闘技場視察
忙しい毎日が過ぎていき、すっかり夏の暑さは過ぎ去った。そうして秋も深まる昨今、色々と物事は進展を見せてる。
大きな出来事としては魔道具ギルドのエクセンブラ支部がめでたく発足し、表社会はもちろんのこと裏社会はさらに活気づいた。
キキョウ会、クラッド一家、アナスタシア・ユニオンの三大ファミリーは、魔道具ギルドを利用して利益を上げるという分かり易い共通の目的ができたことによって、繋がりをより一層強化することにもなった。これは更なる裏社会の安定に寄与することなり、エクセンブラの多くの住民にとっても歓迎する出来事と言える。
魔道具関連のビジネスが盛り上がると同時に、直近に控えた大きな行事を前にして世間には浮ついた空気が蔓延してる。
それというのもついに、ついに、ついに!
闘技場がその役目を果たす日が近づいてるからだ。
本来は春に開催されるはずだった闘技会は色々とあってこの秋まで延期となったけど、それも今となっては良いほうに転がったんだと思える。
エクセンブラは高度に経済成長を続ける大都市として名を売ってきたけど、これまでは成り上がりを目指す若者が多く集まる印象が強かったと思う。
若いエネルギーを中心に成長を続けながらも、その裏では五大ファミリーやウチを含めた新興組織による抗争続きだったのはマイナス要因だった。
だけど、その抗争にも終止符が打たれ、一転してほぼ安定化したことは、進出を考えてた他国の大商会などからは好印を博してるらしい。
実際に商業ギルドや他の多くのギルドにも具体的な商談やら問い合わせやらの動きが多くあるらしく、これからますますエクセンブラが発展していくことは確実視されてる。
そんでもって、なんといってもエクセンブラを擁するブレナーク王国が名を上げた事件は大きい。
記憶にもまだ新しい戦争、大陸西部で覇を唱えるメデク・レギサーモ帝国に痛打を与える事に成功した国なんだ。注目を集めないはずがない。
しかもエクセンブラで新たに三大ファミリーとして君臨する組織は、その対メデク・レギサーモ帝国戦においても活躍したと見做されてる。
アナスタシア・ユニオンは表立ってやったから主役級の活躍をしたと評価されるのは当然のように思えるけど、ウチとクラッド一家は陰でやったから注目はないはずだったんだけどね。どこでどうやって伝わったのか、アナスタシア・ユニオンやクリムゾン騎士団と共に名を上げることになってしまってる。
そんなこんなで多方面から大々的に注目を浴びた状況で闘技会の開催だ。
街の住人だけじゃなく、大陸中からも注目の闘技会になってる。そりゃあ、盛り上がるってもんだ。
もちろん注目を浴び、盛り上がる要因になってるのはそれだけじゃないんだけどね。これ以上ないくらいに、これでもかこれでもかと、色々盛り込んだ結果だ。
「ユカリ、そろそろ到着だよ。まだ眠い?」
「もう起きてるから大丈夫。ジープの振動がなんだか眠気を誘ってね。あ、見えてきたわね」
今日は闘技会間近ってことで、最後の視察に行くことにした。
闘技場自体や周辺施設はとっくに準備万端だったけど、私は組織委員会の理事だからね。実際の運営は我がキキョウ会に任されてる事もあって、実質的な責任者としてはこの目で最終確認くらいはしとかないと。
警備局長のゼノビアに仕切りは任せる予定なんだけど、私はもちろんその他のセクションのみんなにも何かと手伝いはしてもらう予定だ。特に最初の内はね。
「まずは外観から確認して行こうか。あたしは何度も足を運んでるから大丈夫とは思うが、開催初日から汚れや破損があっては見っともない。細かいところは警備局のメンバーに確認させるとしても、あたし自身でもざっと見ておきたいんだ」
「そうね、私も正面くらいしかちゃんとは見てないし、ぐるっと見ていこうか」
闘技場に隣接した大駐車場をスルーして、そのまま一周することにした。
ゆっくりと走らせる車両に向かって、手振りで挨拶を送ってくる連中がいる。ゼノビアの部下たちだ。
闘技場はキキョウ会のみならず、街どころか国にとっても大きな利益をもたらす存在だ。そんな場所に今さら邪魔をしようって奴らは少ないと思うけど、当然ながら絶無じゃない。だから警備は万全の状態を敷いてる。
円形闘技場を囲む道は幅広く、まだ関係者以外立ち入り禁止とあって通行量は全然なく快適だ。
巨大な闘技場は構造的な大きさだけじゃなく、随所に施された彫刻や装飾を含めて芸術的にも非常に立派で素晴らしい。
「ここの大きさってどのくらいなんだっけ?」
