やり手の男爵
貴族街の入り口からほど近い、小さめだけどそれなりに立派な屋敷がアイストーイ男爵邸だ。
小さな庭と駐車場には私たちの車両を停める余分はなく、門の近くで路駐するしかない。貴族なら訪問客が頻繁にありそうなもんだけど、意外と敷地面積的にはしょぼいものがある。
守備隊の先触れが知らせてくれてたらしく、門は開かれその傍には執事っぽい人が待ち構えてた。
車両から全員で降りて、ジークルーネが不良娘をがっちりと捕まえながら近づくけど、執事が狼狽える様子はない。
「キキョウ会の皆様、お待ちしておりました。お嬢様もお帰りなさいませ。どうぞ、こちらへ」
恭しくも飄々とした振る舞いは、木っ端貴族の執事とは思えないほど堂々としてる。ひょっとすると男爵は思った以上の人物なのかもしれない。召使いのレベルは主人のそれに準じるもんだ。
不良娘をお嬢様と言ったことから、男爵の娘じゃないと誤魔化す気もないらしい。
屋敷に中に入ると、小奇麗で調度品にも気を使った内装は立派なもの。
事前のジョセフィンの話じゃ、資金繰りに厳しいらしいといった噂があるようだったと思うけど、この様子を見る限りそういう感じはない。
ジョセフィンとジークルーネも何気なく観察しながら、先を歩く執事についていく。なぜか不良娘は自宅だというのに緊張してるようだ。これは気にしないでおこう。たぶん家庭の問題だ。
応接間に入ると、立派な紳士に出迎えられた。彼は一瞬だけ不良娘に目をやってから、私たちに挨拶を述べる。
「初めまして、キキョウ会の皆さん。フリッツ・アイストーイです。どうやら、娘がご迷惑をお掛けしたようですね」
随分と落ち着いた男だ。見た目の感じは四十前後の紳士といった感じね。特に縁のなかったはずの私たちが急に押し掛けても、取り乱したりしないらしい。
エクセンブラでキキョウ会の名を知らない貴族はいない。その評判も実績も、貴族ならある程度は詳細まで把握してるはずだ。
良くも悪くも暴力組織であるキキョウ会がいきなり夜に押し掛けるなんて、人によっては恐怖でしかないだろう。ポーカーフェイスが上手いのか、人並外れた胆力があるのか。
男爵程度の権力じゃ、今のキキョウ会の脅威にはならない。味方にはもっと偉い貴族もいるし、単純に財力でも暴力でも圧倒してるんだ。貴族と平民といった関係性は通用しない。
落ち着いた態度は余裕かはったりか。それとも単にこれが男の普通なのか。
「……私はキキョウ会の紫乃上。こっちはジークルーネとジョセフィンよ。こんな時間に悪いわね」
形式上、こっちも詫びておく。相手が丁寧に振舞う以上は、へり下るまではしないけど横暴な真似はしない。
名前を告げると表情こそ動かさなかったけど、若干の緊張は伝わってきた。会長と副長、それに情報局長の名は、貴族の間じゃ有名だろう。ジョセフィンなんかは対貴族工作のトップだから、その辣腕ぶりは知れ渡ってるだろうしね。
「まずはお掛けになってください。良ければ紅茶はいかがですか? 少々こだわりがありましてね、色々と取り揃えていますので」
へえ、悪くない趣味だ。
長居するつもりはないんだけど、そう言うなら茶くらいは飲ませてもらおうか。
「それじゃ、エトワーレ・フェルトを」
いきなり牽制球をぶちこんだ。
エトワーレ・フェルトは大陸各地の王室で好まれるような茶だ。出せるもんなら出してみろといった挑発込みでリクエストした。もしあるなら普通に飲みたいし。
もちろん小金持ち程度じゃ常飲は無理な高級茶だけど、こだわりがあるとまで言ったんだから出して欲しいわね。
ところが私の戯言を受けるとすぐに執事が茶棚を開けて、お茶の準備を始めた。
流麗な手裁きで準備される様子になんとなく魅入ってしまう。
なかなかやるわね。下らないことかもしれないけど、男爵家に対して個人的な評価が上がった。
茶が注がれ目の前に出されると、よい香りに思わず頬が緩む。
「エトワール・フェルト……仄かで控えめながら、しっかりとした香気。まるで春の花畑を訪れたような気分にさせる茶です」
男爵が評論家のような謎の感想を述べた。意味がよく分からないけど、たしかに控えめな花のような香りは抜群に香しい。さっそく口を付けると、ほんのりと蜜のような甘みを感じる。間違いなく本物だ。
高級茶の香りと味に、私たち三人と男爵がまったりとした空気を醸し出す。もしこれが策略なら大したもんだ。油断ならないわね。
これ以上はペースを握られたくない。こっちから切り出そう。
「男爵、美味しいお茶に感謝するわ。あまり遅い時間になっても悪いから、用件を手短に」
「娘のことですね。ですが、恥ずかしながら皆さんが娘と一緒にお出で頂いた理由が見えていません」
茶を飲む間も一人だけ緊張した様子だった不良娘。マズい事態になったと思ってるのか、端っこに座って縮こまってる。
