盛り場の洗礼
これから向かう先はダンスホール。私の趣味じゃないけど、派手な空間を想像してちょっとだけわくわくする。
階段を下りて分厚い扉を押し開けば、さっそくギラギラしたライティングの通路が奥へと誘う。
微かに漏れ聞こえる音楽を聴きながら歩き、また現れた分厚い扉を開けばそこは別世界だ。
爆音のレベルで大きな音楽に満ち、それに合わせて踊り狂う若者が百人以上は余裕でいる。かなり混みあってて、学院生を捜そうと思うならこれはかなり大変だ。
混雑具合から空気が淀んでそうでいて、意外とそうでもない。魔道具の空調がちゃんと機能してるからだろう。
「へえ……入ったことないけど、ディスコみたいな感じかな?」
独り言は爆音に紛れてしまって、自分でも聞き取りにくいくらいだ。漠然とした印象にすぎないけど、音響や照明の機材に高度な技術を感じる。
なんだろうね、ベルリーザは魔道具の本場だけあって、街のあちこちにある設備は想像以上に優れた物を使ってるなと感じさせられる。ちょっとした違いなのかもしれないけど、そういった何気ないところにエクセンブラとの差があるんだろう。
物珍しげに一人で入ってきた私は目立つらしく、さっそくナンパ野郎どもの目に留まったようだ。わらわらと有象無象が寄ってきてしまった。男女の連れ合いで入ってきたならともかく、ここには女漁りが目的の奴も多いに違いない。ひょっとしたら私もナンパされる事が目的だと思われたのかも。
盛り場だししょうがないとはいえ、いちいち相手してたらキリがない。無視してまずは一杯飲みにカウンターに行くことにした。生徒を見つけるにしても、今はナンパ野郎どもが邪魔だ。しばらく放っとけば諦めるだろうから、それまで時間を置こう。
ところがだ。テンションの高いバカは距離の詰め方が常識と違う。いきなり密着して腰を掴もうとしてきた野郎に対して、つい肘打ちを腹に食らわせてしまった。私にとっては軽い打撃でも不意に食らった野郎にとっては大ダメージで、白目をむいて瞬時に意識を失った。
あ、やっちまったと思いつつ、ぐらりと倒れそうになる野郎をとっさに支え、そのまま近くにあったカウンターの椅子に座らせた。私も横に座り、ほかの野郎どもには二人の邪魔をするなといった感じに手を振れば、勝手に誤解して去って行った。微妙だけどなんとか誤魔化せたかな。
「あぶない、あぶない。いきなり乱闘騒ぎになるところだった」
カウンターに突っ伏すナンパ野郎が椅子から落ちないようにバランスを取ってると、バーテンダーらしき男がさりげなくこっちを見てるのに気づく。そいつは奥の扉の向こうにいる誰かと数秒ほど話してから、ボトルを手に取って飲み物の準備を始めた。
慣れた手さばきで作られたのはカクテルだ。バーテンが私にピンクっぽい液体が注がれたグラスを差し出す。注文した覚えはないけど飲めってことだろう。もしかしたらウエルカムドリンク的なものだろうか。今日はどこぞの金持ちのおごりらしいから、自動的に出される飲み物がこれなのかもしれない。
流れる音楽の大きさに会話が難しいと分かってるからか、バーテンは無言だ。突っ伏すナンパ野郎についても、飲んだくれが多いためか特に気にした様子はない。
まあいい。ひとまずは私に集まる視線もなくなったことから、ドリンク片手にホール内の様子見だ。
人の多いフロア中央付近から奥の様子は全然見えなくても、吹き抜けの高い天井は鏡張りでなんとなくの奥行と人の多さが見て取れる。
天井や壁にはカラフルな照明器具が設置され、光を反射するガラスやメタリックな装飾物も数多く飾られてる。黒い床もピカピカに磨かれて光を反射するから、いい感じに光を使って非日常的な空間が演出されてるようだ。
私がいま座ってる椅子まで含め、一つ一つの調度品に至るまでよく計算された内装だと思う。派手ではあるものの、ギリギリ下品まではいかないラインだ。金の掛け方やセンスは、ウチのカジノに通ずるものがあって悪くない。
本来ならもう少し年齢層の高い客をもてなす店のようにも思える。普通に考えて学生くらいのまだ若い連中が気軽に入れるような店じゃない。その辺がちょっと違和感を覚える原因だろう。
壁際には私がいるカウンター以外にもいくつかのバーカウンターがあって、酒を飲みながら思い思いに休んだり会話に興じたりする奴らがそこそこいる。爆音の中での会話は必然的に距離も縮まって、誰もが仲良さそうに見えた。一人でいるような奴はほぼいない。
ただ、仲良さそうな連中が多い一方でトラブルも見られる。フロア内には口論してる奴がいれば、どつき合いしてるのもいる。爆音で怒声は聞こえないし、しょっちゅう起こることなのか、周りの奴らが気づいても止めに入らず面白がるだけだ。
