名門校の実態
屋上でサボりを決め込んだお嬢たちは、私の登場にひどく驚いた様子だった。
サボっといて注意されるのがそんなに意外とは、この学校思った以上にヤバい状況ね。名門やら伝統やら言ってる場合じゃない。
「さあ、片付けて授業に戻りなさい」
始めは優しくだ。話せば分かるようなら、乱暴なことはしなくていい。
相手はお嬢、相手はお嬢、育ちの悪いスラムのガキとは違う。なるべく丁寧に、あくまでもエレガントに、だ。
臨時講師ユカリード・イーブルバンシーは、エクセンブラ三大ファミリーの二条大橋紫乃上とは違うと心得るべし。
「どなたですか、急に。無礼でしょう!」
「まさかあなた、わたくしたちに命令したつもりですか? 何様のつもりなの?」
「初めて見る顔ですね、名乗ったらどうですか」
おお、さすがはお嬢の不良だ。生意気な発言でも、口調だけは丁寧なのが妙におかしい。
しかしこいつらはベルリーザ貴族の娘たち。まだ生徒名簿に目を通してないから、誰が誰だか不明だ。勢いで声を掛けてしまったけど、ひょっとしたら大物がいるかもしれないし、ここはなるべく穏便に指導しよう。
「……そうですね、では自己紹介しましょうか。私はユカリード・イーブルバンシー、本日着任したばかりの臨時講師です」
恭しく、すっきりと上品に。エレガントの体現者として、未熟者を導くべし。
「はっ! 臨時講師風情が、気安く声を掛けないでくださる?」
「イーブルバンシーですって? 聞いたこともありません。ふふっ、どこの山奥からいらっしゃったの?」
「三流男爵家の生まれでも貴族は貴族でしょう。礼儀くらいわきまえたらどうかしら?」
ちっ、人が下手に出ればいい気になりやがって。思わず沸き上がるぶん殴りたい衝動をなんとかこらえる。
落ち着け。あくまでも華麗に、上品に、ガキのたわ言に惑わされてはいけない。
聖エメラルダ女学院の教職員は例外なく貴族の血統だ。だから私もそうだと思われてるらしく、イーブルバンシー姓を田舎の木っ端貴族だと解釈したようだ。ここは腐っても王族さえ通う名門だから、教職員は私を除いて身元確かで優秀な奴らのはず。問答無用で木っ端貴族と断じるのは、いくらなんでも乱暴すぎる思い込みだ。まあ、実際に私は貴族の端くれですらないから、何とも言えないんだけど。
ただ私の正体はともかく、すべての貴族を適切に把握することは難しい。ベルリーザの貴族を数え上げれば、うんざりほどの人数に上る。ベルリーザの領土は広く、飛び地もあれば領海には人の住む島々までいくつも抱えてる。様々な歴史的経緯だけじゃなく、領地管理を考えても、それだけ多くの貴族が必要になるってことだ。
ガキどもは私が言い返さないのを弱気と受け取ったのか、嫌味を好き放題に言い放ってる。しょうもない奴らだ。ムカつくというか、呆れるというか、もはや可愛いと思ってしまうくらいの馬鹿さ加減だ。
「新人のあなたがご存じないのであれば、教えて差し上げます。こちらにいらっしゃるのは、リボンストラット家のイーディス様ですのよ?」
「あなた如きが、対等に話せる方ではありません!」
ほう、それは覚えのある名だ。たしか、リボンストラット家は侯爵家だったはず。侯爵令嬢ともなれば、取り巻きくらい何人もいるのが普通なんだろうね。
貴族は数多くいても、侯爵以上は数少ない。取り巻きが得意げになってるのは、非常に滑稽なもんだと思うけど相手はガキだ。そんなもんだと思っとく。
それにしても侯爵家か。ベルリーザ貴族をざっと数え上げれば、家の数だけでも相当数だ。
公爵家、十六家。
侯爵家、二十二家。
伯爵家、百五十一家。
子爵家、七十九家。
男爵家、四百二十二家。
多少の違いはあるかもしれないけど、記憶にある数はそんなもんだった。
世襲貴族の当主だけでも七百人近くいて、その家族も含めればかなりの人数に上る。家の紋章を覚えるだけでも大変で、現当主の顔と名前まで追加で覚えようとするなんて、もうそれ専門の役職じゃないと無理だろう。
さらには一代貴族など、家とは別に役職に応じた爵位を与えられることまであるから、貴族の人数は相応に増える。特別に覚えるべき有力者や自分に関係する貴族以外は、知らないのが普通と思っていいくらいだ。貴族の世界は、それはそれで大変よね。
不良グループの中心人物は巻き毛のお嬢。こいつがイーディス・リボンストラットか。
リボンストラット家は侯爵以上の中では特別に有力な家ではなかったはずだけど、伝統あるベルリーザ貴族の侯爵家だ。相応の力があると考えなければならないし、表面だけ見たって分からないことは多いと思われる。実態を考えれば、私は何も知らないに等しい。
ただ、それは家の話であって、ガキ本人に大した力などない。
