海と空の戦い
獰猛なサメに似た魔獣がうようよ徘徊する海へのダイブは、蛮勇を通り越して死にに行くようなものだろう。
水流操作に長けた魔獣から泳いで逃げる術は少なくとも私にはない。かといって、水中で格闘戦を挑むのも無謀に思える。
きっと荒ぶる水流に翻弄されて、まともに姿勢を維持する事すら厳しいに違いない。溺れ死ぬのが関の山のように思えてしまう。
もう破れかぶれに海を文字通りの地獄へと変えるような、後先考えない魔法行使くらいしか助かる方法はない。
色んなことに未練ありまくりの私は、どんな手を使ったって生き延びる。
誰がどんな迷惑を受けようが、知ったことじゃない。
どれだけ環境破壊しようが、数多の生物をぶっ殺そうが、私はそれでも生き残る!
「ふっ、なんてね」
この程度、ピンチの内にも入らない。余裕だ。
私を海に落とす? 魔獣如きが小さな脳ミソを必死に使ったところで無駄だ。私には打てる手なんか、いくらだってある。
ジークルーネとメアリーは常時魔力感知に網を張ってるから、私の状態にはすぐに気づいたはずだ。でも過保護に心配することはない。
超武闘派組織、キキョウ会会長の座に居座り続ける私を心配なんかしたってしょうがないんだ。このくらいなら自力でどうにでもすると考え、心配どころか気にも留めないだろう。
この際だ、みんなにもまだ披露してない札を切ってみるか。
実戦でやるのは初めてにしろ、このくらいの状況じゃないとやり応えってもんに欠ける。むしろちょうど良かった。
紅蓮のオーラに輝く私は空をゆっくりと流れ、その様はめちゃくちゃ目立つ。
サメっぽい魔獣どもが、エサを求めてわんさか落下ポイントに集まりつつあった。
気の早い魔獣は落下を待たず、飛んで食らいつこうとしてるのもいる。
「やれるもんなら、やってみろ!」
タイミングは分かってる。一匹の魔獣が飛びかかった時、私は『足場』を蹴って位置を変え、変えた先からまた『足場』を蹴り飛ばして元の位置に戻る。
エサを見失った魔獣の横っ面に迫り、乙女の剛拳を叩き込んでやった。
腰の捻りを加えた完璧な一撃だ。紅蓮のオーラをまとった渾身のストレート。
巨大魔獣は体の半分が消し飛び、その手応えに満足感を得る。よし!
私は落下なんかしない。
その場にまた『足場』を作り、逆さになって蹴って跳躍。落下するんじゃなく、今度は自ら海面に向かって突っ込んだ。
サメの背ビレは嵐の海でも良く目立つ。その背ビレ目がけて拳を穿ち、破壊的な手応えを感じると同時に、また『足場』から跳躍し空に舞い戻る。
背ビレは良い的だ。また同じように空から急襲し、お次は海面すれすれを真横に移動。『足場』を蹴って自在に動きながら、拳を突き刺したり、踵を落としたりで、巨大魔獣の命を軽く吹き消す。
『足場』を使うか手近な海賊船を蹴って、縦横無尽な三次元機動で、海の戦場を覇者の如く振舞った。
水神の使い、なにするものぞ! ってな感じだ。
「魔獣如きが、人間様を舐めんじゃないわよ!」
海を見下ろし笑ってやる。
もう手が付けられない私を恐れたのか、こっちに構わず魔獣どもは船への攻勢を強めた。
守りと迎撃に忙しい船への対処だって、私に手抜かりはない。
鋭さを増す感覚は、魔獣が攻撃を放つ前にその芽を摘んでみせる。
空中機動を繰り返しながら、投擲で邪魔して好きにやらせはしない。
水のカーテンの一枚や二枚なら問題ないし、空中なら投げる角度だって自分で調整できる。変化球を織り交ぜながら、必中のコースを見誤らない。そして一撃必殺じゃなく、邪魔さえできればそれでいいんだ。
魔獣如きが私に勝つどころか、一枚上に行けたとでも思ったなら、それは大きな勘違いだ。
嵐の夜空に紅蓮の軌跡を残しながら、水神の使いどもの本能に格の違いを刻み込んでやる。
しばし暴れて躾を終えると、余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》で船に戻った。
もう海賊船の包囲は完全に抜けた。海流からも間もなく離れるだろう。
サメの化け物どもは、血の臭いの濃く残る海域に留まるみたいで、ぐんぐんと距離を離しつつある。
光魔法に照らされた海を見てると、剣を納めたジークルーネとメアリーが私のところまできた。