普通なら用心棒が叩きだしそうなもんだけどね。たぶん行きすぎなければ喧嘩くらいなら許容する場所なんだろう。うん、元気でいい。
そして二階だ。
吹き抜けのフロアを見下ろせる壁の上には、二階の部分があるようだ。たぶん、ソファーなどが並べられた豪華な客席なんだと想像できる。
羽振りのいい人物、聖エメラルダ女学院の生徒がいるとするなら、そっちのほうかもしれない。それに上からならこのフロアも広く見渡せるし、踊り狂う生徒を見つけるなら二階からのほうが効率が良さそうだ。
問題はどうやって二階に上がるか。どうせ勝手には上がれないだろう。どうしたもんかと考えながら、ピンク色の液体を口に含んだ。
「下品な味ね」
こんなものをウエルカムドリンクにするなと言いたい。甘いジュースのように飲みやすく、それでいて強い酒だ。
飲み慣れない初心者だったら、調子に乗って何杯も飲んでしまう類のもの。まるで考えの浅いガキが女を酔い潰す時に使う典型的な手口のようじゃないか。
まさかバーテンが私を酔い潰そうとしてるとは思わないけどね。好きな味じゃないからもういらないと思っても、もったいない精神を発揮して全部飲んでしまった。
口直しに別の酒を飲もうと棚に並ぶボトルを指差した。バーテンが目当てのボトルを手に取ったことから、目を外してまた二階のほうに意識を向ける。
パッと見た感じ、二階に上がる階段は見当たらない。やっぱり気軽に上がれる感じじゃなく、フロア内にいくつかある扉を抜けた先から上に行くのかもしれない。どうせ見張りだっているだろう。
おごりの主とその関係者が二階でふんぞり返る感じなのかな。あとは金払いのいい常連客とか。一見さんの私が入り込むのはちょっと難しそうな気がする。
カウンターにグラスが置かれた気配で、いったん観察をやめる。甘ったるくなった口の中をリセットだ。
リンゴのような良い香りの酒に口を付けた。
「……ペッ!」
少しだけ口に含んだ酒を床に吐き出した。
即座に手をカウンターについて乗り越え、バーテンの胸倉を掴みながら引き倒した。一瞬の早業だ。幸いにも同じカウンター席にほかの客はいない。もし誰かに見られたとしても、その時はその時だ。
「なんのつもりだ、言ってみろ!」
剛力で床に押し付けつつ、耳元で怒鳴る。
酒には混入物があった。おそらくエクスタシー系のドラッグの一種だ。私が二階のほうに目を向けてる隙に入れやがったに違いない。
バーテンは胸を強く押し付けられて肺が潰れそうなのか、もがきながらビクビクと震えるだけで声が出せないようだ。
「ちっ」
胸を押すのをやめ、代わりに首に手をかけた。苦しくてもギリギリ声は出せるはず。
「どういうつもりでやったか答えろ。返答次第じゃ、このまま首をへし折るわよ」
まさか冗談とは思わないだろう。できないとも思わないだろう。
格好がラフな若者スタイルでも、私は悪の巣窟エクセンブラ三大ファミリーの顔の一人だ。その中でもアンタッチャブル、特に危険とされるキキョウ会の会長だ。脅しの迫力は、そこらの素人とは絶対的に次元が異なる。鈍感なバカでも身に迫る死を感じずにはいられない。
首の絞まる苦しみとは別に、明らかに脅えが走ったバーテンは注文通りの反応だ。そうだ、雑魚は雑魚らしくすればいい。
あえぐような浅い呼吸を繰り返し、苦しげに口を開いたバーテンの声に耳を傾ける。
「……言ったら、こ、殺される」
つまり、誰かが命じたってことか。
「言わないなら、いま殺す」
口の空いた手近なボトルを手に取って、バーテンの口に突っ込んだ。
酒で溺れそうになったところでボトルを引き抜き、もう一度同じことを訊く。咳込んで問いに答える前にまたボトルを突っ込み、再び溺れそうになるとまた引き抜く。
「私は気が短い。二秒以内に答えろ」
一方的に告げ、そしてまたボトルを口に突っ込んだ。
拷問じみた尋問を数度繰り返し、酒が残り少なくなったらボトルを取り換える。そうして頃合いを見計らうと酒瓶を床に叩きつけて割った。そしてまた告げる。
「次はこれを突っ込む。最後のチャンスと思え」
答えなければ本当に割れた酒瓶を口に突っ込む。なに、人間は結構頑丈にできてる。急所に気を付ければ、簡単に死んだりしないもんだ。さすがにこんな店の中での殺しは不味い。殺すと言っても、半殺しで勘弁してやる。
割れたガラスが口の中を少し削ったところで、ようやく馬鹿は理解したらしい。泣きわめいて震えながら指で示した。ああ、あっちの奴か。
ふん、女に妙な薬を飲ませようとしたんだ、死なないだけラッキーだと思え。このゲスめ。
