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冒険者の万華鏡  作者: 佐々木尽左
第31章 行商人の悲喜こもごも

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持ち込まれた相談事

 魔物の間引き期間も終わろうかというある日、ユウとトリスタンは安酒場『泥酔亭』で夕食を食べていた。既に前の仕事が終わって10日以上休んでいる。懐事情からするとまだまったく平気だが、ユウなどはそろそろ働きたいと思っていた。


 しかし、先日レセップに仕事はないと言われたばかりだ。今再び聞きに行ったところで回答は同じだろう。せめて来月まで待たないといけないと何となく考えていた。


 こうなると働く場所は夜明けの森に限られてくる。日帰りならばと一瞬考えたユウだったが、今の時期は特に魔物の数が多いことを思い出した。そんなところへ行こうものなら休む間もなく戦うことになるのは間違いない。


 そこでユウは考え方を変えた。これはつまり、今しばらく自伝の執筆に専念しろという神様の知らせなのだと。確かに今までは何かと依頼や仕事をやり続けていたのであまり書くことに時間を割けなかった。こうなれば徹底的に書いてやろうと心に決める。


 内心でようやく覚悟を決めたユウはトリスタンとの雑談に集中した。今のお題は商売人や行商人の争いについてである。


「今の僕は宿の部屋にこもっているからまだましだけれど、トリスタンは大変だよね」


「そうなんだよな。町の中も外も何かと騒がしいから逃げ場がない」


「争いってやっぱり町の中の方がひどいのかな?」


「話を聞くまで気にもしていなかったからわからないんだよな。俺、歓楽街しか行かないし」


「でも、その歓楽街も安全じゃないんでしょ?」


「実際はそこまでじゃないぞ。歓楽街全体で朝から夜までずっと騒乱があるわけじゃないからな。その場所とその時間がぴったりと合わないと、逆になかなかお目にかかれないだろうから」


「そう言われると、滅多に遭遇することはなさそうだよね。あーでも、チャドに会いに行ったときは途中で見かけたんだよなぁ」


「まだ逃げられる位置にいたから良かったじゃないか」


「まぁね。でもその口ぶりだと、今後も今まで通り町の中に行くんだ」


「回数は減らそうかと考えているんだよな。入場料が積み重なると結構なぁ」


「町の中で宿を取れば安上がりになるんだろうけれど」


「別に毎日行くわけじゃないからそこまでしなくてもいいよ。それに、ユウと別の宿に泊まるとなると、パーティの方はどうするんだ?」


「ということは、当面は我慢してもらうことになるのかな?」


「回数は減らすよ」


 相棒の話を聞いたユウは遊ぶにも色々と悩むことがあるんだと少し同情した。


 食事が終わると木製のジョッキ片手に雑談は更に続く。興が乗らないときは食事の終了と同時に宿へ戻るのだが、この日はそうではなかったようだ。


 楽しいひとときを過ごしていた2人だったが、そろそろお開きにしようかという頃になってエラがやって来たことに気付いた。てっきりテーブルの上にある空の食器を下げに来たのだと思っていたら、エラに話しかけられる。


「ユウ、少し話を聞いてくれないかしら」


「どうしたの?」


「八百屋のデニスさんって覚えている? 市場の東側にある木で造られたぼろ屋の」


「懐かしいね。今思い出したよ。屑野菜をもらうためによく行ったっけ」


「そこにアビーって子がいたでしょう。今もあたしやサリーとは友達なんだけど、その子が相談に乗ってほしいことがあるんですって」


 意外な話を聞いたユウは目を丸くした。アドヴェントの町の貧民街で生活していたユウだったが、実のところその期間は意外に短い。町の中から出てから旅に出るまで5年も住んでいなかったのだ。しかも、本当の意味で貧民の住宅街に住んでいたのは前半の3年弱である。決して周囲の人々と薄い関係ではなかったものの、付き合いは短かったのだ。