「ジョセフィン、説明してあげて」
「ではわたしから。事の起こりからでいいですかね、えーと、中央通りの密売所のことはご存じだと思いますが――」
盗品売買と麻薬の密売を発見してから、愚連隊の関与とそれの排除、そしてそこに娘がいたことを順序立って説明してくれる。特に長くもないし難しい話でもない。
ちなみに盗品売買の件は店側の問題で男爵に非はない。黙ってるように男爵が強要したなら別だけど、店の責任者の話だとそれは店側の独断だったことから、その件で男爵を責めるようなことはしない。
問題は娘が様々な情報を愚連隊に流してたことだ。それによってクラッド一家の三次団体は麻薬を奪われ、ウチのシマでその麻薬が売られてしまった。娘の勝手なふるまいだったとしても、親には責任が生じる。
さくっとジョセフィンの説明が終わると、余裕のある男爵もさすがに深刻な顔つきに代わった。
「……悪い人間と付き合い始めているとまでは承知していましたが、まさかスラムのような場所に入り浸っているとまでは……お恥ずかしい限りです」
「状況は深刻よ。ウチはこうして訪ねたように話し合いでなんとかする気はあるけど、クラッド一家の三次団体には恨みを買ってると思って間違いないわ。愚連隊はすでに引き渡してるから、そこから男爵のことも知れるはず。知らぬ存ぜぬが通用するほど甘い相手じゃないからね。当然、賠償金がどうのケジメがどうのと脅しがくるわね。むしろ金だけで済むならマシって感じかな」
世の中、何につけても金が掛かる。だけど金だけで済むならまだ楽な部類だ。
「この状況ではクラッド一家との揉め事は避けられないでしょうね……それについて相談、いえお願いをさせていただけないでしょうか。そうできる立場でないことは重々承知しているつもりではありますが……」
例え表向きの嘘であれ、立場を弁えた振りをするのは賢明なことだ。
とりあえずお願いとやらを聞いてみれば、私たちキキョウ会に代理人をやってもらえないかという話だった。裏社会の組織相手には、同等の組織を代理に立てたほうが安心だ。
ただ、そうすると当然私たちにも報酬が必要になる。あまりにも虫のいい話に思えるし、少し金を貰えるからってそこまでの肩入れはしたくない。そもそもウチはクラッド一家と一緒になって、アイストーイ男爵を責める立場ですらあるんだ。
「金銭だけでお願いできるとは思っていません。近々、二件ほど夜会に招待されているのですが、ご一緒にいかがですか」
ほう、そうきたか。渋い顔をした私たちに、間を置かずに男爵は提案を投げ込んできた。
貴族の夜会には有力者が多数集まる。私たちキキョウ会にも時々は案内がくるけど、この貴族が出席するような夜会はまた別口だ。新しいコネや情報取得の入り口ができるとなれば、ジョセフィンあたりは大喜びするかもしれない。目を向けると、案の定乗り気だった。
こうなると代理人の件は別に受けてやってもいい。クラッド一家の三次団体にしても、損害にプラスして迷惑料が入るなら悪い話じゃないはずだ。
犯人を捕らえてやったウチへの借りだってあるし、それを早々に返せるとなればその意味でも悪い気はしないだろう。問題はその資金が男爵にあるかどうかだ。
「男爵、その話を受けるかどうかの前に、クラッド一家に払う金はどうする気? ウチだって娘さんの件も含めれば、夜会の招待状だけじゃちょっと釣り合わない相談になりそうだけど、まあそっちは後でいいわ。ジョセフィン、推測で構わないからクラッド一家用に必要になりそうな金額は?」
愚連隊が捌こうとした麻薬がどのくらいになるかは、店側にした尋問である程度把握できてる。ただ、自分たちで使ってしまった分については不明だ。そこも込みでとなるとちょっと難しいとは思うけど、まあざっくりだ。ジョセフィンもそこらへんは心得たもので、どどんと大きな金額を告げてしまう。
「えー、諸々込みで八千万ジストくらいかと思いますが、キリのいいところまで吹っかけられて、まあ一億といったところでしょうか」
「そうですか。そこまで大きな金額となると、すぐに用意することはできませんが……。ああそうです、債権をお譲りするのであればどうでしょう」
「債権? 密売やってる店に金を貸してたのは知ってるけど、ほかにもあるってこと? 悪いけど男爵は金回りが良くないって聞いてるけどね」
「よくご存じで。ですが、その噂は根も葉もないものです。当家が金に困っている事実はありません。貸した金が戻ってこないので、その意味では困っていると言えますが」
金に困ってないのは朗報だけど、他人に金を貸せるくらいに金を持ってて、そして戻ってこなくてもそれほど気にして無さそうなのはどういうことか。男爵って爵位には釣り合わないほどの富豪ってこと?
