのドラッグの山はやっぱりそういうことだったのか。いくらなんでも調子に乗りすぎよ。そんなんもん、バレたら報復されるに決まってるわ」
どうせドラッグを奪った実行犯は金で雇った奴らだろう。ジエンコ・ニギだって草の根分けてでも探し出すつもりだったはずだ。たぶん捜索する奴は自分の命が危うい必死さもあっただろう。
それに対して生徒会のガキどもは詰めが甘かった。たとえ実行犯が割れたところで、どうやっても自分たちにはたどり着けないようにしとくのが定石だってのにね。
「自業自得ですね。一応、ジエンコ・ニギの名前が出た時点で、ヴァレリアさんには動いてもらっていますが……ああ、今度は激しく揉めています。裏切り者がいる可能性がどうとか」
裏切るメリットが何なのかは不明にしろ、可能性としてはあり得るかな。なんにしてもしょうもない奴らだ。
「捜しに動いたのはいい判断よ。私たちで見つけて確保できれば、返しきれない恩を押し付けられるわ」
ジエンコ・ニギに関しては、金庫にあった資料を奪った時点で隠し拠点なども把握できてる。短期間でそれらすべてを替えられるとは思えないから、その内のどこかにさらった生徒がいるんじゃないかと期待できる。
「あ、今からどこかに通信入れるみたいです…………相手先は分かりませんが、ヒステリックに怒鳴り散らしてますね。どうやら物別れに終わったようですが……続けてまた通信です。今度の相手は青コートのようですね……待ってください、トンプソン小隊長と話しているようです」
「焦るのは分かるけど、あちこちに連絡入れるのは考え物よね……なにをやってんのよ、まったく。これは秘密裏に処理しないと大事になるわよ。レイラはそのままもう少し会話の内容を聞いといて」
高貴なお嬢様が愚連隊と関わったなんて外聞が悪すぎる。しかもドラッグを強奪したことが原因で報復までされようって展開だ。
悪いことをやってただけに実家にも知られたくないのか、一応は裏で解決しようとしてるっぽい。トンプソンに直で通信を繋ぎ、頼りにするも理解はできる。でもそんなことは青コートの小隊長にとって迷惑千万な話だ。
ジエンコ・ニギと青コートは裏で繋がってるし、ジエンコ・ニギだって貴族の娘をさらったなんて知らぬ存ぜぬと白を切るだろう。青コートは多額の上納金を入れるジエンコ・ニギを潰したくないし、表立っての誘拐事件なら腹を決めるしかなくても、密かに解決しないといけないんじゃ厄介事でしかない。
貴族の親に恩を売れるならともかく、秘密裏に解決するんじゃそれもできない上に、身代金の仲介役や交渉役として都合よく使われるのが目に見えてる。ガキに恩を売ったところで、それを回収できるのがいつになることやらといった感じだ。
交渉役と関われば、その中でドラッグ強奪の話だって当然でる。聖エメラルダ女学院の生徒会所属の生徒たちが、とんでもない犯罪行為に手を染めてしまったという秘密に触れるわけだ。
生徒会とジエンコ・ニギ、そして青コートの一部隊員だけの間で秘密が守れるか? あり得ない。必ずどこからか漏れ、お偉い貴族の耳に入る。その後の展開は想像に容易い。
激怒したどこぞの権力者は醜聞が広がることを嫌い、秘密を知る奴らを放ってはおかないだろう。
小さな悪事ならともかく、ここまでくると話がでかすぎる。ジエンコ・ニギが消されるのは当然として、青コートだってきっと処分されるに違いない。命が安い世界で秘密に触れるってのはそういうことだ。
生徒会がトンプソン小隊長にどこまで話すのか、そしてトンプソンの危機察知能力がどれほどのものか。この先の展開を見てみないとわからないけど、このままなら近い将来にトンプソンの首は飛ぶことになるだろう。そうするとせっかく青コートと繋ぎを得た私の苦労が無駄になる。
まったく、面倒な想像ばかりが膨らんでしょうがない。
「こちらレイラです。生徒会の通信内容が結構荒れています。トンプソンが何を言っているのかまでは聞こえませんが、人が出払っているとかどうとかで渋っているようですね」
「なかなか賢明な奴ね、先の展開が読めてるわ」
「ところで会長、イーディス・リボンストラットはこの件にどう絡んでいるのでしょう? ジエンコ・ニギとあの侯爵令嬢は繋がっていましたよね」
ふむ、そういやそうだった。
そもそもどうして生徒会がジエンコ・ニギのドラッグを奪えたのか。こうなってくると、あの巻き毛が一枚噛んでる可能性も浮上する。でもあの巻き毛と生徒会が繋がってるなんて様子はこれまでになかった。
