今回求めるもの
何とも重苦しい雰囲気が室内を満たしていた。ジョッシュとハンフリーの主張は正反対、トリスタンとエルヴィスは殴った瞬間を見ていない。グレゴリーも犯行の瞬間を目撃していないのは同じだが、容疑者を確保するという名目でジョッシュとトリスタンを牢獄に入れている。そして、最終的な処断は進展のなさそうな捜査の結果ということだ。
小間使いの証言を知らない状態でこの状況を見聞きしたとしたら、ユウも判断はできなかったに違いない。心情的にはジョッシュを疑う気持ちもある程度あっただろう。
そして、未だにその小間使いの証言を示さないアーチボルトがユウには不思議だった。一体何を狙っているのかわからない。随分と回りくどいことをしているように思えた。
現在、ジョッシュはかろうじて怒りを抑えている状況なのに対し、ハンフリーは余裕の表情で事の成り行きを見守っている。トリスタンはいささかうんざりとした状態で、エルヴィスは我関せずという態度だ。グレゴリーはやや硬いながらも無表情である。
この話の結末がどこに着地するのかわからなくなったユウは不安な様子で話の流れを追っていた。すると、アーチボルトがユウに顔を向けてきたことに気付く。
「ユウ、ここで君の話を聞きたい。どうしてトリスタンを捜そうとしたのかね?」
「僕たちは町の外にある宿に泊まっているんですが、当時の時点でトリスタンが3日も帰ってきていなかったからです。トリスタンとはもう何年もの付き合いですけれど、今までこんなに長く帰らなかったことはなかったのでおかしいと思ったんですよ」
「それで町の中に探しに来たのか? 外ではなく?」
「最初は貧民街を探し回りましたが、いなさそうだったんで町の中を捜すことにしたんです。それまでたまに町の中の賭場や娼館に遊びに行っていることは聞いていましたから」
「それで、まずは庁舎に来て官憲に問い合わせたわけか」
「いいえ、最初は官憲に捕まっているなんて思ってもいませんでした。ですから最初は歓楽街の賭場や娼館を探し回ったんです。そうしたら、ある娼館でジョッシュの妹のベティと出会い、トリスタンがジョッシュに雇われたことを知りました。でも、この時点でもまだそれしか知らず、ジョッシュとハンフリーが諍いを起こしていたなんて知らなかったですけれどね」
「では、どうして庁舎にやって来たんだ?」
しゃべりながらユウはアーチボルトがなぜこんな話を自分にさせているのかを考えた。今のところ話した内容は前にアーチボルトへ伝えたものばかりだし、今の議題には直接関係のないことだ。これを話の遡上に乗せるというのならば、ジョッシュとハンフリーが揉めている代金の経緯も説明してもらう必要があるだろう。
しかし、最後の問いかけでアーチボルトの意図をユウは察した。知っているのに知らない風を装って自分の発言を誘導していた意味をだ。
一旦考えるふりをして間を取ったユウはそれから口を開く。
「ベティが護衛としてトリスタンをジョッシュに紹介したことを教えてもらった僕は、歓楽街の隣にある商工房地区へ行きました。僕は10年ほど前にその辺りで商店勤めをしていたので、行商人同士がよく交渉をしていることを知っていたからです。そうしたら、ジョッシュがハンフリーと口論した末に官憲にしょっ引かれていくのを見たという人に出会ったんです。ここで僕はようやくトリスタンが庁舎の牢獄にいることを知りました」
ユウの話す内容を聞いた途端、室内にいるほとんどの関係者の顔つきが変わった。ジョッシュは目を丸くし、ハンフリーは呆然とし、グレゴリーは目つきを鋭くし、エルヴィスは興味深げな顔つきになる。トリスタンとアーチボルトの2人はそのままだ。
「その人物は2人の諍いについて何と言っていたのか覚えているか?」
「遠くから眺めていただけなので話の内容はわからなかったそうですが、言い争っていることは理解できたそうです。それで、最初にエルヴィスがジョッシュに突っかかろうとしたところ、トリスタンが止めて引き離したらしいです。次に護衛の2人が離れたところで今度はハンフリーがいきなり仰向けに倒れて、そのときに悲鳴が少し聞こえたそうです。どのくらいの大きさの声かは聞いていませんでしたが、周りの人も一瞬顔を向けたくらいだと言っていました」
