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崖の下にて

 それから、どれくらいの時間が過ぎたのかはわからない。想い瞼をこじあけた時には、隣に座っていたはずのロイを下敷きにしていた。車は上下が逆になっていて、天井が地面についている。

「ロイ……大丈夫?」

「あ、リズお嬢さん」

 そっと声をかけると、彼も目を開いた。エリザベスは擦り傷程度だが、ロイの方もたいした怪我はなさそうだ。


「あ――ダスティは!?」

 そういえば、一人足りない。あわてて見回せば、彼は車の外に転がっていた。窓から車の外に這い出て、エリザベスは彼に走り寄る。

「ダスティ、しっかり!」

 肩に手をかけると、彼の腕はあり得ない方向に折れ曲がっていた。意識もなく、三人の中では明らかに一番の重傷だ。


「リズお嬢さん――いけないですよ。揺さぶらないでください」

 エリザベスと同じように窓から這いでてきたロイは、注意深くダスティの様子を確認する。

「わかってるわ。素人が下手なことをするよりも、医者に見せた方がいい」

 大陸にいた頃には、けが人を間近に見る機会も多かった。やってはいけないことくらいわかっている。


 どのくらいの間意識を失っていたのだろうか、あたりは明るくなり始めていた。見上げれば、崖の上からここまで転落してしまったようだ。

「でも――ここからどうやってあがったらいいんだか。簡単に登れそうな道もないし」

 細い道のところに柵がつけられていたのは、同じように転落する車が多かったのだろう。ダスティの運転する車は、その柵を破壊して下に転落したわけだが。


 エリザベスは周囲を見回す。簡単に上に登れるような道は見あたらない。

「私が行くわ――何か、使えそうなものはないかしら」

 幸いなことに、と言うべきだろうか。車のトランクは落下の衝撃で開いていた。その中には様々なものがごちゃごちゃと積み込まれている。

 工具は、応急処置をするためのもの。それから、上着は彼が脱いだ物をそのまま放り込んだものか。舞台の小道具と思われる小物。


 それらに紛れてて、折りたたまれた縄があった。汚泥の中で立ち往生している車を助けるのに使う以外にも様々な使い方があるから、たいていの車には縄が積み込まれている。

「……これがあって助かったわ。これだけ長さがあれば何とかなるでしょう。私一人の体重なら支えられそう」

 エリザベスは縄の片端に輪を作って、崖の上を見上げた。ちょうど良さそうな場所に、木の枝が突き出ている。

「何とかなるわよ――まあ、見てなさいって」

 こちらに戻ってきてから使う機会もなかったが、投げ縄は牧場の男たちに教わったものだ。


 狙いを定めて上空へと放り投げる。最初の一投は失敗だった。根気よく同じ動作を繰り返し、ようやく突き出た木の枝に縄の端がひっかかった。何度か縄を引っ張って、確実に巻きついたことを確認する。

「リズお嬢さん――無茶ですって。俺だって、そこを登れっていわれたら無理ですよ」

「心配しないで。ラティーマ大陸にいた頃は何度もやっていたから」

 不安げなロイを安心させようとしたけれど、ドレスで崖をよじ登るのは初めての経験だ。履いていても何の役にも立たないから、踵の高い靴は脱ぎ捨てる。


「じゃあ、行ってくるわ」

 慎重にエリザベスは崖を登り始めた。縄にすべてを預けるのではなく、あくまでも補助的に用いるだけ。

 靴を脱ぎ捨てた足に小石が刺さり、声を上げそうになるのをこらえる。下で見ているロイにこれ以上心配をさせないように。


「リズお嬢さん、気をつけて!」

「集中力切れるから、下から声をかけないでちょうだい!」

 ――ここで、自分が転がり落ちたなら、すべてが無駄になってしまう。

 なんだかんだいっても、ロイは都会育ちだ。エリザベスまで動けなくなった後、彼に同じことをしろといってもまず無理だろう。

 慎重に、慎重に、進んでいく。


「ついたわ!」

 やがて、エリザベスがたどり着いたのは、見覚えのある場所だった。

「ちょっと待ってて、何とか医者を呼んでくるから」

 下に手を振ると、ロイが手を振り返すのが、ぼんやりと見えた。

 体のあちこちが痛むが、何とか歩き出す。


 幾度となく車で通った道のりだ。一番近い家がどこにあるのかもわかっている。その家を目指し、玄関の扉をノックした。

 出てきた執事は、エリザベスの格好を見てぎょっとした表情になった。

「……事故にあったの。お医者さんを呼んでください」

 事故にあった場所を伝えると、慌ててその家の使用人たちがかけだしていった。


 すぐにマクマリー家にも使いが出され、駆けつけたパーカーは眉間にしわを寄せて厳しい顔をしていた。

「お嬢様! いったいどういうことですか?」

 夜のうちに帰るはずのエリザベスが戻ってこなかったのだ。心配で一晩中、寝ることなどできなかったに違いない。

 そこへ届けられた事故の知らせに、さすがの彼もエリザベスに一言言ってやらなければ気がすまない。

 彼女が何をしようとしていたのか、知っていたのだからなおさらだ。


「いいかげんにしてください。本当に――皆が心配していたのですよ」

 パーカーの言葉にエリザベスは顔をしかめた。心配してくれていたのはわかっている。

「……ごめんなさい」

「それよりお嬢様、お召し替えを」

 パーカーと一緒に駆けつけてきたマギーは、レースの襟がついている明るい黄色のワンピースを持ってきてくれていた。

 真っ白だったパーティードレスはあちこち破れ、泥にまみれている。もう二度着ることはできないだろう。


「病院に行くわ。ダスティが心配なの。怪我はないと思うけど――あと、ロイもね」

 着替え終わったエリザベスは宣言する。

「あなたも治療が必要ですよ、お嬢様」

 パーカーは、エリザベスを助けてくれた家の人たちに礼をのべて、玄関の前に車を回した。トムに留守番をまかせて、パーカー自身でハンドルを握っている。

 車に乗り込んでダスティやロイの運ばれた病院へと向かう間、エリザベスは無言だった。


 窓の外を見ながら、エリザベスは考え込んでいる。ダスティの運転する車は、急にハンドルがきかなくなった。その裏に何かあるのだろうか?

「警察は呼んだの?」

「車を引き上げて調べるそうですよ」

「……そう」

 エリザベスはそれきりまた口を閉じてしまう。パーカーが、そっと胃のあたりを押さえたのにも、彼女は気づくことなく、ひたすらに自分の考えを追っていた。


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