 だからユウは自分が貧民の人々に面と向かって頼られるとは思っていなかった。そもそも自分の名前が浮かんでくるか怪しいと考えていたのだ。


 驚くユウに対してエラが話を続ける。


「あたしがユウに相談したらって言ったのよ。それで、明日の朝ここで会ってくれない?」


「それは良いけれども」


「俺はどうするんだ?」


「トリスタンも一緒に来てくれたら嬉しいわ」


「ああ、ということは、冒険者として必要とされているわけだね」


 自分個人ではなく、冒険者としてということをユウは理解した。つまり、何か面倒なことを相談されるということである。


 エールを飲みながら一体何の話なのかとユウは考えを巡らせた。




 翌朝ユウとトリスタンは三の刻のかなり前に宿を出た。この頃だと二の刻過ぎには明るくなるので動きやすい。


 アビーの相談事のあらましを2人はエラから昨晩おおよそ聞いていた。2人いる兄のうち、次兄のトニーが2日前から姿をくらましたので捜してほしいという相談である。実家の八百屋を継げないトニーは行商人となり、西方辺境中部を往来しているらしい。そして、アドヴェントの町では市場で露天商もしているという。


 ユウの貧民時代の記憶によるとトニーは口が達者ではなかったように思えたが、誠実さを売りになんとかやっているらしい。大変そうだなというのユウの感想だった。


 安酒場『泥酔亭』に着いたユウは店の裏に回る。10年近くぶりの裏口を見て感動した後、扉を叩いてトリスタン共々中に入れてもらった。調理場も中から見るのは本当に久しぶりである。


「こっちよ。アビーはもういるわ」


 サリーに案内されたユウとトリスタンは店内へと通された。すると、近くのテーブル席に女2人が座っているのを目にする。1人はエラだとすぐにわかった。そうなると、栗色の髪におとなしそうな顔の方がアビーということになる。確かに昔の面影がよく連想できる顔だった。


 案内役のサリーがアビーの隣に座る。エラはその反対側だ。一方、ユウとトリスタンはその対面に座った。挨拶が終わるとエラが話を始める。


「ユウ、トリスタン、相談したいことのあらましは昨日話した通りだけど、もう1度アビーからも話を聞いてちょうだい」


「わかった。アビー、どんな相談なのか聞かせてよ」


「うん、あのね」


 決して上手とは言えない口ぶりでアビーが相談の内容を説明し始めた。昨晩エラから聞いたものとほとんど変わらない。次兄で行商人のトニーが2日前から姿を消したので捜してほしい。周囲との関係は良好で人に恨まれるようなことはしていない。などと朴訥に話してくれる。


 ただ、これだけでは手がかりが少ない。もう少し何かないかとユウが思っているとアビーが自信なさげに話してくる。


「あの、これはトニー兄さんの失踪と関係あるかわからないんだけど、姿を消したその日の夜に麻の小袋を店の裏側に投げ込まれたみたいなの。気付いたのは朝だったけど」


「麻の小袋?」


「これなんだけれどね、中には銀貨や銅貨が入っていたの」


 テーブルに置かれた麻の小袋を手に取ったユウは口を広げて中を覗いた。すると、確かに硬貨がいくつも入って入る。テーブルの上に出して数えてみると銀貨8枚に銅貨5枚だ。貧民にすれば大金である。しかし、それだけにそんなものを他人の家に投げ込む理由がわからない。トリスタンへと顔を向けるとやはり首を傾げていた。


 最後にトニー兄さんを捜してほしいという言葉と共にアビーがユウとトリスタンを見つめる。


 話を聞き終えたユウは実に居心地が悪くなってきたことを自覚した。今から報酬の話をしないといけないからだ。これまでその話が一切なかったということは恐らく無料で頼むつもりなのだろう。紹介したエラがどんなつもりなのかはわからないが、ここははっきりとさせないと今後ユウが困ることは間違いない。


「実に言いにくいことなんだけれど、これを僕に仕事として頼むということは報酬が必要になるんだけれど、それはどう考えているのかな?」


「ユウ、あんた、アビーからお金を取るの?」


「そうだよ、エラ。これを無料で引き受けたら、今後僕に無料で仕事をしてくれってみんなが言ってくるからだよ」


「いくらなのよ」


「定価だと日当で1人銀貨5枚。でも、これをアビーやデニスさんが支払えるとは思えない。だから、これから話し合おうと思うんだ」


 一瞬目を剥いたアビーたち3人だったが、現実的な金額に落とし込んでくれるというユウの言葉に体の緊張を解いた。


 ここからは落としどころを探り合う。最終的には、日当として安酒場『泥酔亭』で1日の食事を提供してもらうことに決まった。そして、八百屋から野菜を『泥酔亭』に毎日送り届けることになる。


 また、捜索は1日鐘1回分の時間のみとし、引き受けるのはユウのみでトリスタンは参加しない。1日約銅貨4枚という旧友特価をパーティーメンバーにまでは強制できないからだ。


 これで交渉が成立し、ユウは行商人トニーを片手間で捜すことになった。

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