ピンチのその先にあるもの
冷静になれ。ヤバイ時ほど冷静にだ。正確に状況を認識し、できることをやるんだ。
薬魔法も鉱物魔法も、何度試しても発動できない。汎用魔法も無理だ。使えるのは身体強化魔法だけ。
敵の言葉を鵜呑みにするのは危険だけど、どうやら外に向かって魔法が使えないのは本当らしい。
受けたダメージはどうか。
骨折はない。全身痛いとこだらけだけど、身体を動かすことに支障はない。
やれるかと言えば、まだまだやれる。流血が少し気にはなるけど、そのうち止まるはずだ。
うん、大丈夫。痛いのには慣れてるし、こうしてる間にも上がった息は整い力は回復していく。
王子に目を向けると、いつの間に使ったのかまたもや赤い光に引き付けられた。クラっとして目を閉じる。
「ちっ、いい加減、邪魔くさいわね」
吐き捨てるように呟くと、偉そうな声が掛かった。
「……神の雷光を退けたのは見事である。しかし、それ以上は戦えまい。ユカリノーウェ、貴様は殺すには惜しい女だ。余のものになれ」
なにを言い出すかと思えば。やっぱりもう勝った気とはね。
ここからが面白いところだってのに、分かってない奴だ。そもそも私はまだ立ってる。戦意も十分だ。それくらい分かれってのよ、まったく。
戯言は無視するに限る。当然、終わってなんかない。
「ぺっ!」
口の中に滲む血を吐き出した。
ふん、上等上等。面白くなってきたってもんよ。
王子は優しいのかアホなのかバカなのかマヌケなのか。どうやら目を瞑ったままで満身創痍の私を追い込んだものと思ってるらしい。
まあ追い込まれたのは間違いないかもしれない。
ボロボロの怪我だらけで、魔法もほとんど封じられた。客観的には詰んだと考えてもいいのかもしれない。
それに清流のように流れる魔力は無駄に外に漏れることはない。一見すると無力な女が怪我を負ったまま、健気に立ち上がったようにも見えるだろう。そんな私の返答を律義に待ってるっぽいわね。
休ませてくれてるのはありがたいけど、勝った気になるのはまだ早い。
私は自分を追い込むつもりで装備をほとんど置いてきた。
つまりはこれこそ、私が望んだ状況だ。
感謝してやるわよ、王子様。ここまで追い込んでくれてね。
さて、せっかく時間をくれてるんだ。もうちょっと状況を整理しよう。
すっかり忘れてたけど雷撃を無効化できたのは、髪を縛ったリボン型魔道具のお陰だろう。強力な雷避けの加護が見事に発揮されたらしい。嬉しい誤算だ。これさえあれば雷を恐れる必要はない。戦闘中に雷以外の魔法で消失しなかったのは運がいい。ツキは私にあると思っておこう。
王子が使う赤い光の魔道具はちょっと分からない。三半規管に影響を及ぼすなんらかの効果があるか、精神的に作用させる効果か。いずれにしろ、あの光を見てしまった時点で即座に異変が現れる。阻害魔法とは系統が違うだろうあれに抗う手段は今は見当がつかない。だけど光を見なければ、効果はないらしい。だったら見なければいいだけのこと。
魔法を封じる魔道具についてはお手上げだ。阻害魔法や魔法封じの腕輪のように、私の身体に直接異変を生じるタイプじゃないから努力のしようがない。魔道具そのものをぶっ壊さない限り、どうにもならないだろう。
たぶん、個人が携行できる程度の魔道具だから、効果範囲は狭いと思う。さすがに広大な範囲には及ばないだろう。距離さえ取れるなら回復も遠距離魔法も可能にはなると思うけど、逃がしてくれるほど甘くはないはずだ。
それと警戒すべきは剣もそうね。考えてみれば王子は最初からずっと剣を抜かずに私とやりあってる。舐められたもんだ。
ああ、気に食わない。あまつさえもう私に勝った気でいる。
おまけに自分の女になれだって? なんてムカつく野郎なんだ。
痛む身体に流れる魔力が加速し、限界を突破する。
怒りというのは殻を破る一つの切っ掛けとしてはちょうどいいのかもしれない。都合よくパワーアップなんてできるはずもないけど、危機に際して感覚が常よりも研ぎ澄まされてるのは間違いない。
痛みが、緊張が、私の感覚をとことんまで研ぎ澄ます。
積み上げてきたものがあるんだ。常軌を逸した訓練だけじゃなく、過酷な実戦を何度も乗り越えてきた実績が。
追い込まれたからこそ必要なことが分かる。そして私には実現可能だと直感が告げる。
「ふぅ……」
息を整える。無意識にあった抑止するようなベールが今なら認識できる。そいつを剥がせば、もっと力を開放してやれる。
だから剥がす。意識してそれを成すことができる。
今の私になら、それができる!