「ちなみに財源は? 悪いんだけど、男爵がそこまで儲けてるって話は聞いた事がなくてね」
「地味な商売ですからね。もちろん、隠し立てするようなことはありませんので、お話ししましょう」
ズバリ聞いてみれば、これまたジョセフィンも知らない事実だった。
アイストーイ男爵領は、レトナークとの戦争の時に被害を逃れた運の良い領地だったらしい。
領地は典型的な農村を複数抱えてる程度らしいけど、戦後の混乱期に多くの農作物を王都や周辺の町にも供給できた実績が大きな評判となった貴族でもあるらしい。
しかもその農産物の質が良く、今となっては王都の一流商会にも販路が開け、戦前と比べて今はかなり裕福になったんだとか。
さらには余った資金を投じて始めた貿易業が上手く行って、そこでも結構儲けてるらしい。男爵は目を付けられることを嫌って目立つことはしてこなったらしいけど、なかなか老獪で慎重な男のようだ。
資金繰りが悪いって噂があったけど、それは金を貸した別の貴族や商会への取り立てが難しくなって、その損失が尾ひれを付けた噂となってただけのことで、実際にアイストーイ男爵家が金に苦しんでるということはないらしい。彼にとっては失っても惜しくない程度の金なんだろう。
貸した金、もちろん抜け目のない男爵は友達感覚で金を貸したりしない。証文だってちゃんと取ってる。
その金を貸してる奴らのなかから債権を放棄しても構わない、つまりウチやクラッド一家に売り渡してもいい連中ってがいるということだ。
おっかない話よね。
ちょっと突っ込んで聞いてみれば、金を借りてるにもかかわらず、やっかみで男爵にとって良くない噂をばら撒く不義理な奴らもいるんだとか。さらには娘の問題にも絡む。
男爵の不良娘は、考えてみれば単独で愚連隊に接触する機会なんてあるはずもない。いきなりスラムを訪れるほど無謀でもないとなれば、それを繋いだ奴がいるということになる。
不良の友達はまた不良。そうした家のドラ息子かバカ娘が切っ掛けとなって、ブラッディ・スカルのところに行き着いたのだろうということだった。実際、それを推測交じりに話す男爵の様子に、不良娘は図星を突かれたとばかりにもう涙目だった。
男爵にとっては娘に余計な事を吹き込んだ家に対しても、かなり頭にきてることだろう。
まあ不良の話はもうどうでもいいとして、債権の話はかなりおいしいと思える。
男爵の立場じゃ強引な取り立てはできないけど私たちは違う。むしろ取り立ては得意だ。商会なら丸ごと奪うことにも繋げられるし、貴族なら言いなりにすることも可能になる。ちょっとした小金を手に入れるより、よっぽど魅力のある話だ。もちろん、中身の精査は必要だけど。
この期に及んで男爵がまさか騙すような真似だってしないだろう。その場合には最悪の運命をたどることになるってくらいは分かってるはず。
「そういうことなら、ウチもクラッド一家も乗れる話ね。いいわ、今日はもう遅いし詳細は明日にでも詰めさせてもらえる?」
「いつでも、お待ちしていますので」
落ち着いた雰囲気の男爵だけど、やっぱり貴族よね。怖い話も平然とできる人種だ。
あとは明日以降、情報局にお任せでいい。
そろそろ帰るかと思ったタイミングで、執事が茶を入れ直してしまった。どうやらまだ話があるらしい。
阿吽の呼吸の男爵とその執事。なかなかどうして侮れない奴らだ。