実際のところ、なにがどうなってんのやらね。
「こちらヴァレリアです。お姉さま、繁華街で地下に運び込まれる生徒を見かけました。踏み込みますか?」
もう見つけたのか。やけに仕事が早い。
話を聞いてみれば、高台に上がって広域魔力感知を実施、地図でジエンコ・ニギの隠し拠点を参照しながら、対象を絞って怪しい動きがないか監視したらしい。するとそれらしい場面を目撃できたようだ。
目の良さと勘の良さ、それに運の良さもあるかな。頼りになる妹分だ。
「よくやったわ、ヴァレリア。敵は?」
「ちょっと待ってください、近づいて探ります」
通信がカットされ、さっそく移動を開始したらしい。そう時間を置かずに通信が入った。
「お姉さま、敵は五人です……いえ、二人出てきてどこかに行きました。生徒のほかには三人です」
「内部の状況は?」
「魔力感知でなんとなくですが、一人は床に寝かされて、三人は立って話しているようです。生徒は眠らされているのか動きがないです」
ふーむ、女生徒を手籠めにする雰囲気はなさそうかな。だったらこれ以上の危険はなく、ヴァレリアが近くにいるならいつでも奪還まで可能だろう。
「……ひょっとすると、イーディス・リボンストラットの身のほうが危ないかもしれないわね」
もし強奪されたドラッグの情報を流したのが巻き毛だとするか、あるいはそうだと疑われた場合には結構危ない状況になってるかも。
「ちょうど青コートの分署の近くにいるから、私はトンプソンの所に行ってみるわ。レイラは生徒会の様子を引き続き監視、ヴァレリアはもう踏み込んで制圧しといて。なんか問題あったら随時報告しなさい」
二人の返事を聞きながら、運転手にバスを停止させた。
身勝手で急な行動には運転手も部員たちも不思議そうだ。
「イーブルバンシー先生?」
「急用ができたわ。お前たちは先に戻って練習してなさい。そうね、いつも通り基礎のおさらいから入念に。それが終わったら今日の練習試合を踏まえた、戦術の研究もやっときなさい」
移動中に部員たちをほったらかすのは顧問としてちょっと気が引けるけど、学院まではもう少しの距離だ。大丈夫だろう。
部長に後を託して私のカバンも預けてしまう。発信器付きの指輪は……このままでいいか。
バスを降りたら、近くに停めてあったバイクに目を付けた。よし、ちょっとだけ借りるとしよう。
単純な魔力認証キーを秒で突破し、盗んだバイクで走り出した。
数分程度で到着したのは青コートの分署だ。受付の目を盗んでトンプソンの仕事部屋に向かう。
すりガラスの向こうには人影がある。良かった、不在じゃなかった。
「邪魔するわよ」
「あんた、ユカリード・イーブルバンシーか。突然なんだ」
そりゃ驚くだろう。急なアポなし訪問だし、こいつも色々と忙しい状況のはずだ。
「急いでるから前置きは省くわ。学院の生徒会から連絡があったわね?」
「どうして知って……いや、関わるつもりはないぞ。詳しいことはまでは聞いていないが、どう考えても危ない橋を渡る話だろ。あのガキどもにも言ったが、事件が起こったなら正規のルートで通報しろ」
「それで正解よ、秘密裏に関わったらあんた破滅するところだったわね。それにそっちは私のほうで処理するから問題ないわ。それより、イーディス・リボンストラットのことは知ってるわね?」
話についていけなくて混乱したトンプソンだったけど、諦めたようにため息を吐いた。切り替えが早いのはいいことだ。
「リボンストラットと言えば、侯爵様か?」
「そう。生徒会の件と同時に、たぶん侯爵令嬢の身も危ないわ。もしかしたらすでに捕まってるかも。あんたのほうでジエンコ・ニギに探り入れなさい」
「おいおい、ジエンコ・ニギと聖エメラルダ女学院は何をやってやがる。俺らを巻き込むな」
「厄介事をこっちで処理してやるって言ってんのよ。あんたは探り入れるだけでいい。なにかしら情報を掴んだら私に回しなさい。青コートの通信機は?」
いちいち会って話すのは面倒だ。こいつらの通信機を借りれば早い。
「まさか、持って行く気か」
「用が済んだら返すわよ。いい? あんたも分かってるように、この件に青コートが秘密裏に関わるのは不味い。でも放置するのも不味いわよ?」
「クソ……何がどうなってるのか知りたくもないが、その通りなんだろうよ!」