「どうやら終わったらしいな。しかしユカリ殿、面白いものを見せてもらった」
「ユカリさんの盾って、あのようにも使えたのですね」
「私の近くになら浮かべられるからね、あのくらいの芸当はできて当然よ。使う機会がなかっただけでね」
実のところ、簡単じゃないんだ。
思い付いたところで、実戦投入可能と判断できるまでには苦労があった。
盾は盾として機能するイメージが私には強固にあり、足場として使うには柔軟な思考力を要する。そのほんの少しの微妙な違いは、瞬時に魔法を構築し展開する私には返って難しい。
それにこんな小細工は今日みたいな環境や奇襲には使えても、強者相手に使うのはあんまり意味がないとも思ってる。
たとえば目の前にいる強者二人には、あんな曲芸を使うよりも、どっしり構えて普通に闘ったほうがずっといい。
「とりあえずブリッジに行こうか。船長と話そう」
「戦闘態勢はもう解除しますが、構いませんか?」
「ああ、指示してやってくれ」
広域魔力感知で問題はもう無さそうなことを確認しながら、私たちは闘身転化魔法を解除した。これでやっと一息つける。
メアリーが少数の見張り役以外は休むよう伝え、私たちはブリッジに入った。すると興奮気味の爺さんたちが出迎える。
「やってくれたな、嬢ちゃんたち!」
「何べん死んだと思ったか、分かんねえけどな。かーっ、二度とはゴメンだぜ!」
「むしろあれを乗り切れるなら、怖い物なんか何もねえだろ! 冥途の土産に面白い話ができたぜ」
緊張から解放されたせいか、爺さんたちのテンションが異様に高い。
「そいつは良かったわ。海流がどうなってんのか知らないけど、もうあれと遭遇することはないわよね?」
「大丈夫だ。その辺のことは任せとけ」
「このまま夜通し進んで、できる限り離れるつもりだ。もう大丈夫だろうがな」
ベテランの爺さんたちが言うなら、完全に気を抜いても良さそうだ。
そうとなれば、ずぶ濡れの状態から脱して早く休みたい気持ちが沸き上がる。
「まあなんだ、見張りもこっちに任せて休んどけ。もし何かあったら、叩き起こすから安心して寝てろ」
疲れをにじませる私たちを気遣う爺さん。その厚意を素直に受け取って、三人でブリッジから船倉に向かった。
メアリーからは改めて全員に休むよう指示を下してもらい、私とジークルーネはささっと熱いシャワーを浴びてしまう。
冷えた体に熱が宿り、ようやくリラックスできた気がする。こうなると急激な眠気にも襲われる。
魔獣の危機は去っても嵐はそのまま続いてる。大きく揺れ続ける船の中で、船酔いに参ってる連中と一緒の部屋で寝るのはどうにも落ち着かない。
落ち着かないんだけど、寝床を考えるのも眠気でひどく億劫だ。寝る準備に忙しいみんなのざわめきを意識から締め出して、毛布に包まってしまう。
目を瞑れば、意識は簡単に落とせた。
以後の船旅はおまけみたいものだ。
鉱石を運ぶ船やそれを集める町の連中は、海賊が現れないかその数が激減したことを不思議に思うだろう。気になったのはそのくらいで、往路の時と同じように何事もない船旅が続いた。
少しだけ水神の使いの追跡を警戒したもんだけど、争いの気配なく私たちはリガハイムに帰還した。
どこかの無人島への一時的な上陸じゃなく、帰ってきたことでようやく気が楽になった。船酔いが平気でもやっぱり陸地が落ち着く。
船が苦手なメンバーは今回の船旅を経て、慣れるどころか本格的に苦手になった娘もいるみたいだけどね。嵐をもう二回か三回も経験すれば、嫌でも慣れるんじゃないかとは思ってる。
港に到着しても航行スケジュールより早く戻ったから出迎えはない。
昼間の閑散とした港でさっさと荷物をまとめてから、車両に乗り込んでしまう。船を貸してくれた海運事業商会のほうには、船長たち船乗りに経緯を報告してもらい、私たちは寄り道せず仮の拠点に向かった。
車両で近づけば留守中のメンバーが気づいて入口を開けてくれる。そのまま中に入って、まずは荷解きだ。
「ふぅ、ただいま」
「海賊如きに後れは取らんと思っておったが、無事に帰ったようじゃな」
「そちらも変わり無さそうだ、ローザベルさん」
すっかりホームと化した倉庫に戻れば、茶を飲みながら寛ぐ婆さんの姿があった。なんかホッとしてしまう。
「色々あったけどね。ローザベルさんのほうは収穫あった?」