簡単なことだ。理解できてしまえば、意識一つで可能になる。
殻を破ってぐつぐつと沸き上がるかつてない魔力の高まり。これを身体の中で押さえつける。溢れさせるなんてもったいない。
魔力とは力そのもの。
だけど単純に魔力の大きさで強さは決まらない。それを感じる力、操る力が伴っていなければならない。
魔力感知と魔力操作、そして戦闘においてイメージを実現できる肉体が必要だ。
私には全てがある。
自信がある。
実績から導き出される勝利への確固たる自信。それがある。
今の追い込まれた状況でも揺らぐことのないものだ。
目を開かなくても問題ない。敵は分かり易すぎるほどに魔力の塊だ。今の私なら全体の輪郭さえ一ミリの誤差もなく判別可能だ。
この期に及んでまだ隠してる魔道具だってあるかもしれない。だけど全部、食い破ってやる。
本番はここからだ。まずはあの剣を抜かせてやる。この身に受けた剣の重さは異常だった。単なる腕力とは違うと思う。たぶんあれも切り札の一つなんだろうね。ぜひとも秘密を暴いてやりたい。
心が燃える。追い込まれたシチュエーションに燃えてしまう。
舐めた口を利く偉そうな野郎に目に物見せてくれる。
次に這いつくばるのはお前のほうだ。
私の返事を待つ王子にしてやるのは、明確な意思表示でいい。言葉は不要だ。
目を固く閉じたまま、ゆっくりと歩み寄る。白銀の棒はいつ間にか、どこかに行ってなくなってる。でもいらない。本気の私には必要ない。
戦闘継続の意思を明確にし、間違っても降参しただなんて勘違いを許さないため、適当な石ころを拾って放り投げる。あっさりと弾かれたのは分かったけど、これで通じただろう。
「まだ動けるか。ならば存分にやるがよい」
私がこいつを知らないように、こいつだって私のことを知らない。どんな戦いをしてどんな切り札を持ってるか。お互い様だってことを分からせてやる。
偉そうな言葉に続けて迫りくるのは鋭い魔法攻撃だ。手足を貫かんとするそれも、今の私には丸見えだ。
それにしても見えないものが良く見える。最初からこうすれば良かった。
不可視の魔法すら丸見えで、それ以前に発動する魔力の流れからタイミングを完全に予測できる。
ここまで分かれば避けられて当たり前。
盾が使えないと考えるよりも、使うまでもないと考えたほうがいい。実際にそのとおりなんだ。すり抜けるようにして紙一重で見切り、ゆっくりとした歩みを止めることはない。
目を閉じたまま歩き、王子の観察も続ける。
はっきりと分かる特徴的で強力な魔力は結界魔法に違いない。
結界魔法の形状は王子を覆う甲冑に張り付くようにして発動してる。そういう風になるように作られた特注品だからだろう。普通、そんな都合のいい形にはならないはずだ。任意にその範囲を広げることも可能だと思われる。どこまでも都合のいい代物だ。
深く、深く、どこまでも深く、魔力を探る。意識するんだ。今の私にはそれができるはずだ。
ただの魔力の塊のように思えた王子も、より深く細かく観察すると様相は変わって視える。
結界魔法の効果と要になる魔道具の配置された場所、それの波長は同じだ。幾重にも重なって個別にどうなってるかなんて分からないはずのそれを暴く。
感覚が澄み渡っていくようだ。