ここは学院で、私は学長から生活指導を任された身だ。実家がどんな力を持ってようが、建前の上では生徒が教職員に反抗することなどあってはならない。私は貴族を利用したいとは思ってるけど、恐れてなどいないからね。しがらみに囚われた連中と同じと思うなら、それは大間違いだ。
さっきから取り巻きがうるさく騒いでるけど、肝心の巻き毛は静かなものだ。周りがひどいだけで、囲まれてる当人が実は真っ当なパターンなら良かったけどね。たぶん、こいつはろくでもないダメな奴だ。
私を見る濁った眼は、根性がねじ曲がってるタイプのもので間違いない。想像以上の問題児かもしれないわね。こいつは要注意だ。
「黙ってないで、何か言ったらどうなの!」
「いい加減に邪魔ですわ、早々に立ち去りなさい!」
おっと。無視して観察してたら、取り巻きどもが怒ってしまった。
こいつらがキャンキャンとうるさく喚くのには、私に対する新人いびりとは別に理由がある。
やたらと突っかかって追い払おうとするのは、後ろ暗いところがあるからだ。もう私には何があるのか予想ついてるけどね。
さて、問題はこの場をどう収めるかだ。悪事を白日の下にさらしてやるのは簡単だけど、拙速にやればややこし事態に発展しかねない。
どうしたもんかと思ってたら、ここで鐘の音が鳴った。授業が終わり、昼休憩の時間になったらしい。そういや私もお腹空いた。
「……お昼ですね。午後からはきちんと授業を受けなさい。私は臨時講師ですが、学長から生活指導を任されてもいます。見逃すことはありませんから、そのつもりで。それでは、ごきげんよう」
一方的に言って退散だ。この場はきっと、これで収めるのが後腐れ無くていい。
取り巻きを無視して、巻き毛に向かって言ってやった。特に反応はなかったけど、言うだけ言って背中を向けた。
「イーディス様に向かって、なんて言い草! 臨時講師風情が何様のつもりですか!」
「ゆ、許せません。徹底的に戦いましょう」
「そうです、あのような者をそのままにはしておけませんわ」
好きに言えばいい。いくら口が達者でも、悪ガキ如きが私に対してできることなど、たかが知れてる。
もし実家の権力をかさに着たって、私の後ろ盾は公爵家に縁のある学長であり、その背後にはもっと色んな権力者だっているはずだ。
聞いてはいないけど、学院の最大のスポンサーであるベルリーザ王室にだって、この荒療治については根回しが済んでることは間違いない。そうじゃなきゃ、私がこの名門校の生活指導をやるなんてあり得ない。
いくら学長だからって、そんな独断を王室や他の大物貴族が許すわけがないんだ。王の妃を含め、有力者の伴侶はほぼすべてが、この学院の出身者だと聞いたばかりだからね。そのくらいの見当はつくってもんだ。
この私は言わばジョーカーだ。
一切のしがらみに関係なく、たった一人でも破格の戦力であり、仲間も装備も財力までも潤沢で、なにより自由だ。古い因習や血に束縛されることがない、最強のカード。しかし裏稼業を生業とするがゆえに、義理だけは重んじる律儀な面も備える。なんせ信用こそが大事な稼業だからね。やると言った約束は果たす。
ジョーカーとして、悪ガキどもの生ぬるい日常をぶっ壊してやるとも。
「ふふふふふふ、面白い。実に面白いわ」
ミッションその一、綱紀粛正。
一般的に考えれば、学内風紀を取り締まり、規律を正すことを意味するはず。これを進めた結果、あるいはその過程で何が起こるのか、どんな厄介事を押し付けようとしてるのか。最前列でせいぜい、楽しませてもらおうじゃない。取り組む当人だったとしても、私にとっちゃ所詮は他人事だ。悩んで思い詰める必要まではない。気楽に悪ガキどもを懲らしめてやる。
特別棟の屋上から立ち去り、教職員用の食堂でささっと昼食を済ませた。早食いでも背筋は真っすぐに、テーブルマナーも完璧に。雑と思わせない優雅さが、ユカリード・イーブルバンシーには求められる。
ほかの教職員は特殊な立場の私に遠慮してるか、あるいは歓迎してない奴らだっているだろう。特に話しかけられるようなこともなく、静かな食事時となった。
そこそこ長い期間、臨時講師はやるわけだから、もう少しコミュニケーションは取ったほうがいいかもしれない。ま、後で考えればいいや。
食事を終えた後では、また特別棟の屋上に舞い戻った。
不良どもはいなくなってるみたいだけど、やり残したことがある。
用があるのは庭園の奥に隠れるようにあった四阿、さらにその向こうの生垣の奥だ。
「隠れてないで、出てきなさい」
不良どもがいた時から隠れてる奴がいるんだ。さっきまでならともかく、まだいるのはなんでだろうね。
身を潜めてじっとしてても、私は自信たっぷりに待ち構える。やがて観念したのか、一人の少女が姿を現した。
