―閑話 ― ある執事の受難その7
――お嬢様の様子がおかしい。
パーカーがそう思うこと自体、おかしいことなのかもしれなかった。
エリザベスとしてはおかしいと言えばおかしいけれど、仕事をしているという一点を除いては、貴族階級の令嬢としてはいたって当たり前の行動しかとらなくなったのだから。
今も彼の視線の先で、エリザベスは一心不乱に新しく取引を求めてくる人達からの手紙を読んでいるところだ。
「マギー、あと一時間もしたら出かけるから、先に部屋に行ってドレスを出しておいてくれない? そうねぇ……今日はこの間仕立てたレモンイエローのドレスがいいかしら」
「かしこまりました」
エリザベスの隣で、書類をファイルに挟む作業に没頭していたマギーが、きりのいいところで立ち上がる。
このところ、たしかに商売の方は順調だった。
マクマリー家と繋がりを持ちたいと思う者はずいぶん増えた。それは、彼女の仕事を手伝っているパーカーにもよくわかる。
けれど、以前より仕事場にこもる時間が増えているのは、外出をほとんどしなくなったからだった。
テレンス・ヴェイリーとはもう付き合いをしていないらしい。彼の屋敷に行きたいとねだることもなくなった。
ダスティ・グレンの見舞いにもあれからは行っていない。何度か花束を贈るようにと言いつけられて、パーカー自身がその手配をしたけれどそれきりだ。
見舞いの言葉を書いたカードも、いたってありきたりの言葉しか書いていなくて、少し前までの熱の上げようはいったいどうしてしまったのかと思うほどだ。
「……お嬢様、よろしいですか?」
「何かしら?」
思いきってパーカーが声をかけると、エリザベスはこちらへと顔を向けた。ついでのように手にしていた便箋を机の上に置いて、大きく伸びをする。
その仕草につられて、ゆるく結った金髪が首筋から胸元へと滑り落ちた。
「さしでがましいとは存じますが……何かお心を痛めていることがあるのではないですか?」
「ないわ」
まっすぐにパーカーを見つめるエリザベスの瞳には、何の表情も浮かんでいない。他にも何か言わなければならないことがあったはずなのに、それきりパーカーも何も言えなくなってしまった。
「……それならよろしいのですが」
結局、彼の口から出てきたのは、そんなつまらない言葉でしかなかった。
――なぜ、お嬢様の心を読むことができないのだろう。
もっと幼かった頃は、エリザベスの気持ちを読み取るのはさほど難しいことではなかったように思う。
彼女は、いつだって自分の心のうちを表情に出すことを恐れたりしなかった。笑う時も、怒る時も、泣く時も。いつだって、心からそう思っていることがありありとわかったのに。
「パーカー・お茶ちょうだい。あと何か甘い物が欲しいの――はニーケーキがあったかしら。頭使ったらお腹が空いてしまったわ。この返事を書いたら、外出の支度にかかるから急いでね」
「かしこまりました」
卓上から取り上げた便箋をぱたぱたと振って、エリザベスは自分の作業に戻ってしまった。一礼したパーカーは仕事場を後にする。
――何かあるはずなんだ、何かが。
考えてみるけれど、それが何なのか彼にはまったくわからなかった。おそらくエリザベスが変わったのは、ダスティを巻き込んだあの事故に関係しているのだろうけれど、それだけでは説明のつかないことも山ほど残っている。
考え込みながら厨房へと入り、命じられたものを用意する。その間も、彼の頭は休むこなく考え込んでいた。
火にかけられたやかんが、しゅんしゅん言い始めるのを眺めながらパーカーは、ここ何日かのエリザベスの様子を思い返していた。
新聞にエリザベスの名が載らなかったのは、すぐにパーカーが全力で手配したからだ。
そのおかげで、エリザベスの名が報道されることはなかったけれど、事故のことまでは隠し通すことなんてできるはずなかった。
ダスティに同乗していた女性二名(うち一名は女装などということは当然紙面には掲載されない)がいたという事実までは隠しとおすことはできなかった。
禿鷹のような記者なら、エリザベスの名前をかぎつけないとも限らない。もともと、彼女の名前は悪い意味で有名だ。
――レディ・メアリもお嬢様に忠告をなさったとは聞いているが。
叔母であるレディ・メアリも、今回の事故の件では大いに肝を冷やしたらしい。事故の後すぐエリザベスに会いに来て、パーカーさえも部屋の外に追い払ってなにやら話をしていた。
おそらくダスティやテレンスには関わらないようにと言ったのだろうけれど、それをエリザベスが素直に受け入れているのならば、彼としてはこれ以上何も言うことはないはずなのだ。
言うことはないはずなのだが――それがむしろ気になってしかたない。
エリザベスに仕えてきた勘が訴えかけてくるのだ。エリザベスがこのままでおとなしく引き下がるはずはない、と。
はなはだ不本意ながらエリザベスはテレンスもダスティも気に入っているようだった。所属する階級が違うなどということは気にもかけず。
それなのに、レディ・メアリに言われておとなしくしているということは、何か裏があるように感じられてならない。
――あくまでも彼自身の思いでしかないのだけれど。
「パーカーさん、お湯が沸きましたよ」
キッチンメイドがポットにお茶を注いでトレイに載せる。それをエリザベスの部屋へと運びながら、パーカーは考え込んでいた。
主は何かたくらんでいる――目を離さないようにしなければ。
あいかわらず存在感を主張してる胃をなだめながら、パーカーは仕事部屋の扉を叩いて入室の許可をもとめた。




