準備万端の秋
関係者用の扉をくぐって通路を進むと地下に向かう。
地下には様々な施設があって、それらを見せてもらうことにした。闘技場の地下には想像以上に多くの部屋があるんだ。
大きな施設だから、ゼノビアと二人でざっと流して見ていく。
魔道具を操作したり管理したりするコントロールルームや警備の詰め所や休憩所、大小いくつかの会議室、ほかここで働く関係者のために宿泊施設としての機能も用意されてる。
今は空だけど、捕まえてきた魔獣を入れておく檻なんかもある。これは闘技者同士の試合じゃなく、対魔獣戦を見世物にするためのものだ。こういうのがあるといかにも闘技場っぽい。
いつも同じことをやってても飽きるからね。興行主としてネタは色々と用意しとかないと。
「この辺りに闘技者向けの設備が集まっている。控室から順に見ていこうか」
その控室と関係設備には特に気を払わないといけない。
心配するまでもないけど、ぜひとも最終的な視察はしておきたい。私も途中経過までしか実際には見れてなかったからね。
闘技者向けの設備としては控室のほか医務室やラウンジ、風呂もあるし、トレーニングセンターやらランニングコースやらまで色々ある。
控室の種類はいくつかあって、大部屋から特別な人に使わせる豪華な個室まで取り揃えてる。個室は数も多い。
「ふーん、控室は露骨に差があるわね」
「それは仕方ない。名のある闘技者に大部屋でごっちゃにというわけにはいかないし、対戦相手同士で同じ控室に入れるわけにもいかないからね」
「なるほど。それにしても大部屋だけで四つもあって、個室は二十以上もあんのね」
「特別仕様の個室も四つ準備されているから、闘技者にはかなり気を使った施設と言えるね」
さすがに五千人もの闘技者を収容できるほどの控室はないから数日に分けて戦わせることになるけど、それでも控室にはかなりの人数を収容できそうだ。
大部屋には大した設備はないけど、それでもしょぼいと思わせる感じはない、しっかりとした造りだ。
長椅子は普通だけど、魔力認証で鍵のかかるロッカーがある。これは親切ね。
個室に至ってはベッドや洗面所まであるし、ドアの施錠は魔力認証方式でこれも非常に便利で親切。
特別室は普通の個室の豪華版だ。トイレと風呂に冷蔵庫まで付いてるのはいかにも特別って感じで、部屋自体も結構広い。一人用じゃなくてお付きの人が四、五人くらい一緒でも大丈夫な仕様になってる。
闘技者の戦いを見るために客が集まるんだから、主役はもちろん闘技者だ。そいつらには快適に過ごしてもらわないといけない。もう二度とここにはきたくないと思われたら終わりって意味もある。もっと言えば、エクセンブラ闘技場をホームにしてもいいと思わせたら完璧だ。
そんなわけでリラックスしてもらうための設備やウォーミングアップのできる設備までこれでもかと盛り込まれてる。
「地下は主に闘技者向けやスタッフ向けの設備で占められているね。上階の内部には一般用の休憩所や売店があるから、そっちも見に行こう」
気になった部屋を覗き見ながら階段を上がっていく。
さらっと流しながら見ていくと、一般用のフロアは地下に比べれば普通だ。ごちゃごちゃと色々な設備があるわけじゃない。
ぐるっと闘技場の内部を一周する大きな通路があって、そこに売店やらトイレやら休憩所がぽつぽつと並んでるだけって感じかな。
たくさんの人が集まる場所だから、一般向けの医務室も準備してる。ここには治癒師ギルドから派遣された治癒師が詰める予定だ。あそこのギルドとの間にはちょっとした諍いもあったけど、これは街ぐるみの事業だから外すことはしない。それに利権に組み込んでしまえばうるさいことは言わなくなる。所詮は金目だ。
そんでもって超重要なのが賭け札を買う場所だ。これはどこのフロアにも複数個所設置されてる。
買うにはレコードカードが必要で、瞬時に買われた札と金が集計されて賭けの倍率も変動する仕組みだ。魔道具様様って感じよね。
イメージとしては競馬とか競輪みたいな感じなのかな。私はそっちのことは良く知らないけど。
これは胴元である私たちが絶対に損をしない仕組みだから、やってるほうとしては安心安全な儲けとなる。
それというのも集計された賭け金の全部から一定の比率を差し引いた、残りの金を賭けの勝者に分配する方法だからだ。これなら胴元が損をすることはあり得ない。全体の賭け金が増えれば増えるほど、胴元はたくさん儲かる。
さらには入場料も取るからね。観客が五万人も六万人も入るとするなら売店でのアガリも相当見込めるし、とにかくバカでかい金が動く。普通に億単位の金になるんだ。