グレーの制服に乱れはない。それでも泣きはらして赤くなった目と、不自然な髪型は異常を明確に告げる。あの不良どもに、髪を切られたんだろう。女の髪を切るなんて、いじめにしても随分と悪質だ。でもこうした目立つやり方は、いじめにしても普通ならしない。
バレないようにやるのが悪事ってもんなのに、堂々とやるなんてガキの癖にイカれてる。それにしても、この少女を隠したってことはバレたくないってことでもあるはずで、どうにもよく分からない。
やっぱりあの巻き毛の侯爵令嬢については良く調べとこう。
「もう授業が始まりますよ、戻りなさい」
なにがあったのか、なんて白々しいことを訊く必要はない。さっきの奴らがやったに決まってる。
この娘は結構かわいい感じだけど、おどおどした態度は、あの手の奴らにとっちゃいい的だ。こいつなら、なにをしたって逆らわないってね。如何にも鬱憤を抱えた馬鹿のいいおもちゃになりそうな雰囲気してる。
悲しげに俯いて応えようとしない娘にも、悪党の私は容赦しない。
「早く行きなさい。授業に出られないのでしたら、家に帰りなさい。それともあなたは寮生ですか?」
「で、でも……」
言いかけてまた下を向く娘だ。
たぶん不良どもに、ここに居ろとでも命じられたんだろう。でなきゃ、こんなところにいつまでも留まる理由なんかない。後でヘタクソなカットをどうにか誤魔化すつもりかな。ウイッグでも持ってくるとか。
「私に見逃せとでも言うつもりですか? いいから行きなさい」
いじめっ子の命令を聞かなければどんなひどい目にあわされるか、なんて考慮はしてやらない。というか、私がいるんだからする必要がない。学院の日常はこれまでとはガラッと変わる。これから怯えるのは、不良どものほうになるかもね。
それにだ。弱い奴は虐げられ搾取される運命だ。学院にいようがいまいが、そんなものは関係ない。世界は全然優しくなんかなく、いつだって弱い奴にこそ厳しい。
そして私は搾取する側の人間だ。安易に救いなど与えない。弱い奴は自分を変え、這い上がるしかないんだ。誰も助けてはくれない。自分が変わらなければ、今も、未来も、安寧など訪れない。天の助けなんか、期待するだけ無駄だ。不満があるのなら、己を変えるしかない。そいつを教えてやるのも教育ってもんだろう。
厳しく立ち去るようもう一度言えば、少女は泣きながら歩きだした。
「待ちなさい。そのままじゃ見苦しいわ」
去ろうとした少女を引き留め、髪をひと撫でした。
女の美容にはうるさい私だ。乱雑なその髪型は許し難い。髪型を正すのも、生活指導の役割だ。私の魔法は一定の条件下なら失った髪さえ元に戻す。鏡がない状況でのさり気ない上級魔法の行使に、なにをされたか少女は気付かない。
用が済めば少女を追い払い、仕事を続ける。ジョーカーである私がこの学院にいる限り、馬鹿の愚行はとことん潰してやる。
せっかく屋上にいる利点を生かし、上から視線の届く範囲で色々と観察した。
周囲に誰もいないのをいいことに、一層高い四阿の屋根に上がって、怪しい行動を取る奴らを注視する。練り歩いた午前中は、言わば主に普通の生徒たちの行動範囲内だ。山の上の学院は広く、人目が及びにくい場所は数多い。
教室にいる奴らは問題ないんだ。授業中にもかかわらず、勝手な行動を取ってる連中こそが問題になる。これが意外に多い。いや、私に生活指導を頼むくらいなんだから、これくらい荒れてるのは当然か。
そもそもこの学院は生徒数が多い。
貴族や金持ちの娘の大半が通うとなれば、そりゃ多くもなる。なんせ世襲貴族だけでも、七百家近くあるんだ。貴族は兄弟姉妹だって多いのが普通だしね。高貴な血は入ってなくても、財を成す商家だってそれなりに多い。誰もがこの名門学院に入ろうとするなら、結構な人数になってしまう。ほかにも学校はいくつもあるらしいけどね。一番の歴史と伝統があるってことで、圧倒的な人気を誇るようだ。
しかもそんな状況でだ。血筋と財力だけを重視して、厳しい入学試験も設けてないんじゃ、そりゃレベルだって下がりまくるだろうとも。この学院の乱れ具合は、もう自業自得しか言いようがない。
魔力感知の網を広げ視力を強化し、倶楽部棟の窓を覗き、山林のほうにまで視線を向ける。すると……。
「へえ、金持ち学校でもカツアゲってあんのね。おー、あっちじゃ喧嘩? 光モンまで持ち出して、下手すりゃ死ぬわよ。ちょっとちょっと、あれってまさかドラッグじゃないわよね……いや、想像以上っていうか、ヤバすぎるわね」
これが名門? バカ言うな。
底辺不良学校そのものじゃないか。
問題が山積みです。平穏無事な講師としての生活など、到底望むべくもありませんでした……。
ミッションその二については、次回で触れて行く予定です。
次話「乙女の園の鬼講師」に続きます。




