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それでも彼が大事だと思う

 電話を切って、エリザベスは胸を痛めた。

 彼のことは嫌いではない――それでうまくやっていけると思っていたのに。

 つい最近まで、理性と感情は一致させることなんてさほど難しくないと思っていたけれど、どうやらそういうものでもないらしい。


 とにかく、問題の日はリチャードは出かけているということが確認できたわけだ。

 誰との約束なんてエリザベスの踏み込んでいい領域ではないから、正確なところはわからないけれど、今までのことと照らし合わせれば察しはつく。


「……となると、急がないと。マギー、頼みたいことがあるんだけどいいかしら」


 マギーを呼びつけ、歩いて十五分ほどかかる店まで甘いお菓子を買いに行かせる。屋敷の料理人の作るお菓子も当然美味しいけれど、今はマギーを外に出す理由が欲しかった。


 御駄賃を弾んで、マギーの分も買ってよいからと付け足す。


「ありがとうございます、リズお嬢さん!」


 窓からマギーがスキップしながら店の方へと向かっていくのを確認して、エリザベスはクローゼットを開いた。

 できれば黒っぽい服。スカートでは動きにくいからズボンがいい。


 ラティーマ大陸にいた頃は、馬が主な交通手段だったから常にズボンをはいていた。

 身分のある女性は横座りの鞍を使うのが基本なのだが、エリザベスにとっては面倒でしかなかった。

 エルネシア王国に戻ってからは、着るものはもっぱら膝丈より長いワンピースか裾を長くひいたドレスばかり。せいぜい乗馬服といったところか。


「でも乗馬服で歩いていたら目立つものね、うーん」


 頭を抱えたエリザベスだったが、それでも最終的に一着のワンピースを選び出した。

 

 地味目で悪目立ちしない茶のワンピース。これに黒いブーツを合わせて、鞄は肩から提げていこう。


「こっちの女性ももっとズボンをはけばいいのに」


 ぼやきながら、古い乗馬服を発掘した。これのズボンの裾を短く切ってスカートの下に履いておくことにしよう。そうすれば、万が一の際、下着を見せてしまう醜態をさらさなくてすむ。


「リズお嬢さん、お目当てのクッキー買って来ましたよ!」


 大急ぎで行ってきたらしいマギーの声が響いてくる。エリザベスは決めた衣装をクローゼットの奥の目立たないところへと押しやった。


 乗馬服のズボンはあとで切って、裾をまつればいい。針仕事は苦手だけど、そのくらいはなんとかなるはずだ、多分。


 その日の深夜、エリザベスは裁縫道具を持ち出して、短く切った乗馬ズボンの裾をまつった。

 出来上がりはひどいものだが、人に見せるためというわけではないから気にしなくていい。


 針で手を何度も刺してしまったから、絆創膏だらけでマギーに奇妙な目で見られたけれど、そこは笑ってごまかした。


 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


 ふわぁ、とあくびをしながらエリザベスは朝食の席に着いた。このまま、テーブルの上で眠ってしまいたいくらいだ。


「お嬢様、今朝はコーヒーになさいますか」


 すかさずパーカーが、エリザベスの様子を見て声をかけてくれた。たしかに今はコーヒーが欲しい気分だ。


「コーヒーにしてくれる?」

「かしこまりました」


 かりかりになるまで焼いたトースト、スクランブルエッグ、ベイクドポテトにサラダ。トーストにはたっぷりのバターと蜂蜜を添えて。

 オレンジも出されているが、少し物足りないような気がした。今日は身体が果物を欲しているらしい。


「パーカー、オレンジをもう一つ欲しいんだけどまだあるかしら。厨房に聞いてくれる?」

「はい、すぐに確認してまいります」


 パーカーを追い払っておいて、エリザベスはトーストにかじりついた。トーストを半分まで食べ、卵に手をのばす。


 香りのいいコーヒーを二口飲んで、今度はサラダにフォークを突き立てた。


 朝食をほとんど食べ終えた頃、厨房から追加のオレンジが運ばれてくる。それもきれいに片づけて、エリザベスは立ち上がった。


「仕事場にはいるわ。パーカー、コーヒーをポットにめいっぱい運んでちょうだい。それが終わったら、午前中は楽にしていてくれてかまわないから」


 今朝のエリザベスは、白いブラウスに青いロングスカートを合わせている。青いパンプスは買ったばかりの物だ。


 エリザベスが仕事部屋に入った時には、マギーがまだあわただしく動き回っていた。エリザベスの部屋の掃除に手間取って、こちらに回るのが遅れたらしい。


「リズお嬢さん、ごめんなさい。今朝は掃除が終わらなくて」


「机の上だけ拭いてちょうだい。そうしたら、仕事に取りかかりましょう。一日くらい掃除しなくても死なないわよ」


 笑って、エリザベスはマギーが机の上を拭いている間、壁のファイルから一冊抜き取ってそれを眺めていた。


「ああ、今日はダイヤモンドの加工職人に会わないといけないのだったわね」


 机の上に置いてあるスケジュール帳に目をとめて、エリザベスは呟く。



「そんな仕事入ってましたっけ?」


 マギーがたずねる。タイプを任されている彼女は、エリザベスの仕事の内容についてもほとんど全て知っている。


「私用よ、私用。リチャードへのプレゼントを願いするつもりだったの」


 研究結果が学会誌に取り上げられたお祝いにタイピンをプレゼントするつもりだったのだけれど、結婚を断ってしまったから少し気まずい。


「お喜びになりますね、きっと」

「喜んでくれるといいけど」


 今でも、受け取ってくれるだろうか。

 そんな思いが胸をかすめる――けれど。受け取ってくれなかったとしても、それはそれ、これはこれ。贈り物をしたいと思った気持ちに嘘はない。


 パーカーがコーヒーを運んでくる。エリザベスはポットを自分の机の上に載せると、猛然と仕事にかかり始めた。


 午後になって、仕事が落ち着いたところでエリザベスはダイヤモンドの加工職人を待っていた。

 エリザベスの依頼を聞き、エリザベスが渡したダイヤモンドを見た職人はいずれもすばらしい品だと目を細めた。


「マクマリー商会の扱う品は、どれも最高級品ですね。もっとも、お値段の方も相応ですが」

「あなたならこのダイヤモンドをどんな形のタイピンに仕上げてくれる?」

「そうですね……」


 あらかじめ要望は伝えてあった。職人は三つのダイヤモンドをあしらったデザイン画が何枚も描かれたスケッチブックを差し出す。


「あら、これ可愛い」


 エリザベスが選んだのは、三つのダイヤモンドと三つの石を花のような形に組み合わせたタイピンだった。これと葉の形に加工したプラチナを添えてタイピンにする。


「ではこれにしようかしら――サファイアを合わせてちょうだい。いい石見つかったら見せてくれる?」

「かしこまりました」


 石の調達も頼まれ、職人はほくほく顔で帰っていく。仕上がりを想像したら、少し気が紛れてきた。


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