アーチボルトが主導して話が進んでいた室内はそれまでも静かだったが、今や別種の静けさに満ちていた。暗闇のような静けさから日の出直前の薄暗さのような静けさに変化したのだ。ハンフリーとグレゴリーの表情が硬くなり、エルヴィスの目つきが鋭くなる。
「その人物は、ジョッシュとハンフリーの具体的な行動について何か言っていたか?」
「ジョッシュは何もしてないように見えたそうです。最初から最後まで単に立ってただけだと言っていましたよ。その後、官憲がジョッシュとトリスタンをしょっ引いたとも」
「でたらめだ! そいつは仲間を庇うためにウソをついてる!」
激高したハンフリーが立ち上がってユウを指差した。その後も激しくユウを罵る。
その聞くに堪えない罵詈雑言をユウは聞き流した。ハンフリーが息を切らせて口を閉じるまで待つ。
その間、じっとハンフリーを見ていたが、ふとひとつの疑問が湧いてきた。ハンフリーが大きく息を切らせて黙ったところで問いかける。
「ハンフリー、あんたはジョッシュに殴られたんだよね」
「ああそうだ! オレはあのクソ野郎に殴られたんだ! 絶対に間違いねぇ!」
「それで回りに聞こえるくらいの大きな悲鳴を上げたんだ」
「だからどうしたってんだよ! てめぇは何が言いてぇんだ!」
「エルヴィス、あんたは傭兵だから人を殴ったときの反応はわかるよね?」
「まぁそうだな」
「それじゃ、人のお腹を殴ったとき、その人はどんな声を上げるのかな?」
「そりゃあ」
怒り狂うハンフリーの隣で口を開きかけたエルヴィスがそのまま固まった。その様子に我を忘れていたハンフリーさえもが目を向ける。
「おい、エルヴィス、どうした?」
「ああいや、どうしたもんかなと思ってね」
「何がだ?」
まだ気付いていないハンフリーがエルヴィスを問い詰めた。しかし、エルヴィスは言いにくそうな表情のまま黙る。近くではグレゴリーが顔をしかめていた。
その様子を尻目にユウはトリスタンへと顔を向ける。
「トリスタン、人のお腹を殴ったとき、その人はどんな声を上げたっけ?」
「小さいうめき声がせいぜいだな。何しろ殴られた瞬間に息を全部吐いてしまうから。でかい声はまず出せない」
「グレゴリーさん、お腹を殴られた人が大きな声を出せないのは間違いないですよね?」
「くっ、確かに」
「エルヴィス、どうかな?」
「ちっ、無理なモンは無理だわな」
「ハンフリー、お腹を殴られたあんたは、どうやって大きな悲鳴を上げたの?」
再びハンフリーに向き直ったユウは怒りに震えながら固まる行商人に問いかけた。単純にハンフリーの証言の矛盾を突いた形だ。もはや小間使いの証言どころではない。
この一連のやり取りを見ていたアーチボルトが感心した様子で独りごちる。
「そういう視点もあるのか。暴力を生業にしている職業ならではの見方だな」
「いやぁ、ユウ、すばらしい推測だな! オレはまったく思い付かなかったよ。なるほどなぁ、確かに腹を殴られたときは声なんてだせたもんじゃかったな」
今まで黙ってやり取りを見ていたジョッシュが目を輝かせていた。自分の無実が証明されたと喜んでいる。
「さて、グレゴリー、ユウの質問に対してハンフリーは答えられないようだが、どうする?」
「それは」
「まぁ、君にも面子というものがあるだろう。だからこうしないか? ジョッシュとトリスタンを一旦解放し、その後も調査を続けるんだ。そして、証拠と証言が充分に集まり次第、改めて2人を追及するという形にね。もちろん、証拠と証言が集まらなければそれで捜査は終わりだ」
顔を強ばらせていたグレゴリーが呆然とした。アーチボルトの提案は、関係者をすべて解放し、形式上捜査を進めてそのまま有耶無耶にしてしまおうというものだ。つまり、グレゴリーの今回の失態を不問にするということである。
「そうですな。落としどころとしては良いかと思います」
「誰にでも勘違いというものはあるからね。それを正せるのであれば、何も言うことはないよ」
「ありがとうございます」
グレゴリーの体から力が抜けたのを見たアーチボルトがうなずいた。ハンフリーとの間に何かあることは察せられるが、それを追及すると部署間で揉めることになる。今回は囚われた者たちを解放することだけに的を絞ったわけだ。
その様子を見ていたユウの体からも力が抜けた。




