臨時講師のそこそこハードな日常
繁華街に行った翌日、ベルリーザにやってきて二回目の朝。
慣れない寮の部屋で浅い眠りから目覚めたら、うだうだせずに起き上がる。毎度のルーティーンで心身を整える時間だ。環境が変わって訓練メニューは変えても、訓練自体は怠らない。積み重ねる日課は私を支える重要な要素だ。
日の登り切らないなか外に出て、可能な限りの重量物を身に付けてから多重に魔法を展開、高負荷のランニングとイメージトレーニングを同時にこなす。
山の上の学院は運動できる場所が豊富だし余人がいないしで、結構いい環境かもしれない。どこかから感じる視線も無視だ。その程度のことなら、私には慣れたもの。気にならない。
途中でヴァレリアたちと合流して一緒に汗を流し、寮に戻って諸々の準備を済ませたら、今日も講師のお仕事開始だ。
本日のノルマとして、まずは生徒名簿を頭に叩き込む。なにしろ人数の多い学院だから、顔と名前を覚えるだけでも一苦労がある。
普段ならどうでもいい奴らの顔や名前なんか、いちいち覚えたりしないんだけど仕事で必要ならやるしかない。勉強家の本領発揮だ。
教職員や出入りの業者までも含めたリストを脳に刻んだついでに、上級貴族や気になる生徒はもう少し詳しく覚えてしまう。特に学長からもらったマル秘資料には不良生徒たちの情報が満載だった。使える情報がありまくるから、これは入念に覚える。
基本的な私の役回りとしては、校内を巡回して鬼講師の存在を抑止力として働かせることにある。
問題行動を起こした生徒は『指導』し、校内風紀を厳しく取り締まる。緩い空気をビシッと締まったものに変えてしまうのが当面の目標になるかな。
そして放課後は魔道人形俱楽部の面倒を見つつ、捲土重来への道筋を考える。これもまだ先の見えない道のりだ。
当然ながら最優先は妹ちゃん護衛。そのためアナスタシア・ユニオンの動きには常に気を払う。直接的な護衛は生徒として同じ立場で一緒に行動できる、みんなにほぼ任せられるのがありがたい。
相手の出方を待たないといけないのがちょっとばかしストレスに思うけど、これはしょうがない。こっちから動いてぶっ潰すわけにもいかないんだ。
本当なら基礎魔法学の副担当としての役回りもあるはずなんだけど、どうやら必要とされてないらしい。まあ、ほかで忙しいからそれならそれでいい。でも先は長いから、もしかしたらどこかで出番はあるかもしれない。余裕ができたらプランだけは考えとこう。
午前の授業時間を使って集中し、関係者の名簿はコンプリートだ。授業の合間の休み時間にはヴァレリアたちの訪問を受けたお陰で、ちょうどいい感じにリフレッシュしながら覚えられたのが良かった。
「ふー、さすがに疲れたわね」
腰や首筋の張りを伸ばしてストレッチ。体をほぐしてから立ち上がり、疲れた脳と空腹を癒すことにした。
廊下を歩いても食堂に移動しても、私に話しかける生徒は誰もいない。昨日の最初のほうは色々話しかけられたってのに、ジャージとサングラスに鉄の棒を装備するだけで人は寄ってこなくなる。職員も同じだ。生徒にはもしかしたらまだ清楚風のファッションだった昨日の私とは、同一人物だと思われてないのかもしれない。
でもこれでいいんだ。
恐れろ。おっかない奴と思われれば、少なくとも私の近くで悪さをする生徒はいなくなる。私みたいな教職員が一人いるだけで、状況を少しは改善できるんだと実績作りをしてやろう。
綱紀粛正には厳格なルールと共に、そのルールをきっちり押し付ける存在が必要になる。
これまでの学院は権力者を親に持つ生徒には非常に甘かった。学院のルールより、貴族社会の階級の論理が幅を利かせたわけだ。しかも悪い方向に。ガキを甘やかしても、ろくなことにならないのを完全に証明した形だ。この状況を変えることは権力者どものオーダーだからね。気兼ねなしにやれるのだけはいい。
昼休みの残りは適当に巡回し、昨日も訪れた屋上庭園に向かった。
一人だけ残ってるのがいたことから、またいじめられっこかと思いきや違ったらしい。あの立派な巻き毛が特徴的な生徒はイーディス・リボンストラット嬢だ。この侯爵家の娘さんは昨日は取り巻きを周囲に置いてたのに、今日は一人っきり。むしろいつもこうなのか、今だけ一人になりたい気分だったのか。どっちにしても、そろそろ授業の時間だ。
「なにしてんの、教室に戻りなさい」
巻き毛は庭園の隅でボケっと突っ立ったまま、遠くの景色を見てるのか考え事でもしてるのか、私の声掛けには無反応だ。
暗く淀んだ雰囲気をまとった姿は、深く思い悩んでるようにも見える。無言の数秒を挟んでどうしたもんかと思ってると、巻き毛が不意に濁った目をこっちに向けた。