「私の言う通りにすれば、全部丸く収めてやるわ。協力したほうが身のためよ」
こっちはこっちで手がいっぱいだ。私とレイラとヴァレリアが動いてるから、妹ちゃんの護衛はこれ以上減らしたくない。使えるものは使わないと。
「ああクソ、奴らのアジトを監視するだけだ。異変があれば知らせる。これでいいな?」
「十分よ。それと奴らの隠し資産を奪うなら、今がチャンスかもね。まだやってないわよね?」
こいつを協力者に仕立て上げる際、土産として渡した情報はまだ活かされてない。どうするのも自由だけど、無駄にされるのはやっぱり気に食わない。どうせだから背中を押してやれ。
「今のこの状況でか。たしかに、あとは動くだけのところだったが……チッ、貴族に手を出すとはどこまで馬鹿なんだ。奴らとは潮時かもしれないな」
「切るなら手ぇ貸してもいいわよ」
「まだ分からんが、その時には頼むかもしれん」
「うん、それより監視を早く。通信機は?」
トンプソンは断片的に知り得た状況を繋ぎ合わせながら、忙しく頭を働かせてる。
打算や保身、諸々を考えて自分に火の粉が及ばないよう納得できたのか、あるいは諦めたのか、板状の通信機を取り出して何かを操作後に差し出した。
「魔導力波は他で使っていないものに合わせたが、万が一はある。余計なことに使ってくれるなよ。あと必ず返してくれ、まだ配備されたばかりで一つでも紛失すれば誤魔化すのが厄介だ」
「分かってるって」
ほうほう、チャンネル設定まで自在にできるのか。コンパクトさはイヤリング型が圧倒的に勝るけど、通信機としての機能はこっちのほうが遥かに上だろう。エクセンブラに帰るまでには、まとまった数をどうにかして手に入れたい。
通信機の操作説明を聞き、用が済んだらさっさと分署から外に出て次に取りかかる。
盗んだバイクを動かしながらイヤリングで通信だ。今日はなかなか忙しい。
「こちら紫乃上。レイラ、生徒会は?」
「こちらレイラです。生徒会は正規ルートでの通報するしないでまだ揉めています。ジエンコ・ニギから次の要求があるまでは、おそらくこのままでしょう」
「そんなもんだろうね。私は今から学院に戻って生徒会棟に乗り込むわ。この機に一気に追い込んでやる。ヴァレリアのほうは?」
「こちらヴァレリアです。特に問題なく制圧できました」
「捕まってた生徒は無事?」
「眠らされているだけです。これといった怪我も無さそうです」
そうすると残る懸念は巻き毛のお嬢だけかな。私の思い過ごしならいいんだけど。
ああ、ヴァレリアのほうは迎えがいるか。しょうがない、もう一人だけ動かそう。
「ロベルタたち、聞いてる?」
「……はい、こちらロベルタ。ヴィオランテもハリエットも聞いてます。シグルドノートも一緒ですよ」
「こちらヴィオランテです。ヴァレリアの迎えに車出しますか?」
「うん、荷物がいるからね。誰か一人、装甲車で迎えに行ってやって」
こっちが手を下すまでもなく、生徒会はドツボにハマった。
仲間が愚連隊にさらわれた状況で頼みの綱の青コートを動かせず、相当に切羽詰まってるに違いない。
奪ったドラッグは減ってるから耳揃えて返すことはできず、謝ったところで愚連隊が許すはずもない。ジエンコ・ニギがその代わりにどんな要求をするのか分かんないけど、あんな奴らの要求を呑んだらそれこそ泥沼だ。終わりのない脅迫が続くだけ。
いや、そもそもプライドの高いお嬢が下賤の輩の愚連隊に謝ろうなんて発想も浮かばないか。
とは言え現実問題としてガキどもに取れる手段と言えば、金で雇える連中を使うか親に泣きつく以外にはないだろう。
金で雇った奴らが愚連隊を蹴散らして人質を奪還できるほどの腕を持つとは思えない。そこまでの腕利きや組織を使えるなら、そもそもこんな状況に陥ってないはず。親に泣きつけば、こうなった経緯を説明しないといけなくなるし、嘘で誤魔化せるような状況でもない。
いよいよ追い詰められたって感じかな。
ま、そこに手を差し伸べてやるのがこの私だ。きっとありがたがって、泣いて喜ぶに違いない。
詰めの甘い子供たちの悪事が相手に発覚し、事件は起こるべくして起こりました。
なぜ、どうして、諸々の出来事の理由は様々にあり、それは単純であり複雑でもあります。現時点のユカリたちも多くを知り得ない状況ですが、きっと少しずつ明らかになっていくと思います。
焦燥に駆られる生徒会一同を弄ぶ次話「半分仕込みの蜘蛛の糸」に続きます!