こうしたフロアは一階と二階、そして三階を飛ばして四階、五階とどれも同じ感じで続く。
「残りの三階が特別フロアってわけね」
「ここだけは独立したフロアで、貴賓用の入り口か関係者用の通路からしか入れないようになっているね。設備も豪華だよ」
見張りの警備が開けてくれた扉から三階に行くと、そこからは明らかに内装の雰囲気が変わる。
石が剥き出しの通路から絨毯が敷かれた通路に変わり、壁や天井にもクロスが張られ照明も全部が豪華仕様になる。場所によってはシャンデリみたいなものまであるし。
店も単なる売店というよりは明らかに高そうなバーやレストランが点在し、ラウンジもあれば個室を利用することもできる。
中が豪勢なら、当然のように外だって豪勢だ。客席としても貴賓用の席はボックス席のような形で区切られてる。広々としたスペースで椅子だって座り心地の良い高い代物。そんでもって全天候型で他者の視線からも守られる。
そんなボックス席がいくつも並び、極めつけはロイヤルボックスだ。ここは本物の特別、王族が使う席になるらしい。
私たちには縁はないけど、ブレナーク王国には王様だっているからね。そいつが遊びにくる時のためや、他国の王族を招いた時なんかに使うらしい。これは政治の要望によって作られたものだ。
もちろん闘技場は国にとっても重要なメシのタネだ。初回は超豪勢にやるとあって、王都からも王様を始めとしてお偉いさんが大挙してやってくる予定になってる。
さらには自国だけじゃなく、近隣諸国からもVIPを招くとかなんとか。その辺のことはもろに警備に関わってくるから、あんまり派手にやって欲しくないんだけどね。
まあ大金が動くとなれば私たちの懐もより潤うんだ。文句は言うまい。
聞いたところによるとロスメルタは王都の政治情勢なんかを見ながら最終的に参加するかどうか決めるらしい。相変わらず大変そうだ。
「開催が伸びて時間があったし、予算も潤沢だっただけのことはあるわね。役人が方々に気を利かせて盛り込んだってのもあるだろうけど、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「それだけエクセンブラが豊かだということだろうね」
「まあ潤ってる街だから分不相応ってことはないか。さてと、見学はもういいかな」
「あたしはもう少し細かい確認をしてから帰るよ。誰かに送らせようか?」
「ちょっと寄り道するから一人でいいわ。車両は一台持ってくわよ」
「好きなのを使ってくれ」
闘技場を出て向かった先は六番通りだ。
そこからさらに端っこの奥の通路に入っていき、見慣れた製作所の前で車を停めると我が物顔で中に入る。
「ドク! 調子はどう?」
「やっときたか! もう数は揃えたぞ、こっちだ!」
バイク作りで名を上げつつあるドミニク・クルーエル製作所の主は、自慢げについてこいと奥に誘う。
裏手に回るとずらっと並んだカッコいい乗り物が出迎えた。
「へえ、これだけ揃うと壮観ね」
「量産型だが、見栄えはするだろう?」
「ブルームスターギャラクシー号のミニチュア版って感じね。迫力はないけどカッコいいわ」
あれと比べさえしなければ重量感とフォルムのバランスがいい。私の二号機はもうちょっとスタイリッシュだから系統が少し違う。
「あの化け物と比べるな。小さい分、魔力効率は格段に向上できとるぞ」
「うん、さすがよ。こいつがこれだけあるなら、十分な宣伝効果が見込めるわ」
「こいつの製作にも最初は苦労はさせられたがな。なにしろ――」
黒と銀に塗装されたクルーザータイプの二輪は、私の密かな企みで用意した物だ。
闘技場が開催してる期間中は、ただでさえ人口の多いエクセンブラはもっともっと人が多くなる。
そんでもって闘技者ってのは有名人が多い。利用しない手はないってもんよ。
つまり、私はこの状況を利用してバイクの宣伝をするつもりなんだ。
マイナーなこいつを世界に向けて宣伝するまたとないチャンス。
闘技者、特に実力ある闘技者は数日に渡って何試合も戦うから滞在期間が長くなる。
その間は街にだって普通に出かけるはずだ。金を持ってるなら当然のように自前の車両を使うかもしれないけど、そこに選択肢を提示してやるんだ。
この超カッコイイ乗り物をね。
大体からして、闘技者なんてのは目立ちたがりだ。目立ってなんぼって職業ですらある。
そいつらに超カッコイイバイク、乗ってれば間違いなく目立ちまくるこいつを貸し出してやろうって寸法よ。
するとどうなる?
有名な闘技者が街中でブルームスターギャラクシー号のミニチュアを乗り回すわけだ。その姿に憧れちゃう老若男女だって、バンバン出てくると予想できる!