「あなた、リボンストラット家を知っていて?」
気づいてなかったわけじゃないらしい。
それにしても図太い奴だ。鬼講師ルックには無反応だし、昨日の清楚ルックの私と同一人物だとも気づいてるように思う。声で分かったのかもしれないけど、極端なスタイルチェンジには少しくらい驚いて欲しいもんだ。
しかし意味不明な質問ね。
自分の家を知ってるか、ときた。たぶん誰でも知ってるオープンな情報について訊いてるわけじゃないだろう。少なくとも現時点じゃ、こいつが答えて欲しい何かを私は知らない。学長のマル秘資料にも、いま答えるべき何かは載ってなかったように思う。
こっちの沈黙を知らないのだと、正しく受け取った巻き毛は薄ら笑いを浮かべた。
「貴族の端くれなら覚えておきなさい。恐ろしい家よ、とてもね」
この私を脅してるつもり? 無意味なことを。
ただまあ、こいつの実家は大国ベルリーザの侯爵家だ。どんな闇を抱えてるか分かったもんじゃない。お嬢様個人はどうでもいいとして、家の力は警戒しすぎるくらいでちょうどいいのかもね。
「忠告どうも。そんなことより、そろそろ授業が始まるわ」
意味深なセリフを軽くいなしてやれば、巻き毛はふいと顔を背けて屋上庭園から立ち去った。素直に教室に戻るつもりだろうか。どうせサボるなら、バレないよう上手くやって欲しいもんだ。
屋上の一幕が終わったあとでも、午後はそのまま巡回を続ける。
サボってる生徒はまだまだあちこちにいる。建物の死角や部室棟の中には特に多い。隠れてるつもりなんだろうけど、私を誤魔化すことなどできやしない。
建物の外でも中でもこれ見よがしに近づいて、逃げるならそれで良し。隠れてやりすごそうなんて奴は引きずり出して説教だ。
もう学院内にはのんきにサボれる場所なんかないんだと思い知れ。どうせなら私が感心するくらい上手くやれ。そうすりゃ見逃がしてやってもいい。
そして単なるサボりじゃ済まない阿呆のことが、更なる面倒の原因だ。まったく、どこまでも世話を掛ける奴らだ。
「バカにも限度ってもんがあるわよ。こんなもん、遊びで使うもんじゃないわね」
「返しなさいっ」
馬鹿の阿呆から取り上げたのは少量のドラッグだ。これは手のひらの中で燃やし尽くした。
「真面目に授業を受けるか、さもなければ帰れ」
どうしょうもない愚か者は分かり易く脅す。襟首掴んでサングラス越しに睨み付けた。
調子に乗った悪ガキに話が通用するなんて思ってない。ドラッグの危険性を説いたところで、どうせ人の話なんか聞きやしないんだ。本当は丁寧な対話が必要なのは分かってるけど、それは別の優しい奴らに任せる。私のような鬼講師は、おっかない存在としてただ厳しくすればいい。
「こんなことをして、お父様が黙っていませんわよ!」
「お前はたしか、コーエントン子爵の娘だったわね。そういう舐め腐った態度や行動は全部、報告書にまとめることにしてる。そうね、お前のはハリス伯爵にも回してやろうか? お父様はお前を全面的に信じるかもしれないけど、ほかはどう思うだろうね」
「そ、そんなことができるはず――」
「本当にできないとでも? 普通に送り付けるだけよ。学院の正式な文書としてね」
マル秘資料によれば、ハリス伯爵家はこいつの婚約者の家だ。
私は不良どもを更生させようなんて思ってない。暴力の気配で言う事聞かないなら、弱みに付け込むだけだ。ほかの教職員ならこいつの実家やその派閥に気を使ってしまうことでも、私にはまったく関係ない。
それに教職員の立場を使った職権乱用とも言わせない。権力を匂わせたのはこいつが先だ。貴族ならこれもまた学びだとありがたく思うがいい。
「いいか。お前の将来はこの学院での過ごし方で大きく変わる。せいぜい、私の機嫌を損ねないことよ」
冗談や口先だけの言葉とは違う、本気の脅しは伝わるもんだ。言う事さえ聞くなら、私は別にチクったりしない。
顔色の悪くなったお嬢は、きっとこれからの生活態度を改めるだろう。所詮は小物だ。気合入った不良じゃないし、まだ依存症にもなってなさそうだからね。
中途半端な貴族や金持ちは、その中途半端さゆえか何かしらの弱みを持ってる場合が多い。聖エメラルダ女学院はそんな生徒が多いから、情報さえ持ってれば非常に有効に使える。
脅しなんて私にとっては慣れた仕事だ。というか、荒っぽい手段でもドラッグや悪さをやめさせてやるんだから、普通に感謝するべき事柄だろう。
似たような忠告を数回繰り返せうちに、放課後の時間になった。
しかし、いったいどうなってんのよ、この学院は。私だからこそ気づけたんだと思うけど、昨日の印象以上にドラッグを持ってる馬鹿が多い。
