危険な領域に踏み込んで
「……そうね」
とエリザベスはため息をつく。必要以上になれ合うつもりはないけれど、どこへ行っても浮いている自覚はある。
「貴族が商売をするなんて」と、貴族階級の人たちからは白い目で見られ――「貴族が商売の領域に踏み込むとは」と、取引先以外からも睨まれ。さらには、「女だてらに」と、もう一つ差別される要素が加わるのだ。
ラティーマ大陸にいた頃には、これほどではなかった。あちらでは、女性が働くのも当たり前のことだったから。
実際には父親の尻を叩いて、先代の頃から切り盛りしていたのはエリザベスだったのだが、誰も見下したりなんてしなかった。
「そんなに危険だなんて、キマイラ研究会から抜けるわけにはいかないの……?」
「無理だね。一度入ったら、死ぬまで解放してもらえないよ。恐ろしい場所だと気がついた時にはもう遅い。君の婚約者も、抜けることはできないよ」
「彼は……婚約者なんかじゃないわ」
そういえば、彼のことはすっかり忘れていた。
事故を起こしたなんて知ったら、彼がどれだけ心配することか。今までの相手と違って、前向きに婚約を考えていたはずなのに。
彼もまた、抜けられないというのならそれはそれで問題だけれど。
「……ねえ、錬金術を成功させたらキマイラ研究会の人たちはどうするの?」
「何もしないよ。自分達だけが豊かになればいいと思ってる――だけど」
深々と彼はため息をついた。
「聖骨も、それほど数があるわけじゃないからね。それを奪うために、他人に怪我をさせるようなことにならなければいいなと思うよ」
エリザベスの頭の中を、好んで集めていたゴシップ誌の記事が一気に走り抜けた。そんな危険な人達をほうっておくわけにはいかない。
「……警察に、話を」
立ち上がったエリザベスの手を、ダスティは握りしめた。
「無駄だよ、リズ。よく考えてごらん? ああいう恐ろしくて、金に不自由しない連中が警察に手を回していないと思う? 警察だけじゃない。政界にだって影響力を持っているんだ」
「……そんな」
今目の前にいるダスティだけではく、リチャードまでそんな恐ろしい人たちと関わっているなんて信じられなかった。
「それなら、どうしたらいいの」
「何もするな。関わるな。君みたいな女の子がうかつに近づいていい領域じゃない。僕は――もう遅すぎるけどね。一度足を踏み入れたら、抜け出すことはできないんだ」
最後のほうはあまりにも細い声で切実で、エリザベスもそれ以上の言葉を失ってしまう。
「君が好きだよ、リズ――だから、君はもう関わっちゃいけない。懐中時計のことなんか忘れるんだ」
「ダスティ……」
「君の家に、僕のレコードを届けさせるよ。きっとそのうち、それほど遠くない日に僕はこの世から消え去る。組織についていけないと思ってしまったからね――だから、たまには君が僕を思い出してくれるように、君に僕のレコードを贈るよ」
それからダスティはエリザベスに出て行くようにと手をふった。エリザベスは彼の上にかがみこんで、そっと額にキスを落とす。
足音を立てないように注意して、病室から滑り出た。
「トム、車を回してちょうだい――ここに行って欲しいの。叔母様のお招きには少し時間があるから」
『レクタフォード十五番地』と告げながら、エリザベスは後部座席に乗り込んだ。
「ここは、治安がいいとは言えない場所ですよ、お嬢様」
「とまらなくていいわ。前を通るだけで。そこを経由すれば、メアリ叔母様のお招きにちょうどいい時間になるでしょう?」
トムは嫌そうな顔をしたけれど、エリザベスの命令に逆らおうとするはずもなく、静かに自動車を発進させる。
エリザベスは背もたれに背中を預ける。先ほど聞いたことはあまりにも重大すぎて、頭の中がいっぱいだ。
「君が好きだよ」というダスティの言葉を思い出したら、頬が熱くなる。彼の言う「好き」は友人としての好意以上でないことくらいわかっているし、彼女の方もそれ以上ではないはずなのに。
家に帰るまでには落ち着かなければ。そうでないと、不自然な言動をしてしまいそうで、パーカーの疑惑の目を逃れることはできそうもない。
「お嬢様、そろそろ到着しますがどうするんですか」
物思いにふけっている間に、いつの間にか車は目的地に近づいていた。
そこは、どちらかと言うと雰囲気の良くない街並みだった。道のあちこちに酒場が点在している。肌もあらわな女性の看板がかかっている店は、いわゆる夜の商売というやつなのだろう。
けばけばしい服装の女性達が並んだ看板は、いかがわしいショーを見せる店ということか。いずれの店もまだひっそりとしていた。ここが賑わうのは、夜になってからだ。
「このような場所に、なんの用が? 手伝いはいりますかね」
トムの問いにエリザベスは黙ったまま、目的の建物を見上げていた。
周囲の建物と比較すると、明らかに新しい建物だった。ここ数年のうちに建て直されたといった感じの。
「いえ、たいした用事じゃないの。車はとめないでいいわ。このまま通り過ぎて」
キマイラ研究会に所属している以上、リチャードがここに出入しているというのも間違いではないだろう。
もしそうなら、彼をここから引き離す手を考えなければ。リチャードだけではない。ダスティもだ。
――でも、もしうまくいかなかったらどうする?
もう一度、後ろに寄りかかって考える。答えを見つけ出すまでには時間がかかりそうだった。