たしか、知り合いの治癒師繋がりで情報を集めてくれるとかなんとか、そういう話だったはずだ。
南まで出張って海賊を蹴散らしても、それはただの訓練でしかない。これから本番に向けて動き始める。
「こっちも色々あるがのう、話は腰を落ち着けてからじゃな」
「まあ、それもそうね」
「外に出ているメンバーも多い。話は皆が戻ってから始めよう」
ジークルーネが続けて夕食までは休憩や自由時間に当てようと言い、私も賛成した。
「でしたら、わたしはちょっと外を走ってきます」
「あ、あたしも行きまーす」
メアリーたちは地に足を着けて、普段の感覚を取り戻したいんだろう。荷解きもそこそこに、ぞろぞろと外に出て行った。
「お姉さま、わたしも身体を動かしてきます」
「私も行くわ。ジークルーネはどうする?」
「一緒に行きたいところだが、町の様子も気になる。わたしはカフェ・デイジーに顔を出してみよう」
「うん、じゃあまた後で。ローザベルさん、ちょっと出てくるわ」
「落ち着かない奴らじゃのう」
婆さんの呆れた様子に構わず、私たちは肩を回しながら出かけた。
夕食時にみんなで合流し、町でちょっとだけ豪華な食事を済ませれば、倉庫に戻って軽く会議だ。
遠征から戻った一同と、残ってたみんなで情報共有する。
「最初に対海賊訓練の報告だ。これは主要な話ではないからざっと流すぞ」
ジークルーネが率先して経過を話す。私たちの海賊退治は大した話じゃないから、さらっと流しつつ水神の使いと呼ばれた海の脅威についてはしっかり話してくれた。
「海の強力な魔獣と戦う機会はそうないと思うがな。第二戦闘団が詳細なレポートを書き上げてくれているから、暇を見つけて目を通しておくといい」
情報局も戦闘支援団も、みんな興味深そうだ。
続けて私たちが不在中のリガハイムの話を聞こうかと思ったけど、これといった出来事はなかったらしい。
「そろそろ本題じゃな」
「本命の元海軍の賊どもね。なんか進展があったっぽいけど?」
ローザベルさんの態度から、なんとなく分かる。リガハイムの治癒師繋がりで得た情報や、情報局メンバーが奔走してくれてたから、ようやく海賊どものしっぽを捕まえたってところかな。
あいつらは所在が不明で、こっちからコンタクトを取りたくても取れない状態だった。
「実はわしの知り合いの友達の、そのまた友達にも治癒師がおってのう。そいつが海軍らしき軍人の治癒をしてやったと言いよったんじゃ」
「随分と遠い関係性ね……でも直接そいつから話を聞いたってこと?」
「わしではないがな」
婆さんが目をやったのは、情報局のメンバーだ。
「顧問からその治癒師の噂を聞きまして、わたしらで訪ねてきました」
「はい、そこは小さな漁村だったんですが、たしかに治癒師のお爺さんがいました。ローザベルさんの紹介だと言えば、快く話してくれましてね。どうやら浜辺に流れ着いていた男を治癒してやったみたいなんですよ。それが元海軍のような格好だったと、友人の治癒師への手紙に書いたらしいです」
なるほどね。そうやって話が伝わり、ローザベルさんの耳まで届いたわけか。
「レトナークにはとっくの昔に海軍なんて無くなってるわ。今でも海軍の格好なんて、海賊に鞍替えした奴らに決まってるわね」
「ああ、貴重な情報源に思える。追跡できたのか?」
「それがですね、漁村で療養してたんですよ。村の治癒師だと全快できないくらい重い傷だったみたいで」
「会話は可能な状態だったんで、薬を使って事情は聞き出せました。いやー、これがまた厄介な事になってますよ」
倉庫内がやれやれといった空気で満ちる。
またまた厄介事だ。つくづくトラブルの女神様に愛されてる。
事情を知らない遠征に出てた私たちは、聞きたくない気持ちがありながらもそういうわけにはいかない。
まあね。話の流れで厄介事だってのは、すでに分かってた。
レトナーク沿岸で天下取ってる元軍人の海賊が、大怪我負って浜辺に流れ着いた?
そんなの絶対、何かあったに決まってる。
長々と海賊退治や魔獣と戦ったりしていましたが、ご承知のとおり、それはあくまでも本命と戦うための訓練だったのです! はい。
ここからようやく本命の海賊戦に入りますが、あまり長くはならない予定です。
次回「あくどい恩の売り方」に続きます!