いちいち注意して回るよりも、いっそのことドラッグの供給源を潰したほうが手っ取り早いかもしれない。まったく、手間のかかる奴らだ。
生活指導の時間が終われば、倶楽部の顧問としての時間が始まる。
いったん仕事部屋に戻って今日の成果をメモにまとめてから、魔道人形倶楽部の部室に向かった。
昨日の実技指導が上手くいったお陰か、部員たちはすでに基礎練習を終えようとするタイミングだった。意外に真面目な奴らじゃないか。
昨日までの緩い雰囲気が、急激にやる気になったのはどうにもおかしい気はするけど、きっと本当はちゃんと倶楽部活動をやりたい部員が多かったんだろう。まだまだヘボでも真剣に取り組もうとする姿は悪くない。
「イーブルバンシー先生、今日のご指導よろしくお願いいたします!」
「よろしくお願いいたします!」
部室に入ればまず部長が挨拶を寄こして、それに全員が続いた。よっぽど昨日のインパクトが強かったらしい。
うん、やる気と教わる者の立場をわきまえたことは褒めてやる。
「今日は昨日の復習から始めるわ。一人ずつ指導するから、私が行くまではひたすら基礎を続けなさい。まずは部長から」
「はい!」
魔力感知と魔力操作の基礎訓練には、二世代前の人形を使うのは意外と良い効果を見込める気がする。魔力の通りにくい物体には、込める際に強い出力が必要になるから、魔力そのものを強化する意味でも訓練にはちょうどいい。
ぎこちなくしか動かせない古い人形をちょっとでもマシに動かせるようになれば、新型に乗り換えた時にはかなりスムーズな操作が可能になってるはずだ。
問題は人形の買い替えをどうしたもんかということになるけどね……どうにか作戦を考えないと。
たしか学院内で権力を握る生徒会が、予算を通さない上に自費での購入も認めないとか言ってたっけ。
「先生、魔力を均等に行き渡らせるコツはありますか?」
「簡単にやれるコツなんてものはないわ。魔力感知と魔力操作、これが上達すれば思い通りにできる。ほら、私が付けた魔力の微小点を見つけてみなさい。今のあんたでもギリギリ感知できるくらいにしといたから。ちなみに五つあるわよ」
「えぇ、どこでしょうか……」
よし、全員の練習を見終わったら生徒会に突撃してみよう。作戦を考えるにも取っ掛かりがないと手が浮かばない。
部員の練習をひと通り見てやったら、あとは自主練を言い渡して部室棟を出た。
学院内を巡回で練り歩く私が唯一、入ったことがない建物が生徒会棟だ。その名の通り、そこは生徒会の連中が使用する専用の建物。
生徒会棟は特別な建物で、生徒会の関係者と許可を受けた者だけが入ることを許されるらしい。例外はなく、教職員でも許可なしには立ち入ることのできない聖域だ。
いくら権力者の子供だからって、特権を与えすぎだろとしか思えない。
部室棟からは遠く、本校舎を通りすぎ、小さな林を抜けた先にそれはあった。
本校舎や部室棟などのロマネスク建築風とは違う、近代的な低いビル風の建物だ。学院内にある建物とはとても思えない造りをしてる。
なんにしても場違いだし、一部の生徒が使うだけにしては大きくて立派だ。なんでも最近、建て替えたんだとか。
「生徒が使う建物にしちゃ、金が掛かりすぎてるわね」
校舎内の部屋の一室どころか、建物丸ごとだからね。生徒会の所属人数は別に多くなかったはずだし、あんな大きな建物は不要だろう。
しかも建物の前には門番よろしく、二人の生徒が直立不動で立ちはだかる。
金縁ティアドロップのサングラス、テカった紫色のジャージにサンダル、おまけに鉄の棒を肩に担いだ私は非常に目立つ。当然ながら、林の中を歩いてる時点で門番は警戒してたようだ。生意気にも近づく私を睨みつける。
「貴様、ここをどこだと思っている!」
「立ち去れ! ここは貴様のような下賤の者が近づいて良い場所ではない!」
女騎士の門番でもあるまいに、まるで王城かなにかを守ってるかのような言い分じゃないか。バカバカしい。
下らない主張には思わず笑ってしまいそうになる。当然、無視だ。
「我らには排除の権限がある! それ以上、近づけば斬るぞっ」
いやいや、それはいくらなんでもおかしいってもんだ。
私の常識的な感想とは別に、門番の二人は腰に装着した剣に手をかけた。どうやらマジらしい。
腕に自信があるんだろうけど、私と比べたら塵芥も同然のあんな奴らを無力化することなど簡単だ。でもこの警戒はちょっとどころじゃなく異常。とても学院の敷地内とは思えない。これは突撃の前に下調べしといたほうが良いかもしれない。藪を突いて何が飛び出すことやら。
そういや、レイラならすでに何か掴んでるかもしれない。ここはいったん引いて出直すかな。