なんのことはない。ドラッグを盛れと命じたのはカウンターの奥にある扉、その向こうにいた野郎だ。姿は見えなかったけど、そういやバーテンと話してた。エクスタシーなんか使って女をどうにかしようって魂胆は、いかにもくだらないゲス野郎の発想だ。
今日の私は学院の生徒らしき存在をとっちめにきたはずなのに、それは後回しにするしかない。喧嘩を売られたんじゃね。
魔力感知で探ってみれば、扉の奥には一人だけいる。その部屋はたぶん、店員の休憩室か倉庫のような場所だと思われる。
立ち上がって扉の前に行ってみると、ちょうど中の人物もこっちに向かって歩いてきたらしい。足取りののんきさから察するに、異変に気付いたんじゃなく一服盛った私の様子を見るためだろう。
こっちから見て奥に押し開くタイプの扉が開かれるタイミグを狙って、力強く扉を押し込んだ。
顔面を強打しただろう激しい衝撃にも、爆音に満ちたフロアでこの事態に気付く奴はいない。半分ほど開いた扉の隙間から、奥の部屋にするりと入り込んだ。
無様に倒れて転げまわるのは、がっしり体形でイケイケ風の若者だ。顔面を押さえてるから顔は分からないけど、逆立てた髪型やファッションでなんとなく分かる。そんなイキがってそうな奴が、痛みに転げまわる姿は情けないにもほどがあるけどね。
「このクソが、何してくれてんだ…………な、なんでお前が」
爆音が遠ざかった小部屋の中では声が普通に聞こえる。転げる馬鹿は痛みを我慢しながらこっちを見て、入ってきた私の姿を認識して驚いたようだ。
ふん、ゴミめ。会話など不要だ。こんな奴にどういうつもりでやったか聞いても無駄でしかない。欲望のままにやったに決まってんだからね。
無言で近づくと、男は慌てて腰の後ろに手を回した。武器らしきものを取り出す前に腕を蹴って妨害し、顔面を掴んで持ち上げてしまう。
叫んでも暴れても無駄だ。誰も気づきはしないし、掴んだアイアンクローが緩むこともない。
持ち上げたまま壁際まで移動し、石の壁に向かって叩きつける。ちょっとだけ飛び散った血が汚らしく思えて手を放した。
こいつも半殺しだ。動かなくなるまで蹴っ飛ばしてやる。
「ジ、ジエンコ・ニギ!」
さあ蹴るぞと思ったところで、イケイケ野郎が突然叫んだ。最近になって聞いたワードじゃないか。
「クソが……お、俺はジエンコ・ニギだぞ。こんな事してタダ済むと――」
言葉の途中で軽く蹴りをぶち込んでやった。
ああ、そういやダンスホールの前に立ってた男が言ってたっけ。愚連隊がどうとかこうとか。
なるほど。ジエンコ・ニギを名乗るなら、こいつもその愚連隊の一員ってことらしい。しかし愚連隊の名前を盾にイキがるとはね。こいつ自身は弱っちいくせに。看板背負う意味を理解しないアホが、こうして組織の名前を使うのを聞くと虫唾が走る。
「お前こそタダで済むと思うな。酒にクスリなんか盛りやがって」
まったくもって許し難い。
人の酒にエクスタシー系のドラッグだと? ただでさえ危険なドラッグの無断使用に加えて、そんなやり方で女をどうにかしようなんて万死に値する。
なんか考えれば考えるほどムカつく。もういいや。ぶっ殺すか。
苛立ち紛れに手を踏み砕き、腕を蹴り折った。そこで見てくれだけの情けない野郎は泣き言を上げた。必死に言い訳してるようだけど、よく聞き取れない。
「えぇ? なんだって?」
「ひぐっ、お、俺じゃねえっ……俺がやらせたわけじゃ……」
ふむ。さらなる黒幕がいる? 苦し紛れの嘘?
満身創痍で涙を流す馬鹿を見てたら、溜飲が下がるような気もしてきた。
はあ、このくらいで勘弁してやってもいいか。手や脚、肋骨には複数の骨折、その他数多くの裂傷に打撲傷は、下級の治癒魔法じゃ到底癒せない重傷だ。すでに半殺し状態と言っていい。雑魚をいたぶるのも、この辺にしとこうかな。そもそもこんな雑魚を殺したせいでお尋ね者になったんじゃ、どう考えても割に合わない。やるなら時と場所を選んでからじゃないと。
馬鹿の言い分が嘘かどうかも、もうどうでもいいや。黒幕がいるとして、どうせ愚連隊の奴だろう。なんかの機会があれば、全員まとめて半殺しにしてやる。
そんなことより、別のことが聞きたい。本来の目的を思い出した。
「おい、二階に上がるにはどうしたらいい? 二秒以内に答えないと」
「ま、待ってくれ。分かった、分かったから……」
ちっ。本格的に弱い者いじめしてるみたいな気分になってきた。
大の男が泣きながら言うなっての。私が悪いみたいじゃないか、まったく気分悪い。用が済んだら、最後に一発蹴っ飛ばしやった。
手間はかかったけど、なんとか二階への行き方と通行証となるブレスレットを手に入れた。
まったく、ムカつく奴らだ。これで聖エメラルダ女学院の生徒がいなかったら、骨折り損のくたびれ儲けよ。




