取り戻せた日常
一仕事終えた後というのは心身共に軽くなるものだ。行商人ドルフを代行役人に引き渡すことで関連する謎もその捜査も丸投げした今のユウは実に気楽である。
二の刻の鐘の音を聞いて目覚めたユウは朝の準備を済ませると早速自伝の執筆を始めた。トニーの捜査をしていたときも続けていたので改めて言うことではないが、やはり仕事を抱えているときとは筆の乗りが違う。意識を集中できるのだ。
そうして三の刻に一旦休憩し、四の刻で昼食のために筆を置く。いつもの休暇が戻って来たとユウは実感した。
空腹を抱えたユウは部屋を出る。扉に鍵を掛けたユウは受付カウンターへと向かう。椅子にはジェナが座っていた。その目の前に鍵を差し出す。
「お昼を食べに行ってきます。昼過ぎには帰って来る予定ですよ」
「そうかい。ゆっくりしてくるんだね。一仕事終わったばかりなんだから。昨日はこの辺りで派手にやったそうじゃないか」
面白そうに笑うジェナにユウは苦笑いした。宿屋街で大声を出しながら走り回ったことを指しているのは明白である。
「これはしばらく言われそうだなぁ」
「そうだねぇ。こんなに面白い話は早々ないからね。それと、最後に下手人を取り押さえた冒険者にちゃんと謝礼を支払ったそうじゃないか。銀貨1枚だって?」
「随分と噂が広まるのが早いですね」
「お前さんだってこの辺りに住んでいるんだから、承知の上だったんじゃないかい?」
にやりと笑うジェナを見てユウは小さくうなずいた。確かにどういうわけか噂というのはやたらと早く広く周囲に伝わるものだ。正確に伝えられることなどまずないが、何かあったということはすぐに誰もが知るところとなる。
実際のところを聞こうとするジェナとしばらく雑談が続いた。隠すようなことでもないので正直に伝える。
「なるほどねぇ。トニーの件の続きだったのかい。他の下手人も取り押さえられて結構なことじゃないか」
「そうですね。これでこの件は代行役人に任せられるので、やっと肩の荷が降りましたよ」
「良かったじゃないか。安心して眠れるというのはいいことさ。ところで、あんたの相棒は昨日帰ってきたのかい?」
「え、トリスタンですか? そういえば、昨日も帰ってきていませんね。また娼館かな」
「よっぽど女の腹の中が気に入ったようだね。そのうちそっちに住んじまうんじゃないかい?」
「いやぁ、さすがにそれは」
困惑した表情を浮かべながらもユウは笑った。娼館に住むことはさすがにないと言い切れる。ただ、いずれは町の中に移りたいという考えは知っているだけに反論しづらかった。
ちょうど会話が途切れたところでユウは本来の目的を思い出す。
「そうだ、お昼ご飯を食べに行くんだった。完全に出遅れたなぁ」
「年寄りの話に付き合わせて済まないねぇ。腹が減ってるだろうから、早くお行き」
自分が空腹であることを思い出したユウは宿を出た。宿屋街から貧者の道へ、そして安酒場街へと移る。こちらの昼時は相変わらず人が多い。
安酒場『泥酔亭』は今日も大盛況だった。カウンターに空いている席がなくてがっかりしたユウだったが、ちょうど1人が離席したのを目にする。近づいて座ろうとしたがまだ前の客の食器などが残っていた。
近くを通りかかったサリーにユウが声をかける。
「サリー、ここのカウンターの上を片付けてくれるかな」
「いいわよ。そうそう、昨日宿屋街で派手に追いかけっこをしたそうね」
「追いかけっこって。やったのはそうだけれど」
「犯人は別の冒険者に捕まえてもらったそうじゃない」
「うん、あれは助かった」
「それってチンピラの一味だったの?」
「協力者だったと思う。はっきりしたことはわからないけれど、関係していたのは確実だよ。酒場で会っていたのは僕も見かけたから」
「ということは、これでもう本当に安心なのね」
「後は全部代行役人に任せるよ」
「それはちょっと不安。さぁ、片付いたわよ。座って。いつものでいいのよね」
カウンターの上を片付けながら話をしていたサリーは空いた食器を持って立ち去った。それを見送ったユウはカウンター席に座る。
しばらくすると、カウンターの奥からタビサが料理と酒を並べてくれた。その上で話しかけてくる。
「宿屋街での話、今度話しておくれ」
「あれ、恥ずかしいからあんまり話したくないんだけれどなぁ」
