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23.お嬢様はサヨナラを言わない(2)

夕日が空を赤みがかった金色に染め、その色を映した水がさわやかなせせらぎを立てている。


「おお」「川だ」


ゴートを出て3日。久々に見た流れに、支援団の者たちは口々に歓声を上げた。この川を渡って次の街に着けば、今日の旅は終わりだ。


皆が、馬の背や荷車の揺れから解放された後に待つ、温かいスープや寝床を思い、ほっとした表情を浮かべていた。


そんな彼らの間を、吟遊詩人の歌が流れる。


『夕暮れの風が頬を優しく撫で

夜の瞳が1つ2つと空に輝く頃

川のせせらぎに妖精(ナイディス)が遊ぶ


水を撥ねる笑い声は夢の調べ

透けるがごとき夢の薄衣(ヴェール)


ああ麗しきオルトスの夏よ……』


繊細なアルペジオがぱたりと止み「そして橋から眺める男共は『あの布が本当にもうちょい透けないかな』と願うのさ」と下品なひと言が真面目くさった顔と共に付け加えられ、旅人たちはどっと笑う。


「オルトスではそんな羨ましい光景が?」


荷車に座っていたリヴェリスに見上げられ、ハルサは馬の背からゆったりと頷く。


「夏の間は娘たちが夕暮れに水浴びをするんだ。ちなみにオルトスの気候は1年中ほぼ夏だけどね」


うぉぉぉぉ、と耳を傾けていた若い技師たちから感嘆が漏れる。


「帝国に帰ったら絶対に!オルトスに行くぞっ」


「ああ、ぜひおいで。良い街だよ」


そんな呑気な会話を繰り広げながら橋を渡る一団の後から、切羽詰まった蹄の音が聞こえてきた。


いち早く気付いたエイレンが、レイピアに片手をかけつつ振り返る。しかし一瞬後にはその研ぎ澄まされた顔から緊張が抜けた。




「あらルークさん、忘れ物?3日もかかるなんて遅いわね」


馬を止めて息を整えているルーカスに声を掛ければ、1日半で来た、との返事。


「あらやはり遅いではないの」


「あほか気違いレースと比べるな」


通常のやりとりを交わすエイレンとルーカスを眺めつつ、キルケは思った。


(忘れ物は君の心だ、とか言いだしたら面白いのにな)


