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―閑話 ― ある執事の受難その3

 なぜ、屋敷に盗賊が押し入るような真似を許したのだろう。

 マクマリー家執事、ヴァレンタイン・パーカーは頭を抱えていた。

 貴族の令嬢としては型破りな主が、自分の家に起こった事件を黙って見過ごすはずもないのだ。警察官僚相手に、愛嬌を振りまいていたまではよしとしよう。

 よろしくないのはその後だ。


 ――敵の誘いに応じて、劇場に乗り込むだなんてありえない。

 事務作業を任せていたアンドレアスの裏切りに気づいたのは、さすがと言うべきなのだろう。

 大陸にいた頃、父親のかわりに商会を切り盛りしていたというだけあって、貴族の令嬢としては珍しく、数字にめっぽう強いのだ、彼女は。


「藪をつついて蛇を出してしまった感じ?」


 なんて首を傾げられても、パーカーには何も言えない。できることなら止めたかったけれど、彼女をとめる手も考えつかなかった。

 劇場に乗り込むなどと言い出した時、いっそ一服盛ってお休みいただこうか――なんて、執事としてあるまじき発想が頭を過っても、許されるのではないかとパーカーは思う。

 目が覚めた時のエリザベスの反応を考えれば、そんな計画はすぐに頭から消し飛んだのもまた事実ではあるが。


 結局、彼にできることと言えば、危険な場所に共に赴いてエリザベスの身の安全を守ることだけ。

 ――どこまで出てもよいのだろうか。

 その疑問は、パーカーの心の中でも、大きな場所を占めている。

 エリザベスに対して、何をしても許される身分であったなら――きっと、鍵のかかる部屋に閉じ込めて外には出さないだろう。さきほど考えたようにいっそ一服盛るのもあるかもしれない。


 けれど、彼は彼女に仕える身であって、そこまではできない――そこまでしたなら、きっとエリザベスは彼の首を切るだろう。そうなってはもう、彼女を守ることはできない。

 彼が彼女を守りたいと望むのであれば、側にいるしか手はないのだ――とこの頃では思うようになっている。自分の胃のことを考えれば、そこに諦めの気配が混ざるのもまた事実だった。


「……似合わないな、これは」

 苦笑して、パーカーは鏡に映った自分の姿を見つめる。

 エリザベスが用意してくれた黒の盛装。まさか自分がこんなものを身に着けて、彼女のお供をする日が来るとは思ってもいなかった。


 ――行き先が同じ劇場とはいえ、彼女はボックス席。彼は、下の一般席だ。オペラグラスで彼女を見張ることになるだろう。

 テーブルの上には拳銃と胃薬の瓶が並んでいる。パーカーは拳銃を取り上げると、慎重に調べた。

 射撃の腕には自信がないが、護身用の武器はないよりあった方がいい。上着の中に、それを隠す。


 もう一度鏡に目をやり、曲がっていたタイを慎重な手つきで直す。それからテーブルの上に残されていた胃薬の瓶をポケットに落とすと、彼は主の供をするために部屋を出た。

 

 ◆ ◆ ◆


「拳銃はお預かりいたします」

 そうだろうな、と思いながらパーカーは入り口で待ち構えていた男におとなしく武器を渡す。それから、ボックス席へと足を踏み入れた。

 エリザベスは完全にくつろいだ様子で、軽食をつまみながらジュースを飲んでいるが、果たして相手の方はどうなのだろう。

 それにしてもエリザベスと別々の行動を取らされるよりは、一緒にいることを許されるだけよかった。

 

 ――いざとなったら、この身を盾にしてでも。

 エリザベスだけは守る。

 けれど、いっそ悲痛なまでのパーカーの決心は、ここでは無駄なものに終わってしまった。

 テレンス・ヴェイリーはパーカーにも気前よく飲み物を勧め、エリザベスが観劇を楽しめるように心を配り――つまりは、エリザベスを完璧にもてなしたのだ。


 パーカー自身には舞台のことはよくわからないが、おそらく素晴らしいものだったのだろう。

 エリザベスが敵対視している、ミニー・フライはたいそう美しかったと思う。個人的な彼の好みからすれば、少々肉感的すぎるのもまた事実だったが。


 それはともかくとして、劇場から出て来たパーカーは、こっそりと胃に手をあてる。

 ――死ぬかと思った。

 彼がそう感じたのも、当然だった。

 さすがに暗黒街の大物――山羊などと呼ばれるだけのことはある。

 その彼とエリザベスが堂々と渡り合っていたのはよしとしても。

 彼がいくらにこやかに二人をもてなしてくれたとしても。

 どうにもこうにも彼が発するぴりぴりとした雰囲気は苦手だ――これ以上、彼らとエリザベスを関わらせたくない。


 持参の拳銃はこっそりと返してもらい、エリザベスにしたがって車へと乗り込む。本来ならば、このまま帰宅してもらいたかったのだが、エリザベスが彼の願い通りに動くことなどありえなかった。


「ヴェイリーさんのお屋敷に行くわ」

 主に気づかれないよう、パーカーはこっそりとため息をつく。

 ――こうなることを恐れていたのだ。

 一度首を突っ込んだなら、彼女は自分の好奇心が満足するまで諦めないだろう。

 とはいえ、パーカー自身は世間の噂とは違うヴェイリーの屋敷のもう一つの姿を知っていた。あくまでも噂の範囲内ではあるが。


 自分が貧しい環境から成功したためか――その手段はともかくとして――ヴェイリーは、向学心がありながらも貧しい若者に手を差し伸べることを惜しまない。

 特に芸術方面に関しては、多大なる貢献をしていると聞いている。

 自宅に将来性のある芸術家の作品を飾り、目のきく客人と作者を何気なく引き合わせているのだとか。

 彼の屋敷で開かれているパーティーとやらにも、きっと多数の若者が招待されているのだろう。


 パーカーの予想通り、ヴェイリーの屋敷にはたくさんの人が集まっていた。その中には才能ある若者も多数いたのであろう――絵や彫刻が飾られ、詩が朗読され、ピアノに合わせて歌声が響く。

 ――ダスティ・グレンか。

 少し離れたところに並んで座る主と若手俳優を眺めながら、パーカーは心の中で眉をひそめた。執事たるもの、表情を面に出すわけにはいかない。

 けれど、とパーカーは思う。

 ――彼は、お嬢様にあまりいい影響を及ぼさないような気がする……。

 その予感は、ほどなくして現実となることをこの時の彼が知るよしもなかった。


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