今、私の魔力感知は次のステージに至ってる。より高度で効率的な魔力運用は冥界の森でレベルアップを果たしてきた。肉体の運用はこの戦闘でさらに開眼しつつある。魔力感知も同様と思っていい。
これまでの積み重ねが花を開く。
敵の強さが、追い込まれた状況が、私を次のステージに至らせてくれる。
なんて楽しいんだろうか。
高揚する意識と同調するかのように、感覚はさらに鋭さを増す。
王子自身の魔力、甲冑、剣、各所に仕込まれた刻印魔法、魔道具を個別に認識する。
どこに何があって、どこに魔力の流れがあるか。どこを壊せばどこが機能しなくなるか。深く、どこまでも深く探り、理解する。
悠然と近づく私に対する魔法攻撃はそのほとんどが見切りで対処可能だ。
高威力で普通なら周囲諸共を巻き込むような魔法でも、それと見越して避けてしまえば関係ない。まさしく目をつぶったままでも完璧に見切れる。
直撃が避けられない魔法でも、特製のグローブを少しぶつけてやれば簡単に受け流せる。角度の調整で弾く方向すら思いのままだし、無駄だからやらないけど力を込めれば打ち砕くことだってできるんだ。
痛む身体からは余計な力が抜け、効率を追求した最小限の動きが自然とできる。これを覚えるんだ。ここまでやられたからこそ、ここまでで耐えきったからこそ、実践できる動きだ。明らかに洗練されつつある体術が、燃える心をさらに熱くさせる。
魔法によって成り立つ戦闘だからこそ、それを制する者が有利に立つ。
魔力を正確に感知し、起こる事の詳細を理解する。魔力の流れから、起こる前に予測すら立てられる。魔力操作と肉体の運用がハイレベルであれば、思った動きはほぼ理想のとおりに実現可能になる。
これだ、これが求めていたものだ。ああ、なんて楽しい。
するりするりと踊るように魔法の乱打を潜り抜けて、魔道具から魔法を放ちまくる王子に接近。そうすると今度は剣が迫る。今の私には目を閉じたままだって分かる。
あの重い剣は盾なしには受けることはできない。だけど全てお見通しだ。魔力の流れが何もかもを物語ってくれる。
王子の身体の動きは刻印魔法によるアシストで本来の性能を遥かに上回る出力になってる。多重刻印魔法の半数程度は運動能力をアシストする機能らしい。
どんなに速く鋭く重い攻撃でも、振るわれる前から分かってれば怖いはずもない。あらゆるブーストを加味した状態の運動能力でも私と王子はほぼ互角だ。視えてる私に避けられない道理はない。
完全な見切りですり抜けるように移動し、触れさせることは決してない。
空気と同化したような動きで迫ると、連撃の隙を与えずに一発。グローブの拳を脇腹に突き立てた。
結界魔法の魔力がガクンと減ったのが分かる。流れる魔力から、その総量すら見て取れる。小さいながらも高純度魔石を数十個もエネルギー源としてるらしく、持続性も破格の性能だ。
結界魔法の無敵の防御力とそれを実現するエネルギー源の確保も十分。火力も高い。なにより至高の魔道具を使いこなすセンスが凄い。それだけは認めなければならないところだ。
うん。たしかに、装備込みなら無敵の戦士と称しても大袈裟にはならないかもしれない奴だ。
あまりにも完成された戦士。あるいは装備と言うべきか?