「そりゃますます聞かないとね。それと、アビーの話はいつ終わりってことになるんだい?」
「今日で終わりにします。アビーにも話をしないといけないな」
「だったら、ただ飯は今日までってことにするよ。デニスにはあたしから話をしとくけど、あんたもアビーと話をするんだよ。締めは大切だからね」
言うだけ言うとタビサはすぐに奥へと引っ込んだ。未だ昼時なので厨房は忙しいのである。
目の前に置かれた料理と酒に目を移したユウは早速食べ始めた。仕事が終わった後の食事はおいしい。何しろ思い悩むこともなく食べることに集中できるからだ。
そんな幸せな昼食を楽しんだ後、ユウは木製のジョッキを片手にのんびりと飲む。周囲を見れば店内の席は半分以上空いていた。昼時は過ぎたらしい。
どのくらいゆっくりとしていようかなとユウが考えているとエラが近づいて来る。
「空になった食器、持っていくわよ」
「いいよ」
「昨日宿屋街で行商人を捕まえたそうだけど、そいつがチンピラの一味だったの?」
「協力者だったのは確かだよ。もう1人いるみたいだけれど、その捜査は代行役人に任せることにした」
「あいつらちゃんと仕事してくれるのかしら?」
「僕の知り合いの人に任せてきてくれたから、やってくれるんじゃないかな。犯人を連れてこられたら仕事をしないわけにはいかないって言っていたし」
「なら任せるしかないわね。ということは、アビーの依頼はこれで終わり?」
「終わりだよ。タビサさんからデニスさんに話はするようだけれど、僕もアビーと会って話をしないとね」
「そうよねぇ」
空の食器を引き取りながらエラがうなずいた。その顔は嬉しそうだ。
そんなエラにユウが気になったことを尋ねる。
「ところで、トニーの様子はどうなの? ひどい怪我をしていたけれど」
「今はデニスさんのところで安静にしているらしいわ。しばらく外に出ない方がいいらしいみたい。そんなにひどい怪我だったの?」
「立って歩けるのかって最初は心配したくらいかな。よく耐えたと思う」
「ひどいわね。でも、怪我が治ったらまた元通りなんだし、良しとしましょ」
最後は明るい口調でまとめたエラが空の食器を持ってカウンターの奥へと向かった。
それを見送るとユウは木製のジョッキを傾ける。すべて飲み干すと席を立った。すれ違ったサリーに行き先を伝えると笑顔を向けられる。
安酒場『泥酔亭』を出たユウは路地を歩いた。貧民の道に出ると南西へと向かう。昼時よりも人通りが若干落ち着いていた。
次いで市場の路地に入ると足取りも軽く進む。そして、目的地である木造のぼろ屋にたどり着いた。デニスの八百屋である。
店先ではアビーが客への声かけをしていた。ユウに気付くと笑顔で声をかけてくる。
「ユウ! どうしたの?」
「アビーからの依頼の件が終わったことを伝えに来たんだ。チンピラと協力していた奴も昨日捕まえたし、後は代行役人に任せるとするよ」
「本当にありがとう。おかげでトニー兄さんが帰ってきてくれたわ」
「無事ではないのは残念だけれどね。怪我の様子はどうなの?」
「治るのはもう少し先になりそう。早く仕事をしなきゃってトニー兄さんは言うけれど、無理をするといけないし」
「完治してからの方が僕も良いと思うよ」
本当に嬉しそうに話をするアビーを見てユウは依頼をこなせて良かったと思った。
2人が話をしていると店の奥からデニスがやってくる。
「おい、アビー、ちゃんと呼び込みをしないと、おお、ユウか!」
「デニスさん、今アビーに依頼が完了したことを話していたんですよ」
「そうか。終わったか。それにしても、本当によくやってくれた。おかげでトニーが帰ってきてくれたんだ。こんなに嬉しいことはない」
「喜んでもらって何よりです。後でタビサさんから話があると思いますよ。たぶん野菜の件かな」
「依頼が終わったんだもんな。だったら、今晩オレの方があっちに行くか」
「そうしてください。それと、アビーにも言いましたけれど、後は代行役人に任せました」
「まだ何かあるのか?」
「あと1人協力者がいるみたいなんですけれど、ちょっと僕じゃ追いかけるのが難しくて」
ユウの説明を聞いていたデニスが腕を組んでうなずいた。娘が依頼した内容は知っているのでそれ以上は何も言わない。
その後、ユウは改めて親子に礼を言われるとにこやかにその場を去った。




