ヴァルミア伯爵という人
熱烈な拍手と共に、芝居の幕が下りる。数度のアンコールの後、エリザベスは立ち上がった。
ここまで来る時は、リチャードの車だったけれど、帰りはヴァルミア伯爵の車だった。レディ・メアリがそうするよう言ったのは、リチャードには聞かせたくない話をエリザベスとするつもりだったからである。
「今日は楽しかったわ。また今度ゆっくり会いましょう」
「うん、またね」
リチャードと別れて、エリザベスはヴァルミア伯爵家の車に乗り込んだ。レディ・メアリを真ん中に伯爵と三人横に並ぶ。車は静かに走り出した。
「ねえ、エリザベス」
レースの手袋をいじりまわしながら、レディ・メアリは口を開く。
「リチャードの招待に応じるつもり?」
「いけません?」
正面を向いたまま、エリザベスは肩をすくめた。叔母が何を言おうとしているのかはよくわかっている。そして、エリザベスの予想は裏切られなかった。
「……付添人もいないようなパーティーでしょう?」
「あら、いやだ」
エリザベスはハンドバッグを開いて、招待状を取り出した。けらけらと笑いながら、それを叔母の方へと差し出す。
「叔母様何を想像なさっているの? 大人の方がいらして困るようなパーティーなら、叔母様の目の前で誘ったりはしないと思うわ」
「でもねぇ」
「メアリ、そのあたりにしておきなさい」
ヴァルミア伯爵が口を挟む。寡黙な人なので、めったに口を開くことはないのだがそれだけに口を開いた時の説得力は大きい。
「エリザベスはわかっているだろう。あまり心配しすぎるものではないよ。自分の姪を信用しなさい」
「叔父様、ありがとう。叔父様の信用を裏切るような真似は絶対にしないわ」
伯爵がエリザベスの味方をしてくれるとは思わなかった。不服そうな顔をしていたレディ・メアリだったけれど、伯爵の言葉には逆らえない。
屋敷に帰りつくまでの間、何度も同じ誓いを繰り返させられた。そうしてようやく叔母は安堵したようだった。
屋敷に戻ると、パーカーが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「おやすみなさい、エリザベス。今日は楽しかったわ。パーカー、あなたはちょっと残ってちょうだい」
車から下りてきたレディ・メアリはエリザベスは寝室へと追いやったが、パーカーは玄関ホールにとどめた。
レディ・メアリがパーカーに早口で何事か語りかけている声を背中に聞きながら、エリザベスは階段を上る。寝室へ入ると、慌ててマギーが入ってきた。
「寝ててくれてよかったのに。一人で着替えくらいできるわよ」
「そういうわけにもいきませんよ、リズお嬢さん。給料分は働けって母さんに言われてしまいます」
「あなたは十分よくやってくれているわ」
そう言うと、マギーの顔がぱっと明るくなる。彼女がよくやってくれているのは事実だったから、誉めることに何の抵抗もない。
マギーを誉めながらもエリザベスは、髪に飾っている櫛を抜いた。髪を結うのに使っていたその他のピンも一本一本抜いて、床の上に落としていく。
マギーはそれを拾い集め、彼女が立ち上がった時にはエリザベスは完全に髪をほどいていた。
「……疲れた。お風呂入るわ」
「今、お支度しますねぇ」
ぱたぱたとマギーが部屋を出て行く。入れ替わるように、パーカーが部屋に入ってきた。
「叔母様、何かおっしゃってた?」
「いえ」
パーカーの目が露骨に泳ぐ。わかりやすいなぁとエリザベスは小さく笑った。
「私から目を離すな、でしょう?」
「……それは私の口からは何とも」
叔母が心配性なのは、今に始まったことではない。自分の行動が、誉められたものではない自覚もあるからエリザベスもそれ以上は追求しなかった。
「お嬢様、浴室の準備ができました」
「ありがとう、マギー。時間がかかりそうだから、片づけは明日にしてくれる? あなた達はもう休んでいいわ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
二人を下がらせてから、エリザベスは浴室へと入った。
泡立っている浴槽に滑り込んで体を伸ばすと、温かなお湯が眠気を誘う。
「若い人だけの集まりって言ってたものね。何か有用な話を聞くことができればいいのだけれど」
誰も聞いていないのを承知で、一人つぶやく。
商売をこれから伸ばしていくために必要な情報を仕入れるためには、いろいろな人と関わり合う必要がある。
そういった意味でも、リチャードの集まりに参加するのは有効だろう。彼は、エリザベスとは違って社交界に顔がきく。
キマイラ研究会、という単語が頭の中を横切った。
「そう言えば、キマイラ研究会なんて話も聞いたっけ……」
毎日忙しくしているから、
テレンス・ヴェイリーが流してくれた情報だ。リチャードも加わっている、のだとか。
錬金術だなんてばかばかしいと思うけれど――今度来るリチャードの友人の中にキマイラ研究会のメンバーはいないのだろうか。
誰だっけ? エリザベスはテレンス・ヴェイリーの流してくれた情報を頭の中から引っ張り出そうとする。
「ああそうだ、オルランド公爵……!」
ばしゃりとお湯をはねた。
オルランド公爵と、若い貴族だ。いわゆる名門貴族で、エリザベスよりは少し年上――いや、二十代も後半にさしかかっているか。
エリザベスのように商売などせず、領地から上がる収入だけで暮らしている。
年齢を考えれば結婚していてもおかしくないのだが、まだ独身だというような噂を聞いていた。
「……正面きってたずねても答えてもらえないでしょうねぇ」
リチャードに聞いたところで、キマイラ研究会などといった怪しげな集まりについては口を濁すはず。
「やっぱり、ただ者じゃないのね、テレンス・ヴェイリーは」
どういった理由で彼の元に情報が集まっているのかは、エリザベスにはわからない。アンドレアスとの関わり方を考えれば、おそらくは――という予測はつくけれど。
「……何かないかしら」
エリザベスは考え込んだ。
頭の中にもやがかかってくる。もうとっくに日付は変わっているのだから当然かもしれない。あきらめて浴槽から出ると、エリザベスは素早く寝支度をしてベッドへと潜り込んだ。