「たしか長径では二百八十メートルほどはあったはずだ。高さは六十メートル近くで、客席数は六万以上にも及ぶと聞いている」
おお、具体的な数字を聞くと規模の大きさに圧倒される。
イメージとしては、かの有名なローマのコロッセオよりもちょい大きい感じかな。見た目の雰囲気もそんな感じがある。
機能としては様々な魔道具の仕掛けで別次元の施設になってるけど。
「出入り口も結構多いわね」
「ああ、全部で七十七か所もの入り口があるね。二か所が警備と関係者や機材搬入用で、一か所が闘技者専用、そしてもう二か所が来賓や貴人専用、その他が一般用になっている」
それだけの入り口があると、警備局のメンバーを配置するだけでも大人数が必要になってしまう。内部にはもっと警備を配置する必要があるし、キキョウ会メンバーだけじゃ全然人数が足りない。
そんなわけで、警備には多くの部外者を雇う事が決まってる。
これは退役軍人や引退した傭兵や冒険者をメインに引き受けてもらうことになってて、政治的にも行政区やギルドからの受けが非常にいい。需要と供給の一致に過ぎないけど、公共事業のような側面も発生してることになる。
警備だけじゃなく売店やらその他施設やら、他の仕事でも雇用が多く生まれるとあって、各ギルドどころか普通の住民からも感心は高い。
ゼノビアの小話を聞きながら一周して正面に戻ると、今度は車両から降りて中に入る。
外から見ても分かるけど、闘技場の形は楕円形のすり鉢状で、周りを囲む客席から底を見下ろす典型的な形だ。底の部分の広さはたぶん野球場の半分以上はあって、深さは地下二階くらいに相当するのかな。
闘技者は底の部分で闘うわけだけど、リングや舞台などはなく、ただ白い砂が敷き詰められただけになってる。意図したのか不明だけど、白い砂には血の赤が映えそうではある。
「安全面は魔道具ギルドの全面協力になったって聞いてたけど、その辺はもうできてんのよね?」
「こっちが驚くくらいに早かったよ。ギルド本部からの取り寄せにも関わらずね」
「ああ、そういえばそうね。あれは支部じゃ作れないんだっけ」
「客席を守るのが結界魔法の魔道具なんて贅沢の極みだ。魔道具ギルド支部の全面協力がなければ、なかなか実現はしないだろうね。さすがはキキョウ会のコネクションだ」
そういうことらしい。なんにせよ結界魔法で客席が守られるから、闘技者が遠距離攻撃を遠慮なくぶっ放せるようになった。これは凄いことだ。
聞くところによれば、ここまでの設備を用意できてる闘技場ってのは世界でも有数って話だ。その意味でも注目度は高くなる。
当然のように必要となる実費にプラスして謝礼金は莫大になるけど、未来の利益を見込めば微々たる額だ。誰も彼もが幸せになれる設備ってことになる。
「ま、色んなことがあったけど、いい意味でここに繋がったってことよ。ところで上が開いてるけど、雨の時はどうすんの? そこも魔道具でカバーできるってこと?」
闘技場には天井がない。中央以外には屋根があるけど、雨が降れば底の部分や客席の上段以外は濡れてしまうだろう。
「悪天候でも夜間でも問題なく興行できる装置が各所に備え付けられているよ。ついでに天井を開けたままの状態でも、全ての客席で直射日光が当たる時間は二十分以下になる設計だ。更には来賓用の客席については全ての時間で日光から完全に守られる上、魔道具で周囲の観客から見えないようにもできる」
「へえ、そこまで。お忍びでの観戦もできるってことか。いいわね」
まさに至れり尽くせりだ。
「あたしたち関係者用の席というかブースだな。そこにまでは贅沢な設備は盛り込めなかったらしいが……」
「さすがにスタッフ用のブースに来賓用の設備は求めないわよ。どうしても欲しい設備があったら後から追加すればいいし。そんじゃ、次は闘技者用の設備でも見に行こうか」
闘技者こそが闘技場の花形だ。
そんでもって闘技場と言えば剣闘士、私が想像してしまうのは言わば奴隷剣士のようなイメージがあるけど、そういった闘技者は少なくとも表向きには存在しない。
ほぼ全員がプロの闘技者としてファイトマネーや賞金、あるいは名誉のために戦うんだ。普通にプロの格闘家みたいな感じよね。
つまりは普通の興行だ。観戦チケットや博打のアガリから決して安くない報酬が闘技者に出る。
ただし、全員が個人事業主のような感じってわけでもない。バックにパトロンを持ってる闘技者もいるらしい。
国が抱えるってのは聞いたことがないけど、どっかの商会やら貴族やらがお抱えの闘技者を自慢するような娯楽もあるんだとか。まあ当人同士が納得してるビジネスなんだろうし、それについてどうこう思ったりもしないけど。