同好の士が増えて業界が益々の発展を遂げるわけよ。
ドクのところだけじゃなく作り手が増えて乗り手も増えていけば、いつかの日にはレース大会なんかだって実現できるかもしれない。
楽しいイベントを増やすための宣伝として、これ以上ないのが闘技場であり闘技者だ。
完全に公私混同だけど利用してやる。
なに、闘技者を喜ばすためだとすれば、名分だって十分に立つ。
気に入ったなら格安で譲ってやって、エクセンブラから出た後でも宣伝の役に立ってもらうつもりだ。
回りまわって、色々な意味で私の利益に繋がる。
今は激しい赤字だけど、これは趣味だからね。儲かるに越したことはないけど、金持ちの私は趣味での散財なんて気にしない。損とは思わないからね。
「もう少しだけここで保管しといて。後日、ウチのに取りにこさせるわ」
ドクの苦労話をスルーしながらバイクに跨ってシートやハンドルの感触を確かめる。信用できるから試乗までは必要ないかな。
中に戻って経営状況をちょろっと話したり、研究費の援助をちょろっとしたりして、上機嫌で製作所を出た。
うんうん。
すべては順調、いい感じだ。
製作所に長居してしまったこともあって、すでに日は沈んでる。せっかく一人なんだし、こういう日はゆっくり酒でも飲んでから帰ろうかな。
車両を支部に預けると、そのまま六番通りを練り歩く。
「さて、今日はどこに行こうか」
支部の一階でも飲み食いはできるけど、あそこは大衆向けでどうにも騒がしい。
かといってエピック・ジューンベルほど格調高い場所に行く気分でもない。
ブルーノ組がやってる飲み屋の感じがちょうどいいかなと思ったけど、なにやら混んでそうだったんで自前の店に行くことにした。
やってきたのは綺麗な白壁にしつこくない程度の緑のツタ、さらには赤い花が優雅な雰囲気を添える我がキキョウ会最初の店だ。
その名も王女の雨宿り亭。
今日も繁盛してるみたいだけど、ここには関係者用の席があるからね。私が座れないってことはない。
「あ、ユカリさん! ささ、奥へどうぞ」
店に入るとバイトの姉ちゃんたちから歓迎を受ける。
ああ、しまった。今日は差し入れを忘れてしまった。甘味屋のケーキでも買ってくれば良かった。いつもなら買う気がなくても押し売りされるのに、今日は毎度のお姉さんが休みだったのかな。まあ次でいいか。
「会長、お疲れ様です!」
用心棒専用の席に行くと、戦闘団所属の娘たちから体育会系のノリで挨拶されてしまう。
「ちょっと飲みにきただけだから、私に構わなくていいわよ」
奥まった場所に座ると適当なツマミといつも飲んでる銘柄の酒が自動的に出される。
「今日はお一人ですか?」
「たまにはね。それより街中が浮ついた雰囲気になってるけど、トラブルはない?」
「はい、あってもないようなものですから」
なるほどね。用心棒がよく仕事をしてくれてるようだ。
この店にはずっと前からの常連も多いし、変なことはそうそうないとは思ってるけど。
「そういえばこの前、久しぶりにソフィさんが顔を出してくれたんですよー」
「サラちゃんはたまにバイトに来てくれるんですけど、ソフィさんは幹部ですもんね。忙しいのかなあ、やっぱり」
「ソフィさんがいるとちょっと店の雰囲気変わりますもんね」
王女の雨宿り亭を仕切ってたソフィは今は事務局長として忙しくしてるけど、やっぱり店が気になるようで時間があれば様子を見にきてる。私もたまにここで会うけど、店のほうが事務仕事よりも性に合ってるんだろうね。
ソフィのことはいいとして、店の姉ちゃんたちが集まってわいわいとかしましい。
「あ、闘技会ってもうすぐですよねー。楽しみだなー」
「ホントにねー。ユカリさんは出ないんですか?」
「主催者が出てどうすんのよ。私っていうか、キキョウ会のメンバーは誰も出ないわよ」
「えー、賭けで儲けられると思ったのに」
闘技会において私たちは裏方だ。特に制限は課されてないけど、そう徹するべきだと思ってる。
賭けの胴元でもあるし、出場してしまえば八百長を疑われやすくなってしまうってのもあるわね。
「あ、ところで新しくできた服屋知ってます? なかなか良い店でー……」
仕事の合間を縫って代わる代わる構いにくるバイトの姉ちゃんたちと話しながら、上機嫌のままに時間が過ぎていく。
美味い酒と食事、そんでもって穏やかな時間。
闘技場のオープンが迫って緊張感はあるけど、準備に十分すぎるほどの時間があったお陰で切羽詰まった感じはない。
あとはその日を待つだけ。
個人的な趣味のほうも充実してるとあっては、上機嫌になるしかない。
…………おお、いつの間にかいい時間だ。
もう一杯だけ飲んだらボトルが空になるし、そろそろ帰ろう。今日は遊び過ぎてしまったかも。
グラスに注いで最後の一杯を堪能だ。
「あれ、お前のその代紋……もしやキキョウ会ってところの女か?」
不意に聞こえた問い掛けはどうやら私に向かって言ってるらしい。
無礼、そんでもって無粋な奴め。
今しがた店に入ってきたと思しき若い男だけど、背中のキキョウ紋に用があるらしい。
しかもほかにもメンバーがいるのに、なぜか私に目を付けたようだ。
「いいタイミングじゃねえか、話を聞かせろよ!」
良く言えば物怖じしない、かなり強引な奴だ。そいつがずかずかと近寄ってきた。
用心棒席に陣取るウチのメンバーが睨みを利かせてるんだけど、気付いてないらしい。鈍感にもほどがあるわね。
常連の客まで何だこの野郎って感じになってて、楽しく穏やかな雰囲気が一気に白けてしまった。