とにかく隙が無い。ワンマンアーミーってのはこういう感じなのかもね。
視る。視る。とことんまで視る。王子に仕込まれた魔道具のネタはもう割れつつある。
魔法の発動と流れを理解すれば避けることは造作もないし、結界魔法さえエネルギー切れに追い込めれば一つずつ的確に潰していくことだって可能になる。
勿体ぶって抜かない剣すら、その真の力を発揮させる前に潰せもするだろう。
でもだ。やっぱり、このまま剣を抜かせずに勝っても満足感は薄い。どうせならその全てを暴いて、全部を踏みつぶして勝利してやりたい。
私は私の欲求を満たすため、王子をこれ以上ない形に追い込んでから踏みつぶす。
その全てを暴いたうえで、完膚なきまでに踏みつぶしてやる。
「神明の迅雷よ!」
王子の言葉に合わせて、雷光が発生した。瞼を焼く輝きと魔力の強さから、再び纏わせた雷はさっきよりも格段の鋭さを帯びる。至近距離に居る私を引き剥がすためだろう。
雷の魔道具は魔石をエネルギーとして稼働するらしく、出力を上げると同時にその総量を大幅に小さくしつつある。
激しくスパークする雷はそれだけでも脅威だけど、魔力消費の激しいこれは間もなくエネルギー切れになる。無論、私に対しては無効だ。
「それが限界? なら私には効かないわ」
挑発の意味も込めて、耳元で優しく囁いてやった。
リボン型の雷避けは私の魔力を消費しながら完璧に仕事をやってのけてる。これほどの出力の雷魔法でも無効化できるんだから素晴らしい性能だ。
目を閉じたまま雷撃をそよ風のように受け流し、乙女の剛拳を結界魔法に穿つ。
相手に張り付くようにまとわりつき、決して逃がさない。至近距離だから剣の鞘での防御すらやらせはしない。
右に左に後ろに回り込み、時には正面からも攻撃を食らわす。
グローブでの殴りつけとブーツでの蹴りが嵐のように王子を襲い追い込む。
逃れようとしながらも防御を結界魔法に任せた王子は攻撃の手札を切っていく。
魔法攻撃の魔道具を複数同時起動して私を捕らえんとし、阻害魔法でも動きを拘束しようとする。
でも、そんなものは許さない。当たってなんかやらない。
全ての魔法は現象として現れる前に魔力感知で見切って避けてしまい、阻害魔法もノータイムで無効化してしまう。
自身が無敵の防御を誇りながらも、一切のダメージが与えられない相手と戦った経験はないんだろう。王子の焦りが伝わる。
本物の強者と戦ってみる気分はどうよ? ねえ、王子様。
こいつの強さは、所詮は下駄を履かせてもらった状態に過ぎない。それを使いこなす能力と、立場に見合った装備だってのは認めるけどね。大陸西部の覇者である帝国の第二王子なんだ。金に糸目をつけない装備くらいあっても不思議じゃない。
これまではどこの戦場でも王子は無敵だったはずだ。だけど世界は広い。上には上がいるってもんだ。
そしてどんな装備を誇ろうと、結局のところは強いほうが勝つ。
強いほうとは、すなわち、この私だ!
避けて叩き、避けて叩き、そして遂に。
「これでお終い」
最後は軽くぽんと叩いた衝撃だけで、結界の守りは消滅した。
ここからも手を抜かずにやる。律義に結界魔法の消失に驚く王子に付き合ってなんてやらない。ここぞとばかりに畳みかける。
今度はこっちの番だ。
焦りと驚愕をあざ笑うように装備品を壊してやるんだ。
「驚いてる暇があるわけ? 余裕ね」
言うと同時に腰のあたりに括りつけられた魔道具を破壊した。赤い光を放つ邪魔なやつだ。どれだけ高価な魔道具だか知らないけど、決闘の最中なんだからね。文句は言わせない。
拳にぶち抜かれて邪魔くさい魔力が消失すると、それでも目を開けずに次に取り掛かった。
過酷な状況の中だからこそ、積み上げてきた努力と実績が一つの成果として花開きました。
求めていた状況から、求めていたものを手に入れつつある、という感じになります。
しかし、まだ終わったわけではありません。
次回「奇跡なんてぶっ潰せ!」に続きます。お次もよろしくです!