そんなわけで闘技者にはいくつかタイプがある。
より強い者と相対して武を極めようとする者、単純に金を稼ぐために戦ってる者、名前を売って成り上がろうとする者などなど、人それぞれだ。
「ところで最終的な参加者数ってもう決まったの?」
「五千人もの参加者が集まった段階で、募集は打ち切られているね。有名どころの闘技者を特別に追加参戦させることがなければ、これ以上は増えない」
大陸各地から有名な闘技者なんかも随分と参戦してくれるらしい。
他国の闘技場だと春とか夏に規模の大きな闘技会があるから、秋に開催の今は参加者が集まり易いってのもある。なんにしても、ありがたいことだ。
でも五千人か。冷やかしみたいな参戦者も多いような気がするわね。
「私が聞いた時よりもずっと増えてるじゃない……初回からそんな規模でやれるのか不安になるわね」
「まったくだ。だが、これを乗り切れば次回以降は楽になると思う。人数は多くてもプロの闘技者は十分の一以下で、その他の実力者も同じくらいだろう。あとは好奇心旺盛な腕自慢程度だろうから、適当にふるい落とす形式でやる事に決まった」
やり方は全部任せてるから何でもいい。ウチだけで勝手に決めてやるんじゃなく、関係各所に話を通して決まる事だからね。
闘技会は色んな方式があるけど、今回は分かり易い勝ち抜きトーナメント戦をやるらしい。
実力者はシードで途中参戦にし、その他は広い闘技場で同時に複数の試合を組んでしまえば、かなりの時間短縮が可能だ。
ある程度の人数に絞られてから、一試合ずつ開催する形にすれば特別感も出るだろう。それに初開催で地元住民なら初めて闘技会を見る人だって多いだろうから、レベルの低い試合でも最初のうちは楽しめる思う。
その後に実力派の闘技者の試合を見れば、レベルの違いも分かってより楽しいんじゃないかな。
「かなり強い闘技者も参加するのよね? 観戦が楽しみよ」
「元はブレナーク王国で活躍していた、当時は王者と呼ばれていた闘技者も凱旋するみたいなんだ。それに遠くはベルリーザや大陸南部からの有名どころも参加予定でね。盛り上がることは間違いないし、あたしたちから見てもレベルの高い試合が期待できると思うよ」
それは本当に楽しみだ。
「ま、エクセンブラ闘技場での『初代王者』って肩書は、この闘技会でしか得られない栄誉になるからね。それにやっぱり賞金がデカいからね。そりゃあ、暇があるなら誰だって参戦するわよ。私だって関係者じゃなければ普通に出ただろうし」
大陸中の注目を集める要因は数あれど、賞金の大きさは特に目を引く事柄だと思う。
それというのもなんと、優勝賞金は五億ジスト!
これはベルリーザで毎年一度のペースで行われる大きな闘技会の賞金と同額だ。一応は先達に配慮して超えないようにした感じだけど、インパクトは強烈だろう。さらに数々の副賞がスポンサーから出ることも決まってる。
次いで準優勝でも一億ジストの賞金が出る。さらに三位には五千万、四位には三千万、八位までにも一千万、その下の十六位までは三百万、そして三十二位までにも百万と続く。
四位までには豪華な副賞も出るし、最低でも参加しただけで三万ジストのファイトマネーが与えられる。
参加賞は別としても、賞金総額は副賞も含めれば十億ジストにもなって、これはインパクト絶大な宣伝効果だ。とにかく豪勢よね。
次回以降は見直しが入るけど、初回だけにドカンと注目を集めるって意味じゃ、すでに大成功を収めてる。そのお陰で出る金は大きくても、実入りはもっとデカくなる算段はすでに付いてる。
もうやる前から勝ったようなもんだ。
あとは次回以降に繋げるため、大成功の裡に終わらせないといけない。
「賞金もそうだが、あたしとしてはローザベルさんの存在が大きいと思う。あの人がいると思えば、安心感がまったく違うよ」
「まあね。そこはあの婆さんのネームバリューに感謝しないといけないか」
言わずと知れた生きた伝説の治癒師、ローザベルの存在は非常に大きい。
どんな重傷だろうが死にさえしなければ完全復活できる保証があるのは、闘技者にとってあまりにも魅力的だ。
闘技会で殺しは厳禁だけど、事故は付き物だからね。ローザベルさんの存在があれば、いざって時の安心感が違う。それは自分がやられた時に限らず、やってしまった場合のこともあるだろう。
そんな人徳、賞金、時期、設備、注目を集める土台、色々と重なって、やる前から凄いことになってる。
ゼノビアと話しながら闘技者の豪華控室に入った。




