ダスティ・グレン
パーカーが苦々しい表情をしているであろうことは十分承知していたけれど、エリザベスは隣に座っている青年をちらちらと眺めることをやめられなかった。
ダスティの舞台は何度も見に行った。最近歌手として有名になりつつある彼が何枚か出したレコードも全部持っている。
今までは舞台の上にいる彼を遠くから見るとか、雑誌に掲載されてる写真を眺めるとか、レコードのジャケットを眺めてにやにやするとか、そんな風に遠くから見つめることしかできなかったけれど……近くで見ても素直に素敵だと思う。
「今日はなぜ、ここに? ごらんのとおり、芸術家やら芸術家を志す者やら――あとは商売人で、あなたのようなレディがくるようなところじゃない」
ダスティは長いまつげの少年めいた面影を残した青年だった。エリザベスよりいくぶん年長に見える。
「私も商売人よ。マクマリー商会を取り仕切っているの」
その彼にエリザベスは笑って見せた。爵位は国預かりになっているとはいえ、男爵家当主でありながら商売をしていることを恥じるつもりなんてまったくない。
ダスティは目を丸くした。
「驚いた。マクマリー商会のトップは女性だというのは聞いていたけど――あなたのようなレディだったとはね!」
エリザベスは肩をすくめた。
「たしかにレディって呼んでもらえる身分ではあるけれど、ラティーマ大陸で育ったようなものなの。正直、なじめないことも多くて――」
エリザベスがこんな風に心情を吐露するのは珍しいことだった。レディ・メアリにもパーカーにも、ここまで素直に自分の気持ちを告げたことはない。
レディ・メアリに告げたらそんな状況に姪を追いやってしまったことを、涙を流して嘆かれるのは目に見えているし、使用人であるパーカーに弱みは見せられない。
今の会話を聞こえる位置にパーカーが立っていることを忘れ去っていたのは、憧れの人に会えて珍しく舞い上がってしまっただけではなかった。
たぶん、自分と同じ匂いをダスティに感じたからだ。
「わかるよ。俺も似たようなものだから」
彼はそっと息をつく。
「俺は貧民街の生まれでね。親を亡くしてうろついているところを、たまたま慈善活動に来ていたミニー・フライが拾ってくれた。演じること、歌うことを教えてくれて、教育を与えてくれて、舞台に立たせてくれた」
暮らしはよくなったけれど、時々感じる周囲との差。
本来あるべき場所はここではないのだ――とどれだけ親切にされても満たされることのない孤独感。
「……わかる気がするわ」
エリザベスは遠くを見るような目つきになって、彼に同調した。
エルネシア王国での生活は、ラティーマ大陸と比べてはるかに快適だ。
暖かいベッド、目を覚ますのと同時に運ばれてくる朝のお茶。自分で家事をする必要もない。
「窮屈に感じることもあるもの……あなたも、同じでしょ?」
「似たようなものだね。さて、飲み物のお代わりは、お嬢さん?」
「……リズ」
愛称を口にして、エリザベスは笑った。
「リズって呼んでくれていいわ。友達には、皆にそう呼んでもらっているの。私達……友達になれるでしょう?」
「……リズ」
愛称で呼ばれて、エリザベスは頬を染めた。
実際のところは、こちらに戻ってから、「友人として」名前で呼んでくれと言った相手はリチャードとダスティの二人だけなのだが。
あとは屋敷の使用人が「リズお嬢さん」と呼んでくれるだけで――望んでのこととはいえ、エリザベスの交友範囲は意外に狭い。
立ち上がったダスティが飲み物を取りに行こうとした時、この家の使用人がやってきた。
「主が書斎におこしください、と申しております」
「仕事の時間ね。また会える?」
せっかくの歓談の時間が終わってしまうのはつまらないのだが、今日は彼に会うためにここに来たわけではない。
今まで自分でも甘ったるいと感じるような、でれでれとした笑みを浮かべていたエリザベスだけれど、「会える?」と問いかけた時には完全に表情を引き締めていた。
「ミニーに聞いてみて。俺のスケジュールは全部彼女がおさえてるから」
「そうするわ。では、またね」
名残惜しいのは事実だが、これからは仕事の時間だ。今後は堂々とダスティに会うこともできるだろうし、楽しくなりそうだ。
エリザベスがちらりと目を走らせれば、すぐそこにパーカーがいた。歩き始めるエリザベスに、無言のまま従ってくれる。
腕に覚えがあって、ヴェイリーはエリザベスにとっての危険人物ではないとわかっていても、パーカーの存在は心強かった。
そう思っていることは、絶対知られてはいけないと自分に言い聞かせているけれど。
使用人に案内されて長い廊下を歩き、ヴェイリーの書斎へと招き入れられる。
「楽しく過ごされたようですな」
頬を紅潮させたエリザベスを見て、ヴェイリーは目を細めた。まるで娘を見るようなまなざしで。
「おかげさまで。とても楽しかったわ! このお屋敷にはいろいろな人が出入りしているのね」
「大半が妻の交友関係でね。ここなら、話がもれる心配はない。あの劇場はその点不安でね。さて、レディ・エ――」
「リズ」
エリザベスは、ヴェイリーの言葉を途中で遮った。
「リズと呼んで。お友達にはそう呼んでもらっているの――あなたは信用してもいいと思う」
これで三人目だ。
「では、レディ・リズ」
言い直して、ヴェイリーはエリザベスとパーカーの二人を並んでソファに腰かけさせた。
「犯罪組織とつながりがあるかもしれない私の屋敷への招待を受け入れた理由は? 場合によってはお力になれるかもしれない――あなたはずいぶん気持ちのいい人だ。懐かしい大陸のにおいがするというだけではなく」
「私もあなたが好きよ。いろいろ後ろ暗いところはありそうなのも否定しないけれど、今そこを追及してもしかたがないものね」
エリザベスは率直な口調で言ってのけると、ソファから半ば身を乗り出すようにした。
「私の家に泥棒が入ったの。盗まれたのは大陸から持ち帰った彫刻が二点。まあ、値打ちはそこそこというところだけれど。それともう一点――父が蚤の市で買った懐中時計。安物だと私も父も思ったけど……」
「ただの安物ではなかった?」
ヴェイリーは興味を持ったようで、興味深そうな色が彼の瞳に浮かぶ。
「どうかしら。安物には違いないわ」
エリザベスは肩をすくめた。
「ただ、内部に聖骨がおさめられているというふれこみだったの。たしかに蓋が加工されていて、そこに骨のようなものは入っていたけれど、人の骨も鶏の骨も区別つかないのよ、私。だから何とも言えないわ」
「鶏の骨、ね。それで――、あなたはなんと思っているのかな?」
彼はおかしそうな口調で「鶏の骨」と繰り返す。大陸にいた頃は牧場を持っていたけれど、区別がつかないのは事実だからエリザベスは面白がられても何とも思わなかった。
「家にある新聞を遡ってみたわ。最近盗難が増えているというのはどの新聞にも書いてあった。でも、ゴシップ紙には、盗まれた品は聖骨がらみの物があるって」
「なるほど」
ヴェイリーは立派な顎鬚に手をやった。
「ゴシップ紙の記事を鵜呑みにするのは危険だが――一般紙が書けない記事をのせていることもたしかにある」
「そうでしょう? 下世話な記事もたくさんあるけれど」
血生臭い事件について読みふけるのが好きだというのもまた事実なのだが、エリザベスがゴシップ紙を購読している理由はここにあった。