しかしそんな期待と裏腹に、話はどうも物騒な方向を辿っているようである。


「水鬼の幼体が大量発生した、と言えば分かるか?」


エイレンは黙って眉をひそめた。水鬼、は聞いたことがあったが、ひと言では具体的なイメージがわかない。


国を守る結界の力が弱まれば鬼たちが跋扈しだす、との知識はあるが、それがどのような事を指すのは掴んでいないのだ。


このくらいの大きさの、でろでろした黒い物体なのだが、とルーカスは手で示しつつ説明する。


「そいつらが軍船のマストに取り付いて、修理が進まない」


「ゴート神殿は?」


「船を焼くか雷を落とすしか無いと言ったそうだ」


エイレンの顔がより不機嫌になり、その口が声には出さず「無能ども」と動いた。


「後をお願いできる?」


同行していた神官に2、3指示を与えると、技師たちを振り返る。


「少しゴートの方に用事ができましたの。すぐに片付けて参りますから、先に進んでおいて下さいませね?」


落ち着いた口調で挨拶し、もと来た方向へと馬の首を返した。


「今からですか?」慌てて声を掛けるアルフェリウス。


「もちろんよ」とエイレンは頷き、返事を待たずに馬の腹に合図を送った。



技師たちの一団が見えなくなったところでエイレンは馬を止めた。ルーカスがそれに倣うと、天を仰いで神の名を呼ぶ。


「ハンスさん!」


「はーい呼んだぁ?」


凛とした声の残響がなくなる前に、そこで待っていたのか、と思うほどの即答。

脳天気な台詞と共に無意味な筋肉をひけらかしつつ現れた神様は、しかし少々しょぼくれていた。


すかさず軽口を叩くエイレン。


「あらもしかして、忙しすぎてアリーファに『仕事と私とどっちが大事?』とでも怒られたの?」


「だったら良かったんだが……」ふぅぅ、と悩ましい溜め息である。


「私は大丈夫だからお仕事頑張ってね!って笑顔で言われた」


「あら良いヨメじゃないの」


「無理してるようでもなかったし、寂しそうでも全然なかった……」


ガックリと肩を落とすハンスさんに、わたくしはアリーファほど寛容じゃなくてよ、と冷酷に告げる。


「港に水鬼を大量発生させるなんてサボりすぎ。血反吐はくまで頑張りなさいな」


「いや無理もう無理。今でもぜんぜん癒しがなくて禍神(まがつかみ)に戻りそう」


「そしたら全力で討伐して差し上げるから安心おし」


「ああ頼りにしてるぞ」


押したらそのままペシャン、とひしゃげそうな神様の様子に、エイレンの眉が再びきゅっとひそめられた。


「本当に海を切り捨てるおつもり?」


「……内海の波は守る」


問題を大量に含んだ返事である。

帝国との航路も水鬼の対応も無理、ということか。


「わたくしの都合を押させていただけば、まずは軍船を無事に返したいのだけれど」


「ミスリル鉱床の方にもう人が集まり始めている。そこと、たまにしか船の通らない海どっちを選ぶ?」


つまりは、ミスリル鉱床のある高原の守護を強化したら、海に手が回らなくなったのだ。


聖王国を守るはずの結界は、その核に半年以上前から神力が注がれいない。目に見えるものではないが、もはやそれがボロボロであることは容易に想像がつく。

維持するのが精一杯のところに新たに守護すべき地が加わったのだ。

たとえ神でも難しい状態だと、理解してしまえる。


エイレンはしぶしぶ頷いた。


「わかったわ。海はこちらで何とかしましょう」


「すまんな。頼む」


また溜め息をつくハンスさんの頭を手を伸ばしてヨシヨシ、と撫でてやる。


「とりあえず送って下さるわよね?ルークさんもよ」


「男には触りたくないなぁ」


イヤイヤそうな口振りに、こっちだって触られたくないわ、と思うルーカスであった。



※※※※※



ゴート港に停泊中の軍船では、非常体制ともいうべきものが敷かれていた。船員たちが交代で、ズルズルと船に上ってこようとする黒い物体を松明の火で追い払う。


ともすれば軍船にも火が移ってしまいそうな危うさはあったが、こうでもしなければ、どれだけの数が船に上がってくるか知れないのだ。


「こいつめ!」「くそっお前のせいで!」「ん?コイツら袋に入れたら触り心地がけっこう似てるぞ!」「動くだろ気持ち悪い!」「いやよがってると思えば!」「思えるかボケ!」


口々に罵りながら水鬼の幼体を焼き、船縁から引き剥がして蹴落とす。


西日が海に最後の光を投げかけている。今夜もまた、彼らは徹夜で船の番だ。


いつまでこんなことが続くのだろう、と誰もがウンザリしていた時。


急に、ザザザザッと音を立てて黒い物体が海へと戻り始めた。まるで何かに恐れをなしているようである。


「あら、やっぱり神様がいると違うものね」


涼やかな声とともに、甲板に降り立ったのは。


「使者様!」「イガシーム様!」「ついでに従僕殿!」水夫たちから一斉に声が上がる。


「エイレンさん!」「もっこりねーさん!」「ついでにルークさん!」負けじと、漕ぎ手たちからも声が上がる。


「帰ってきてくれたんだなぁっ!」


「会いたかったぜ!」


「あんたみたいな変態でもいないと寂しいもんだなぁ!」


「ルークさんよく連れ戻してくれたよ!」


手を振って歓迎してくれる船員たちに向かって軽やかに手を上げてみせながら、エイレンは不本意な思いを噛みしめていた。


(完璧だと思っていたのに……やはり変態認定されているだなんて!)


神様がとりあえず、というように、水鬼の幼体が消えていった辺りの水面に小さな雷を数発落とす。


しばらくすると黒い物体が無数にプカプカと浮き上がり、シュッと小さな音を立てながら消えていった。

瞬間、神様は痛ましそうな表情を浮かべるが、それに気付く者はいない。


「全部とはいかないが、これで多少はマシだろ。後は精霊魔術(まじない)でもかけておけ」


精霊魔術(まじない)を?」


そうだ、と神様は頷く。


「聖王国の船に被害が無いのは『海渡りの祭』の際の精霊魔術(まじない)が残っているからだ」


「ならば」エイレンは少し迷いを見せつつも、すぐに応じる。


「師匠を、連れてきて下さる?わたくしでは不安が残るわ」


プライドが高い妹分の意外な言葉に軽く瞠目しつつ、ハンスさんは尋ねた。


「今からか」


「当然でしょう。夜が1番仕事がないはずだもの」


基本『休む』という感覚が欠落している彼女にやれやれ、と肩をすくめてみせ、ハンスさんは黄昏の迫る海の空気に溶け込むように姿を消した。

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